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正典の謎
ジョン・H・ワトスンの謎
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【ジェームズかヘイミシュか】
ワトスンはホームズのパートナーとして広く知られる人物です。正典のほとんどを執筆した(という設定の)者で、ただし正典の一部はホームズ自ら書いています。
ワトスンの本名は『ジョン・H・ワトスン』。このワトスンのミドルネームである『H』が何の略かは正典に記述がありません。
しかし、短編『唇の捩れた男』でワトスンが妻から『ジェームズ』と呼ばれた描写があります。
現在のアメリカ人やイギリス人は親しい相手を上の名前ではなく下の名前で呼ぶのが普通ですが、当時は親しい間柄でも上の名前で呼び合いました。だからホームズは『ワトスン』と呼んでいるのですが、子供同士や家族からなどは下の名前で呼びます。だから奥さんならワトスンのことを『ジョン』と呼ぶはずです。
ではなぜジョンと呼ばずにジェームズと呼んだのか。この疑問の解釈の一つとして、ドロシー・L・セイヤーズの説があります。その説によると、スコットランド語の『ヘイミシュ』が『ジェームズ』と同義のため、奥さんは愛称としてジェームズと呼んだのだろうと結論付けています。それにより、ワトスンの本名はジョン・ヘイミシュ・ワトスンとして、定説になっています。
そして奥さんがワトスンを愛称で呼んでいた理由についても、セイヤーズは語っています。ワトスンの奥さんとされるメアリー・モースタンは長編『四つの署名』で、お父さんをジョン・ショルトーに殺されているのでワトスンのことを『ジョン』と呼ぶのに抵抗があったからだとしているのです。これも理にかなっています。
この説が発表され、シャーロキアンは安心しました。彼ら(私を含めて)シャーロキアンは謎が謎のままだと落ち着かないのです(多分)。この説でワトスンをジェームズと呼んだ謎が解消され、ワトスンの本名で唯一わからない『H』の謎まで解消されたのです。そりゃ安心しますよ(笑)。
ただ、奥さんがワトスンをジェームズと呼んだのには、これ以外の説も当然存在します。
その説の一つに当たり前のことながら、ドイルの書き間違いではないかとするものがあります。この説について興味深いものがあります。推理小説で誰もが知る『ノックスの十戒』があります。このノックスの十戒はロナルド・ノックスが作りました。そのノックスが1911年頃にドイルにこの一件を質問したらしく、その質問にドイルは書き間違いだと答えたようです。
ちなみに、ノックスの十戒を私は推理小説を書く身でありながら、最近まで知りませんでした(笑)。知る切っ掛けとなったのは、小説家になろうなどで活動する菱川あいずさんの『アンチノックス探偵の禁断推理ー探偵小説のルール「ノックスの十戒」を1~10まですべて破ってみた』という作品です。この作品(と作者様)は推理ジャンルで有名ですが、このエッセイを読んでいる方は推理小説というより正典を読んでいるイメージがあるので宣伝しておきましょう。最後にどんでん返しで驚かされますし、初っ端から面白いですよ!
おっと、悪い癖でまた本筋から脱線してしまいました。さて。ドイルの書き間違いとする説には他にも根拠があります。
ドイルが加入していたポーツマス文芸・科学協会の医者であるジェームズ・ワトスンを、ワトスンの名前のモデルにしていた説があり、ドイルは『唇の捩れた男』を書く際にモデルの名前であるジェームズをうっかりと書いてしまったというものです。
ジェームズ・ワトスンは医者ですし、ドイルが書き間違いだと言った事実にも反していません。正直私も、H=ヘイミシュ説よりドイル書き間違い説の方を信じています。まあ、シャーロキアンはちょっと深読みし過ぎですよね。
ドイルが実在する人物から名前を拝借して、正典の登場人物の名前にしている例は多々あります。例えば、前頁で話した短編『まだらの紐』の犯人であるグリムズビー・ロイロット(Grimesby Roylott)です。
オックスフォード版全集のリチャード・ランセリン・グリーンによる注釈で、グリムズビー・ロイロット博士の名字は当時のクリケット選手の名前から取ったという、1921年のドイルのスピーチが紹介されているようです。
そのクリケット選手の名前はアーノルド・ライロット(Arnold Rylott)で、RylottをRoylottとして手を加えています。その後にドイル自身が『まだらの紐』の戯曲を作り、その戯曲ではRoylott博士はRylott博士となっています。
これらのことから、奥さんがワトスンのことをジェームズと呼んだのはドイルの書き間違いだとする方が正しいでしょう(というか、ドイルがわざわざわかりにくい愛称にする可能性が低いです)。
また、『唇の捩れた男』はワトスンが書いたわけではないからだ、とする説もあります。
その他に、ワトスンがジェームズと呼ばれたことの説としては、ワトスンをジェームズと呼んだワトスン夫人はメアリー・モースタンではないのではないかとするものです。というのも、『唇の捩れた男』事件は1888年9月に発生したと推定されます。1888年9月の場合は、メアリーと結婚して半年程度が経過したことになります。
しかし、ワトスンは作中で時刻を尋ねられて『6月19日金曜日の11時前』だと答えています。1889年6月19日は水曜日であり、金曜日なのは1887年になってしまいます。ベアリング・グールドによる事件発生の説も『1887年6月18日~6月19日』です。
もし『唇の捩れた男』事件が1887年6月18日~6月19日に発生したのなら、メアリーとは結婚していないんです。このことから、このワトスン夫人はメアリーとは別人で、このワトスン夫人にワトスンはジェームズと名乗っていたのではないか、とも解釈出来ます。
上記のことなどから、ワトスンは何回結婚したのかのという研究も行われています。
ホームズが失踪中(大空白時代)にワトスンはメアリーと悲しい別れ(定説としてはメアリーの死亡)をしています。それからワトスンはホームズと同居を再開させますが、短編『白面の兵士』でワトスンは再度結婚してホームズと別居します。
前述したように『唇の捩れた男』でワトスンは一回目の結婚(正典で明記なし。ただの推測)、長編『四つの署名』で二回目にメアリーと結婚、『白面の兵士』で三回目の結婚をしたとベアリング・グールドは主張しています。
これに対して、『唇の捩れた男』での日付や曜日はドイルの誤りであり、そのことからワトスンの結婚は二回とするH・T・フォルソムやJ・トムソンの説も存在します。当たり前のことですが、『唇の捩れた男』での日付や曜日はドイルのミスだと考えるのが妥当です。このワトスン結婚二回説が一番正しいでしょう。
【ワトスン一家】
短編『海軍条約文書事件』では、学校時代の友人がワトスンを通して事件解決を依頼しています。その友人は、母方の叔父が大物政治家のため、かなり身分の高い家だと考えられます。そんな彼が通う学校にワトスンも行っていたので、ワトスンもまた立派な家庭だと考えることが出来ます。
ワトスンの兄(長男)については長編『四つの署名』の冒頭で触れられています。それによると、ワトスンの兄は『H』のイニシャルのようで、不精でずぼら、晩年は酒飲みだということがわかります。
しかし、長編『緋色の研究』でワトスンが身寄りは無いと言っていたので、この時すでに両親や兄は死んでいたということです。当時は長男が父親と同じ名前を与えられることが多く、ホームズがこれを指摘してもワトスンが何も言わなかったのでワトスンの父と兄は同名ということになります。
ちなみに、ワトスンの父と兄のイニシャル『H』ですが、シャーロキアンの研究によると『ヘンリー』ではないかとなっているようです。その理由を調べたのですが、根拠がまったくわかりません。知っている方は教えてください!
【趣味】
競馬好きで、傷痍年金のおよそ半分をつぎ込んでいたようです。短編『踊る人形』ではサーストンという人物とビリヤードをしていましたが、北原尚彦さんいわく、この時もお金を賭けていたかもしれないそうです。ただしサーストンにアフリカの株への投資を勧められますが断っていて、賭けられればなんでも良いわけじゃないようで、このアフリカの株への投資はかなり賭博性が高い、とあります。つまり、ワトスンの理性は働いていました。
【優秀さ】
ホームズの隣りにいる影響でワトスンの優秀さはあまり感じられませんが、ロンドン大学医学部を卒業して博士にまでなっています。
これは前述しましたが、ワトスンがいないと正典はまったく面白くなくなります。ホームズはワトスンと議論して真相に辿り着くようなタイプではなく、ワトスンがいなければホームズの推理はどのように行われたのかわかりません。ワトスンがわかりやすくしているからこそ、ホームズに魅力が生まれるということです。
ホームズの推理の過程についてもワトスンは尋ねてくれていて、これについて『名探偵シャーロック・ホームズ事典』にて興味深いことが書かれています。それによると、ワトスンは私達読者がホームズの推理をわかりやすくするために質問をしているのではないかとあります。その根拠は、全体像を理解していないと鋭い質問も出来ず、わかりやすい説明も出来ないからです。
このワトスンの配慮を、ホームズはわかっているようです。
ワトスンはホームズのパートナーとして広く知られる人物です。正典のほとんどを執筆した(という設定の)者で、ただし正典の一部はホームズ自ら書いています。
ワトスンの本名は『ジョン・H・ワトスン』。このワトスンのミドルネームである『H』が何の略かは正典に記述がありません。
しかし、短編『唇の捩れた男』でワトスンが妻から『ジェームズ』と呼ばれた描写があります。
現在のアメリカ人やイギリス人は親しい相手を上の名前ではなく下の名前で呼ぶのが普通ですが、当時は親しい間柄でも上の名前で呼び合いました。だからホームズは『ワトスン』と呼んでいるのですが、子供同士や家族からなどは下の名前で呼びます。だから奥さんならワトスンのことを『ジョン』と呼ぶはずです。
ではなぜジョンと呼ばずにジェームズと呼んだのか。この疑問の解釈の一つとして、ドロシー・L・セイヤーズの説があります。その説によると、スコットランド語の『ヘイミシュ』が『ジェームズ』と同義のため、奥さんは愛称としてジェームズと呼んだのだろうと結論付けています。それにより、ワトスンの本名はジョン・ヘイミシュ・ワトスンとして、定説になっています。
そして奥さんがワトスンを愛称で呼んでいた理由についても、セイヤーズは語っています。ワトスンの奥さんとされるメアリー・モースタンは長編『四つの署名』で、お父さんをジョン・ショルトーに殺されているのでワトスンのことを『ジョン』と呼ぶのに抵抗があったからだとしているのです。これも理にかなっています。
この説が発表され、シャーロキアンは安心しました。彼ら(私を含めて)シャーロキアンは謎が謎のままだと落ち着かないのです(多分)。この説でワトスンをジェームズと呼んだ謎が解消され、ワトスンの本名で唯一わからない『H』の謎まで解消されたのです。そりゃ安心しますよ(笑)。
ただ、奥さんがワトスンをジェームズと呼んだのには、これ以外の説も当然存在します。
その説の一つに当たり前のことながら、ドイルの書き間違いではないかとするものがあります。この説について興味深いものがあります。推理小説で誰もが知る『ノックスの十戒』があります。このノックスの十戒はロナルド・ノックスが作りました。そのノックスが1911年頃にドイルにこの一件を質問したらしく、その質問にドイルは書き間違いだと答えたようです。
ちなみに、ノックスの十戒を私は推理小説を書く身でありながら、最近まで知りませんでした(笑)。知る切っ掛けとなったのは、小説家になろうなどで活動する菱川あいずさんの『アンチノックス探偵の禁断推理ー探偵小説のルール「ノックスの十戒」を1~10まですべて破ってみた』という作品です。この作品(と作者様)は推理ジャンルで有名ですが、このエッセイを読んでいる方は推理小説というより正典を読んでいるイメージがあるので宣伝しておきましょう。最後にどんでん返しで驚かされますし、初っ端から面白いですよ!
おっと、悪い癖でまた本筋から脱線してしまいました。さて。ドイルの書き間違いとする説には他にも根拠があります。
ドイルが加入していたポーツマス文芸・科学協会の医者であるジェームズ・ワトスンを、ワトスンの名前のモデルにしていた説があり、ドイルは『唇の捩れた男』を書く際にモデルの名前であるジェームズをうっかりと書いてしまったというものです。
ジェームズ・ワトスンは医者ですし、ドイルが書き間違いだと言った事実にも反していません。正直私も、H=ヘイミシュ説よりドイル書き間違い説の方を信じています。まあ、シャーロキアンはちょっと深読みし過ぎですよね。
ドイルが実在する人物から名前を拝借して、正典の登場人物の名前にしている例は多々あります。例えば、前頁で話した短編『まだらの紐』の犯人であるグリムズビー・ロイロット(Grimesby Roylott)です。
オックスフォード版全集のリチャード・ランセリン・グリーンによる注釈で、グリムズビー・ロイロット博士の名字は当時のクリケット選手の名前から取ったという、1921年のドイルのスピーチが紹介されているようです。
そのクリケット選手の名前はアーノルド・ライロット(Arnold Rylott)で、RylottをRoylottとして手を加えています。その後にドイル自身が『まだらの紐』の戯曲を作り、その戯曲ではRoylott博士はRylott博士となっています。
これらのことから、奥さんがワトスンのことをジェームズと呼んだのはドイルの書き間違いだとする方が正しいでしょう(というか、ドイルがわざわざわかりにくい愛称にする可能性が低いです)。
また、『唇の捩れた男』はワトスンが書いたわけではないからだ、とする説もあります。
その他に、ワトスンがジェームズと呼ばれたことの説としては、ワトスンをジェームズと呼んだワトスン夫人はメアリー・モースタンではないのではないかとするものです。というのも、『唇の捩れた男』事件は1888年9月に発生したと推定されます。1888年9月の場合は、メアリーと結婚して半年程度が経過したことになります。
しかし、ワトスンは作中で時刻を尋ねられて『6月19日金曜日の11時前』だと答えています。1889年6月19日は水曜日であり、金曜日なのは1887年になってしまいます。ベアリング・グールドによる事件発生の説も『1887年6月18日~6月19日』です。
もし『唇の捩れた男』事件が1887年6月18日~6月19日に発生したのなら、メアリーとは結婚していないんです。このことから、このワトスン夫人はメアリーとは別人で、このワトスン夫人にワトスンはジェームズと名乗っていたのではないか、とも解釈出来ます。
上記のことなどから、ワトスンは何回結婚したのかのという研究も行われています。
ホームズが失踪中(大空白時代)にワトスンはメアリーと悲しい別れ(定説としてはメアリーの死亡)をしています。それからワトスンはホームズと同居を再開させますが、短編『白面の兵士』でワトスンは再度結婚してホームズと別居します。
前述したように『唇の捩れた男』でワトスンは一回目の結婚(正典で明記なし。ただの推測)、長編『四つの署名』で二回目にメアリーと結婚、『白面の兵士』で三回目の結婚をしたとベアリング・グールドは主張しています。
これに対して、『唇の捩れた男』での日付や曜日はドイルの誤りであり、そのことからワトスンの結婚は二回とするH・T・フォルソムやJ・トムソンの説も存在します。当たり前のことですが、『唇の捩れた男』での日付や曜日はドイルのミスだと考えるのが妥当です。このワトスン結婚二回説が一番正しいでしょう。
【ワトスン一家】
短編『海軍条約文書事件』では、学校時代の友人がワトスンを通して事件解決を依頼しています。その友人は、母方の叔父が大物政治家のため、かなり身分の高い家だと考えられます。そんな彼が通う学校にワトスンも行っていたので、ワトスンもまた立派な家庭だと考えることが出来ます。
ワトスンの兄(長男)については長編『四つの署名』の冒頭で触れられています。それによると、ワトスンの兄は『H』のイニシャルのようで、不精でずぼら、晩年は酒飲みだということがわかります。
しかし、長編『緋色の研究』でワトスンが身寄りは無いと言っていたので、この時すでに両親や兄は死んでいたということです。当時は長男が父親と同じ名前を与えられることが多く、ホームズがこれを指摘してもワトスンが何も言わなかったのでワトスンの父と兄は同名ということになります。
ちなみに、ワトスンの父と兄のイニシャル『H』ですが、シャーロキアンの研究によると『ヘンリー』ではないかとなっているようです。その理由を調べたのですが、根拠がまったくわかりません。知っている方は教えてください!
【趣味】
競馬好きで、傷痍年金のおよそ半分をつぎ込んでいたようです。短編『踊る人形』ではサーストンという人物とビリヤードをしていましたが、北原尚彦さんいわく、この時もお金を賭けていたかもしれないそうです。ただしサーストンにアフリカの株への投資を勧められますが断っていて、賭けられればなんでも良いわけじゃないようで、このアフリカの株への投資はかなり賭博性が高い、とあります。つまり、ワトスンの理性は働いていました。
【優秀さ】
ホームズの隣りにいる影響でワトスンの優秀さはあまり感じられませんが、ロンドン大学医学部を卒業して博士にまでなっています。
これは前述しましたが、ワトスンがいないと正典はまったく面白くなくなります。ホームズはワトスンと議論して真相に辿り着くようなタイプではなく、ワトスンがいなければホームズの推理はどのように行われたのかわかりません。ワトスンがわかりやすくしているからこそ、ホームズに魅力が生まれるということです。
ホームズの推理の過程についてもワトスンは尋ねてくれていて、これについて『名探偵シャーロック・ホームズ事典』にて興味深いことが書かれています。それによると、ワトスンは私達読者がホームズの推理をわかりやすくするために質問をしているのではないかとあります。その根拠は、全体像を理解していないと鋭い質問も出来ず、わかりやすい説明も出来ないからです。
このワトスンの配慮を、ホームズはわかっているようです。
応援ありがとうございます!
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