上 下
112 / 245
第四章『輝宗の死』

伊達政宗、輝宗を殺すのは伊達じゃない その拾

しおりを挟む
 この滝を全て合わせた落差が六百五十六フィート(二百五十メートル)を誇るスイスの観光名所である、ここライヘンバッハの滝。この滝は岩棚いわだなに当たっていくつかの滝に分かれている。その中で一番上の滝の前にあるがけに、そでのないすそが二重の外套がいとう羽織はおる鼻筋が通り盛り上がった人物がいた。
 角張る顎の、その男性は滝を眺めながら登山杖を握りしめていた。口には柄が真っ直ぐで長いビリヤードパイプがくわえられており、その口元は笑っているように見受けられる。
 岩に強く打ち当たった滝は、きりと化して彼の足元に存在する。
 彼は視線を、滝から谷底に移す。滝が長い年月を掛けて削っていった谷の底は、はる彼方かなたにあり霧が邪魔をして目視は難しい。これから彼は谷底にある人物をたたき落とすべく、心していた。彼にそのようなことをさせるのは、彼を破滅へと導こうとする悪党・ジェームズ・モリアーティ教授。そのモリアーティと対峙たいじするのは、今なお谷底を見つめる彼、シャーロック・ホームズである。
 モリアーティとホームズ。この二人は同等の優れた才を有するも、その能力の使い道は両極端だ。一方は難事件を解決するために使用し、一方は完全犯罪に使用する。彼らが対峙するのは必然である。
 ホームズは死してモリアーティを破滅させることを決していた。また、モリアーティはずる賢くも、ホームズを谷底に突き落として自分は生き長らえることを狙っていた。そのために、モリアーティは右腕であるセバスチャン・モラン大佐をライヘンバッハの滝に待機させていた。無論、崖に立つホームズはそのことを承知していた。
 滝の轟音ごうおんに足音は掻き消されるも、ホームズはモリアーティが近づいてくる気配を感じ取って振り向く。数百フィート先には、老人を連想させるように腰が曲がって前かがみとなるモリアーティがいた。モリアーティは顔に、想像を絶するような人生で獲得したしわとすごみを刻み込んでいる。曲がった腰が真っ直ぐとなれば、六フィート(約百八十三センチメートル)にもなるホームズの身長に負けず劣らずの長身となるだろう。しかし、その腰が完治することはなく、それが原因でのらりくらりと左右に揺れ動いている。
 ホームズは体を完全にモリアーティのいる方向に向けて、登山杖に体重を掛ける。
「やあ」
 ホームズはムスッとした表情で、だが好意的な声でモリアーティに挨拶をした。
「どうだ、ホームズ? のこのことライヘンバッハの滝に誘い出された気分は」
「別に僕は、君のてのひらおどらされていたわけじゃない。僕は僕で、君を倒すための行動をしてきたんだ」
「ロンドンを代表する名探偵。面白い肩書きだ。果たして、私の肩書きである教授とどちらが優れているのか」
「別に名探偵を名乗ったつもりはない。僕の同居人が勝手に褒めちぎったまでだ」
「私は負けない」
 モリアーティはニヤリと笑う。
「そうかい。では、谷底へと落ちてもらう」
「私を殺すか? 君だってちょうど今、殺人を犯そうとしている。私とやっていることは変わらないではないか」
「罪なき者をたくさん殺してきた君には言われたくない」
「命はとうといものだ。お前が私を殺したら、私のような殺人者と変わらない」
「命が尊い、という言葉を君の口から聞ける時がくるとはね。冥土めいど土産みやげとしておこう」
「ほう。私もろとも死ぬというのか?」
「自分が死ぬ勇気を持たないと、君は殺せないだろう?」
「勇気ある者から、戦場では死んでいくんだ」
「戦場......。いや、ここは戦場ではなく僕達の墓場だ」
「僕は余計だ」
 ホームズは登山杖を持って場所を少しずつ移動していった。
「死ぬ勇気は、僕には確かにある」
「死ぬのなら君の伝記作家に、何か何か言い残すことはないのか?」
「伝記作家、という呼称はあまり好まない。これでも僕は、ワトスン君のことを尊敬しているんだ」
「ではその博士に、言い残すことは?」
「たくさんあるよ」
「博士に手紙を書く時間を与える。
「そうすることにしよう」
 ホームズはノートからページを破り、手の上で文字を記していった。モリアーティの厚意こういでこの手紙が書けていること。モリアーティ一味を有罪にする決定的証拠の数々の在処ありかや財産は兄・マイクロフトにあずけたこと。ワトスンの奥さん、そしてワトスン自身への感謝の言葉。思い付くことを書いていった。不意にも、一滴いってきの液体がホームズの顔から落ちた。それが汗か涙かは、さだかではない。けれどホームズは少なからず、その時に悲しい感情があったことは確かである。
 遺書を三枚に分けて書き上げて折ると、からのシガレット・ケースにその三枚をしまい込んで地面に優しく置いた。少しの間、手はシガレット・ケースから離れなかったがついに意を決した。立ち上がって顔を上げ、目はモリアーティをとはえる。そのまなこの奥には、一点のくもりもない。
「ホームズよ。どちらが正しいか、白黒つけようじゃないか」
「ふん。完璧な人間などいないさ。君も、僕も......。ということは、僕らは二人とも谷底に落ちるということさ」
 ホームズもモリアーティも、どちらも勝利を確信していた。今ここに、出会うべきではなかった世紀の大天才の二人が、闘志とうししにしたのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

勇者に闇討ちされ婚約者を寝取られた俺がざまあするまで。

飴色玉葱
ファンタジー
王都にて結成された魔王討伐隊はその任を全うした。 隊を率いたのは勇者として名を挙げたキサラギ、英雄として誉れ高いジークバルト、さらにその二人を支えるようにその婚約者や凄腕の魔法使いが名を連ねた。 だがあろうことに勇者キサラギはジークバルトを闇討ちし行方知れずとなってしまう。 そして、恐るものがいなくなった勇者はその本性を現す……。

冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい

一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。 しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。 家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。 そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。 そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。 ……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

Another World〜自衛隊 まだ見ぬ世界へ〜

華厳 秋
ファンタジー
───2025年1月1日  この日、日本国は大きな歴史の転換点を迎えた。  札幌、渋谷、博多の3箇所に突如として『異界への門』──アナザーゲート──が出現した。  渋谷に現れた『門』から、異界の軍勢が押し寄せ、無抵抗の民間人を虐殺。緊急出動した自衛隊が到着した頃には、敵軍の姿はもうなく、スクランブル交差点は無惨に殺された民間人の亡骸と血で赤く染まっていた。  この緊急事態に、日本政府は『門』内部を調査するべく自衛隊を『異界』──アナザーワールド──へと派遣する事となった。  一方地球では、日本の急激な軍備拡大や『異界』内部の資源を巡って、極東での緊張感は日に日に増して行く。  そして、自衛隊は国や国民の安全のため『門』内外問わず奮闘するのであった。 この作品は、小説家になろう様カクヨム様にも投稿しています。 この作品はフィクションです。 実在する国、団体、人物とは関係ありません。ご注意ください。

私の代わりが見つかったから契約破棄ですか……その代わりの人……私の勘が正しければ……結界詐欺師ですよ

Ryo-k
ファンタジー
「リリーナ! 貴様との契約を破棄する!」 結界魔術師リリーナにそう仰るのは、ライオネル・ウォルツ侯爵。 「彼女は結界魔術師1級を所持している。だから貴様はもう不要だ」 とシュナ・ファールと名乗る別の女性を部屋に呼んで宣言する。 リリーナは結界魔術師2級を所持している。 ライオネルの言葉が本当なら確かにすごいことだ。 ……本当なら……ね。 ※完結まで執筆済み

【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部

山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。 これからどうかよろしくお願い致します! ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

処理中です...