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第四章『輝宗の死』
伊達政宗、輝宗を殺すのは伊達じゃない その拾
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この滝を全て合わせた落差が六百五十六フィート(二百五十メートル)を誇るスイスの観光名所である、ここライヘンバッハの滝。この滝は岩棚に当たっていくつかの滝に分かれている。その中で一番上の滝の前にある崖に、袖のない裾が二重の外套を羽織る鼻筋が通り盛り上がった人物がいた。
角張る顎の、その男性は滝を眺めながら登山杖を握りしめていた。口には柄が真っ直ぐで長いビリヤードパイプがくわえられており、その口元は笑っているように見受けられる。
岩に強く打ち当たった滝は、霧と化して彼の足元に存在する。
彼は視線を、滝から谷底に移す。滝が長い年月を掛けて削っていった谷の底は、遙か彼方にあり霧が邪魔をして目視は難しい。これから彼は谷底にある人物をたたき落とすべく、心していた。彼にそのようなことをさせるのは、彼を破滅へと導こうとする悪党・ジェームズ・モリアーティ教授。そのモリアーティと対峙するのは、今なお谷底を見つめる彼、シャーロック・ホームズである。
モリアーティとホームズ。この二人は同等の優れた才を有するも、その能力の使い道は両極端だ。一方は難事件を解決するために使用し、一方は完全犯罪に使用する。彼らが対峙するのは必然である。
ホームズは死してモリアーティを破滅させることを決していた。また、モリアーティはずる賢くも、ホームズを谷底に突き落として自分は生き長らえることを狙っていた。そのために、モリアーティは右腕であるセバスチャン・モラン大佐をライヘンバッハの滝に待機させていた。無論、崖に立つホームズはそのことを承知していた。
滝の轟音に足音は掻き消されるも、ホームズはモリアーティが近づいてくる気配を感じ取って振り向く。数百フィート先には、老人を連想させるように腰が曲がって前かがみとなるモリアーティがいた。モリアーティは顔に、想像を絶するような人生で獲得した皺とすごみを刻み込んでいる。曲がった腰が真っ直ぐとなれば、六フィート(約百八十三センチメートル)にもなるホームズの身長に負けず劣らずの長身となるだろう。しかし、その腰が完治することはなく、それが原因でのらりくらりと左右に揺れ動いている。
ホームズは体を完全にモリアーティのいる方向に向けて、登山杖に体重を掛ける。
「やあ」
ホームズはムスッとした表情で、だが好意的な声でモリアーティに挨拶をした。
「どうだ、ホームズ? のこのことライヘンバッハの滝に誘い出された気分は」
「別に僕は、君の掌で踊らされていたわけじゃない。僕は僕で、君を倒すための行動をしてきたんだ」
「ロンドンを代表する名探偵。面白い肩書きだ。果たして、私の肩書きである教授とどちらが優れているのか」
「別に名探偵を名乗ったつもりはない。僕の同居人が勝手に褒めちぎったまでだ」
「私は負けない」
モリアーティはニヤリと笑う。
「そうかい。では、谷底へと落ちてもらう」
「私を殺すか? 君だってちょうど今、殺人を犯そうとしている。私とやっていることは変わらないではないか」
「罪なき者をたくさん殺してきた君には言われたくない」
「命は尊いものだ。お前が私を殺したら、私のような殺人者と変わらない」
「命が尊い、という言葉を君の口から聞ける時がくるとはね。冥土の土産としておこう」
「ほう。私もろとも死ぬというのか?」
「自分が死ぬ勇気を持たないと、君は殺せないだろう?」
「勇気ある者から、戦場では死んでいくんだ」
「戦場......。いや、ここは戦場ではなく僕達の墓場だ」
「僕達は余計だ」
ホームズは登山杖を持って場所を少しずつ移動していった。
「死ぬ勇気は、僕には確かにある」
「死ぬのなら君の伝記作家に、何か何か言い残すことはないのか?」
「伝記作家、という呼称はあまり好まない。これでも僕は、ワトスン君のことを尊敬しているんだ」
「ではその博士に、言い残すことは?」
「たくさんあるよ」
「博士に手紙を書く時間を与える。君だけの最期だ」
「そうすることにしよう」
ホームズはノートからページを破り、手の上で文字を記していった。モリアーティの厚意でこの手紙が書けていること。モリアーティ一味を有罪にする決定的証拠の数々の在処や財産は兄・マイクロフトに預けたこと。ワトスンの奥さん、そしてワトスン自身への感謝の言葉。思い付くことを書いていった。不意にも、一滴の液体がホームズの顔から落ちた。それが汗か涙かは、定かではない。けれどホームズは少なからず、その時に悲しい感情があったことは確かである。
遺書を三枚に分けて書き上げて折ると、空のシガレット・ケースにその三枚をしまい込んで地面に優しく置いた。少しの間、手はシガレット・ケースから離れなかったがついに意を決した。立ち上がって顔を上げ、目はモリアーティを捉える。その眼の奥には、一点の曇りもない。
「ホームズよ。どちらが正しいか、白黒つけようじゃないか」
「ふん。完璧な人間などいないさ。君も、僕も......。ということは、僕らは二人とも谷底に落ちるということさ」
ホームズもモリアーティも、どちらも勝利を確信していた。今ここに、出会うべきではなかった世紀の大天才の二人が、闘志を剥き出しにしたのである。
角張る顎の、その男性は滝を眺めながら登山杖を握りしめていた。口には柄が真っ直ぐで長いビリヤードパイプがくわえられており、その口元は笑っているように見受けられる。
岩に強く打ち当たった滝は、霧と化して彼の足元に存在する。
彼は視線を、滝から谷底に移す。滝が長い年月を掛けて削っていった谷の底は、遙か彼方にあり霧が邪魔をして目視は難しい。これから彼は谷底にある人物をたたき落とすべく、心していた。彼にそのようなことをさせるのは、彼を破滅へと導こうとする悪党・ジェームズ・モリアーティ教授。そのモリアーティと対峙するのは、今なお谷底を見つめる彼、シャーロック・ホームズである。
モリアーティとホームズ。この二人は同等の優れた才を有するも、その能力の使い道は両極端だ。一方は難事件を解決するために使用し、一方は完全犯罪に使用する。彼らが対峙するのは必然である。
ホームズは死してモリアーティを破滅させることを決していた。また、モリアーティはずる賢くも、ホームズを谷底に突き落として自分は生き長らえることを狙っていた。そのために、モリアーティは右腕であるセバスチャン・モラン大佐をライヘンバッハの滝に待機させていた。無論、崖に立つホームズはそのことを承知していた。
滝の轟音に足音は掻き消されるも、ホームズはモリアーティが近づいてくる気配を感じ取って振り向く。数百フィート先には、老人を連想させるように腰が曲がって前かがみとなるモリアーティがいた。モリアーティは顔に、想像を絶するような人生で獲得した皺とすごみを刻み込んでいる。曲がった腰が真っ直ぐとなれば、六フィート(約百八十三センチメートル)にもなるホームズの身長に負けず劣らずの長身となるだろう。しかし、その腰が完治することはなく、それが原因でのらりくらりと左右に揺れ動いている。
ホームズは体を完全にモリアーティのいる方向に向けて、登山杖に体重を掛ける。
「やあ」
ホームズはムスッとした表情で、だが好意的な声でモリアーティに挨拶をした。
「どうだ、ホームズ? のこのことライヘンバッハの滝に誘い出された気分は」
「別に僕は、君の掌で踊らされていたわけじゃない。僕は僕で、君を倒すための行動をしてきたんだ」
「ロンドンを代表する名探偵。面白い肩書きだ。果たして、私の肩書きである教授とどちらが優れているのか」
「別に名探偵を名乗ったつもりはない。僕の同居人が勝手に褒めちぎったまでだ」
「私は負けない」
モリアーティはニヤリと笑う。
「そうかい。では、谷底へと落ちてもらう」
「私を殺すか? 君だってちょうど今、殺人を犯そうとしている。私とやっていることは変わらないではないか」
「罪なき者をたくさん殺してきた君には言われたくない」
「命は尊いものだ。お前が私を殺したら、私のような殺人者と変わらない」
「命が尊い、という言葉を君の口から聞ける時がくるとはね。冥土の土産としておこう」
「ほう。私もろとも死ぬというのか?」
「自分が死ぬ勇気を持たないと、君は殺せないだろう?」
「勇気ある者から、戦場では死んでいくんだ」
「戦場......。いや、ここは戦場ではなく僕達の墓場だ」
「僕達は余計だ」
ホームズは登山杖を持って場所を少しずつ移動していった。
「死ぬ勇気は、僕には確かにある」
「死ぬのなら君の伝記作家に、何か何か言い残すことはないのか?」
「伝記作家、という呼称はあまり好まない。これでも僕は、ワトスン君のことを尊敬しているんだ」
「ではその博士に、言い残すことは?」
「たくさんあるよ」
「博士に手紙を書く時間を与える。君だけの最期だ」
「そうすることにしよう」
ホームズはノートからページを破り、手の上で文字を記していった。モリアーティの厚意でこの手紙が書けていること。モリアーティ一味を有罪にする決定的証拠の数々の在処や財産は兄・マイクロフトに預けたこと。ワトスンの奥さん、そしてワトスン自身への感謝の言葉。思い付くことを書いていった。不意にも、一滴の液体がホームズの顔から落ちた。それが汗か涙かは、定かではない。けれどホームズは少なからず、その時に悲しい感情があったことは確かである。
遺書を三枚に分けて書き上げて折ると、空のシガレット・ケースにその三枚をしまい込んで地面に優しく置いた。少しの間、手はシガレット・ケースから離れなかったがついに意を決した。立ち上がって顔を上げ、目はモリアーティを捉える。その眼の奥には、一点の曇りもない。
「ホームズよ。どちらが正しいか、白黒つけようじゃないか」
「ふん。完璧な人間などいないさ。君も、僕も......。ということは、僕らは二人とも谷底に落ちるということさ」
ホームズもモリアーティも、どちらも勝利を確信していた。今ここに、出会うべきではなかった世紀の大天才の二人が、闘志を剥き出しにしたのである。
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