孤独なお針子が拾ったのは最強のペットでした

鈴木かなえ

文字の大きさ
上 下
56 / 61
番外編 サミュエル

①番外編 サミュエル

しおりを挟む
 今日は王都にある士官学校の入学式だ。
 オルランディアの各地から、難しい試験をパスした優秀な少年少女が集まってきている。
 将来のオルランディアを支える大切な雛鳥たちだ。
 卒業後に彼らが大きく羽ばたけるように、しっかりと愛情をもって育ててあげなくてはならない。

 エレーナと名を呼ばれた少女が、軽やかな足取りで壇上に上がってきた。
 姓がないことから平民のようだが、新入生代表挨拶に選ばれたということは試験の成績が一番だったということだ。
 試験には筆記試験だけではなく、実技試験もある。
 剣や槍など得意な武器で模擬戦闘をしたり、持久走をしたりするので、どうしても女性が不利になりがちだと聞いている。
 それなのに一番というのは、よほど優秀なのだろう。
 どんな少女なのか、と興味を惹かれて目をこらしてみて……危うく驚きの声をあげそうになった。

 顎のラインで切り揃えられた髪は艶やかな漆黒。
 強い意志に輝く金色の瞳。
 そして、なによりその美しい顔立ち……

 アーレン殿下。

 間違いない。この少女はアーレン殿下の娘だ。
 ということは、母親は……

「暖かな日差しに包まれ、新緑が芽吹き始めた今日この頃、私たちはオルランディア王立士官学校の入学式を迎えることができました」

 伸びやかでよく通る声。
 多くの人々の注目を集めながらも、その表情は穏やかで緊張の色はない。
 将軍という地位についてから毎年この入学式に来賓として参加しているが、ここまで堂々とした新入生代表は初めてだ。

 挨拶を終えたエレーナは、ぺこりと頭を下げ自分の席へと戻っていった。
 まだ成長途中ながらも、足が長く均整のとれたスタイルだということがわかる。
 しなやかな身のこなしはどこか黒猫を彷彿とさせ、学生の大半を占める貴族の子弟よりよほど気品に溢れている。

 エレーナという名の少女は、父親から多くの資質を受け継いでいるようだ。
 
 俺以外にもエレーナを驚愕の表情で見つめている軍関係者が何人もいる。
 中には涙ぐんでいるものまでいる。
 無理もない、と思う。
 アーレン殿下が亡くなったと公式発表されたのはもう随分前のことだが、今でもアーレン殿下の墓の前にはよく花が供えられている。
 アーレン殿下はそれだけ慕われていたのだ。

 式は恙なく終了し、新入生たちが退場していく。
「きみ!少し、待ってくれないか!」

 俺より少し年上の軍服を着た男がエレーナを呼び止めた。
 あの男も俺と同じで、かつてアーレン殿下に命を救われたことがあるのだ。

「はい、なんでしょうか」

 振り返って僅かに首を傾げるエレーナは、やはりどこからどう見てもアーレン殿下にそっくりだ。

「……その……きみの……お父上は」

「父ですか?父は、今日は事情があって来れなかったのです。母と弟だけが来てくれました」

 この入学式は、新入生の親族も希望すれば見に来ることができる。

 ということは、ナディアが……!
 俺は咄嗟に走り出しそうになったのを必死に堪えた。

 もう二度と顔を見せないと、あの時約束させられたのだ。

 アーレン殿下との約束を破るわけにはいかない。

「お父上は、ご健在か」

「はい。田舎で元気に暮らしていますよ」

「そうか……なら、いいのだ。呼び止めて悪かったな。入学おめでとう」

「ありがとうございます」

 その男はそれ以上追及しなかった。
 アーレン殿下が生きていることがわかっただけで十分だと思ったのだろう。 
 どちらにしろ、王家の深い事情に立ち入るのは禁物だ。
 
 一点の曇りもなく、真っすぐな瞳をしたエレーナ。
 両親からのたくさんの愛情を受けて育ったのだということがよくわかる。

 そんなエレーナに黒髪の少年が駆け寄った。
 どうやら弟のようだ。
 そして、その後から、茶色い髪の女性が……

 ナディア!

 穏やかな笑みをうかべてエレーナと言葉を交わしている。
 最後に会ったあの時のまま、きれいなままだ。
 ナディアも、アーレン殿下からの愛情をたっぷりと注がれ続けているのだろう。
 
 一瞬ナディアの視線が俺に向けられた気がして、どきりとした。

 これ以上、ここにいてはいけない。
 側に近寄れないまでも、せめてもう少し眺めていたいという気持ちを堪えて、俺は会場を後にした。

 ナディア。
 幸せに暮らしているんだな。
 可愛い娘と息子にも恵まれて。
 よかった。きみが幸せでいてくれるなら、それでいい……

 俺はエレーナを遠くから見守ろうと思っていた。
 エレーナが俺とナディアの過去のことを知っているのかどうかは不明だが、エレーナに直接関わるのは控えるつもりだったのだ。

 それなのに、それからしばらく経った後、国王陛下の私室に呼ばれて行ってみると、そこには寛いだ様子のエレーナがいた。

「僕の姪のエレーナだよ」

「エレーナです。よろしくお願いします」

 陛下はあっさりとエレーナを紹介し、エレーナもなんのわだかまりもない様子でにっこりと笑ってくれた。

「知ってる?エレーナは、この前の定期試験でも一番だったんだよ。とても優秀な子なんだ」

 陛下がエレーナと同じ色の瞳を細めて褒めると、エレーナは照れたように肩を竦めた。

「剣も勉強も、父さんに習いましたから。勉強は、母さんと弟も一緒に頑張ったんですよ」

「ユージィンだけじゃなくてナディアさんも?」

「はい。母さんは、小さいころは勉強できる機会がなかったそうなので。母さんが誰よりも頑張っていたから、私も途中で投げ出すわけにもいかなくて」

 ユージィンというのは弟の名らしい。
 ナディアは育ての親から読み書きなどを習っていたが、本格的な勉強などしたことがなかったはずだ。
 そうか、ナディアは勉強がしたかったのか……

「いくつになっても勉強するというのはいいことだよ。僕もまだまだ勉強してる途中だから、偉そうなことは言えないけどね。ナディアさんの向上心を分けてほしいくらいだ」

 この国で一番偉い国王陛下にナディアさんと呼ばれているのか。
 随分と親し気だが、もしかして陛下はナディアたちとよく会っているのだろうか。

「エレーナ、あれを」

「はい、伯父様。ギャラガー将軍、これを母から預かって来ました」

 エレーナが手渡してくれたのは、刺繍が施されたハンカチだった。

「幸運と良縁の加護が付加されています」

「幸運と、良縁……ですか」

「いい加減に自分の幸せを見つけて、結婚しろってことだよ」

「ですが……俺は」

 俺はブリジット王女と離縁してから、ずっと独身を通している。
 恋人がいたこともない。
 陛下からは何度も縁談を持ちかけられたが、全て断っていた。

 俺なんかが幸せになる資格があるのか、と思うとどうしても乗り気になれなかったのだ。
 それに、今更俺が誰かを幸せにできるとも思えなかった。

「大丈夫ですよ。母の加護は強力ですから」

「……俺が、これを貰ってもいいのだろうか」

「母は将軍のために刺繍したって言ってました。そのハンカチ、広げてみてください」

 言われるがままに広げてみた。
 緑の糸で縁取りと端に二文字だけというシンプルな刺繍が施されている。

「それさ、N・Sって書いてあるよね。なんでS・Gじゃないの?」

 確かに、その飾り文字はN・Sと読める。
 サミュエル・ギャラガーの頭文字なら、S・Gのはずなのに、と陛下は疑問に思ったようだ。

「その理由は、将軍ならご存じなのだそうです」

 理由はわかる。
 なるほど、確かにナディアらしい。

「これは……俺の昔のあだ名、泣き虫サミーの略です」

 そう言うと、伯父と姪は揃って笑い出した。

「えええ、そんなあだ名だったの!?」

「将軍になんてことを!母さんったら、ヒドい!」

 笑い続ける二人に、俺は苦笑するしかなかった。

 ナディアは、俺を許してくれたのだと思う。
 多分、アーレン殿下も。

 その上で、俺に幸せになってもいいと言ってくれているのだ。

「ありがたく頂戴します、とご両親に伝えておいてくれないか」

「はい!必ず!」

 ナディアとアーレン殿下が背中を押してくれるのなら。
 俺も、自分の幸せを探してみようか。

 いつか、こんな俺でも愛してくれる人が現れるかもしれない。
 こんな俺でも、また誰かを愛せるかもしれない。

 その時は、素直に心に従ってみよう。

 このハンカチがあれば、きっとそれが叶うだろう。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

醜い傷ありと蔑まれてきた私の顔に刻まれていたのは、選ばれし者の証である聖痕でした。今更、態度を改められても許せません。

木山楽斗
恋愛
エルーナの顔には、生まれつき大きな痣がある。 その痣のせいで、彼女は醜い傷ありと蔑まれて生きてきた。父親や姉達から嫌われて、婚約者からは婚約破棄されて、彼女は、痣のせいで色々と辛い人生を送っていたのである。 ある時、彼女の痣に関してとある事実が判明した。 彼女の痣は、聖痕と呼ばれる選ばれし者の証だったのだ。 その事実が判明して、彼女の周囲の人々の態度は変わった。父親や姉達からは媚を売られて、元婚約者からは復縁を迫られて、今までの態度とは正反対の態度を取ってきたのだ。 流石に、エルーナもその態度は頭にきた。 今更、態度を改めても許せない。それが彼女の素直な気持ちだったのだ。 ※5話目の投稿で、間違って別の作品の5話を投稿してしまいました。申し訳ありませんでした。既に修正済みです。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

処理中です...