孤独なお針子が拾ったのは最強のペットでした

鈴木かなえ

文字の大きさ
上 下
45 / 61

㊺アーレン視点

しおりを挟む
 ナディアと出会ってから、こんなにも長い間離れていたことはなかった。
 たった数日会えなかっただけで、寂しくて恋しくてどうにかなってしまいそうだというのに、来世まで会えないなんてことが許容できるわけがない。
 そんなことになったら、肉体だけでなく魂まで滅んでしまう。

 苦痛は今や全身に広がり、心臓が壊れそうなほど暴れている。
 祝福を授けられた時も苦痛に苛まれたが、今回はあの時以上だ。
 目の前が真っ赤に染まり、意識が薄れていく。
 だが、気を失ったらそこで終わりなのは明らかだ。
 ドラゴンすら単独で斃した俺でも、体内を蝕む猛毒のような怨念には抵抗する術がなく、意識を保ち続けることだけでもやっとだ。

「ナディ……ア……」

 今すぐきみの元へ帰りたい。
 抱きしめてキスをして、永遠に俺の腕の中に閉じこめてしまいたい。

 俺が死ぬのは、きみを看取った後でないといけないのだ。
 こんなところで殺されるわけにはいかない。

 俺の心臓を止めることができるのは、この世できみだけなのだから。

「ナディア……!」

 文字通り血を吐きながら愛しい妻の名を呼ぶと、アーレン、と可愛い声が聞こえた気がした。

 ふいに、腰の辺りがふわりと温かくなり、痛みが和らいだ。
 ナディアの手に撫でられたような、心地よい温かさだった。
 すっと呼吸が楽になり、視界に赤以外の色が戻ってきた。
 真っ先に目に飛び込んできたのは、紫と白だ。 
 美しい刺繍が刺された剣帯。
 最上級の加護と、ナディアの祈りが籠められている、大事なお守りだ。

 俺の腰をぐるりと一周する菫とスズランの刺繍から、ナディアの優しさと愛情が溢れだして体に染み込み、醜い怨念を打ち消している。
 怨念も抗っているようだが、朝日が夜の闇を包みこむように、剣帯に近いところから順に浄化されていく。
 それに従って、さっきまでの苦痛が嘘のように遠のいた。
 やがて温かな感触は全身に広り、まるで本当にナディアが側にいて、いつものように漆黒の羽を撫でながら抱きしめてくれているかのようだった。

 剣帯に付加された加護には、具体的に怨念に侵された時に効果があるようなものは含まれていない。
 こんなことになるなんて、俺も予想していなかったからだ。
 ただ、ナディアは刺繍を刺す際、事前に話しあった加護の効果を意識するだけでなく、俺が幸運に恵まれるように、無事に帰ってくるように、怪我や病気をしないようにと祈ったと言っていた。
 今作用しているのは、きっとその部分なのだ。

 痛みが完全に消え去ると、温かさも消えた。
 温かさが消える直前、名残惜し気に頬をそっと撫でられたような感触があったのは、きっと気のせいではないと思う。

 俺は両手を目の前にかざし、何度が握って開いてと繰り返して、ちゃんと動くことを確かめた。
 それからゆっくりと立ち上がり、全身を見まわして深呼吸をした。
 やや怠いが、痛いところはない。
 体のどこにも異常は感じられない。

 怨念はすっかり俺の体の中から消え去った。

 ナディアの祈りがドラゴンに打ち勝ったのだ。 

 ああ、やはり俺は世界一の果報者だ。
 ナディアは俺に授けられた至高の祝福だ。

『ほう、これはまた』
 
 再び精霊の声が頭に中に響いた。
 
 妖精たちはいつの間にか舞い歌うのを止め、俺の周りをひらひらと飛び回っていた。
 しきりに剣帯を指さし、なにやら騒いでいる。
 妖精や精霊のような存在からしても、ナディアのくれた加護は驚くべきものであるようだ。

『素晴らしい。人の身でありながら、これほどのものを創ることができるものがいるというのか』

 そうだ。俺の妻は素晴らしいのだ。
 
 ただ、俺は剣帯のおかげで無事だったが、剣帯の方はそうでもなかった。
 まだ真新しかったというのに、全体に使い古したように黒ずみ一部がボロボロになって崩れ、使い物にならなくなってしまった。
 あれだけ強力な加護がいくつも付加されていたというのに、それが全て消えてしまっている。
 まるで俺を助けるために、全ての力を使い果たしたかのようだった。

『お主を守りたいという創り手の願が籠められていたのだな。それが人の言う愛というものか。いつの時代も、人とは興味深いものよ』

 それは間違いない。この剣帯は、ナディアの愛情の塊だったのだ。

 妖精たちが頭上でまだ騒いでいる。
 剣帯がそれほど気になるのだろうか。

『それを譲ってほしいと言っている。妖精王への土産に持って帰りたいそうだ』

 これを?だが、もうこれは……

『妖精王は変わり者だ。変わったもの、他にないものを集めるのが趣味なのだ』

 確かに、これは他にないものになるだろうが。

『くれてやるといい。その対価として、そうだな、お主の子に祝福でも与えてもらうことにしたらどうだ。妖精王の祝福などめったにあるものではないぞ』

 それはそうだろうが、強力すぎる祝福は逆に面倒なことになりそうな気がするのだが。 
 
 俺は反論したかったのに、妖精たちはぱっと美しい顔をそれぞれにほころばせて剣帯に群がり、俺の手から奪い去った。
 剣帯を掲げて嬉しそうに飛び回る妖精たちに、取り返すのを諦めた。

『手を上に。妖精どもを帰してやろう』

 言われた通りにすると、妖精が現れた時のようにまた頭上に魔法陣が現れ、妖精たちはそれに飛び込んで姿を消した。

『これで終わりだ。この辺りの魔物もじきに減っていくだろう』
 
 そうか、終わりか。俺、頑張ったよな。

『そうだ。お主はよくやった。加護に助けられたにせよ、期待以上だった。儂とお主は祝福により繋がっている。なにかあれば呼びかけるといい。気が向いたら応えてやろう』
 
 ふつり、と頭の中で糸が切れたような感触があり、それで精霊と繋がっていたものが途切れたのだとわかった。

 終わりだ。俺は、やり遂げた。
 帰ろう。本物のナディアを抱きしめるために。

 俺は二対の翼を大きく広げ、空へと舞い上がった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

醜い傷ありと蔑まれてきた私の顔に刻まれていたのは、選ばれし者の証である聖痕でした。今更、態度を改められても許せません。

木山楽斗
恋愛
エルーナの顔には、生まれつき大きな痣がある。 その痣のせいで、彼女は醜い傷ありと蔑まれて生きてきた。父親や姉達から嫌われて、婚約者からは婚約破棄されて、彼女は、痣のせいで色々と辛い人生を送っていたのである。 ある時、彼女の痣に関してとある事実が判明した。 彼女の痣は、聖痕と呼ばれる選ばれし者の証だったのだ。 その事実が判明して、彼女の周囲の人々の態度は変わった。父親や姉達からは媚を売られて、元婚約者からは復縁を迫られて、今までの態度とは正反対の態度を取ってきたのだ。 流石に、エルーナもその態度は頭にきた。 今更、態度を改めても許せない。それが彼女の素直な気持ちだったのだ。 ※5話目の投稿で、間違って別の作品の5話を投稿してしまいました。申し訳ありませんでした。既に修正済みです。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした

楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。 仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。 ◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪ ◇全三話予約投稿済みです

王女殿下の秘密の恋人である騎士と結婚することになりました

鳴哉
恋愛
王女殿下の侍女と 王女殿下の騎士  の話 短いので、サクッと読んでもらえると思います。 読みやすいように、3話に分けました。 毎日1回、予約投稿します。

燻らせた想いは口付けで蕩かして~睦言は蜜毒のように甘く~

二階堂まや
恋愛
北西の国オルデランタの王妃アリーズは、国王ローデンヴェイクに愛されたいがために、本心を隠して日々を過ごしていた。 しかしある晩、情事の最中「猫かぶりはいい加減にしろ」と彼に言われてしまう。 夫に嫌われたくないが、自分に自信が持てないため涙するアリーズ。だがローデンヴェイクもまた、言いたいことを上手く伝えられないもどかしさを密かに抱えていた。 気持ちを伝え合った二人は、本音しか口にしない、隠し立てをしないという約束を交わし、身体を重ねるが……? 「こんな本性どこに隠してたんだか」 「構って欲しい人だったなんて、思いませんでしたわ」 さてさて、互いの本性を知った夫婦の行く末やいかに。 +ムーンライトノベルズにも掲載しております。

処理中です...