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ジェラルド王子が去り、室内に私とアーレンの二人だけになった。
「ナディア……すまない。俺は、行かなくてはいけない」
アーレンは私を抱きしめ、私はアーレンの逞しい胸に顔を埋めた。
私がどれだけ行かないでと懇願しても、行ってしまうのだろう。
アーレンはそういう人だ。
サミーが率いているという五千人の兵には、それぞれ家族や恋人がいる。
かつて私がそうだったように、多くの人が出征した兵の無事を祈り、一日でも早い帰還を待っているのだ。
優しくて、もう王子ではないと言いながらも責任感の強いアーレンがそれを見て見ぬふりできるわけがない。
「アーレン……私を一人にしないって、置いていかないって、約束したわよね?」
「ああ、約束したよ」
「私より長生きして、私を看取ってくれるのよね?」
「そのつもりだよ」
「私、アーレンがいないと、生きていけないの」
「俺も同じだ。ナディアがいないと、俺はすぐに死んでしまう」
涙で濡れた頬に手を添えられ、上を向かされた。
額同士がこつんと触れ合う。
「ドラゴンが討伐できなければ、海を渡った隣国に逃げたところで安全とは言い切れない。俺は、きみのためにドラゴンを斃す。きみがこれからも幸せに暮らせるように。きみのためにも、オルランディアが焼野原になるのを防がなくてはいけない」
私たちは、アーレンの翼で隣国に渡ったことがある。
空を飛ぶドラゴンにだって、同じことができるはずだ。
ドラゴンが生きている限り、安全な場所などないのだ。
「心配しないでくれ。知っているだろう?俺は、とても強い。ドラゴンがどれほどのものかわからないが、負ける気がしない。俺の心臓を止めることができるのは、ナディア、この世できみだけだ」
「心臓を止めるとか言わないで……不吉すぎるわ」
「そうだな。すまない。だが、本当のことだ」
アーレンは私の手をとって、左胸の上に置いた。
逞しい筋肉の下で、心臓が力強い鼓動を響かせているのを感じる。
「きみが俺を拾った時から、俺のすべてはきみのものだ。きみを守るためなら、俺はなんだってできる。いくらでも強くなれる。だから、ここで待っていてくれ。必ず戻ってくるから」
「アーレン……」
アーレンが強いことは、私もよく知っている。
とても強そうな魔物を、いとも簡単に狩ってしまうところを何度も見てきた。
それでも……
でも、だからこそ。
私にもできることがある。
「……アーレン……私も、連れて行って」
「なにを言ってるんだ。きみを戦場になんか連れて行けないよ。危険すぎる」
「わかってるわ。そうじゃなくて……これを持って行ってほしいの」
私は、裁縫道具などが入ったバスケットの中から取り出したものをアーレンに渡した。
「これは……」
「剣帯よ。まだ作りかけなんだけど……もうすぐアーレンの誕生日だから、プレゼントにしようと思って……」
アーレンは破顔して手に取り、中途半端に刺繍されたそれを調べ始めた。
「ありがとう、ナディア。とても嬉しい……既に加護がたくさんついているな」
「その、剣は使わないんだろうけど……これなら、もう一つの姿になっても、邪魔にならずに身に着けておくことができるんじゃないかな、と思ったんだけど……」
「そうだな。腰に巻いておくだけだからな」
「まだ刺繍できるスペースがあるし、加護は追加できるわ。私、命懸けでお祈りしながら刺繍するから……だから、私の代わりに、これを持って行ってほしいの」
私はどう考えても一緒には行けない。
だが、私の魂を籠めた剣帯を持って行ってくれたら、私の一部だけでも一緒に行けるのではないだろうか。
手の甲で涙を拭って、アーレンの金色の瞳を見上げた。
「泣いてる場合じゃないわ。私も、アーレンを守るんだから!私にならそれができるんだもの。だから教えて。どんな加護をつけてほしい?」
アーレンは目を僅かに見開いて、それから私の額にキスをした。
「それでこそ、俺の妻だ。きみのくれる加護があれば、百人力だ。俺はこの世で一番の果報者だな」
「私、頑張るからね。きっと、私の祝福はこの時のために授けられたんだわ」
「きみの存在全てが、俺にとっては祝福だよ」
それから、私たちは追加する加護について話し合い、メモに書き留めた。
刺繍するのは菫とスズランの柄となった。
剣帯には可愛らしすぎるのではないかと思ったが、アーレンの希望なので、素直に従うことにした。
早速刺繍に取り掛かろうとした私を、アーレンが押しとどめた。
「まずは夕飯をしっかり食べてからだ。きみは刺繍に集中すると、何時間でもずっと針を動かし続けるから。きみの体を損ねて得られた加護なんて、いくら強力でも喜べない」
アーレンは今から作るより早いからと、ルークさんのお店で持ち帰りができる料理をいくつか買ってきてくれて、二人で食卓を囲んだ。
食べている間にも、私の頭の中は菫とスズランの様々な意匠が飛び交っていた。
お腹を満たして身を清めてから、私はテーブルの上に並べた刺繍道具を前に深呼吸をして意識を集中した。
私の大事なアーレン。
誰よりも強くて、優しくて、美しい、私の愛する夫。
絶対に守ってみせる。
命中率向上、五感強化、全属性耐性強化、全属性攻撃力強化、疲労軽減、生命力向上、それから……
アーレンの無事と幸運を祈りながら、メモに書かれた加護の内容を意識しつつ、私は慎重に針を動かし始めた。
「ナディア……すまない。俺は、行かなくてはいけない」
アーレンは私を抱きしめ、私はアーレンの逞しい胸に顔を埋めた。
私がどれだけ行かないでと懇願しても、行ってしまうのだろう。
アーレンはそういう人だ。
サミーが率いているという五千人の兵には、それぞれ家族や恋人がいる。
かつて私がそうだったように、多くの人が出征した兵の無事を祈り、一日でも早い帰還を待っているのだ。
優しくて、もう王子ではないと言いながらも責任感の強いアーレンがそれを見て見ぬふりできるわけがない。
「アーレン……私を一人にしないって、置いていかないって、約束したわよね?」
「ああ、約束したよ」
「私より長生きして、私を看取ってくれるのよね?」
「そのつもりだよ」
「私、アーレンがいないと、生きていけないの」
「俺も同じだ。ナディアがいないと、俺はすぐに死んでしまう」
涙で濡れた頬に手を添えられ、上を向かされた。
額同士がこつんと触れ合う。
「ドラゴンが討伐できなければ、海を渡った隣国に逃げたところで安全とは言い切れない。俺は、きみのためにドラゴンを斃す。きみがこれからも幸せに暮らせるように。きみのためにも、オルランディアが焼野原になるのを防がなくてはいけない」
私たちは、アーレンの翼で隣国に渡ったことがある。
空を飛ぶドラゴンにだって、同じことができるはずだ。
ドラゴンが生きている限り、安全な場所などないのだ。
「心配しないでくれ。知っているだろう?俺は、とても強い。ドラゴンがどれほどのものかわからないが、負ける気がしない。俺の心臓を止めることができるのは、ナディア、この世できみだけだ」
「心臓を止めるとか言わないで……不吉すぎるわ」
「そうだな。すまない。だが、本当のことだ」
アーレンは私の手をとって、左胸の上に置いた。
逞しい筋肉の下で、心臓が力強い鼓動を響かせているのを感じる。
「きみが俺を拾った時から、俺のすべてはきみのものだ。きみを守るためなら、俺はなんだってできる。いくらでも強くなれる。だから、ここで待っていてくれ。必ず戻ってくるから」
「アーレン……」
アーレンが強いことは、私もよく知っている。
とても強そうな魔物を、いとも簡単に狩ってしまうところを何度も見てきた。
それでも……
でも、だからこそ。
私にもできることがある。
「……アーレン……私も、連れて行って」
「なにを言ってるんだ。きみを戦場になんか連れて行けないよ。危険すぎる」
「わかってるわ。そうじゃなくて……これを持って行ってほしいの」
私は、裁縫道具などが入ったバスケットの中から取り出したものをアーレンに渡した。
「これは……」
「剣帯よ。まだ作りかけなんだけど……もうすぐアーレンの誕生日だから、プレゼントにしようと思って……」
アーレンは破顔して手に取り、中途半端に刺繍されたそれを調べ始めた。
「ありがとう、ナディア。とても嬉しい……既に加護がたくさんついているな」
「その、剣は使わないんだろうけど……これなら、もう一つの姿になっても、邪魔にならずに身に着けておくことができるんじゃないかな、と思ったんだけど……」
「そうだな。腰に巻いておくだけだからな」
「まだ刺繍できるスペースがあるし、加護は追加できるわ。私、命懸けでお祈りしながら刺繍するから……だから、私の代わりに、これを持って行ってほしいの」
私はどう考えても一緒には行けない。
だが、私の魂を籠めた剣帯を持って行ってくれたら、私の一部だけでも一緒に行けるのではないだろうか。
手の甲で涙を拭って、アーレンの金色の瞳を見上げた。
「泣いてる場合じゃないわ。私も、アーレンを守るんだから!私にならそれができるんだもの。だから教えて。どんな加護をつけてほしい?」
アーレンは目を僅かに見開いて、それから私の額にキスをした。
「それでこそ、俺の妻だ。きみのくれる加護があれば、百人力だ。俺はこの世で一番の果報者だな」
「私、頑張るからね。きっと、私の祝福はこの時のために授けられたんだわ」
「きみの存在全てが、俺にとっては祝福だよ」
それから、私たちは追加する加護について話し合い、メモに書き留めた。
刺繍するのは菫とスズランの柄となった。
剣帯には可愛らしすぎるのではないかと思ったが、アーレンの希望なので、素直に従うことにした。
早速刺繍に取り掛かろうとした私を、アーレンが押しとどめた。
「まずは夕飯をしっかり食べてからだ。きみは刺繍に集中すると、何時間でもずっと針を動かし続けるから。きみの体を損ねて得られた加護なんて、いくら強力でも喜べない」
アーレンは今から作るより早いからと、ルークさんのお店で持ち帰りができる料理をいくつか買ってきてくれて、二人で食卓を囲んだ。
食べている間にも、私の頭の中は菫とスズランの様々な意匠が飛び交っていた。
お腹を満たして身を清めてから、私はテーブルの上に並べた刺繍道具を前に深呼吸をして意識を集中した。
私の大事なアーレン。
誰よりも強くて、優しくて、美しい、私の愛する夫。
絶対に守ってみせる。
命中率向上、五感強化、全属性耐性強化、全属性攻撃力強化、疲労軽減、生命力向上、それから……
アーレンの無事と幸運を祈りながら、メモに書かれた加護の内容を意識しつつ、私は慎重に針を動かし始めた。
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