孤独なお針子が拾ったのは最強のペットでした

鈴木かなえ

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㉜サミュエル視点

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「サミュエルか」

 また上から声が降ってきた。
 見上げると、氷の柱の上に長身の男性が立っている。

 鍛え上げられた上半身を晒し、篝火のように輝く金色の瞳と黒髪。
 そして、その背には……大きな二対の漆黒の翼。
 
 やはり、と思った。
 アーレン殿下は、どうにかして呪いを使いこなしているのだ。

「アーレン殿下……!」

 まるで神話にでてくる神のように神々しい姿に、今の状況を忘れて涙が零れそうになった。

 しかし、それは俺の一方的な思いであることにすぐ気がついた。
 アーレン殿下の金色の瞳は、怒りで燃え上がっていた。

 ふわりと音もなく氷の柱から飛び降り、地面に降り立ったアーレン殿下は、そのままなんの躊躇いもなく俺の頬を思い切り殴りつけた。
 殴られる方向に顔を逸らすことで僅かに衝撃を殺すことができたが、それだけだった。
 俺は無様に地面の上に転がることになった。

「アーレン!」
「すまない、俺のせいでこんなことに……怪我はないか?」
「大丈夫。縛られただけよ」

 嬉しそうなナディアに応えるアーレン殿下のバリトンは、俺が聞いたこともないほど優しく甘い響きを含んでいた。
 アーレン殿下はナディアの戒めを解き、大切な宝物を扱うようにそっと抱え上げた。
 ナディアもアーレン殿下の逞しい首に腕をまわして、しっかりと抱きついている。

 どこからどう見ても、二人が愛し合っているのは明白だった。

「ア、アーレン殿下……」 

 胸と頬の痛みを堪え、なんとか立ち上がった俺を金色の瞳が射貫くように睨みつけた。

「この、下衆が……!」

 凍えるような殺気。首元に鋭利な刃を突きつけられているようだった。

「ナディアをどうするつもりだった?この恥知らずめが。これが英雄将軍などと、聞いて呆れる」
「アーレン殿下、どうか、話を聞いてください」
「どうせ俺とナディアをいいように利用したいという話なのだろう?従わなければ殺せとでも言われてきたか。聞くだけ無駄だ」
 取り付く島もない、とはこういうことなのだろう。
 アーレン殿下は俺の言葉に耳を傾ける気は皆無なようだった。

「殿下!」

 声を上げたのは、部下だった。
 一人がアーレン殿下の足元に跪いて首を垂れると、他もそれに続いた。

「生きておられたのですね!」
「またお会いできて、嬉しく存じます」

 アーレン殿下は部下たちを殴るようなことはしなかった。
 ただ、皮肉げに形のいい唇を歪めて吐き捨てた。

「こんな犯罪紛いの任務に付き合わされて、おまえたちも災難なことだな」  
 
 部下たちは困惑した顔を見合わせた。

「私たちは、出奔したアーレン殿下にお戻りいただくよう説得するということで、任務にあたっていたのですが……なにやら、いろいろと前提が聞いていたのと違うようですね」
「そのお姿は……いったい、なにがあったのですか」

「俺は出奔などしていない。それ以前に、俺はアーレン殿下などではない。アーレン・オルランディアは死んだ。殺されたんだ。だから、ここにいるのは、ただのアーレンだ。王都に俺が戻る場所などない」

 殺された、というところで部下たちが顔色を変えた。
 さっきナディアも同じようなことを言っていたが、アーレン殿下本人から聞かされると重みが違う。

「俺になにが起こったのか、ということは、そこの泣き虫サミーに聞いてみるがいい。なかなか笑える話が聞けるだろう」

 この流れで笑える話であるわけがない。
 むしろ、笑える話の対極にあるような話だ。
 こうなると、後で部下に話さないわけにはいかないが……部下たちはあんな酷い話を聞いて、どう思うだろうか。

「アーレン殿下……お願いです、戻ってきてください。俺達には、あなたが必要なんです!」
「断る」
「ジェラルド殿下も寂しがっておられます。戻ってきてくださったら、アーレン殿下の死亡届を撤回し、生きておられることを周知いたします。すぐにでも元の地位に復権できるよう、ジェラルド殿下が準備を整えて待っておられます。だから、どうか」
「断る!」
「それなら!せめて、ナディアを返してください!俺の大切な人なんです!ご存じでしょう!?」
「ああ、よく知っている。おまえがナディアになにをしたのかもな」

 アーレン殿下の瞳が、再び怒りで燃え上がった。
 冷たい殺気にあてられて部下たちも冷や汗をかいている。
 だが、俺もここで引き下がるわけにはいかない。

「ナディア……頼むから、戻ってきてくれ……きみがいないと、俺は」
「私を捨てたのはあんたでしょ!今更なにを言っているのよ!」
「捨てたつもりなんかなかった!言ったじゃないか、必ず迎えに行くつもりで」
「もう諦めろ。ブリジットと結婚するのを承諾したのはおまえだろう。あの尻軽娘と不実なお前で、ちょうどお似合いの夫婦じゃないか」

 客観的に見たら、その指摘は正しいのだろう。
 俺からしたら、とても受け入れられるものではないにしても。
 反論もできず口ごもる俺の前で、アーレン殿下はぎゅっとナディアを抱きしめた。

「ナディアはもう俺のものだ。誰にも渡さない。誰にも利用させたりしない」

 ナディアも、そんなアーレン殿下に嬉しそうに頬を寄せて微笑んでいる。
 この二人の間には、もう誰にもつけ入る隙はないのだ。

「サミュエルはどうなろうと知ったことではないが……おまえたちは、なにも知らされていなかったのだろう。このまま手ぶらで帰らせるのも気の毒だ。少しだけいいことを教えてやろう」

 アーレン殿下は跪いたままの部下たちに視線を向けた。
 ふっと殺気が緩み、息がしやすくなった。

「俺がかけられたのは、呪いではない」

 それは、ジェラルド殿下の話と違う。 
 ジェラルド殿下も、呪いだと信じ切っていたようだったが……

「もしコレのことが知りたいなら、モワデイルを調べるといい」

 モワデイル。アーレン殿下が劇場で目撃されたところだ。
 古い街だということは知っているが、実際に行ったことはない。
 あそこになにがあるのだろうか。

 再び殺気が辺りに満ちて、俺の足元に短剣くらいの大きさの氷の刃が三本突き刺さった。

「二度と俺たちの前にそのアホ面を晒すな。次は、確実に殺す」

 冷たい声。張りつめた殺気。アーレン殿下はどこまでも本気だ。

「兄上にも、死人にちょっかいを出すなと伝えろ。ナディアにもだ。もしまだなにかしてくるようなら、俺は反撃も復讐も躊躇わない」

 漆黒の翼を大きく広げ、ナディアを抱えたアーレン殿下は夜空へと舞い上がった。
 それと同時に、荷馬車を取り囲んでいた氷の柱が砕け散り、跡形もなく消え去った。

 悠々と飛び去るその姿を呆然と見送り、それから俺は頭を抱えた。
 説得は失敗に終わった。
 もうアーレン殿下は王都に戻ることはないのは決定だ。
 一刻も早く王都に帰り、ジェラルド殿下に報告しなければ。

 その前に、俺に胡乱な視線を向けている部下たちに話をしなければならないか……
 真実を知った後、部下たちは俺を将軍として敬ってくれるのだろうか。

 暗澹たる気分で、俺は重い溜息をついた。

 
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