孤独なお針子が拾ったのは最強のペットでした

鈴木かなえ

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⑬アーレン視点

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 朝を告げる小鳥の囀りに、俺は目を開いた。
 爽やかな朝の新緑の匂いと、豊かに水を含み湖から立ち上る霧の匂い。
 そこはナディアを最初のデートに連れてきた湖畔だった。

 三人の騎士とベイカーとかいう男の身ぐるみをはいでから、もう夕刻が近かったので俺とナディアはここで一晩明かすことにしたのだ。
 

 昨夜は柔らかな下草の生えた地面に胡坐をかき、太い木に背中を預けて眠りについた。
 腕の中には温かな感触。
 そっと見下ろせば、艶やかな茶色の頭が見えた。
 安心しきって俺に身を預け、安らかな寝息をたてている。

 ナディア。

 今は閉じられている瞳の菫色を思うと、胸がいっぱいになってしまう。
 そこに俺の姿が映され、可愛らしい声が俺の名を呼ぶ度に、愛しさが募っていく。

 ナディアに対して抱いていたのは、ただの淡い思慕だったはずなのに。
 こんな日がくるなんて思ってもいなかった。
 俺とナディアを逆境に追いやった義母上とサミュエルに感謝したい気持ちにすらなってしまう。


 あいつとブリジットの婚約が正式に決定した時、最初に思ったのはまだ会ったこともないナディアのことだった。

 爵位を授与され貴族の仲間入りを果たしたあいつは、逞しい長身と整った顔立ちで多くの女性から注目されていた。
 最初は平民出身だからと歯牙にもかけなかったブリジットだったが、あいつが他の令嬢たちからの人気を集めていることを知ると、すぐに王女という立場を利用して近づき、見せびらかすように連れ歩いていた。

 それまでブリジットをちやほやしていた貴族の子息たちと違い、あいつは女性の扱いに不慣れながら実直な男だ。
 それが新鮮だったのか、ブリジットはあいつに熱を上げるようになった。
 ブリジットに纏わりつかれて面倒なことになっているな、と傍観していたら、いつのまにか二人は婚約する運びとなっていて驚愕したものだ。
 きっと末娘に甘い義母上が手を回したのだろうが、あいつも満更でもなさそうだった。
 
 平民上がりのサミュエルは、ブリジットが自分のことを装飾品の一つとしてしか見ていないことに気が付いていないのだろうか。
 相性がいいとはとても思えない組み合わせだった。

 可愛らしい姫君と、平民出身ながら数々の武功を挙げた英雄の婚約の沙汰は新聞記事になり、オルランディア各地に広く告知されることになっていた。 

 このことを知った時、ナディアがどれだけ傷つき悲しむかと思うと、俺の心はズキズキと痛んだ。
 サミュエルに面と向かって抗議したりはしなかったが、俺の中であいつの評価は地に落ちた。

 あいつが本気で嫌がれば、婚約は成らなかったはずだ。
 それなのに、正式に婚約までしたということは、あいつもブリジットを望んだということだ。
 王族の姫君と、故郷で健気に待つ恋人を秤にかけ、前者を選んだだけのこと。

 英雄将軍も、ただの俗物だったわけだ。

 そう思うと、改めてがっかりだな……
 いや、サミュエルはナディアに相応しくないということがわかっただけでも十分なのかもしれない。

 考えてみれば、あのタイミングで俺が呪われた(本当は祝福だが)のは、サミュエルが俺の代わりに軍事面で兄上を補佐ができることと、兄上になにかあってもブリジットの子を次の王にできるから、という理由なのだろう。

 俺はオルランディア王家に捨てられた。
 サミュエルはナディアを捨てた。

 なら、俺たちがくっついてもなんの問題もないし、誰にも文句を言われる筋合いはない。

 これからは、ナディアを幸せにするために生きよう。

「ん……」

 ナディアが身じろぎをして、瞳を開いた。

「アーレン……おはよう」

 菫色の瞳を擦りながら、ナディアが目覚めた。

「おはよう、ナディア」

 俺は幸せな気分でその額にキスをした。



 あれから俺たちは話し合って、メルカトから早馬でも三日はかかるアトラという町へとやってきた。
 それだけの距離があっても、俺の翼なら朝に飛び立って昼前には到着できる。
 信じられないくらい便利な翼だ。

 今考えると、こんな能力が呪いによって得られるわけがないのだ。
 得られたのは翼だけではない。
 体を覆う黒い羽毛は撥水性だけでなく断熱性もあり、暑さ寒さも気にならなくなった。
 鋭い爪は簡単に魔物を斬り裂き、かぎ爪の生えた足はプレートメイルくらいなら簡単に貫通するくらいの蹴りを繰り出すことができる。
 身体能力は飛躍的に向上し、魔力量も増えた。
 ここまでの恩恵を受けていながら、呪いだと思い込んでいたなんて我ながら滑稽だ。
 随分と視野狭窄になっていたと反省するばかりだ。 

 アトラはメルカトの三倍は大きく、活気に満ちた賑やかな町だった。
 俺は騎士から剥ぎ取った服を着て、はぐれないようにとナディアと手を繋いで通りを歩いていた。
 この姿に戻るのがギリギリ間に合ってよかったと心の底から思った。
 ナディアは町に入ってからずっと目を丸くしてきょろきょろしっぱなしだ。
 その姿が可愛くて、俺の頬も緩みっぱなしだ。
 
 溜めこんでいた魔物の素材と魔石は、それなりの値がついた。
 俺としてはこんなものだろうと思っていたので特に驚きもしなかったが、ナディアとしては目玉が飛び出るくらいの高値だったようだ。
 あわあわと焦るナディアも可愛くて、俺はちょっと奮発して高めの宿に泊まることにした。
 こういう宿は、安全管理がしっかりしている上に防音結界がしっかり張ってある。

 防音結界。ここは重要なところだ。あえてその設備がある宿を選んだのだから。

「そんなのがあるの?大きな町の宿ってすごいのね!」

 と無邪気に感心するナディアに、俺は理性が消し飛びそうになるのを堪えるのが精一杯だった。

 そんなことは知らないナディアを連れて、今度は旅装束を整えるために冒険者向けの装備を売っている店に向かった。
 ナディアはどこにでもいる質素な町娘の服しか持っていないし、俺が着ている騎士から剥ぎ取った服は微妙にサイズが合っていない。
 二人とも旅には向かない服装で、これではどう考えても不便なのだ。

 フードつきマントと、歩きやすいブーツはお揃いにした。
 これでナディアが俺の連れだということが一目瞭然になり、変な輩がナディアに寄ってくるのを防ぐことができるだろう。
 あとは革製のベストや頑丈で厚手のシャツ、念のためナディアに護身用の短剣などを買いそろえた。
 どれも新品で、これまたナディアにはびっくりするくらいの高値だったようだが、問答無用で押し切った。

「アーレン……いいの?こんなに買って……私は古着で十分なんだけど」
「なにを言ってるんだ。これから長旅になるかもしれないんだから、装備はしっかり揃えておかないと。必要経費なんだから、ケチってはいけない」
「そ、そんなものなのかしら……」

 ナディアの言うように、古着や中古で揃えることもできたが、金銭的に余裕があるのだからこれくらいは問題ない範囲だ。

 それに、今日は俺としてはナディアとの二回目のデートなのだ。
 デートで女性にプレゼントを贈るのは男の権利だ、と知り合いが言っていた。
 当時は意味が解らなかったが、今はよくわかる。
 ナディアが俺が選んだものを喜んで受け取り、身に着けてくれるのがとても嬉しい。
 店内にある姿見の前でくるくる回って、買ったばかりの衣装の確認をしているナディアが可愛くて仕方がない。

「アーレン、どうかな?おかしいところない?」
「大丈夫だよ。ナディアはなにを着ても可愛いな」
「もうっ!それじゃ参考にならないじゃない!」

 俺は本心から言っているのであって、揶揄ってなどいないのに。
 頬を膨らませるナディアがまた可愛くて、俺は抱き寄せてその額にキスをした。

 そうやって選んだ旅装束をナディアはとても気に入ったらしく、俺の指をそっと握ってありがとうと言ってくれた。
 今までも感謝の言葉を伝えられたことはあったが、こんな『ありがとう』は初めてだった。
 俺は今すぐナディアを抱えて宿の部屋に戻りたくなり、平静を装うのに苦心するはめになった。
  
 今回のプレゼントは全て実用品となってしまったのは残念ではあったが、そのうち落ち着いたら装飾品もたくさん贈ろう、と心に決めた。

 その店の店員にお勧めのレストランを教えてもらい、そこで夕食をとった。
 適当にメニューから頼んだのだが、どれもナディアの知らないものだったらしく、テーブルに並んだ料理に目を丸くし、恐る恐る一口食べてぱっと顔を輝かせた。
 俺は気が急いて早食いしてしまったというのに、ナディアはどの料理も美味しいとゆっくり味わいながら舌鼓を打っていた。
 その姿も可愛いくて、俺の限界がさらに近づいたのを感じながら、じりじりとした気分で全ての皿が空になるのを待った。

「ご馳走さまでした。美味しかったね」
「そうだな。では、宿に戻ろうか」

 俺は代金より多めの貨幣をテーブルに置いて立ち上がり、慌てて同じように立ち上がったナディアの手を引いてレストランを後にした。

「ねぇ、急いでるの?なんで?」
「もう暗いからな。早く帰らないといけない」

 そういうものなの?と首を傾げながら、ナディアは早歩きでついてくる。
 食事をした直後だから、ゆっくり歩いた方がいいのだと頭ではわかっているが、どうしても歩くペースが早くなってしまう。
 できるならナディアの柔らかい体を担ぎ上げて全速力で宿まで走りたいところを、理性を総動員して我慢しているのだ。
 これくらいは許してほしい。

 ナディアは、なんで俺がこんなに急ぐのかわかっていないようだ。
 その理由がわかったとき、澄んだ菫色の瞳にはどんな色が浮かぶのだろうか。

 どうなるにしろ、俺はもうナディアを離す気はないのだが。
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