孤独なお針子が拾ったのは最強のペットでした

鈴木かなえ

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「ナディア。明日はなにか予定はあるか?」

 ある日、アーレンが珍しくそんなことを訊いてきた。

「明日?うーんと……特に明日しなくちゃいけないってことはないかな」
「できれば明日一日、俺に付き合ってくれないだろうか」

 アーレンと生活するようになり、以前よりも生活の質が改善したことだけでなく、家事を二人で分担することでお針子としての仕事に割くことができる時間も増えた。
 以前より仕事が丁寧になったと、ローズさんにも喜ばれている。
 だからといって急に仕事が増えるわけでもないので、今の私は時間にゆとりを持つことができるようになった。
 素早く今抱えている仕事と残り日数を頭の中で計算した。
 うん、大丈夫。まだ余裕がある。

「一日くらいなら大丈夫よ」

 そう応えると、アーレンの顔が嬉しそうにぱぁっと輝いた。

「なにをするの?」
「それは、明日まで秘密だ」

 にこにこと上機嫌なアーレンに私は首を傾げた。
 そしてその夜は、夕飯後の癒しタイムを短く切り上げられて、明日の朝は早いからと寝室に追い立てられた。
 もう少し漆黒の羽を撫でていたかった私は口を尖らせたけど、なにか考えがあるらしいアーレンに従って大人しく寝台に潜り込んだ。

 翌朝。
 私は本当にいつもより早い時間に寝室の扉をノックされ起こされた。
 急かされながら顔を洗って身支度を整え、庭に出た。
 アーレンの足元にはなにやらいろいろと詰め込まれた籠。
 上から布が掛けられているので、何が入っているのかはわからない。

「この前、俺が獲ってきた牡鹿を覚えているか?」
「うん。あの大きいのでしょ?」
「あれはきみの二倍くらいの重さがあった。俺はあれくらいなら簡単に抱えて飛ぶことができる」

 あの牡鹿は、明らかに私よりも大きかった。
 アーレンはあれを肩に担いで空を飛んで運んできたのだ。

「というわけで、ナディア。今日は、きみをデートに連れていくことにする」
「デ、デート?」

 どのあたりが『というわけで』なのか意味不明だ。
 面食らった私を、アーレンは軽々と横抱きに抱え上げた。

「ちょ、なにするの!?」

 考えてみれば、今までは私がアーレンに抱きついて甘えるばかりで、アーレンから私には髪を撫でるくらいのことしかしていなかった。
 突然のことに私が慌てていると、金色の瞳が優しく細められた。

「ナディア。俺は、絶対にきみを落としたりしない。信じてくれるか?」

 私はアーレンがなにをしようとしているのかやっと理解した。
 二対の大きな翼と、私をしっかりと抱える逞しい腕。
 この世に、この腕の中以上に安全な場所などないと思える。
 それくらい安心して身を任せることができる。

「もちろんよ。私、アーレンを信じてる」

 私はアーレンの首に腕を回してぎゅっと抱きついた。

「ありがとう、ナディア。そのまま動かないでいてくれ」

 私が頷くと、翼が大きく広げられた。
 そして力強く羽ばたくと、私とアーレンの体はふわりと宙へ舞い上がった。

「ーーーーー!」

 ぐいっと上に持ち上げられる感覚。
 一瞬で家の屋根よりも高い位置まで運ばれたのがわかった。
 生まれて初めてのことに悲鳴を堪えて、私は目を瞑ってアーレンに力の限り抱きついた。
 翼が風を切る音と肌を通り過ぎていく風で、かなりの早さで飛んでいるのだろうということがわかる。
 しばらくそのまま身を固くしていると、優しいバリトンが耳元で囁いた。

「目を開けてごらん」
「アーレン」
「大丈夫だ。なにも怖いことはない」

 その声に励まされ、私は言われるままに恐る恐る目を開いた。

 そして視界に飛び込んできた光景に、私は一瞬にして心を奪われた。

「うわあ……!」

 眼下に広がる緑色のもこもこした絨毯のようなものは……いつもは遥か頭上に見上げる森の木の梢が並んだものだ。
 上から見下ろすとこんなふうに見えるんだ!
 それに、空が近い。手を伸ばしたら白い雲にも触れられそうだ。
 遠くに見える山々も、遮るものがなにもないのではっきりと全体を見渡すことができる。
 横を見れば、鳥の群れが同じ高さを飛んでいるのが見えた。
 昇ったばかりの朝日から降り注ぐ柔らかな陽光を受けて、全てのものがキラキラと輝いている。

「すごい!すごいわ、アーレン!」

 私はさっきまでの恐怖を忘れて感嘆の声を上げた。
 頬を撫でる風とともに、流れるように景色が変わっていく。

「空を飛ぶって、こんな気分なのね。鳥はいつも、こんな景色を見ているのね。なんてきれい……!」

 はしゃぐ私に、満足そうにアーレンが微笑んだ。

「喜んでもらえてよかった。怖がられたらどうしようかと思っていたよ」
「最初は怖かったわよ。でも、すごくきれいだから」

 私はまたアーレンにぎゅっと抱きついた。

「それに、絶対に落とさないって約束してくれたし、ね」
「当然だ。きみを落としたりしないよ」

 アーレンが私を抱える腕に力を籠めた。
 私はその温かさを感じながら、空の上の景色を瞳に焼きつけるように眺め続けた。

 やがて、緑色の絨毯が途切れているところが見えた。

「アーレン、あれなに?」
「今日のデートの目的地だ」

 近づくにつれ、それが澄んだ美しい水を湛えた湖だということがわかった。
 上から見ると湖面が朝日を反射して輝いて見える。
 感嘆の声を上げている間に、湖はぐんぐんと近づいてくる。
 アーレンは湖の真上の位置まで来ると、それまで真っすぐに飛んでいた軌道を緩やかに旋回させた。
 体が右に傾き、湖の上で弧を描きながら高度が下っていく。
 やがて私たちは湖畔の砂地へとふわりと着地した。

「到着だ」

 そう言うと、アーレンはそっと私を降ろしてくれた。

「立てるか?」
「うん……」

 私は支えてくれたアーレンの手を離れ、砂の上を湖に向かって一歩二歩と歩いた。

 清い水の匂いと、深い森の匂い。
 小鳥の囀りと、そよ風が木の葉を揺らす音。
 静かな湖面は森の木々を鏡のように映して、湖の中に別の世界が広がっているような幻想的な風景をつくりだしている。

 ずっと森の中で暮らしていたけど、こんな場所があるなんて知らなかった。
 私が今まで目にしたものの中で、最も美しいものではないだろうか。

「きれいな湖だろう?」

 声に振り返ると、アーレンの金色の瞳が私を見ていた。
 
 ああ、違う。さっきのは間違いだ。

 この優しい金色よりも美しいものなど、この世にはありはしない。
 アーレンはそれを知っているのだろうか。

 せめて、もう少しだけ、この瞳を私だけのものにしていたい。
 私以外のだれも映さないで、私だけを見つめてほしい。

 愛しさが胸に満ちると同時に涙が溢れそうになり、私はアーレンの胸に顔を埋めて誤魔化した。

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