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連載
㊷ 番外編 タニア
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あたしは妖精界の女王の八十二番目の娘として産まれた。
たくさんの姉妹と共に歌ったり踊ったり、フェンリルやユニコーンのような聖獣の友達の背中に乗せてもらったりして毎日を楽しく過ごしていた。
そんな時、女王が何気なく言った。
「そろそろ、だれか人間界に行ってみない?」
女王のいつもの気まぐれだ。
女王とは言いつつも、妖精界はなにか問題が起こるようなこともないので、特別な仕事があるわけでもない。
気まぐれに娘を増やし、一緒に歌って踊って、ただそれだけだ。
楽しい暮らしではあるのだが、たまに違うことをしてみたくなるらしい。
そんな時は、娘の一人を人間界に送りこんで、そこでの様子をのんびり眺めるのだ。
あたしたち妖精からすれば、人間界は野蛮で危険で、すぐに死んでしまうような場所だ。
人間はすぐに殺しあうし、それでなくても病気や怪我で簡単に死ぬし、百年も生きられない。
人間の一生は、あたしたちにとってはほんの短い間でしかない。
だが、あたしはそんな人間に少し興味があった。
人間たちは泣いて笑って、短い一生を精一杯生きる。
それってどんな気持ちなのだろう?とかねてから思っていたのだ。
だから、あたしは人間界に行ってみたいと手を挙げた。
姉妹たちには変わり者扱いされたが、女王はあっさりとあたしを人間界に送りこむことに決めた。
そうと決まれば、次はあたしを送りこむ先を探さないといけない。
あたしは女王と姉妹たちと、人間界を映す水盤を覗きこんだ。
たくさんの人間たちの姿と、その生活の様子が映し出された。
まずはこの中から、死産になる予定の女の子を探すのだ。
人間はあたしたちと違い、母親の腹から産まれてくる。
その中には、不幸にも産まれる前に死んでしまう子もいる。
女王には人間の命数が見えるので、そういう子を探してそこに娘を送りこむ。
こうすれば、人間の子の命を奪うことなく、妖精が人の子として人間界に生を受けることができるからだ。
「この子なんてどうかしら」
女王が示したのは、既にお腹が大きくなっている若い女性。
しばらく観察していると、その女性の傍らに人間にしては可愛い顔をした女の子がいるのが見えた。
どうやら、この二人はほとんど二人きりで暮らしていて、女の子はお腹の子の異母姉にあたるようだ。
人間というのは、着飾ったり傅かれたりして生活しているものもいれば、泥まみれになりながら働いて苦しい生活をしているものもいる。
女王は、後者の人間たちのところに娘を送りこむ。
「変わったことをしてるのを見る方が面白いから」
という理由なのだそうだ。なんとも女王らしい。
この女性と女の子は、泥にまみれてはいないにしても、質素な身形をしていた。
きっと生活は楽ではないのだろう。
「あの母親、お腹の子と一緒に亡くなるわね」
この時、女王は特に気にかかったからではなく、目に見えたことをそのまま呟いたのだと思う。
だが、それを聞いたあたしは女の子がとても気になるようになった。
だって、妊娠している女性が死んでしまったら、あの女の子は一人ぼっちになってしまうではないか。
あたしは常にたくさんの姉妹や友達に囲まれているが、もし一人になってしまったらとても寂しいと感じるだろうということはわかる。
そう思うと、女の子がとても可哀想になってしまったのだ。
あたしは、その場であの女の子の側に行くことを決めた。
そして、友達のフェンリルと一緒に人間界へと送りこまれることになった。
「あの子、なかなか可愛いわね。
せっかく人間界での姉妹になるのだから、あの子と似たような姿にしましょうか」
その方が面白そうだから、と言う女王に、私はそれでいいと頷いた。
こうしてあたしは、人間界でレティシアという名の女の子の妹として生を受けた。
女の子はあたしを『タイターニア』もしくは『タニア』と呼んだ。
白い犬に姿を変えたフェンリルは『シロ』だ。
タイターニアというのは人間界での妖精の名前として知られていて、過去にあたしのように人間界に送りこまれた姉妹たちもタイターニアと呼ばれることが多かったと聞いている。
レティシアは、あたしをとても可愛がってくれた。
あたしは光っていたり、なにも食べなかったりと明らかに普通の子ではないのに、ほとんど一人で懸命に世話をしてくれた。
光っているのは、産まれたての脆弱な人間の体を女王の魔力が守っているからだ。
なにも食べないのは、妖精界と人間界では異なる魔力が満ちているので、それに体を慣らしている途中だからだ。
あたしもフェンリルも、女王と常に繋がっているので、なにも食べなくても平気なのだ。
そして、これがなんとも不便なのだが、あたしは声を封印された。
あたしの声は妖精特有の魔力を含んでいるので、人間界に大きな影響を与えてしまうのだ。
だから魔法を使う時だけ、女王に頼んで封印を解いてもらうことになっていた。
妖精界ではいつも好きなだけ歌っていたのに、それができないというのはストレスではあった。
レティシアはあたしを妖精姫だとわかっていながら、家族から隠して育てた。
あたしのことがバレたら、あたしが奪われてしまうからなのだそうだ。
もしそうなったら、せっかくここに産まれてくることを選んだのに、レティシアは一人ぼっちになってしまう。
だから、狭い家の中にずっと閉じこもるのは退屈だったが、フェンリルとふたりで我慢した。
まぁ、せっかく人間界に来たのだから、こんな経験をするのも悪くないだろう。
不自由な生活も、人間界ならではなのだから。
美しく成長したレティシアは、着飾って出かけるようになった。
あたしとフェンリルと一緒に家を出るために、外で番になる男を探しているのだそうだ。
そうして出かけたレティシアは、いつも青い顔でくたくたに疲れきって帰ってきた。
男が苦手なレティシアにとって、番を探すというのは大きな負担になっていたのだろう。
心配だったが、あたしたちにはどうすることもできなかった。
今日も見つからなかった、と項垂れるレティシアに寄り添い慰めることしかできなかった。
そんな日が続いていたある夜、レティシアが満面の笑顔で帰ってきた。
「上手くいったわ!全部計画通りよ!それも、公爵閣下ってば、すっごくいい人なの!私たち、すごくすごくラッキーだわ!」
ついに番になる男を見つけたらしい。
公爵というと、かなり身分が高い男なのではないだろうか。
「私たち、助かるのよ。ここを出られるわ!」
あたしたちを抱きしめて喜びの涙を流すレティシアを、あたしも抱きしめた。
ここを出られるのなら、あたしたちもとても嬉しい。
公爵は、なぜか左目を隠していたが、人間にしては美しい男だった。
レティシアは、公爵の愛人というものになったらしい。
愛人というのは、正式な番ではないのだそうだが、レティシアは自ら望んでその立場になったのだそうだ。
公爵の家はとても大きく、人間がたくさんいた。
小さな家でレティシアとしか会わない生活をしていたあたしたちには、なにもかもが新鮮だった。
食べ物も美味しいし、広い庭を自由に走り回ることもできるし、レティシア以外の人間たちもあたしたちを可愛がってくれた。
レティシアも前よりずっと幸せそうに笑うようになった。
ただ、レティシアと公爵は番になったはずなのに、番がする行為をしていないようだった。
周りの人間たちはそのことを気に病んでいるようだったが、本人たちはまったく気にする様子がない。
たまに食事を一緒にする時は和やかに話をしているから、仲が悪いというわけではないのに、どういうことなのだろう?
人間の細かい心の機微みたいなものは、あたしにはよくわからなかった。
それでも、公爵は優しい人間なのだということはわかった。
あたしとフェンリルの頭をそっと撫でてくれる大きな手は、いつも温かかった。
レティシアが笑っていて、あたしたちも楽しく暮らせるのならそれでいい。
そう思っていたのだが、ある時からレティシアと公爵の関係が微妙に変わった。
二人が交わす視線に、あたしが見てもわかるほどの熱がこもるようになったのだ。
周りの人間たちの話によると、この二人は人間たちのなかでもかなり不器用な部類に入るらしい。
このままではなにも進展しない、と周りの人間たちはさらに気に病むようになってしまった。
それならば、とあたしは二人の仲を近づけるように頑張ることにした。
本当の番になれるなら、お互いにそれを望んでいるなら、そうなった方が幸せに決まっている。
あたしが骨を折ったこともあり、二人は順調に仲を深めていった。
それなのに、なぜかローヴァルというところに移動してから、公爵にまったく会えなくなってしまった。
公爵が明らかにあたしたちを避けているのだ。
なんで!?レティシアが好きなんじゃないの!?
レティシアも公爵が好きなのに!
ローヴァルは自然が豊かなところで、楽しいことがたくさんあった。
それなのに、レティシアが悲しそうな顔をしていては、あたしもフェンリルも楽しめない!
腹が立ったあたしは、公爵を無理やりレティシアに会わせた。
強引すぎたかな?と思ったが、周りの人間たちによくやった!と褒められた。
そして、その夜に二人はやっと番がする行為ができたようで、そのきっかけをつくったあたしはまた物凄く褒められた。
レティシアは悲しい顔をしなくなり、以前にも増して美しくなった。
公爵も左目を隠さなくなり、自然に笑うようになった。
二人はとても幸せそうだ。
あたしもフェンリルも、そんな二人を見るのは嬉しかった。
周りの人間たちも、とても喜んでいた。
いいことをした後は、とても気持ちがいいものだ。
そんなことを思っていた矢先に、ローヴァルの植物が全滅するという大変な事態になってしまった。
人間が食料としている植物も枯れてしまって、このままでは多くの人間が飢えることになるというのは、あたしにもわかった。
人間は殺し合いをする生き物だということは知っていたが、こんな手段を使うなんて。
レティシアは自分のせいだと泣いていた。
悪いのはゲオルグとかいうヤツで、レティシアはなにもしていないのに。
あたしはとてもとても腹が立った。
レティシアを泣かせたことも、よりによって妖精であるあたしの前で植物を枯らせたことも。
女王が怒っているのも伝わってきた。
だから、あたしは魔法を使わせて!と女王にお願いをした。
あたしとフェンリルを必死で育ててくれたレティシア。
あたしたちに優しくしてくれた公爵と、その周りの人間たち。
あたしの魔法なら救うことができるのだ。
女王はあたしの封印を解いてくれた。
これで歌うことができる!
人間界に送りこまれてから七年間溜めこまれていたあたしの魔力と、女王がついでだからとわけてくれた魔力。
合わせて膨大な量になった魔力を使えば、枯れてしまった植物を全て蘇らせることができる。
あたしは久しぶりに歌って踊って、声に乗せて全力で魔法を解き放った。
本物の妖精姫の本領発揮だ!
緑が息を吹き返し可憐な花が咲き始めると、人間たちは歓声を上げた。
あたしは本来の姿に戻ったフェンリルに乗って、ローヴァル全体に魔法を広めるために空へと駆けあがった。
そんなあたしたちを、レティシアは泣きながら止めようとした。
妖精にしか使えない魔法に驚き喜ぶ人間たちの中で、レティシアだけが泣いていた。
行かないでと叫ぶあまりに悲痛な声は、あたしの耳にこびりつき、女王にも届いた。
あたしより前に人間界に送りこまれた姉妹たちは、一度だけ魔法を使うとすぐに妖精界に戻ってきた。
人間たちを助けて感謝されることでいい気分になれるし、妖精ってすごい!と人間たちが口々に言うことで女王も満足するからだ。
妖精にとっては不便なことが多い人間界に辟易しているから、というのもある。
自分が使った魔法の影響を妖精界から俯瞰で眺めながら、あっちでの生活は大変だった~と姉妹たちに面白おかしく話すのがいつもの流れだ。
だが、あたしは辟易なんてしていなかった。
不便ではあっても、毎日楽しく暮らしていた。
それに、人間たちの歓声でいい気分にはなったが、レティシアの泣き声が頭を離れなくて、このまま妖精界に戻ったら、後悔しそうな気がした。
だから、あたしはもう少し人間界に残ることにした。
案山子祭りに行ってみたいし、妖精界にはない食べ物をもっと味わってみたい。
水盤を通して眺めるだけではなく、実際にこの身で体験してみないとわからないこともたくさんあるということを、人間界に来てからあたしは学んだ。
それに、レティシアと公爵の子も見てみたい。
あたしには姉妹はたくさんいるが、甥や姪はいないのだ。
血の繋がった赤子を抱くというのはどんな気分なのだろうか、というのを知りたかった。
妖精界には帰ろうと思えばいつでも帰ることができる。
だからこそ、もっと後でもいい。
レティシアに家族ができて、あたしたちがいなくなっても大丈夫と思えるようになるまで、それまで側にいてあげてもいいだろう。
レティシアは、あたしの大事な姉なのだから。
こうしてあたしとフェンリルは人間界に留まった。
姉妹たちには呆れられたようだが、女王はそれでいいと言ってくれたのでなにも問題はなかった。
女王もあたしが気にかけるレティシアたちに興味を持っていたようだ。
それから、レティシアと公爵はなにやら面倒な手順を踏んで正式に結婚した。
レティシアは愛人から正式な番になった、ということだ。
あたしにはよくわからないが、人間にとってはこういう体面というのはとても大事なのだそうだ。
レティシアも公爵もとても幸せそうで、結婚から一年で最初の子が産まれた。
なんだか赤くて、くしゃくしゃな顔をしているのに、可愛く見えるのだから不思議な気分だった。
かつてレティシアがしてくれたように、あたしもこの子を可愛がろうと思った。
最終的に四人にまで増えたレティシアの子は、全員可愛くて、幸いなことに皆元気に育った。
その頃には、女王もそろそろ戻って来いとあたしに言うようになった。
あたしは女王にとってはたくさんいる娘のうちの一人でしかないのだが、それでも女王はあたしを愛してくれているのだ。
会いたいから、と言われると断ることもできない。
それに、レティシアももう大丈夫だと思ったのだ。
公爵だけでなく、子供たちもレティシアを心から愛していた。
これだけ家族がいるのだから、あたしたちがいなくなってもレティシアはちゃんと生きていけるだろう。
別れ際、レティシアはやっぱり泣いた。
公爵はそんなレティシアをしっかりと支えていた。
レティシアは、幸せになれたのはあたしのおかげだと言ったがそんなことはない。
レティシアは逆境にもめげることなく、自力で幸せを掴み取ったのだ。
そんな人間界での姉を、あたしは今でも誇りに思っている。
その身を売ってまであたしを守ろうとしてくれた姉を、あたしは今もずっと愛している。
人間界を映す水盤に、花冠を頭にのせた若い男女が映った。
今日は、レティシアの子孫の一人の結婚式が行われているのだ。
あの花冠は女王の魔力を混ぜて編んだ特別製だ。
きっと新婚夫婦に幸運を与えてくれるだろう。
若い二人が、幸せでありますように。
レティシアと公爵がそうだったように、最後の時までずっと。
遠くから妹があたしを呼んでいるのが聞こえた。
あたしは心の中で祈ってから、水盤を離れ姉妹たちの踊りの輪に加わった。
たくさんの姉妹と共に歌ったり踊ったり、フェンリルやユニコーンのような聖獣の友達の背中に乗せてもらったりして毎日を楽しく過ごしていた。
そんな時、女王が何気なく言った。
「そろそろ、だれか人間界に行ってみない?」
女王のいつもの気まぐれだ。
女王とは言いつつも、妖精界はなにか問題が起こるようなこともないので、特別な仕事があるわけでもない。
気まぐれに娘を増やし、一緒に歌って踊って、ただそれだけだ。
楽しい暮らしではあるのだが、たまに違うことをしてみたくなるらしい。
そんな時は、娘の一人を人間界に送りこんで、そこでの様子をのんびり眺めるのだ。
あたしたち妖精からすれば、人間界は野蛮で危険で、すぐに死んでしまうような場所だ。
人間はすぐに殺しあうし、それでなくても病気や怪我で簡単に死ぬし、百年も生きられない。
人間の一生は、あたしたちにとってはほんの短い間でしかない。
だが、あたしはそんな人間に少し興味があった。
人間たちは泣いて笑って、短い一生を精一杯生きる。
それってどんな気持ちなのだろう?とかねてから思っていたのだ。
だから、あたしは人間界に行ってみたいと手を挙げた。
姉妹たちには変わり者扱いされたが、女王はあっさりとあたしを人間界に送りこむことに決めた。
そうと決まれば、次はあたしを送りこむ先を探さないといけない。
あたしは女王と姉妹たちと、人間界を映す水盤を覗きこんだ。
たくさんの人間たちの姿と、その生活の様子が映し出された。
まずはこの中から、死産になる予定の女の子を探すのだ。
人間はあたしたちと違い、母親の腹から産まれてくる。
その中には、不幸にも産まれる前に死んでしまう子もいる。
女王には人間の命数が見えるので、そういう子を探してそこに娘を送りこむ。
こうすれば、人間の子の命を奪うことなく、妖精が人の子として人間界に生を受けることができるからだ。
「この子なんてどうかしら」
女王が示したのは、既にお腹が大きくなっている若い女性。
しばらく観察していると、その女性の傍らに人間にしては可愛い顔をした女の子がいるのが見えた。
どうやら、この二人はほとんど二人きりで暮らしていて、女の子はお腹の子の異母姉にあたるようだ。
人間というのは、着飾ったり傅かれたりして生活しているものもいれば、泥まみれになりながら働いて苦しい生活をしているものもいる。
女王は、後者の人間たちのところに娘を送りこむ。
「変わったことをしてるのを見る方が面白いから」
という理由なのだそうだ。なんとも女王らしい。
この女性と女の子は、泥にまみれてはいないにしても、質素な身形をしていた。
きっと生活は楽ではないのだろう。
「あの母親、お腹の子と一緒に亡くなるわね」
この時、女王は特に気にかかったからではなく、目に見えたことをそのまま呟いたのだと思う。
だが、それを聞いたあたしは女の子がとても気になるようになった。
だって、妊娠している女性が死んでしまったら、あの女の子は一人ぼっちになってしまうではないか。
あたしは常にたくさんの姉妹や友達に囲まれているが、もし一人になってしまったらとても寂しいと感じるだろうということはわかる。
そう思うと、女の子がとても可哀想になってしまったのだ。
あたしは、その場であの女の子の側に行くことを決めた。
そして、友達のフェンリルと一緒に人間界へと送りこまれることになった。
「あの子、なかなか可愛いわね。
せっかく人間界での姉妹になるのだから、あの子と似たような姿にしましょうか」
その方が面白そうだから、と言う女王に、私はそれでいいと頷いた。
こうしてあたしは、人間界でレティシアという名の女の子の妹として生を受けた。
女の子はあたしを『タイターニア』もしくは『タニア』と呼んだ。
白い犬に姿を変えたフェンリルは『シロ』だ。
タイターニアというのは人間界での妖精の名前として知られていて、過去にあたしのように人間界に送りこまれた姉妹たちもタイターニアと呼ばれることが多かったと聞いている。
レティシアは、あたしをとても可愛がってくれた。
あたしは光っていたり、なにも食べなかったりと明らかに普通の子ではないのに、ほとんど一人で懸命に世話をしてくれた。
光っているのは、産まれたての脆弱な人間の体を女王の魔力が守っているからだ。
なにも食べないのは、妖精界と人間界では異なる魔力が満ちているので、それに体を慣らしている途中だからだ。
あたしもフェンリルも、女王と常に繋がっているので、なにも食べなくても平気なのだ。
そして、これがなんとも不便なのだが、あたしは声を封印された。
あたしの声は妖精特有の魔力を含んでいるので、人間界に大きな影響を与えてしまうのだ。
だから魔法を使う時だけ、女王に頼んで封印を解いてもらうことになっていた。
妖精界ではいつも好きなだけ歌っていたのに、それができないというのはストレスではあった。
レティシアはあたしを妖精姫だとわかっていながら、家族から隠して育てた。
あたしのことがバレたら、あたしが奪われてしまうからなのだそうだ。
もしそうなったら、せっかくここに産まれてくることを選んだのに、レティシアは一人ぼっちになってしまう。
だから、狭い家の中にずっと閉じこもるのは退屈だったが、フェンリルとふたりで我慢した。
まぁ、せっかく人間界に来たのだから、こんな経験をするのも悪くないだろう。
不自由な生活も、人間界ならではなのだから。
美しく成長したレティシアは、着飾って出かけるようになった。
あたしとフェンリルと一緒に家を出るために、外で番になる男を探しているのだそうだ。
そうして出かけたレティシアは、いつも青い顔でくたくたに疲れきって帰ってきた。
男が苦手なレティシアにとって、番を探すというのは大きな負担になっていたのだろう。
心配だったが、あたしたちにはどうすることもできなかった。
今日も見つからなかった、と項垂れるレティシアに寄り添い慰めることしかできなかった。
そんな日が続いていたある夜、レティシアが満面の笑顔で帰ってきた。
「上手くいったわ!全部計画通りよ!それも、公爵閣下ってば、すっごくいい人なの!私たち、すごくすごくラッキーだわ!」
ついに番になる男を見つけたらしい。
公爵というと、かなり身分が高い男なのではないだろうか。
「私たち、助かるのよ。ここを出られるわ!」
あたしたちを抱きしめて喜びの涙を流すレティシアを、あたしも抱きしめた。
ここを出られるのなら、あたしたちもとても嬉しい。
公爵は、なぜか左目を隠していたが、人間にしては美しい男だった。
レティシアは、公爵の愛人というものになったらしい。
愛人というのは、正式な番ではないのだそうだが、レティシアは自ら望んでその立場になったのだそうだ。
公爵の家はとても大きく、人間がたくさんいた。
小さな家でレティシアとしか会わない生活をしていたあたしたちには、なにもかもが新鮮だった。
食べ物も美味しいし、広い庭を自由に走り回ることもできるし、レティシア以外の人間たちもあたしたちを可愛がってくれた。
レティシアも前よりずっと幸せそうに笑うようになった。
ただ、レティシアと公爵は番になったはずなのに、番がする行為をしていないようだった。
周りの人間たちはそのことを気に病んでいるようだったが、本人たちはまったく気にする様子がない。
たまに食事を一緒にする時は和やかに話をしているから、仲が悪いというわけではないのに、どういうことなのだろう?
人間の細かい心の機微みたいなものは、あたしにはよくわからなかった。
それでも、公爵は優しい人間なのだということはわかった。
あたしとフェンリルの頭をそっと撫でてくれる大きな手は、いつも温かかった。
レティシアが笑っていて、あたしたちも楽しく暮らせるのならそれでいい。
そう思っていたのだが、ある時からレティシアと公爵の関係が微妙に変わった。
二人が交わす視線に、あたしが見てもわかるほどの熱がこもるようになったのだ。
周りの人間たちの話によると、この二人は人間たちのなかでもかなり不器用な部類に入るらしい。
このままではなにも進展しない、と周りの人間たちはさらに気に病むようになってしまった。
それならば、とあたしは二人の仲を近づけるように頑張ることにした。
本当の番になれるなら、お互いにそれを望んでいるなら、そうなった方が幸せに決まっている。
あたしが骨を折ったこともあり、二人は順調に仲を深めていった。
それなのに、なぜかローヴァルというところに移動してから、公爵にまったく会えなくなってしまった。
公爵が明らかにあたしたちを避けているのだ。
なんで!?レティシアが好きなんじゃないの!?
レティシアも公爵が好きなのに!
ローヴァルは自然が豊かなところで、楽しいことがたくさんあった。
それなのに、レティシアが悲しそうな顔をしていては、あたしもフェンリルも楽しめない!
腹が立ったあたしは、公爵を無理やりレティシアに会わせた。
強引すぎたかな?と思ったが、周りの人間たちによくやった!と褒められた。
そして、その夜に二人はやっと番がする行為ができたようで、そのきっかけをつくったあたしはまた物凄く褒められた。
レティシアは悲しい顔をしなくなり、以前にも増して美しくなった。
公爵も左目を隠さなくなり、自然に笑うようになった。
二人はとても幸せそうだ。
あたしもフェンリルも、そんな二人を見るのは嬉しかった。
周りの人間たちも、とても喜んでいた。
いいことをした後は、とても気持ちがいいものだ。
そんなことを思っていた矢先に、ローヴァルの植物が全滅するという大変な事態になってしまった。
人間が食料としている植物も枯れてしまって、このままでは多くの人間が飢えることになるというのは、あたしにもわかった。
人間は殺し合いをする生き物だということは知っていたが、こんな手段を使うなんて。
レティシアは自分のせいだと泣いていた。
悪いのはゲオルグとかいうヤツで、レティシアはなにもしていないのに。
あたしはとてもとても腹が立った。
レティシアを泣かせたことも、よりによって妖精であるあたしの前で植物を枯らせたことも。
女王が怒っているのも伝わってきた。
だから、あたしは魔法を使わせて!と女王にお願いをした。
あたしとフェンリルを必死で育ててくれたレティシア。
あたしたちに優しくしてくれた公爵と、その周りの人間たち。
あたしの魔法なら救うことができるのだ。
女王はあたしの封印を解いてくれた。
これで歌うことができる!
人間界に送りこまれてから七年間溜めこまれていたあたしの魔力と、女王がついでだからとわけてくれた魔力。
合わせて膨大な量になった魔力を使えば、枯れてしまった植物を全て蘇らせることができる。
あたしは久しぶりに歌って踊って、声に乗せて全力で魔法を解き放った。
本物の妖精姫の本領発揮だ!
緑が息を吹き返し可憐な花が咲き始めると、人間たちは歓声を上げた。
あたしは本来の姿に戻ったフェンリルに乗って、ローヴァル全体に魔法を広めるために空へと駆けあがった。
そんなあたしたちを、レティシアは泣きながら止めようとした。
妖精にしか使えない魔法に驚き喜ぶ人間たちの中で、レティシアだけが泣いていた。
行かないでと叫ぶあまりに悲痛な声は、あたしの耳にこびりつき、女王にも届いた。
あたしより前に人間界に送りこまれた姉妹たちは、一度だけ魔法を使うとすぐに妖精界に戻ってきた。
人間たちを助けて感謝されることでいい気分になれるし、妖精ってすごい!と人間たちが口々に言うことで女王も満足するからだ。
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自分が使った魔法の影響を妖精界から俯瞰で眺めながら、あっちでの生活は大変だった~と姉妹たちに面白おかしく話すのがいつもの流れだ。
だが、あたしは辟易なんてしていなかった。
不便ではあっても、毎日楽しく暮らしていた。
それに、人間たちの歓声でいい気分にはなったが、レティシアの泣き声が頭を離れなくて、このまま妖精界に戻ったら、後悔しそうな気がした。
だから、あたしはもう少し人間界に残ることにした。
案山子祭りに行ってみたいし、妖精界にはない食べ物をもっと味わってみたい。
水盤を通して眺めるだけではなく、実際にこの身で体験してみないとわからないこともたくさんあるということを、人間界に来てからあたしは学んだ。
それに、レティシアと公爵の子も見てみたい。
あたしには姉妹はたくさんいるが、甥や姪はいないのだ。
血の繋がった赤子を抱くというのはどんな気分なのだろうか、というのを知りたかった。
妖精界には帰ろうと思えばいつでも帰ることができる。
だからこそ、もっと後でもいい。
レティシアに家族ができて、あたしたちがいなくなっても大丈夫と思えるようになるまで、それまで側にいてあげてもいいだろう。
レティシアは、あたしの大事な姉なのだから。
こうしてあたしとフェンリルは人間界に留まった。
姉妹たちには呆れられたようだが、女王はそれでいいと言ってくれたのでなにも問題はなかった。
女王もあたしが気にかけるレティシアたちに興味を持っていたようだ。
それから、レティシアと公爵はなにやら面倒な手順を踏んで正式に結婚した。
レティシアは愛人から正式な番になった、ということだ。
あたしにはよくわからないが、人間にとってはこういう体面というのはとても大事なのだそうだ。
レティシアも公爵もとても幸せそうで、結婚から一年で最初の子が産まれた。
なんだか赤くて、くしゃくしゃな顔をしているのに、可愛く見えるのだから不思議な気分だった。
かつてレティシアがしてくれたように、あたしもこの子を可愛がろうと思った。
最終的に四人にまで増えたレティシアの子は、全員可愛くて、幸いなことに皆元気に育った。
その頃には、女王もそろそろ戻って来いとあたしに言うようになった。
あたしは女王にとってはたくさんいる娘のうちの一人でしかないのだが、それでも女王はあたしを愛してくれているのだ。
会いたいから、と言われると断ることもできない。
それに、レティシアももう大丈夫だと思ったのだ。
公爵だけでなく、子供たちもレティシアを心から愛していた。
これだけ家族がいるのだから、あたしたちがいなくなってもレティシアはちゃんと生きていけるだろう。
別れ際、レティシアはやっぱり泣いた。
公爵はそんなレティシアをしっかりと支えていた。
レティシアは、幸せになれたのはあたしのおかげだと言ったがそんなことはない。
レティシアは逆境にもめげることなく、自力で幸せを掴み取ったのだ。
そんな人間界での姉を、あたしは今でも誇りに思っている。
その身を売ってまであたしを守ろうとしてくれた姉を、あたしは今もずっと愛している。
人間界を映す水盤に、花冠を頭にのせた若い男女が映った。
今日は、レティシアの子孫の一人の結婚式が行われているのだ。
あの花冠は女王の魔力を混ぜて編んだ特別製だ。
きっと新婚夫婦に幸運を与えてくれるだろう。
若い二人が、幸せでありますように。
レティシアと公爵がそうだったように、最後の時までずっと。
遠くから妹があたしを呼んでいるのが聞こえた。
あたしは心の中で祈ってから、水盤を離れ姉妹たちの踊りの輪に加わった。
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