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㉗ 氷血公爵が女嫌いになった理由

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「閣下、失礼します」

「……ああ」

 タニアとシロの寝かしつけをリーシアに頼んで、私は閣下の寝室に向かった。
 マナーハウスの閣下の寝室に入るのは、これが初めてだった。

「こちらへ」

 いつもは寝台に直行するところだが、今夜はカウチに座らされた。
 閣下はお酒を飲んでいたらしく、グラスと琥珀色の液体が入ったデカンタがローテーブルに置いてある。
 私と同衾する前に閣下がお酒を飲むのも、これが初めてだった。
 
 しばらく間が空いてしまったから、もしかして閣下も私と同じように緊張しているのだろうか。

「……レティシア」

「はい、閣下」

「其方に聞いてほしい話がある」

 なんだろう。少なくとも楽しい話ではなさそうだ。

「俺が女嫌いになった理由なのだが……マリッサたちから、聞いているか?」

「いいえ……なにか酷いことがあった、ということくらいしか」
  
「そうか……」

 閣下は俯いた。

「……其方には、なにがあったのか知っていてほしい。聞いてくれるか?」

「もちろんですわ」

 私は頷いた。
 ずっと気になっていたが、訊くに訊けなかったことだ。
 
「知っての通り、カルロスとリーシアとは赤ん坊のころからのつきあいだ。
 カルロスたち以外にもあと二人、同じように年が近い使用人の子がいた。
 二人姉妹で、姉のシエナは俺の三歳上で、妹のレイラは俺の一歳下だった。
 カルロスたちと五人で、小さいころはきょうだいのように育った。
 一番年上のシエナは全員の姉のようで、レイラは妹のような存在だった。

 ……俺はシエナに淡い思慕の情を抱いていた」

 小さいころは身分差など関係なく、閣下も年が近い子たちと一緒に遊んでいたのだろう。
 そんな中で幼馴染を好きになる、というのは私でも想像ができるくらい普通のことだと思う。

「俺が十六歳になり社交界デビューした直後、俺の両親は事故で亡くなった。
 突然のことで混乱しながらも、俺は公爵家当主となった。

 葬儀やら相続手続きやらもあり、精神的にも肉体的にも疲弊しきっていた俺は、優しく気遣ってくれるシエナに少しだけ甘えてしまった。
 といっても、シエナになにかしたわけではない。
 ただ、いつもより長く側にいてもらっただけだ。

 きょうだいのように育ったとはいえ、その頃はもう俺たちの立場は使用人と雇用主にはっきり分かれていた。
 身分が違う俺がシエナに手を出すと、シエナを不幸にしてしまうことがわかっていたから、なもするつもりなどなかった。
 シエナも俺のそんな気持ちをわかっていて、ただ側に寄りそってくれた」

 まだ若い閣下が両親を同時に亡くしたというのは、とても辛いことだっただろう。
 そんな時でも、閣下はシエナというひとの立場を思いやった。
 閣下は昔から優しかったのだ。

「シエナのおかげで、俺は立ち直った。
 公爵家当主としての仕事も、なんとかこなせるようになった。
 そんな時……シエナの顔が醜く爛れるという事件が起きた。毒が盛られたんだ」

 私は息をのんだ。
 女性の顔を損なうなんて、なんて残酷なことをするのだろう。
 いったい、誰がそんなことを?

「俺はすぐに医者に診せたが、どうにもできないと匙を投げられてしまった。
 俺は、顔が変わってもシエナを解雇するつもりなどなかった。
 なんだったら、俺専属のメイドにして守ろうとまで思っていた。
 だが……シエナは自死してしまった。
 おれの両親が亡くなってから、約三か月後の出来事だ」

 辛かっただろう。
 閣下も、シエナというひとも。
 カルロスやリーシアたちも辛かっただろう。

「当然ながら、俺はまた落ちこんだ。
 そこに近寄ってきたのがレイラだった。

 レイラもシエナやリーシアと同じようにメイドとして働いていたのだが、レイラはどうも俺に秋波を送ってくるから、遠ざけていたのだ。

 シエナがいなくなってから、妹だからと自分がシエナの立ち位置に納まろうとした。
 もちろん俺はそんなことは許さなかった。

 家令に命じて叱らせ、これ以上余計なことをするならメイドから下働きに降格すると警告した。
 それで終わればよかったのだが、レイラは諦めなかった」

 閣下は膝の上においた手をぎゅっと握りしめた。
 今までも十分に酷い話だが、この話の核心はここからなのだ。

「レイラは、俺に媚薬を盛った。
 無理やりにでも関係を持ちさえすれば、俺の愛人かなにかになれると思ったようだ。
 痺れ薬まで同時に盛られたから、体の自由が効かなくて逃げることもできず、止めろと言うのにレイラは俺の服を脱がせて……とにかく、とても恐ろしかったんだ。
 幸いにも、寸でのところでカルロスたちが異常を察知し、レイラは取り押さえられ、未遂で済んだ。
 そうでなければ、俺の精神は崩壊していたかもしれない」

 なんと壮絶な……
 十六歳の優しい少年には、過酷すぎる。

「シエナに毒が盛られた後、捜査は行われてはいたのだが、まさか実の妹が犯人だなんて誰も思わなかったから、レイラへの取り調べは甘かったということが後でわかった。

 レイラは、シエナが醜くなったら俺に捨てられると思って、実の姉に毒を盛ったのだそうだ。

 なのに、シエナが自死した後も、俺はレイラに見向きもしなかった。
 だから、隠し持っていた薬で強硬手段にでて、どうにかして俺を手に入れようとした」

 そんなことをしても、閣下の心が手に入るわけがないのに。
 実の姉にまで毒を盛るなんて、どうしてそんなことができるのだろう。

 ……そういえば、私もロザリーに毒を盛られたんだったっけ。
 ロザリーとレイラという人は、似た者同士なのかもしれない。

「俺は、レイラを遠ざけていたが、嫌っていたわけではない。
 いつか身分に相応しい恋人でもできれば、俺のことなど忘れるだろうと思っていた。
 レイラは幼馴染の一人で、妹のような存在で……それなのに、あんなことをするなど、思ってもみなかった。

 俺が女嫌いになったのは、それからだ。
 女は、言葉も理屈も通じない、恐ろしい生き物のように感じるようになってしまった」

 無理もない、と思う。
 ただでさえ両親を失って傷ついているところだっただろうに、こんな追い打ちがかけられるなんて。

 こうして優しい少年は心を閉ざし、『氷血公爵』になってしまったわけだ。

「レティシア。俺の眼帯を外してくれないか」

「……いいのですか?」

「ああ。其方に外してほしい」

 私はそっと手を伸ばして、閣下の左目をずっと覆っていた眼帯を外した。

 怪我でもあるのかと思っていたが、そうではなかった。

 眼帯の下に隠されていたのは、澄んだ蒼穹の瞳だった。

「俺の母は、現国王陛下の妹にあたる。母も同じ色の瞳をしていた」

 第二王子殿下の瞳もこの色だった。
 これは、タータル王家の色なのだ。

「レイラは、小さいころから俺の左目がお気に入りだった。
 いつもきれいだと言っていて……つまり、レイラは俺が好きだったのではなくて、王族の血がほしかったのだ。

 俺は鏡でこの左目を見るたびに、レイラのことを思い出して気分が悪くなるようになった。
 また同じ理由で俺を求める女が現れるのではないかと思うと、左目を抉り取りたくなった。

 そんなことをするくらいならと、カルロスたちが俺に眼帯を作ってくれた。
 それ以来、俺は今まで誰にも左目を見せたことはない」

 閣下は私と同衾する時も、いつも眼帯はつけたままだった。
 深い理由があるのだと思っていたが……

「閣下……わたくしは、閣下の右の瞳も大好きですわ。紅玉みたいで、とってもきれいです」

 もちろん左目もきれいだと思うが、右目だって同じくらいきれいだ。

「其方は……俺に愛人として囲われているというのに、最低限のことしか求めなかった。
 王族で公爵家当主の俺は、金も権力も腐るほどもっているというのに、其方が求めるのはいつもささやかなものばかりだ。
 ガーデニングとか乗馬とか、貴族の令嬢とは思えないようなことで喜ぶ」

「そう、ですわね……変わっているという自覚はありますわ」

「其方が夜会の控室で俺を待ち伏せしていた時、俺はまた色仕掛けをされるのだと思った。
 だが、其方は真っすぐに俺を見て、交渉を持ちかけてきた。
 ふわふわと儚げな妖精姫が見せた強かさに、俺は驚いて……今にして思えば、あの時、俺は其方に惚れたのだと思う。
 だから、白い結婚で構わないと言われて、腹が立ったのだ」

「……え?」

 今、なにかとんでもないことを言われた気がする。

 首を傾げた私に、閣下は頬を赤くしながら続けた。

「其方は、強く賢い女だ。
 虐げられながらも屈することなく、タニアとシロを守るために身売りをするほど愛情深い。
 俺は、其方のことを知れば知るほど、益々惚れた」

 惚れた、って閣下がはっきり言った。

 聞き間違いではない。
 
「其方は、男嫌いになった理由を教えてくれた。
 だから、俺も、俺が女嫌いになった理由を其方に知ってほしかった。
 其方と対等になるために」

 閣下の大きな手が、私の頬をそっと撫でた。

「レティシア。俺は、其方がほしい。其方に触れたい。
 いつものように、同衾したふりをするのではなく、本当の意味で閨をともにしたい。
 俺は……其方を愛している」

「閣下……」

 私の頬も閣下と同じように赤くなった。

「もし、嫌だとか、心の準備ができていないとか思うようなら、元の部屋に戻るといい。
 今なら、まだ帰してやれる。
 だが、もしこれ以上、ここに留まるというなら……もう離せない。意味はわかるな」

「はい、閣下……」

 私は、頬に触れている閣下の手に自分の手を重ねた。

「ローヴァルに来てから、閣下に距離を置かれて、とても寂しかった……わたくしも……閣下をお慕いしております。
 どうかわたくしを、閣下のものにしてくださいませ」
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