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㉕ 氷血公爵の苦悩 テオドール視点

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 あの夜会の夜からずっと、俺は悩んでいた。

 媚薬に侵され苦しむレティシアを救うため、その純潔を奪ったのだが。

(あの時のレティシアが忘れられない……)

 しっとりと汗ばんだ肌の感触。

 ほっそりとした白い足。

 甘い啼き声。

 涙に濡れてもなお美しい碧の瞳。

 それから、あの熱い泥濘の……

 最初に閨教育を受けた時も、ここまで頭から離れないということはなかったと思う。
 それなのに、こんな歳になってから悩むことになるとは。

 わかっている。その原因は、俺自身がよくわかっている。

 閨教育の相手を務めたのは、もう顔も覚えていないどこかの未亡人だった。
 そして、この前は、レティシアだった。

 レティシアだから、忘れられないのだ。

 あれ以来、邸内でレティシアの姿をつい探してしまう。
 遠くに見つけることができたら、つい目で追ってしまう。
 レティシアはいつも元気で、使用人たちと笑っていて、タニアとシロを大切に慈しんでいて……

 とにかく、可愛い。可愛くてしかたがないのだ。

 前から美しい娘だとは思ってはいたが、ここまで可愛いと思うようになったのは、やはりあの夜会の夜以降からだ。
 あの出来事が、俺の精神を根底から作り変えてしまった。

 レティシアがほしい。
 もう一度、レティシアを抱きたい。
 いや、違う。一度だけではなく、何度でも抱きたい。

(だが……だからといって、どうすれば……)

「旦那様……どうなさったのですか?このところ、顔色が優れないようですが」

 こういうことに気が付くのは、赤ん坊のころからの付き合いのカルロスだ。
 俺は迷った末、カルロスに打ち明けることにした。

「レティシアを……抱きたいのだが……」

 カルロスははっきりと驚いた顔をした。

「どうしていいのかわからない。俺は、ほとんど経験がないから……」

 あの時は、媚薬によりレティシアがぐずぐずに蕩けていたからなんとかなったのだ。
 媚薬に頼らずあのようなことをするには、どうすればいいのか見当もつかない。

 それ以前に、どうやってそういう行為をすることの合意をとりつけたらいいのかもさっぱりだ。
 レティシアは男嫌いだから、下手なことをしたら盛大に拒絶されてしまうだろう。
 もしくは、嫌々ながら愛人という立場上しかたなく受け入れる、ということになるかもしれない。

 そうなったら……俺は傷つくのだろうな。

 カルロスはしばし考え、それから口を開いた。

「経験を積む、という意味では、娼館を利用するのも方法の一つかと」

「娼館か」

「はい。事情を説明すれば、丁寧に指導してくれるでしょう。高級娼館ですと、顧客の情報は一切外に漏らしませんから、そういった意味でも安心です」

 なるほど、一理ある。
 それはわかるのだが……

「……レティシア以外に触れるのは……無理だ」

 レティシア以外の女に触れることを想像するだけで、寒気がする。

 他の女ではダメだ。レティシアでないとダメなのだ。

「レティシア様限定で、女嫌いが治った、ということですか」

「レティシアと、タニアだな。あの二人限定だ」

 もちろん、タニアとそういったことをしたいと思っているわけではない。
 タニアも、レティシアと同じように触れても平気なのだ。
 抱っこしても膝に座らせても、レティシアとは違う意味での可愛いという気持ちしか湧いてこない。

「なるほどですね……娼館が無理なら……しばらくお待ちください。すぐ戻ります」

 カルロスが持ってきたのは、一冊の本だった。

「これは……」

「私が成人前にもらった、閨指南書です。私はもういりませんので、旦那様に差し上げます」

 俺も同じ本を持っていたが、女嫌いになった直後に暖炉の火にくべて燃やしてしまった。
 俺の人生にはもう二度と必要のないものだと思ってのことだったのだが。
   
「これを読めば、なんとかなるのだろうか」

「必要最低限のことは、わかるはずです」

 ぱらぱらとページを捲ってみた。
 あの時は、載っている挿絵を見るだけでも吐き気がして、この本を所持していることすら耐えられずに処分してしまったのだが、今はどの絵を見ても平気だ。

 描かれている女が、どれもレティシアに見えるからだ。

「それから、僭越ながら私からアドバイスをお伝えすることをお許しください」

「許す。言ってみろ」

「レティシア様と、仲良くなるよう努力をしてください。レティシア様の方からも、旦那様を求めてくださるように」

 それもそうだ。
 俺が求めるなら、今のレティシアは拒めない立場にある。
 だが、俺が欲しいのは、そんな一方的な関係ではない。
 レティシアの心も体も、その全てほしいのだ。

「具体的には、できるだけレティシア様と過ごす時間を増やしてください。
 それから、少しずつレティシア様に触れるようにしてください。
 手を触るとか、髪を撫でるとか、そういったことです。
 レティシア様の方にも、旦那様に触れられることに慣れていただかなくてはなりませんから」 

 カルロスはそれなりに遊んでいることを俺は知っている。
 後腐れのない火遊びの相手が何人かいるのだそうだ。

 ここは素直にカルロスに従うのが得策だろう。
 この方面では、俺はカルロスの足元にも及ばないほど経験不足なのだ。
 
「なるほど……やってみよう」
 
 いい笑顔のカルロスに後押しされながら、俺はレティシアと仲良くなるように頑張ることにした。 

 それからは、できるだけ一日に一度は食事、もしくはお茶を共にするように時間の都合をつけた。

 タニアはなにかを察したように新緑の瞳を輝かせ、俺がなにも言わなくても膝の上によじ登ってくるようになり、自動的にタニアの世話を焼くレティシアとの距離が近くなった。

 それによって、ニコニコと笑うタニアの髪をレティシアが撫で、俺はそんなレティシアの髪を自然に撫でることができるようになった。
 レティシアも嫌がるそぶりもなく、そんな俺を受け入れてくれている。

 シロはといえば、近くの床にごろりと寝そべり昼寝をするようになった。 
 俺が側にいる時は、俺がレティシアとタニアを守ると信頼してくれているのだ。

 優秀な護衛から信頼を寄せられるのは悪い気分ではない。

 壁際に控えているカルロスも、たまに親指をぐっと立てて『よくできました!』というサインを送ってくる。
 どうやら、俺は上手く距離を縮めることができているようだ。

 ただし、同衾をすることは避けた。
 次に同じ寝台に入ったら、絶対に境界線をぶち壊してしまうという自信しかなかったからだ。

 それはどう考えても時期尚早だ。

 夜毎、閨指南書を読みながら、しっかりとイメージトレーニングをして、その時に備えた。
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