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第3部

23 執念

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「クソが……追い込めば私をどうにか出来るとでも思ったのか……後悔させてやる……思い知らせてやる……!私にこれをさせた事を!」

「アリア様?」

「《──その者は寛容である》」

 アリアの口から、人間には聞き取れない音が漏れ出る。

 「《情け深く/妬まず》」
 「《高ぶらず/誇らない》」
 「《不作法をせず/利益を求めない》」
 「《いらだたない/恨みをいだかない》」
 「《不義を嫌い/真理を喜ぶ》」
 「《すべてを忍び/すべてを信じ》」
 「《すべてを望み/すべてを耐える》」

 それは聞き取れない者にも、意味だけを正確に伝える詠唱。

「皆のもの聞け!これより──約束の地は到来する!」

 全ての元凶たる女神の讃美歌。

 「《その者の名は──!」

 空が揺れ、地は割れた。

 闇が広がり、完全に暗闇へ閉ざされた。

 光の消えた空は闇へ溶け、消えた。

 大地が砕け、その下から血潮ような泥が吹き出し赤い海に変わる。

 漆黒に飲まれた天球に、名状しがたい滲んだ淀みのような、うねる禍々しい輝きが歪な星座を、形だけの冷ややかな光を放射する太陽と月が昇る。

 泥の中から数えきれない程の異形の獣と、変異した悍ましい奇妙な形状の植物が現れ、さらに巨大な木の幹のような触手が這い出る。

 巨大な触手は、絡み合って帝国の城を下から掬い上げると、遥か闇の虚空まで伸び、果てしない高さの大樹を作り出していった。


◆◆◆◆◆◆◆◆


「無理な事をしてくれる」

 獣軍を指揮する毛玉は悟った様に、そう口にする。

「──全軍退避っ!引けぇぇ!これ以上は人間の相手する存在ではない!《土よ──!我らの心許無い足元を、護り給え!》」

 毛玉と巨狼の立っている場所が、高台へと変化していく。

 さらに、崩壊していく大地が魔術に呼応し、荒れ狂う。

 女神の力による世界の変容と拮抗し、土石流と巨大な触手が相争う。

 赤い血の海と隆起する大地がお互いを沈め合う。

 世界が激しく書き換えられていく有様を前に、その中を掻い潜り、獣軍は撤退していく。

「さて獣よ、術に集中する為にここから我は動けぬ。少しの間、ここを死守して貰おうか」

「了解した。……ところでまだその姿でいるつもりか?」

「ああ、もう必要なかったな」

 毛玉は、毛むくじゃらの球体の様な姿に戻った。

「しかし……まだ時間はあったというのに、無理に針を進めるとは。所詮あの小娘も人の域は出ていないようだ」

 毛玉は目を細めて言う。

「こんな事になると想定していたのか?」

「いいや、まさか。こんな自爆のような真似をするとはな、人の心は分からん」

 手を広げて戯ける毛玉。

「──くくく、獣の王でも小娘1人の心も読めぬとは、間抜けよの」

 背後に現れたのはアトラだった。

「蜘蛛か……今までどこにいた?……クララは何処にいる?」

「まあ、色々とな。それよりも伝えておかねばならんことがの、二つある」


◆◆◆◆◆◆◆◆


「悪い知らせと、良い知らせがある」

「……聞くしか無いのだろう?早く言え」

 巨狼は言い回しに微妙に苛立ちを覚え、ぞんざいに促す。

 そもそも大事なクララを連れて行った筈なのに、姿すらないからだ。

「先ず、あのレオンハルトは同盟者が始末した」

「……悪い知らせはなんだ?」

「……同盟者は何者かによって拘束された」

「一体、お前は何をしていた!」

 牙を剥く巨狼。

「不甲斐ないのは百も承知だ。だがこうするしか、連中をどうにかする方法は無かった……何より──今、"この世界で最も安全な場所"は、あの城の中だからの」

 普段とは打って変わって真剣な表情のアトラ。

「……こうなる事を予期していたのか?」

 巨狼は、その言葉と表情に冷静さを取り戻す。

「余は毛玉と違って、アリアとも交流があるのでな。あやつも所詮は小娘。頭に血が昇れば無茶な事をしても不思議では無いの……まあ賢いと思っている獣には分からんだろうがの」

 毛玉を見ながら揶揄うように言うアトラ。

「ふん、獣の王たる我が、そのようなモノを知る訳もあるまい」

 毛玉は何処吹く風と言った様子。

「であろうな──余が何をしようとしているのか最後まで気がつかなかったのだからな」

 アトラが毛玉を指差すと、糸に引っ張られた触手が地面から飛び出し、毛玉を貫いた。

「蜘蛛!一体何を!?」

「ぐっ……貴様……我を……!」

 血を吐く毛玉。

「黙って見ていろ、獣よ」

「これはどういう事だ……我に一体何を……あぁ、そういう事か、なるほど」

「話が早くて助かるの、では返して貰おうか。余の"大事な物"をな」

「くく、随分と迂遠な計画だったな。我のみを殺すのに、女神まで持ち出して来るとはな……!」

「女神の再生の力は、お前だけを殺すには都合が良かった。まあ、あの穴蔵で死ぬよりかマシだろう?獣の王よ?」

「ふん、お前の労力に免じてこの場は引いてやろう……これで貴様の望み通り、祖父は帰って来るだろうが……既に失われた物は戻らんぞ」

「そんなことは、知っておる。余はただ……ただ、人として死んで貰いたいだけよの。余の不始末を……正しいたいだけだ」

「く、くくっ、最初から最後まで我が利用されるとは……全く……我も──」

 毛玉は倒れ伏し、突き刺さった触手が抜けると傷跡ひとつ残らなかった。

「……俺にどういう事か説明して貰えるか?」

「大した事ではない。毛玉の本体を殺しただけだ」

「……急に別人のようになったのはそういう事だったか」

「それに、アレは女神とそう変わらん。行使した魔術を見ればわかるだろう。始末して正解だ。しかし……長かった……漸く、余の不始末を片付ける事が出来る。無理に生きながらえさせた罪を禊ぐ事が──」

「……?」

 倒れていた毛玉は起き上がり、自分の身体を不思議がるように眺める。

「……目覚めたか、久しぶりだの。ボケ老人」

「なんだ、あとらか?どうしたのだ?」

「……そんなものか。まあ、分かりきっていた事だったがの」

「どうした?なぜ、そんなかおを、している?」

「何でもない……何でもない。もう……多分、分からない事なのだ」

「あどぅらは、いつも、そのように、はなすからな、だから、あねや、いもうとに、ごかいされるのだ」

「うるさい。そんな事は……ん?今何と言った?」

「だから、あねや、いもうとに、ごかいされると」

「お、おまえ、余が誰だか分かるのか?」

「おまえとは、しつれいな、そふにむかって、そのような、くちをきくとは」

「──っ」

「どうした?なんなんだ?いや、それより、ここは、どこだ?この、おおきなけものは?」

「ああ、教えてやろう、お前が……いやお爺様が寝ている間にあったことを……まあ、全て終わった後で…の」
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