モノクロダイアリー

忍忍

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序章

喪失

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06
 失敗も成功も同じこと。
 過去も未来も、現在も。全て同じこと。
 
 私は昔、何になりたかったのだろう。
 私はこの先、何を目指すのだろう。

 私は今、誰の人生を生きているのだろう。

07
 男はいつの間にかいなくなっていた。
 そして気がつくとたくさんの大人に囲まれていた。
 その人たちはみんな同じ格好をしていて、私のことに気づくとすぐに毛布をあてがい、家の外へと私を連れ出した。

 まだお父さんがそこにいるのに。
 まだお母さんに触れていたいのに。
 まだお姉ちゃんに話せてないことがあるのに。
 まだ弟と仲直りできてないのに。

 外に連れ出された後のことは、全くと言っていいほど覚えていない。
 気がついたら病院のベッドの上だった。
 私が目を覚ますと、間も無く病院の先生と二人組のスーツ姿の男の人が駆けつけてきた。
 
 先生は優しい口調で私に幾つかの質問をする。
 
 自分の名前は?何歳?通ってた小学校は?痛いところはある?

 私は一つずつ答える。
 何も忘れてはいない。
 自分の名前も、年齢も小学校も。
 お父さんのこともお母さんのことも、お姉ちゃんや弟のことも、そしてあの男のことも。
 全部、覚えている。

 先生といくつか会話を終えると、後ろに控えていたスーツ姿の男が話しかけてきた。

 「舞白ちゃん、初めまして。俺は狩渡《かりわたり》、こっちのが溝薪《みぞまき》だ。なんつったらいいかな。俺たちは警察なんだが、君の家族に酷いことをしたやつを捕まえたいんだ。だから少しだけ質問させてもらえるかな。思い出したくないことだったり、言いたくないことは無理して言わなくていい。ただもし君が犯人を見ていたとしたら、それは俺たちにとって武器になる。協力してくれるかい?」
 「先輩、流石に目が覚めた一発目にいろいろ聞くのはまずくないすか」
 「わかってる、だから舞白ちゃんの精神状態に細心の注意を払いながらやるし、先生にもその辺は話してある」

 狩渡と名乗ったその人は、苛立ちが隠しきれていないようで、溝薪と紹介された後輩がそれを心配そうに見守る形で私と向き合った。

 「じゃあ、最初の質問だけれど。舞白ちゃんは犯人を見たかい?」
 「えっ、ちょ、先輩?いきなり聞くんですか?」
 「うるせぇよ、溝薪。こっちだってもう悠長に構えてられるほど余裕はねぇよ」

 溝薪さんは私に対してかなり遠慮してくれているようだが、実際のところそれを聞かれたところで私は取り乱したりしなかった。
 私の心はもう、これ以上ないほど壊れていた。

 「見ました。あの時、お父さんよりも大きい男の人が私の家で、お父さんやお母さんたちの前でお母さんの作ったカレーを食べてました。そして、えっと、お前だけは生かしておいてやるって言われました。私の今後の人生がどうなるのか楽しみだって」

 私の口から告げられたことは、直接犯人の特定につながるようなものではなかったのだが、大の大人二人を絶句させるものではあったようだった。

 「こんな小さい子に、そんなこと。先輩、俺本気で許せないっす」
 「あぁ、警察の威信にかけてとか言ってる場合じゃねぇ。こんなことがまかり通っていい訳がない」

 私にぎりぎり聞こえるほどの声で怒りを隠そうともせずに、二人は顔を見合わせる。
 
 「舞白ちゃん、先輩から説明がなかったから僕が補足することにするけれど、舞白ちゃんはここに運ばれておよそ四日間眠り続けていたんだ。そしてその四日間に何があったのかを説明させて欲しいんだ。そしてそれを、先輩がいきなり捲し立てるように核心をつくようなことを、なんの遠慮もなく、なんの配慮もなく、なんの気遣いもなく舞白ちゃんにぶつけたことの理由として提示させて欲しいんだ。まず、舞白ちゃんが今日まで眠り続けている間に今回の事件を起こした犯人は、さらに事件を重ねている。、舞白ちゃんの一家を含めて九つの家庭が全て壊されている。人数にして四十人。誰一人として余すことなく皆殺しにされていた。舞白ちゃん、君を除いてね。最初の事件が起きてから今日まで六日、たったそれだけの時間で犯人はそれだけのことをやり遂げている。僕たち警察が間断なく警戒している中で、だ。本来こういうことは、舞白ちゃんがもっと回復してから話すべきものであることは、重々承知の上で無茶を強いている。ごめんね。それでもこれ以上被害を増やしてはいけないんだ。もうすでに、これ以上とか言える次元にはないのだけれど、それでも防ぐためにできることがある以上、僕たちも足踏みしてられない。舞白ちゃんの無念を晴らすとか、そんなヒロイズムに染まった言葉は口が裂けても言えないのだけれど、僕らが掲げる正義は、善良な人たちが縋れるものでありたいと思うんだよ」

 溝薪さんは、強い思いを込めて話してくれていた。
 起き抜けで、さほど頭の回っていない八歳の女の子にする話としては、お前も大概だぞと思わなくもなかったが、言わんとしていることはそれとなく伝わった。

 その後も、幾つかの二人の質問に答えたり、今後のことを説明してもらったりしたところで二人は帰って行った。
 帰り際、溝薪さんが犯人逮捕への決意表明みたいなことを大声でして、それを狩渡さんが鉄拳制裁で制するという騒ぎがあったのだが、それはそれとしてようやく私は一人で考える時間を得たのだ。

08
 私はあの日、確かに壊れたのだろう。
 どうしようもないほど決定的に。

 二人が帰った後、静かになった病室で私は考える。思考する。
 私の身に何が起きたのか、私の家族に何が起きたのか。
 それは事件という言葉で括られるようなものではなかった。そんな誰でも口にできるような、誰でも耳にできるようなそんな生易しいものではない。
 少なくとも、当時の私はそんなふうに思っていた。

 時野文定《ときのふみさだ》、時野朱花《ときのしゅか》。
 私のお父さんとお母さん。
 共働きで、いつも忙しそうにしていた二人だけど、休みの日には決まって私たちと過ごしてくれていた。
 我が家はお世辞にも裕福な家庭とは言えないけれど、それでも「幸せを知っている家庭」ではあった。それは当然の如く、この二人の尽力によるところが大きい。なんでも買ってくれる両親ではなかったけれど、なんでも聞いて応えて教えてくれる両親だった。
 時に優しく、時に楽しく、時に可笑しく、時に甘く、時に厳しく、時に痛々しく、時に切なく、時に鬱陶しく、時に愛おしく、そしてやはり優しく。
 二人の愛に包まれて生まれてきたことが私の誇りであり、二人の優しさに見守られて生きてきた時間の全てが私そのものなのです。

 時野青葉《ときのあおば》。
 私のお姉ちゃん。
 歳が離れているせいもあってか喧嘩こそしないものの、私にとって絶対的な存在ではあった。
 それでも、散々文句を言いながらも結局世話をしてくれるお姉ちゃんは、やっぱりお姉ちゃんだった。
 お姉ちゃんは私が生まれてきた時、とても嬉しそうに私の世話をしてくれていたそうだ。一人っ子だったお姉ちゃんがお姉ちゃんになるということは、私が想像している以上に嬉しかったのだろう。
 私には、生まれた時からお姉ちゃんがいてくれた。お姉ちゃんの妹じゃなかった瞬間はないのだ。徹頭徹尾、須く私は時野青葉の妹であり、時野青葉は私のお姉ちゃんだった。
 おもちゃも漫画もゲームも、絶対的権限を持っていたお姉ちゃんは言うまでもなく怖かったのだが、でもこうして振り返って思い出してみると、お姉ちゃんと笑っている記憶ばかりが再生される。
 私が初めて幼稚園に行って大泣きした時も、私が街の小さな祭りで迷子になってしまった時も、いつだってお姉ちゃんが一番に駆けつけてきて、私の頭を撫でてくれた。私に大丈夫だよと笑いかけてくれた。
 お姉ちゃんがいてくれたから、私はほんの少しだけ昨日の自分より成長できてたのだと思う。お姉ちゃんの妹で私は幸せでした。

 時野雄黄《ときのゆうおう》。
 私の一つ下の弟。
 家族の中で一番距離が近い存在だった、喧嘩するのも弟とだけだったし、いつも一緒にいた。
 私たち二人は、よくセットで怒られていた。主にお姉ちゃんに。
 理由は多岐にわたってあった。明らかに私たちが悪いこともあれば、どれだけ考えても理不尽極まりないことも。
 その度私たちは、顔を見合わせて笑った。
 私はお姉ちゃんの妹で、弟の姉なのだ。
 たった一年しか歳は離れてないが、それでも私には可愛くて仕方がない存在だった。
 憎たらしい弟を知っている。やんちゃな弟を知っている。不器用な弟を知っている。負けず嫌いな弟を知っている。優しい弟を知っている。弟の、時野雄黄のことは姉である私が知っている。
  
 そして何度それらを思い出しても、私が生きる日常はすでに壊れている。
 お父さんを殺され、お母さんを殺され、お姉ちゃんを殺され、弟を殺され、そして私は殺されなかった。
 明確な意図と悪意と好奇心によって生かされた。
 
 私はこれからどうなるのだろうか。
 とてもじゃないが、八歳の女の子一人でなんか生きていけるほど世の中は甘くはない。
 遠い地に親戚がいることは知っている。お姉ちゃんが小学校を卒業する時にみんなで泊まりに行ったことがあった。そこに行けば私は生きていけるのだろうか。
 得体の知れない、全容が全くと言っていいほどに見えない不安が私の中に込み上げてきた。
 泣くな。
 泣くな。
 私はまだ泣かない。

 深く深呼吸をする。
 繰り返しているうちに落ち着いてきたようだった。
 そしてそのまま目を瞑り、私の大好きな人たちを思い出す。

09
 大好きでした。大好きです。
 大切でした。大切です。
 宝物でした。宝物です。
 家族でした。家族です。
 居場所でした。居場所でした。

 私の家族はもうこの世にいない。
 私の家族はもう私に笑いかけてはくれない。
 私の家族はもう私のことを叱ってはくれない。
 私の家族はもう私の帰りを待ってくれてはいない。

 私以外誰もいない病室で、果たして誰も聞いてはいないことは分かりきっているのだが、それでもあえて声にして私は言った。

 「私は大丈夫。私はまだ私。大丈夫」


 
 
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