ごっこ遊び

真鉄

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シンデレラ

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「何だそのジャケット……」

 駅まで車で迎えにきた男の苦い顔でその日のデートは始まった。車内から助手席の方へ身を乗り出したままサングラスを押し下げ、所在なげに立ち尽くしている俺をしげしげと眺めている。針のむしろだ。しばらくしてこれみよがしに大きな溜め息をつき、それからようやく彼は助手席のロックを開けてくれた。いたたまれなさに苛まれつつも、狭い座席に何とか脚を押しこむ。

「そ、そこまで変じゃねーでしょ!?」
 必ずスマートカジュアルの服装で来いと言うから、白のカットソーに黒のジャケットとベージュのチノを合わせたのだ。とっておきの革靴はちゃんと磨いてツヤツヤだし、髪もセットして額を出し、フォーマルデザインの縁の太い伊達眼鏡もかけた。そりゃまあ、ノーネクタイである以外、いつもどおりツーブロックの髪型もスーツもピシッと決まった男に比べれば量産品感は否めないだろうが――。

 男が車を発進させる。俺は詳しくないので分からないが、この銀のセダンはやはり高級車なのだろう、エンジンの振動すら響かない静かな滑り出しだった。俺の方を一瞥し、ハンドルを握りながら男が言う。

「その袖」
 肘辺りで切り替えた柄が覗いている七分袖。俺には何が悪いのかさっぱり分からず、ただ男の横顔を見つめる。

「サイズが合うのがないから、そういうデザインでごまかしているんじゃないのか?」
「うっ……」

 それはそう。そのとおり。ぐうの音も出ないほどに図星だった。どうしても腕の長さが合わないのだ。正直に言うとこのジャケットも、七分袖とは名ばかりで控えめに見ても五分……いや、六分袖だ。肩幅胴体に合わせると袖が短く、袖に合わせるとぶかぶかで格好悪いという二択を常に迫られる気持ちも分かってほしい。

「まあ丁度いい。元々、服を見に行こうと思っていたんだ」
「服、っすか」

 デートコースは男に任せること。これが提示された条件の二つ目だった。ちなみに三つ目は、人前でのスキンシップ禁止である。さすがに俺だってそこまで強要する気はなかった。ただ、二人でどこかしらをぶらぶらできたらいいと思っていただけなのだ。

 眠くならないのか不安になるような、ゆったりしたピアノジャズをBGMに、ようやくすごしやすくなった秋の日差しにきらめく海沿いの道を通り、たどりついたのはベイエリアの某有名百貨店だった。車を有料駐車場に停め、颯爽と店へと歩き出す男の後ろをついていく。百貨店なんて土産物を買うぐらいでしか行かないから、何ともきらきらした異空間が目に楽しかった。

「君はちゃんとしたスーツは持ってるのか? 吊るしで君のサイズはなかなかないだろう」
「あー……喪服なら、ないでもないんすけど――」

 大学生の頃にぽっくり死んだ親父の葬式に、本人の形見のスーツを着て出たものだ。棺桶を探すのも大変な長身の親父で、その遺伝子を俺も姉もばっちり受け継いでしまっていた。いいスーツだし体型にもぴったりなのだが、いかんせん型が古く、バブリーな肩幅のダブルなので着るのをちょっとためらう――と、俺はエスカレーターでメンズフロアへと移動しながら男に語った。

「それならちょうどいい」
 慣れた様子でフロアをすいすいと歩き、俺の方を少し振り返って男は微笑む。指さした先には――いかにも上等なスーツを着たマネキンがずらりと並ぶシックな店。

「ここでちゃんとした物を一着作ろう」

 ぽかんとしている俺を置いて、男は慣れた様子で店へと入っていく。上品そうな初老の店員がすかさず寄り添い、二言三言、俺の方をちらちら見ながら何事かを話していた。店員は微笑みながらうなずき、店の奥へと消えていく。

「何をぼうっとしているんだ、君は。早く来なさい」
 引き返してきた男が俺の袖を引き、店内へと促した。俺は目を泳がせうろたえる。量産系の紳士服店ですら場違い感で肩身が狭いのに、ましてや高級店においてをや、だ。

「えー、いや、でも……」
「これは僕からのプレゼントだから、君は黙って受け取ればいいんだ」

 嫌な汗をかく俺に、しれっと男が言った。これが、彼が提示したデートの条件四つめ。全て彼の奢りであること。だからといってこんな万単位のプレゼントをほいほいいただいてしまって果たして良いものか。いや、だが本人がプレゼントだというのを断るのも感じが悪い。どうしたものか――。

 そんな逡巡を抱えたまま、上機嫌な男からのスーツのデザインや布に関する質問に上の空で答え、上品な笑みを浮かべた初老の店員――コンシェルジュと呼ぶらしい――の詳細な解説を聞くともなしに聞く。正直なところスーツの型の流行は全く知らない。とりあえず、喪服にも使えるダークスーツでお願いすることにして、後は彼のセンスに任せることにした。

 ――だがしかし、聞き逃せない言葉に俺は思わず口を挟んでしまった。

「フルオーダー!?」
「何だ、急に大声を出して」

 だってお高いんでしょう。
 万単位なら、まあ俺たちいい大人ですし? それくらいの金額は? まあね? としぶしぶ自分を納得させていたが、十万単位はいけない。プレゼントとして重すぎる。というか、俺が何の返礼もできなくて悲しくなってしまう。

「いい物には金がかかるのは当然だ」
「分かってるっすよンな事は。じゃなくて――高級品のコンディションを維持する自信がない、っつってるんす。虫とかに喰われたらどーすんすか」
「駄目になったらまた新しく作ればいいのでは?」
「物は大事に!」
「そう思うなら君が大事にしろ」
「だからぁ――」

 ああ言えばこう言うで俺たちは互いに頑として譲らず、しばらく小声で不毛に言い争っていた。結局、その口論に終止符を打ったのは、ジェントルに割って入った初老のコンシェルジュだった。

「他にもイージーオーダーというものもございますよ」
 そう言って、そっと差し出された値段表を見て、俺は喜んで頷いた。いや、量産品と比べればもちろん倍以上はするが、フルオーダーの値段のせいで、俺の金銭感覚は一時的に馬鹿になってしまっていたのだ。

「お客さまのお手足の長さをカバーするのがメインのご要望でしたら、イージーオーダーでも十分可能かと存じます」
 黙っていれば数十万の売り上げになるかもしれなかったというのに、笑顔で下方修正プランを提示してくるこのコンシェルジュは仏の生まれ変わりかな、などと内心感謝しつつ、スポンサーである男の顔を見る。彼はいかにも納得いかない顔をしていたが、俺と目が合うと、これが落とし所だろう、と溜め息をついて仕方なしに頷いた。

 イージーオーダーというのは、一から型紙を起こすフルオーダーと違って、元々ある型紙を好みの型に修正していくものらしい。全身のサイズを測り、色んなパターンのスーツを試着し、コンシェルジュのアドバイスを受けつつ、長さの調節やウエストの詰め具合などを確認していく。最初のうちは、襟の形がどうだウエストラインがどうだ、と色々と口を挟んできた男だったが、フルオーダーでない以上興味を失ったのか、しまいには一人で店内を見に行ってしまった。

「良いものが出来上がりますね」
 ひとしきり打ち合わせが終わり、コンシェルジュが自信に裏打ちされた微笑を浮かべた頃、男が戻ってきた。精算をするのかと思いきや、男が俺の袖を引く。

「いいジャケットがあった。見てくれないか」
 そう言って連れて行かれたのは、海外ブランドの一角だった。袖口からぶら下がるタグをそっと盗み見て、まるで熱いものにでも触れたかのように手を離した。一着でイージーオーダー以上のお値段が当然のように記されていたのだ。

「これだ。着てみてくれ」
 男が一着のジャケットを俺に手渡した。やわらかい手触りのチャコールグレーのジャケットだった。俺をマネキンがわりにする気だな。まあいいだろう、と自前の上着を脱ぐと、いつの間にか側にいたコンシェルジュが当然のように受け取る。頭を下げつつ俺は渡されたそれに袖を通した。

「どうすか」
 西洋人の体型を基本とする海外製のブランドのおかげ――かどうかは知らないが、渡されたジャケットは胴回りも腕の長さも俺の体型にぴったりだった。残念ながら俺の方が胴が長いらしく、裾で完全に尻が隠れはしないが、みっともないほどではない、と思う。置いてあった鏡をチラ見してみたが、細身のデザインで、長身の俺がさらに縦長に見えた。

 男は俺の周りをぐるっと見回し、身ごろのボタンを止めたり開けたり、俺の腕を上げたり下げたり、着心地を聞いたりした。軽くてやわらかな生地のおかげか、布の分厚さのわりに窮屈なところはどこにもない。さまざまな吟味の末、最終的に男は満足げに笑った。

「いいじゃないか。君もそう思うだろう?」
「そっすね。動きやすいし、すっげーいっすよ。で、あんたに合うサイズはあるんすかね」

 ここまで完全に他人事だった。男は、何言ってんだコイツという顔をして、ジャケットを脱ごうとしている俺を制した。

「君のだ。このまま着ていくのでタグを切ってもらえますか」
「えっ」
「かしこまりました」
「あっ」

 さっさとレジカウンターの方へ行く男とコンシェルジュの後ろ姿にかける言葉もなかった。やられた。気づかない俺も俺だが、あんな高価な物をポンと人にくれてやろうとする男も男だ。

 はたして、金持ちの単なる示威行為か。それとも、金で買える程度の慈善活動か。いずれにしても俺には高所得者の考えることは分からない。分かるのは、俺に金をかけることが男にとって何かしら気持ちのいい行為である、ということだけだ。

 何しろ男は――とても楽しそうなのだから。
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