ごっこ遊び

真鉄

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ごっこ遊び

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 シャワーを浴びて戻ってくると、男はもう着られなくなったワイシャツと靴を床に脱ぎ捨て、気だるげにベッドでうたた寝をしていた。汚れてもいいように、毎回ちゃんと、替えの下着はもちろん、スーツ一式と靴まで用意しているのだと言う。だからこそ、俺も男の望むように穢しているのだ。

 このマンションの一室――もしくはワンフロア、もしくはこの建物ごと男の所有物で、防水、防臭のコーティングはもちろん、コトが終わればクリーニングを頼むし、それでも無理なら買い換えるから多少粗相しようが構わない、などと言う。最初は他人の物とは言え、汚したり破いたりするのは躊躇していたものだが、今や男の望むベストなタイミングを把握している気さえしていた。

 大きな窓辺から都会の夜景を見下ろす。今度はこのガラス窓に手をつかせて犯してやろうか。さすがにこれは男も本気で嫌がるかもしれない。だが、失禁だって初回は茫然自失していたのに、今や強い羞恥心に焦がれる程度で、お漏らしによって得られる被虐的快楽に負けているのだ。キスだって、あんな馬鹿馬鹿しいことやってられない、と初日に宣言していてあの体たらくなのだから、試してみる価値はあるのかもしれない。

 窓辺に置かれたソファに腰をかけた。やわらかすぎる高級クッションには未だに慣れず、腰をかけた瞬間びっくりして腰を浮かせてしまう。俺はガラステーブルの上に置かれた封筒を手に取り、中身の万札をちらりと覗いてもう一度テーブルの上に放り投げた。

 慣れないと言えば――このサディストなご主人様の役もいつまで経っても慣れやしない。俺は確かに役者を志す人間だ。日々、肉体労働で食い扶持を稼ぎつつ、小さな劇団で脇役とはいえ毎日のように稽古に勤しんでいる。自分なりに演じるキャラクターの人物像を構築したりもするが――俺の中には嗜虐者としての引き出しが乏しすぎた。

 男と知り合ったのはSNSがきっかけだった。俺は素性は隠し、役者志望の三十路のゲイとして、金がないこと、稽古と肉体労働の二足草鞋はきついけど楽しいこと、本当は恋人が欲しいこと――など、日々の他愛ないことを呟いたり、多少の承認欲求から労働で鍛えられた身体メインの写真なんかをあげたりしていた。そんなある時、男からダイレクトメッセージが届いたのだ。

『恋人がいないのならセフレになってくれませんか。援助できます』

 正直言って話がうますぎると疑ったし、身元も不明で『ゲイ 実業家 M 172.65.28』とだけ書かれたプロフィールがあるばかりで、発信のない捨てアカのようだった。だが、男が景気よく前金としてあっさり入金してきたものだから、俺はころりと落ちた。金がなかったのだから仕方がない。大学を中退し、稽古優先で時間もまともに捻出できない夢追い人が真っ当な職を続けられるわけもなく、俺はいい歳して万年金欠なのだから。

 けれど――何より俺は人恋しかったのだ。触れ合って、繋がって、俺を欲して受け入れてくれる人。その点で言えば、この男は理想とも言えた。俺の演技力を買ってくれて、セックスできて、ついでに金もくれる男など今後現れてくれる可能性は限りなく低いだろう。

 俺と男の今の関係は完全にセフレだ。互いの本名も知らず、この半年、食事をともにしたことも数えるほどしかない。ただこのマンションの一室に男の都合で一方的に呼び出され、セックスして金をもらうだけだ。

 そもそも、男はブルーカラーの人間に便所扱いされることを望んでいた。本人が面と向かってそう言ったのだから、俺の僻みだとか、曲解とかではない。若くして上に立つ優秀な人間にはそうした人間なりの屈折があるのだろう。赤ちゃんプレイを好むのはそれなりの地位を持った人間が多いと聞く。この男も似たようなものなのかもしれない。犯してくれるのなら誰でもよかったのだろう。

 だが、然るべき場所で募集すれば、『ご主人様』になって奴隷を支配したい奴など掃いて捨てるほどいるはずだ。なのに男は俺を選んだ。リアルを侵食する部下やバイト。行き着く果てに暴力的な支配に発展する危険のあるご主人様ワナビー。その点、提示された演技プランに沿って、男の夢見るご主人様像を演じる俺は何とまあ安牌な奴なのだろう。

「ごっこ遊び、か……」

 何となく呟くと、男がかすかに唸りながら寝返りを打ち、俺の方を向いた。その目がぱちりと開く。そして、ゆっくりと腕を上げ、俺の方を指さした。

「……封筒」
 俺ではなく、テーブルを指していたらしい。
「今日の、良かったからボーナス追加しといた」

 すごく興奮した――そう言って、男は眠たげに笑った。CMに出られそうな白く綺麗な歯が薄い唇から覗く。もしこの封筒を叩きつけて無理やりキスしたら、男はどんな表情をするだろう。支配者と被支配者の役目を投げ捨ててしまいたかった。身体だけではなくて、もっと――。

「……どーも」
「次は遅刻するなよ。時は金なり、だぞ」
「そっすね」

 人に命じ慣れている口調で男は言った。俺はもそもそと封筒を鞄にしまい――代わりに一枚のチケットをテーブルにそっと置いた。相手のことを知りたいのなら、自分の方から一歩を踏み出してみるしかない。男が不思議そうな顔をする。

「……今度、芝居やるんで」

 男は何度か目を瞬かせ、ふうん、と小さな声で言った。促すように手を出してくるので、その白い掌にそっとチケットを置く。指の震えがバレていないといいのだが。珍しい物を見るように、男は素人臭いデザインのチケットをためつすがめつしげしげと眺めていた。

「生の演劇なんて小学校の行事以来観てないな」
「……そっすか」
「……うん、まあ――ありがとう」

 目の前で破られるような悲しい予想は幸いにして外れ、俺は少し拍子抜けした。だが、これは脈があるのか、はたしてないのか――。

 男はまだチケットを眺めている。その表情はどこかやわらかに見えた。

(了)
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