鏡像

真鉄

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  日課のワークアウトも終え、汗を流すついでに尻の中も綺麗にして、紘也はベッドシーツの上にバスタオルを引いたり、オカズ用のAVをデッキにセットしたり、水分補給用のペットボトルを冷蔵庫から出したりと、そわそわと落ち着かないままに荷物の到着を待っていた。

  アナルオナニーにハマってもう何年になるだろうか。最初はただ、早漏気味なのが気になって射精管理の一環として始めたアナルオナニーだったが、一度ドライを経験してからは、もう女相手の普通のセックスでは物足りなくなってしまったのだ。むしろ、突っ込まれてよがる女が羨ましくてたまらなくなってしまった。お前だけ良くなりやがって、と口走ってしまったのが原因で別れて以来、さまざまなおもちゃで一人アナルオナニーを楽しんでいた。

  そんな中、先日何の気なしに見ていたアダルトグッズ通販サイトで見つけたディルドに、紘也は一目惚れしてしまった。真っ黒い威圧的なボディは四つに括れた球を繋げたような形状をしていた。直径は紘也がまだ経験したことのない4.5cm、しかもピストン機能までついているという。見ているだけで身体の奥が疼き、即決で購入してしまっていた。

  それが、今日の夜には届く予定なのだ。

  今のうちに穴を少し広げておくべきだろうか。何しろ最大直径4.5cm、全長18cmの大物だ。悔しいが自分のモノよりも一回りは余裕で大きい。

  紘也は履いていたハーフパンツを脱ぎ捨て、ベッド横に置いてある姿見の前に立った。上半身はぴったりとした白のスポーツアンダーウェアで、パンプアップした胸筋が盛り上がり、腹筋がくっきりと浮かび上がっていた。無様にたるんでいた子供の頃に比べて、実にいい身体になったものだ。学生時代からのたゆまぬ努力で手に入れた肉体なのだ、少しぐらい誇ってもいいだろう。

  鏡の前でうっとりと浮き出た腹筋を撫で下ろし、そのまま手を下肢へと伸ばす。期待にかすかに兆し始めた肉茎を包むのは、お気に入りの半透明の白ビキニだ。この見えるか見えないかの際どさが却っていやらしくていい。紘也は扇情的な自分の姿ににやついた笑みを浮かべ、用意していたローションを手に取った。

  ビキニの尻の部分だけをずり下ろし、姿見の前に腰を下ろした。針のついていない注射器に似た細いスポイトでローションを吸い上げ、準備万端、空いた片手で尻たぶを押し広げる。薄暗い尻の谷間では、濃いピンクとも薄茶色ともつかない何ともいやらしい色になった窄まりが息づいていた。ここで遊びすぎて、最近少し縦長になってきた気がする。

  スポイトを一度空にしたところで、待ちわびていたインターホンがついに鳴り響いた。

「はい!  ちょ、ちょっと待って!」

  期待に胸を膨らませながら玄関に向かって怒鳴ると、スポイトを床に放り出す。来た!  ついに!  急いでビキニを元に戻してハーフパンツに足を通し、判子を片手にワンルームの部屋を四歩で跳び越すと、玄関のドアを満面の笑みで開け放つ。

「どうも、ご苦労様で……す……?」

  しかし、配達員への労いの言葉と笑みは尻すぼみに消えていった。目の前に立っていたのは隣の住人だったのだ。いかにも肉体労働に従事しているといった風情の、体格はいいがどこかひねた雰囲気のある男だ。ごつい身体にTシャツとナイロン地のハーフパンツというくつろいだ格好をしている。名前は確か岩本――といっただろうか。夜間に働いているのか生活時間が合わず、今までほとんど顔を合わせたこともない。

「ええと、何かご用でしょうか……?」

  紘也は怪訝な顔も隠さず言った。無精髭だらけのいかつい顔の男はちらりとドアの横の表札を確かめ、仏頂面で紘也を見つめた。

「あんたが高野……紘也さん?」

  見た目どおりの渋い声が自分の名を口にする。表札には苗字しか表記していない。何故下の名前までこの人が知っているのだろう。ますます眉間に皺を寄せ、紘也は訝りながらも頷いた。

「そうですが……」
「あんた宛の荷物が、俺んとこの宅配ボックスに入っててね」
  そう言われてよく見ると、岩本は腕に小さな箱を抱えていた。疑問の霧が晴れ、紘也の顔がぱっと輝く。

「ああ!」

  なるほど、だから下の名前も知っていたのか。この辺の宅配業者はいい加減で、不在だろうが構わずドアノブに引っ掛けていったり、在宅だろうが確認もせずに不在届を置いていくものだから、大家がやっつけで宅配ボックスを作ってくれたのだった。が、それすらもまともに使えないとはいい加減にもほどがある。

「いやー、どうもすみませんでした。わざわざありがとうございます」

  紘也は営業で鍛えられた人好きのする笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。送り状に記載されている箱の内容は、店の計らいで「精密機器」と書かれているはずなので、何のてらいもなく手を差し出せる。

  岩本はにやりと口角を上げ、ずい、と紘也の前に箱を差し出した。瞬時に気づいた異変に、さっと血の気が引いていく。

  目の前に突き出された箱は、口が開いていたのだ。

「俺も今日頼んでてさあ、てっきり俺のもんだと思って、間違って開けちまったんだよねえ」
「え……」

  思わずよろけるように後退った。あまりの衝撃にがんがんと痛む頭の中、遠くでドアが閉まる音がした。閉じた扉の前、靴が散らばる三和土には、いつの間にかにやにやといやらしい笑みを浮かべた岩本が箱を片手に立っている。嫌な汗が止まらず、腋や鳩尾の辺りがじわりと濡れていくのが自分でも分かる。何も言えないままの紘也の前で、岩本が箱から黒い物体を取り出した。

「これ、アナル用だろ?  えっぐい形してんなぁ?」

  嘲るように笑い、岩本が巨大なディルドをぶるぶると揺すった。外箱どころかパッケージまで開けやがってこの野郎!  と怒鳴りたかったが、ばくばくと跳ね回る心臓に押されて出てきたのは、ひどくか細い震え声だった。

「いや……、あの、彼女とね?  楽しもうかなぁ~とか?  だから、返してくださいよ」

  浮かびあがった媚びた笑みがひくひくと紘也の頬を引きつらせていた。目を泳がせた紘也の前を岩本の太い指が横切った。その指は真っ直ぐに、ベッドを指差している。

  そこには、これから楽しむ予定の大人のおもちゃがごろごろと転がっていて、言い訳を差し挟む余地などどこにもなかった。

  さっきまでの胸躍らせる歓喜が心の底に沈み込んでいく。ばれた。よりによって隣人にばれてしまった。唇を戦慄かせて青褪める紘也を楽しそうに眺めながら、岩本がドスの効いた声で囁いた。

「あんた、水曜と土曜にあそこでケツいじってんだろ?  知ってんぜ?」

  思いがけない指摘に、紘也は気がつくと床に座り込んでいた。頭の片隅で、腰って本当に抜けるんだなぁ、などと考えていたがそれどころの話ではない。確かに、岩本の指摘どおり、会社規則で残業が禁止されている水曜と、次の日は昼まで寝ていてもいい土曜は紘也のお楽しみの時間だった。だが、なぜそのことをこの男が知っているのか。まさか隠しカメラでも――と思わず狭い部屋の中をきょろきょろと見渡す。

「カメラなんて仕掛けてねえよ」

  その様子に岩本が可笑しげに言った。そしてもう一度おもちゃが散乱したベッドを顎で示した。

「俺ん家のベッドが丁度そこの隣でな。最近仕事が夜勤から日勤に変わったら、あんたの喘ぎ声が丸聞こえってわけさ」

  本人としては声は殺してるつもりだったが、ドライで達し始めてしまうと、理性も何もかも吹っ飛んでしまい、朝起きると喉ががらがらになっていることもしばしばあった。確かに安普請アパートの薄い壁ぐらいは通ってしまうかもしれない。紘也は恥ずかしさで火が噴き出しそうな顔を項垂れ、縮こまった。

「す、みません……」
「で、だ」

  俯いた視界に岩本の毛だらけの脛が入り込んだ。顔を上げると、目の前にしゃがみこんだ岩本と目が合う。無精髭だらけの頬が歪み、ぎらぎらと光る目がにやりと細まった。

「あんたのいやらしい声で欲求不満になっちまってなぁ。責任取ってくれよ」
「責、任……?」

  何が言いたいのか分からず、目を白黒させる紘也に、岩本が一言ずつ区切るようにゆっくりと言った。

「やらせろ」
「ばっ……」

  俺が?  この男に抱かれろって?  信じられない思いで、目の前のニヤつく男の顔を凝視した。腹の底から怒りがにわかに湧き起こる。

「ば、バカなこと言うな!  俺はゲイじゃない!」
「ゲイでもないのにケツマン弄るのが止めらんねえってほうが変態じゃねえか?  ええ?」

  うぐう、と紘也の喉の奥で変な音が鳴り、怒りは影も形もなく霧散していった。確かに、岩本の指摘は尤もだ。だが、実際に紘也は男が好きなわけではない。ちんぽの形を模した物をケツに挿れるのは好きだが、ちんぽ自体が好きなわけではないのだ。断じて。――だが、言い訳は口の中でもごもごと消えていった。岩本が低い声で笑う。

「俺だってゲイじゃねえけど、あんたのすけべな声を聞いてたらムラムラすんだよ。それにあんた、わりと綺麗な顔してるし、男だけど抱ける気がする」

  否は自分にあるが、かといって勝手な理屈を押しつけられる謂れはない。しかし、そうして憤慨すると同時に、胸の奥では容姿を褒められて満更でもない気持ちも少しくあった。

  実際、紘也は男らしく整った顔立ちをしていた。だが、子どもの頃から太り気味だったので自己評価は低く、独り立ちして日々の努力の末に引き締まった身体と肉に埋もれていた本来の顔立ちをようやく取り戻した紘也は、自分の外見に並々ならぬ関心を持っていた。同性の目から見ても魅力がある、というのはこのような状況を差し引いても紘也を喜ばせた。

  感情の乱高下についていけず、ぼんやりとする紘也の耳元に岩本が顔を寄せる。

「……なあ、可愛がってやるから、一緒に気持ちよくなろうぜ?」
「……っ!」

  耳の奥を擽るような渋い声が、背筋を甘く震わせ、身体の奥がひどく疼いた。さっきまで期待に昂ぶっていた肉欲が鮮やかに蘇り、息を吹き返し始める。岩本の指が首筋を柔らかく擽り、薄いシャツの上から鎖骨をなぞる。それだけでぞわぞわと皮膚が粟立ち、さざ波のように全身に震えが走った。

  床の上に置かれた巨大なディルドに目を走らせる。購入を決めたときから今日までずっと待ちわびていたのだ。きっとあの胴体のくびれは肉門を狂おしく刺激し、いいところを擦り上げ、突き上げるだろう。紘也の息が乱れた。

  ――知るかもう。とにかく俺はあれが欲しいんだ。

  紘也は一つ唾を飲み込み、上目遣いで岩本を見上げた。

「乱暴には――しないでくれ」
「商談成立、ってな」

  媚びを含んだ弱々しい声に、岩本は獰猛な顔で笑った。
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