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番外編06狩猟のはじまり
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クルック領へと戻ったエルシーは、別館の準備を中心に仕事をしていた。
宿泊者のリスト作成をする上で、各貴族の好み、料理や日用品で必要なものの最終チェックなど使用人だけでは手が回らないところをエルシーがフォローすることになっている。
大会当日はもちろん、それまでの準備期間も、目まぐるしい日々だ。ただ、滞りなく大会を運営するためには、絶対に手を抜くことはできない。
狩猟大会を目前に控えたある日、そんなエルシーの元にライナスからの手紙が届いた。仕事の合間に、封を開け中身を確認する。
内容は、アストリー公爵家の令嬢ブレンダがエルシーとの茶会を希望していること、緊張せず聞かれたことに正直に答えれば良いこと、そしてエルシーを信じていることが綴られていた。
エルシーは、宿泊者リストにブレンダの名前があるのを不思議に思ったことを思い出す。歌劇場で出会った彼女は、狩猟をたしなむようには見えなかったからだ。
しかし、この手紙ですっかり合点が入った。おそらく彼女はライナスを諦めきれず、エルシーとの茶会を希望していてこちらに来ることにしたのだろうと。
「受けて立ちます」
自分に言い聞かせるように小さく呟いて、手紙をお守りのようにドレスのポケットにしまい込んだ。
◇
狩猟大会一日目。エルシーは朝から、大会に訪れた貴族たちの出迎えと受付を母や義姉と共にしていた。
毎年のことだが、一年で一番忙しい日と言っても過言ではない。今年は、エルシーが皇太子の婚約者となったことで、貴族たちも改めてエルシーに挨拶をする者が多く、例年よりもさらに忙しさが増していた。笑顔で応対をしつつ、ブレンダの到着を待つ。
しばらくして到着した馬車の中に、アストリー家の紋章が見える。馬車から降りてきたブレンダは、ジョエルのエスコートを受け、真っ直ぐに二人でエルシーのもとへとやってきた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
「受付を頼んでもよろしいですか」
ジョエルがエルシーに声をかける。エルシーはすぐに笑顔を浮かべてうなずいた。
「はい、もちろんです。ジョエル・アストリー様、ブレンダ・アストリー様ですね。お部屋は使用人がご案内いたします」
「ありがとうございます、こちらへ来るのも随分久しぶりです」
「そうでしたか。今年も良い時間を過ごしていただけるよう、心を尽くさせていただきますね」
エルシーは名簿に印をつけ、顔を上げて、ペンを差し出した。ジョエルが、美しい筆跡でサインを残す。ペンを預かるエルシーに、ブレンダが話しかけた。
「エルシー様、直々のお出迎え、ありがとうございます。早速ですが、本日の午後、お茶をご一緒できませんか?」
さっそくお誘いが来た。エルシーは笑顔を崩さずに、自分の予定を頭の中で思い返す。
受付は午前いっぱい続くが、午後から夕方までは男性たちは狩猟へと出かけることになるので、女性陣は少しだけ休憩の時間を取ることになっていた。
「ええ、もちろんです。準備が出来次第、使用人に声をかけさせますが、よろしいでしょうか?」
「重ね重ねありがとう存じます。では、お部屋でお待ちしていますわ」
ブレンダが一瞬、挑戦的な視線を投げてきたのに気づく。けれども、エルシーは最後まで笑顔を絶やさずに二人を見送り、仕事へと戻った。
◇
午後になって時間の取れたエルシーは、使用人に声をかけ、ブレンダを呼んでもらった。別館の居間に、使用人に案内されて、彼女が入ってくる。
エルシーは立ち上がり、向かいの席を勧めた。
「どうぞ」
「失礼いたしますわ」
ブレンダは、優雅な仕草で腰掛け、茶色の瞳で真っ直ぐエルシーを見据えてくる。
窓から入る日光が、彼女の白に近い金色の髪を柔らかく照らしていた。その絵画のような光景に少しだけ尻込みしそうになる自分をエルシーは叱咤する。
二人が席に着いたのを確認したクルック家の使用人はお茶の準備をして、ブレンダの使用人と共に部屋の隅に侍った。
エルシーが先にお茶に口をつけ、カップを置く。それを合図に、ブレンダは話し始めた。
「まず、この度は、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「……少しだけ私の身の上話を聞いてくださるかしら」
「えぇ、お聞きしますわ」
「私は、幼い頃から、殿下の婚約者になるものとして育てられて参りました。公爵家の娘として、文句のつけようのない身分であることはもちろん、努力も怠らずに作法や教養を身につけてきたつもりです」
少し関われば、ブレンダがどれだけ質の高い教育を受けてきたのか、その振る舞いや出で立ちから誰しもが推察できるだろう。もちろん、エルシーもそれはすぐに理解できていた。
「ですから、今もどうして私が選ばれなかったのか、候補に指名もしていただけなかったのか分からないのです。エルシー様は、あの王妃様主催のパーティの時も確か殿下とは一切お話しになられていなかったと記憶していますわ。それなのに、どうしてあなたが選ばれたのでしょう?」
ブレンダの質問に、残念ながらエルシーは答えることはできない。きっかけは自分のスキルだったなどとは口が裂けても言えなかった。
もし、エルシーにスキルが無かったのなら、きっとライナスは自分に声をかけることもなかっただろうとエルシーだって思っているのだ。
「……それは殿下しかご存知ないことでしょう」
エルシーの誤魔化すような返答に、ブレンダは小さく、そうですかと相槌を打った。そして、唇を潤わす程度にお茶に口をつけ、カップを戻す。
「では、質問を変えさせていただきましょう。エルシー様は、ゆくゆくは王妃になられるのですよね。私は幼い頃から、私がそうなるのだと言いふくめられて育てられてきました。ですが、あなたには……そのご覚悟がおありなのでしょうか?」
「覚悟……」
ライナスの傍にいるということは、王妃になること。それはエルシーも正式に婚約者になった時に覚悟をしていた。
ただ、目の前の非の打ちどころがない令嬢を見ていると、自分との差異をまざまざと見せつけられているようで、胸が苦しくなる。
無意識に、ライナスからの手紙が入ったポケットを手のひらで押さえた。
「……もちろん、覚悟はできています。そのために、まだまだこれからもたくさんのことを学んでいきたいと思っておりますし、殿下のことをより理解したいとも思っております」
声は震えなかっただろうか。きちんと微笑むことができているだろうか。ブレンダの品定めするような視線を受けながら、エルシーはなんとか気丈に振る舞った。
「そうですか、では、私からは一言だけ。私はまだ殿下を諦めません」
ブレンダの発言に、エルシーは目を見開く。それは、エルシーへの宣戦布告だった。
◇
その日の夜は、ささやかな晩餐会が開かれた。エルシーも家族と共に、訪れている貴族たちの接待を行っていた。
使用人たちも忙しくしている者が多く、飲み物がなくなっている人にまで目が届かないことがある。会話を楽しみつつも、エルシーは気を抜かずにホール内をチェックしていた。
男性たちは、早速午後の狩猟で狩った獲物の話で大盛り上がりだ。今のエルシーには、この忙しさと賑やかさが少しだけありがたかった。何かしていないと、昼間のブレンダとの会話を思い出してしまうからだ。
また一人、飲み物を探している貴族を見つけて、エルシーは話をしていた相手に断ってから一旦離席する。そして、使用人に声をかけに行った。
(あちらの方も困ってるのかしら?)
指示を出し終わって戻ってくる途中で、エルシーは、ジョエルがこちらを向いているのに気づく。眼鏡で目元がはっきりと見えないため、軽く会釈をすると、彼が近づいてきた。
彼の目立つ白い髪が照明の光を反射して、美しく輝いている。浮世離れした雰囲気といい、整った容姿といい、ライナスと競り合いそうな人だとエルシーは思った。
「こんばんは、お嬢さん」
「こんばんは、アストリー様。楽しまれていますか?」
「えぇ。もちろん、とても楽しい時間を過ごさせていただいています」
「それは良かったです。そういえば、アストリー様は、隣国へ長期留学されていたとお聞きしましたわ」
エルシーが微笑みを浮かべると、ジョエルも口角を上げた。
「はい、最近こちらへ帰ってきたばかりで……というか……ふふっ」
そこで、急にジョエルは堪えきれなくなったのか、小さく笑い声を上げた。エルシーは突然笑い始めたジョエルに首を傾げる。
「……どうかされましたか?」
「ふふ……いえ、素敵なレディに成長されたと思いまして。覚えていませんか、僕のこと」
「えっと……?」
エルシーはまじまじとジョエルの顔を見つめる。ジョエルはゆっくりとした動作で、右手を使って薄青の眼鏡を取った。エルシーのグレーの瞳と、ジョエルの金色の瞳がぶつかる。
「これであれば、思い出せる?……ルーシー?」
その瞬間、目の前にいるジョエルと、エルシーの記憶の中にいる誰かが重なって見えた。エルシーは思わずその名前を呟く。
「ジョール……」
「良かった。思い出せたね。アストリー様なんて、他人行儀な呼び方は嫌だったんだ」
口元だけ笑みを浮かべたジョエルの瞳から目を離せないまま、エルシーは幼い日の記憶を思い出していた。
宿泊者のリスト作成をする上で、各貴族の好み、料理や日用品で必要なものの最終チェックなど使用人だけでは手が回らないところをエルシーがフォローすることになっている。
大会当日はもちろん、それまでの準備期間も、目まぐるしい日々だ。ただ、滞りなく大会を運営するためには、絶対に手を抜くことはできない。
狩猟大会を目前に控えたある日、そんなエルシーの元にライナスからの手紙が届いた。仕事の合間に、封を開け中身を確認する。
内容は、アストリー公爵家の令嬢ブレンダがエルシーとの茶会を希望していること、緊張せず聞かれたことに正直に答えれば良いこと、そしてエルシーを信じていることが綴られていた。
エルシーは、宿泊者リストにブレンダの名前があるのを不思議に思ったことを思い出す。歌劇場で出会った彼女は、狩猟をたしなむようには見えなかったからだ。
しかし、この手紙ですっかり合点が入った。おそらく彼女はライナスを諦めきれず、エルシーとの茶会を希望していてこちらに来ることにしたのだろうと。
「受けて立ちます」
自分に言い聞かせるように小さく呟いて、手紙をお守りのようにドレスのポケットにしまい込んだ。
◇
狩猟大会一日目。エルシーは朝から、大会に訪れた貴族たちの出迎えと受付を母や義姉と共にしていた。
毎年のことだが、一年で一番忙しい日と言っても過言ではない。今年は、エルシーが皇太子の婚約者となったことで、貴族たちも改めてエルシーに挨拶をする者が多く、例年よりもさらに忙しさが増していた。笑顔で応対をしつつ、ブレンダの到着を待つ。
しばらくして到着した馬車の中に、アストリー家の紋章が見える。馬車から降りてきたブレンダは、ジョエルのエスコートを受け、真っ直ぐに二人でエルシーのもとへとやってきた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
「受付を頼んでもよろしいですか」
ジョエルがエルシーに声をかける。エルシーはすぐに笑顔を浮かべてうなずいた。
「はい、もちろんです。ジョエル・アストリー様、ブレンダ・アストリー様ですね。お部屋は使用人がご案内いたします」
「ありがとうございます、こちらへ来るのも随分久しぶりです」
「そうでしたか。今年も良い時間を過ごしていただけるよう、心を尽くさせていただきますね」
エルシーは名簿に印をつけ、顔を上げて、ペンを差し出した。ジョエルが、美しい筆跡でサインを残す。ペンを預かるエルシーに、ブレンダが話しかけた。
「エルシー様、直々のお出迎え、ありがとうございます。早速ですが、本日の午後、お茶をご一緒できませんか?」
さっそくお誘いが来た。エルシーは笑顔を崩さずに、自分の予定を頭の中で思い返す。
受付は午前いっぱい続くが、午後から夕方までは男性たちは狩猟へと出かけることになるので、女性陣は少しだけ休憩の時間を取ることになっていた。
「ええ、もちろんです。準備が出来次第、使用人に声をかけさせますが、よろしいでしょうか?」
「重ね重ねありがとう存じます。では、お部屋でお待ちしていますわ」
ブレンダが一瞬、挑戦的な視線を投げてきたのに気づく。けれども、エルシーは最後まで笑顔を絶やさずに二人を見送り、仕事へと戻った。
◇
午後になって時間の取れたエルシーは、使用人に声をかけ、ブレンダを呼んでもらった。別館の居間に、使用人に案内されて、彼女が入ってくる。
エルシーは立ち上がり、向かいの席を勧めた。
「どうぞ」
「失礼いたしますわ」
ブレンダは、優雅な仕草で腰掛け、茶色の瞳で真っ直ぐエルシーを見据えてくる。
窓から入る日光が、彼女の白に近い金色の髪を柔らかく照らしていた。その絵画のような光景に少しだけ尻込みしそうになる自分をエルシーは叱咤する。
二人が席に着いたのを確認したクルック家の使用人はお茶の準備をして、ブレンダの使用人と共に部屋の隅に侍った。
エルシーが先にお茶に口をつけ、カップを置く。それを合図に、ブレンダは話し始めた。
「まず、この度は、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「……少しだけ私の身の上話を聞いてくださるかしら」
「えぇ、お聞きしますわ」
「私は、幼い頃から、殿下の婚約者になるものとして育てられて参りました。公爵家の娘として、文句のつけようのない身分であることはもちろん、努力も怠らずに作法や教養を身につけてきたつもりです」
少し関われば、ブレンダがどれだけ質の高い教育を受けてきたのか、その振る舞いや出で立ちから誰しもが推察できるだろう。もちろん、エルシーもそれはすぐに理解できていた。
「ですから、今もどうして私が選ばれなかったのか、候補に指名もしていただけなかったのか分からないのです。エルシー様は、あの王妃様主催のパーティの時も確か殿下とは一切お話しになられていなかったと記憶していますわ。それなのに、どうしてあなたが選ばれたのでしょう?」
ブレンダの質問に、残念ながらエルシーは答えることはできない。きっかけは自分のスキルだったなどとは口が裂けても言えなかった。
もし、エルシーにスキルが無かったのなら、きっとライナスは自分に声をかけることもなかっただろうとエルシーだって思っているのだ。
「……それは殿下しかご存知ないことでしょう」
エルシーの誤魔化すような返答に、ブレンダは小さく、そうですかと相槌を打った。そして、唇を潤わす程度にお茶に口をつけ、カップを戻す。
「では、質問を変えさせていただきましょう。エルシー様は、ゆくゆくは王妃になられるのですよね。私は幼い頃から、私がそうなるのだと言いふくめられて育てられてきました。ですが、あなたには……そのご覚悟がおありなのでしょうか?」
「覚悟……」
ライナスの傍にいるということは、王妃になること。それはエルシーも正式に婚約者になった時に覚悟をしていた。
ただ、目の前の非の打ちどころがない令嬢を見ていると、自分との差異をまざまざと見せつけられているようで、胸が苦しくなる。
無意識に、ライナスからの手紙が入ったポケットを手のひらで押さえた。
「……もちろん、覚悟はできています。そのために、まだまだこれからもたくさんのことを学んでいきたいと思っておりますし、殿下のことをより理解したいとも思っております」
声は震えなかっただろうか。きちんと微笑むことができているだろうか。ブレンダの品定めするような視線を受けながら、エルシーはなんとか気丈に振る舞った。
「そうですか、では、私からは一言だけ。私はまだ殿下を諦めません」
ブレンダの発言に、エルシーは目を見開く。それは、エルシーへの宣戦布告だった。
◇
その日の夜は、ささやかな晩餐会が開かれた。エルシーも家族と共に、訪れている貴族たちの接待を行っていた。
使用人たちも忙しくしている者が多く、飲み物がなくなっている人にまで目が届かないことがある。会話を楽しみつつも、エルシーは気を抜かずにホール内をチェックしていた。
男性たちは、早速午後の狩猟で狩った獲物の話で大盛り上がりだ。今のエルシーには、この忙しさと賑やかさが少しだけありがたかった。何かしていないと、昼間のブレンダとの会話を思い出してしまうからだ。
また一人、飲み物を探している貴族を見つけて、エルシーは話をしていた相手に断ってから一旦離席する。そして、使用人に声をかけに行った。
(あちらの方も困ってるのかしら?)
指示を出し終わって戻ってくる途中で、エルシーは、ジョエルがこちらを向いているのに気づく。眼鏡で目元がはっきりと見えないため、軽く会釈をすると、彼が近づいてきた。
彼の目立つ白い髪が照明の光を反射して、美しく輝いている。浮世離れした雰囲気といい、整った容姿といい、ライナスと競り合いそうな人だとエルシーは思った。
「こんばんは、お嬢さん」
「こんばんは、アストリー様。楽しまれていますか?」
「えぇ。もちろん、とても楽しい時間を過ごさせていただいています」
「それは良かったです。そういえば、アストリー様は、隣国へ長期留学されていたとお聞きしましたわ」
エルシーが微笑みを浮かべると、ジョエルも口角を上げた。
「はい、最近こちらへ帰ってきたばかりで……というか……ふふっ」
そこで、急にジョエルは堪えきれなくなったのか、小さく笑い声を上げた。エルシーは突然笑い始めたジョエルに首を傾げる。
「……どうかされましたか?」
「ふふ……いえ、素敵なレディに成長されたと思いまして。覚えていませんか、僕のこと」
「えっと……?」
エルシーはまじまじとジョエルの顔を見つめる。ジョエルはゆっくりとした動作で、右手を使って薄青の眼鏡を取った。エルシーのグレーの瞳と、ジョエルの金色の瞳がぶつかる。
「これであれば、思い出せる?……ルーシー?」
その瞬間、目の前にいるジョエルと、エルシーの記憶の中にいる誰かが重なって見えた。エルシーは思わずその名前を呟く。
「ジョール……」
「良かった。思い出せたね。アストリー様なんて、他人行儀な呼び方は嫌だったんだ」
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