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しおりを挟む「ニナ・アボット!」
後ろからニナの名前が呼ばれ、エルシーとニナは振り返る。そこには、ニナの婚約者と見知らぬ令嬢が寄り添い合って立っていた。
「ジョルジュ様……?」
「ニナ、私は君との婚約を破棄する!」
周りから驚きの声や、令嬢からは悲鳴の声がもれる。
エルシーは驚きつつも、こんな公衆の面前でなんてことを言い始めるのかと考えながら、咄嗟にニナの身体を支えた。
ニナと将来を約束しておきながら、他の女性にうつつを抜かすなど、信じられない。
こちらを睨みつけてくるジョルジュと、その横で威張っている令嬢を見つめながら、よりにもよって、こんな場所でこんなことに巻き込まれるなんてと、エルシーは奥歯を噛み締めた。
◇
朝から早起きして、いつも以上に力の入った準備をされて、王家主催の庭園お披露目パーティーに参加した伯爵令嬢エルシー・クルックは、彼女の髪色のような生命力あふれる緑を横目に、気もそぞろだった。
そんなエルシーに父親は呆れたような視線を向け、彼女はそれに透明感のあるグレーの瞳を無邪気に細めて、愛想笑いを返した。
「エルシー、今日は王妃様による王子殿下の婚約者選びを兼ねているという噂があると話しただろう。料理にばかり目が行き過ぎじゃないかな?」
「はい、お父様。申し訳ございません。ですが、私、殿下には全く興味がないのです。婚約者候補なんて、私にはとても務まりません。今日は王城のおいしいお料理を楽しみにきましたから」
先ほど謁見してきた王妃と王子の様子を思い返しつつ、肩を落とす父親を慰める。
美しいブロンドの髪に明るい青の瞳を持つ王子――ライナス・ブラグデンは、料理にばかりかまけているエルシーから見ても本当に物語から出てきたような王子様で、思わず見惚れてしまうほどだった。
けれど、それだけなのだ。あれだけ美しい人のそばに自分が立つなど、あまりにも場違いすぎる。自分より爵位が高く、美人な令嬢が選ばれるだろうと、父親の隣でニコニコと愛想笑いを浮かべ続けた。
王子も口元にわずかに笑みを浮かべるだけで、一言も話さず、王妃はエルシーに興味は湧かなかったのだろう。挨拶の時間は、すぐに次の貴族と交代になった。
「エルシー!」
急に自分の名前が呼ばれ、エルシーは周りを見回す。この声は、友人のニナだ。こちらに向かって手を振っている。
父親に一言声をかけて、友人の元へと向かった。
「ごきげんよう、ニナ」
「ごきげんよう、エルシー」
挨拶をして、違和感に気づく。
「ニナ、プラウズ様は、今日一緒ではないの?」
「えぇ…。よくわからないのだけど、一緒に行けないと言われたのよ」
ニナには、小さい頃から決められている婚約者がいる。いつもならば、このような時は二人で参加して、エスコートを受けているはずだ。
不安そうにするニナの肩をエルシーは元気づけるように撫でる。
「気分転換に、料理をとりに行かない?」
「……いいわね。そうするわ」
少し顔色が明るくなったニナに安心していると、俄かに周辺が騒がしくなった。
こうして、冒頭の場面に戻る。
「ニナ・アボット!」
後ろからニナの名前が呼ばれ、二人は振り返る。そこには、ニナの婚約者と見知らぬ令嬢が寄り添い合って立っていた。
「ジョルジュ様……?」
「ニナ、私は君との婚約を破棄する!」
周りから驚きの声や、令嬢からは悲鳴の声がもれる。エルシーは驚きつつも、咄嗟にニナの身体を支えた。
「どういうことですの……?」
「見て、分からないのか? 君よりも私に優しく、私を理解してくれる女性に出会ったんだ。今、隣にいる彼女と私は心が通じ合っている。私は彼女と生きていく!」
ジョルジュは令嬢の腰に回した腕に力を入れ、さらにその体を引き寄せた。令嬢の方は、選ばれたのは自分だと勝ち誇ったように、ニナを見つめている。
そんな目の前の光景、そして、本人からの浮気の暴露に絶句するニナ。
騒動を聞きつけてか、周りにはさらに人が集まりつつある。集まってくる人たちが助けてくれれば良いが、どうやら完全に野次馬の体だ。
見せ物とでも思っているのか、頼りにはなりそうもない。王家の催しでこれ以上注目を浴びるのは、被害者であるニナにとっても、巻き込まれている第三者のエルシーにとっても良くないだろう。
エルシーは、ぎゅっと目を瞑り、噛み締めていた奥歯を緩め、それから目を見開いて立ちはだかる二人を見返した。
「ニナ、大丈夫よ」
ニナを安心させるように、背に庇う。そして、集中するために心の中で三秒数える。
瞬間、エルシーを除くすべての人が動きを止めた。それまで耳に届いていた話し声や音楽、すべてが止まっている。
エルシーには、スキルという特別な力がある。一定時間の間、自分を除く世界の時を止めることができるのだ。
スキルというのは、一部の貴族に突発的に発現する力で、皆が皆持っているわけではない。
エルシーはずっとこのスキルを家族以外には隠し続けてきた。
「うまくいったみたいね……。さて、やっちゃいましょうか」
止まっているニナをおいて、エルシーだけこの場を離れることもできた。けれど、友達を見捨てるようなことができるはずもなく、エルシーはジョルジュと令嬢に近づいていく。
近くで見ると余計にムカムカする表情だ。申し訳ないが、少し痛い目に遭ってもらおう。
「失礼しますね」
ドレスを持ち上げ、令嬢の足元を確認。そして、思い切り踏んづけた。さらに、ジョルジュの足元を確認。こちらも思い切り。
これで、スキルを止めたら、二人とも痛みで飛び上がるだろう。エルシーは、すばやく元の位置に戻り、深呼吸をして、指を鳴らす。
パチン、と乾いた音が響いた後、人々が動きを取り戻した。
「……いっ!!」
動きを取り戻した瞬間、先ほどまで勝ち誇った顔で笑っていた二人が、悲鳴をあげて飛び上がり、蹲る。
ジョルジュは痛みにうめきながらも、慌てて令嬢を支えようとしたがうまく支えられない。
あまりの見苦しさに周りの貴族たちが笑う。笑われていることに気づいた二人は周りを見回し、途端に居心地が悪そうな顔をした。
「ニナ、今のうちにここを離れましょう」
こくり、と頷いたニナの手を引き、背を翻す。
「に、逃げても無駄だ、ニナ! 詳しい話は、後日にさせてもらおう!!」
令嬢を抱えながら、ジョルジュがニナを指差し、苦し紛れに叫ぶ。それに対して、先ほどまで目を白黒させていたはずのニナがきれいな笑顔で振り返った。
「えぇ。望むところですわ。後日なんて言わずに、すぐに、私のお屋敷へお越しくださいませ」
「ひぇっ……」
上品に怒りを滲ませるニナの様子に、ジョルジュは小さく悲鳴を上げる。抱えられた名も知らぬ令嬢が腕の中から落ちそうになっている。
「ジョルジュ様。私に構わず、早くそちらの御令嬢を介抱なさることをお勧めいたします。では、失礼いたしますわ」
ニナはそこまでいうと、エルシーに目配せする。
「お父様を探して、今日は帰るわ」
「ニナ、気持ちをしっかりね」
「もうすっかり冷めたわ。では、またね」
父親の元へ戻っていくニナを見送りつつ、エルシーも自分の父親の元へ戻り、今の出来事をかいつまんで説明した。
ふと視線を感じ、周りを見回すと、ライナスと目が合った気がしたが、気のせいだろうと視線を逸らし、エルシーは王城を後にしたのだった。
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