上 下
7 / 7

人の子(4)

しおりを挟む
 それから数日後。
「瑠璃、後ろを向いて」
 母が出掛けるための着物を着せてくれていた。
 あの日、小野臣さんが母に私を祭りに連れて行きたいと申し出たが、母は難色を示した。
 けれど、彼はめげることなく『興味のあることを見たり、させたりすることで感性が豊かになります』と説明し、家に閉じ込めてしまうのは良くないことを訴えた。
「本当に、大丈夫? 小野臣さんの側を離れないでね、あなたは何かあった時、誰かに助けを求めることが出来ないのだから」
 母は何度も同じことを繰り返し言う。
 自分が喋ることが出来たのなら、そんなに心配させることも無いのに、と喋れないことがどれだけ不便なのかを、今更ながらに痛感する。
 母から色々な注意を受けながら用意を整え、小野臣さんが来るまで居間で時間を潰した。
 長椅子に腰掛けると膝元の模様が美しく、普段着ている着物より華やかな着物に胸が躍る。祭りに出かけることも含め、初めてのことに緊張しながら彼が来るのを待っていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
「小野臣さん、今日は宜しくお願いします」
「はい、こちらこそ、御無理を言って申し訳ありませんでした。必ず無事に送り届けます」
 母は「ええ、そうして下さい」と、強めの口調で返事を返し、まだ少し蟠っているようだった。
「瑠璃?」
 呼ばれて居間から体を出したが、何故か気恥ずかしくなった。
 それは彼が普段と違い正装の羽織に身を包んでおり、髪型も後ろへと整えていて、顔がハッキリと見えるせいだった。

 おずおずと近付き、頭を下げると下駄を履いた。
「……では、参りましょうか」
 家の前に人力車が止まっており、小野臣さんに手を添えられながら乗り込むと、心配そうに伺う母に手を振った。
「奥様に心配させてしまいましたね……」
 こくっと私は頷き、それでも行きたかったことを、どう伝えようかと思っていると、小野臣さんは、「心配になるのも頷けます」と微笑み、私の手を握った。
 彼の顔がこちらに向けられ、長い睫毛がゆっくりと動くと、それに合わせるように口元も動いた。
「今日は、本当に可愛らしい……」
 言われて、私は俯いてしまった。
 家族以外の人に言われたことない言葉が、自分の頬を熱くさせる。それを見られるのが嫌で、顔を上げることが出来なかった。
 大人の小野臣さんから見て、十三歳の私がどう映っているのかは分からない。けれど、兄の吉二が言うような意味合いで言われたなら、恥ずかしがっていることは変なことだと自分でも思う。
 カタカタと走る人力車の速度が、とても遅く感じて、早く祭りの場に着かないかな、と色々な意味で私はそわそわした。
「見えてきましたよ」
 小野臣さんが指さす先を見れば、華やかな提灯飾りと出店が見えて来る。初めて見る祭りの様子に、私の胸が勝手に躍った。

 縁日の入り口前に到着し、人力車を降りると彼が辺りをくるっと見回し、お目当ての店を見つける。
「お腹が空いて来たでしょう、おでんは食べたことありますか?」
 私は大きく頷いた。おでんの具はどれも好きな物ばかりで、小野臣さんが選んでくれた物は特に自分が好きな具だった。
「熱いから気をつけて」と私が食べ易い様に胸元に寄せてくれる器から、大根を割って食べれば、じゅっと口に出汁が広がりとても美味しかった。
 ふたつ食べた所で、小野臣さんは「他にも何か食べて見ましょうか」と今度は焼きとうもろこしを買って来てくれた。
「こうやって、噛り付いて食べるんですよ」 
 彼が実演して見せてくれるので、真似して両手でとうもろこしを持ち、口元へ寄せる。焦げた醤油の香りが鼻をくすぐり、思いっきり噛り付けば、粒が弾けて何とも言えない旨味が口の中に広がる。
「美味しいでしょう?」と小野臣さんに言われ、こくこくと二度頷いた。
 ふと彼が何かを見つけるが、あまり良い顔をしなかったのを見て、どうしたのだろう、と思っていると女性がふらりと小野臣さんの側にやってきた。
「何、黒さん子供の子守なの?」
「子守でありません」
「えー……? どっからどう見ても子守じゃない、そんな子供なんて相手にせず、私と遊びに行かない?」
「千代さん、お店は?」
「もう、本当につれない人ねぇ……」
 小野臣さんの肩に頬を寄せる千代という女性から、じろっと居心地の悪い目線を投げられ、私は咄嗟に顔を伏せた。
 目を伏せた理由は、怖かっただけでは無く、彼と二人並んでいる姿がともて似合っていたからだ。彼女が言うように自分は子供で、しかも喋れないのだから、劣等感を抱くには十分だった。
 なぜか傷ついている自分に、はっとなる。どうして傷ついているのだろう、喋れないことに関してなら、喋れるようになればいいだけなのにと思う。 
 それに子供と言われたことに関してなら、実際子供なのだから仕方ないことだ。不可解な気持ちの揺らぎに途惑っていると、彼から不意に声をかけられる。
「瑠璃さん、お腹は膨れましたか?」
 考え事をしていたせいで反応が遅れたが、素早くこくりと頷き、彼へと視線を向けた。
 彼の隣にいる女性は彼から離れる気は無いようで、こちらを見るその目は邪魔な存在だと言われている気がした。
「千代さん、申し訳ないのだが……」
「はぁ、分かったわよ」
 女性はぷいっと顎を尖らせた後、私を見て「お守りなら仕方ないわね」と艶っぽく笑い、そそくさと離れて行った。

 小野臣さんは大きく溜息を吐くと、先程の女性は松前呉服店という小店で働く女性で、黒大弦こくだいげん神社の装飾具を仕入れる時に何度か顔を合わせるのだと言う。
「月初めの神事には毎回、新しい衣を羽織るのが習わしですので、その関係で顔見知りだというだけです」
 丁寧に女性の説明をしてくれたが、頭に入って来なかった。取りあえず頷いたものの、自分の中に芽吹いている感情を整えるのに精一杯だった。
 人に対して劣等感を明確に抱いたのは今回が初めてで、私は自分のことが初めて嫌いだと思えた。
 ――元の自分に戻りたい……。
 少なくとも、狐の時ならこんな気持ちを抱くことは無かった。無性に以前の自分の姿に戻りたくなる。
「どう……しましたか?」
 不安な顔で私を覗きこむ小野臣さんにふりふりと首を横へ振った。そして、喋りたいと訴えた。
「ぅ……あ」
 そんな言葉しか出ない声に情けなくなる。けれど、どう動かせば言葉になるのか分からず、はくはくと口を開けたり閉じたりして動かした。
 小野臣さんから「喋りたいのですか?」と聞かれて私は頭を下へ二回揺らした。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

もう一度あなたに逢いたくて〜こぼれ落ちた運命を再び拾うまで〜

雪野 結莉
恋愛
魔物を倒す英雄となる運命を背負って生まれた侯爵家嫡男ルーク。 しかし、赤ん坊の時に魔獣に襲われ、顔に酷い傷を持ってしまう。 英雄の婚約者には、必ず光の魔力を持つものが求められる。そして選ばれたのは子爵家次女ジーナだった。 顔に残る傷のため、酷く冷遇された幼少期を過ごすルークに差し込んだ一筋の光がジーナなのだ。 ジーナを誰よりも大切にしてきたルークだったが、ジーナとの婚約を邪魔するものの手によって、ジーナは殺されてしまう。 誰よりも強く誰よりも心に傷を持つルークのことが死してなお気になるジーナ。 ルークに会いたくて会いたくて。 その願いは。。。。。 とても長いお話ですが、1話1話は1500文字前後で軽く読める……はず!です。 他サイト様でも公開中ですが、アルファポリス様が一番早い更新です。 本編完結しました!

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

獣人専門弁護士の憂鬱

豆丸
恋愛
獣人と弁護士、よくある番ものの話。  ムーンライト様で日刊総合2位になりました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...