4 / 7
人の子(1)
しおりを挟む
人の子になってから十年以上の月日が流れ、私は十三歳になっていた。
体は成長したけれど、言葉が喋れず、両親は病気を治せる医者と呼ばれる人達を探したが『大人になれば喋れるようになるでしょう』と言われて困り果てていた。
私も話をして見たいと思うけど、狐だった時に受けた出来事を忘れることが出来ず、人間と接するのが怖かった。
その日、学校から帰って来た兄の吉二は、慌ただしく自分の部屋へ荷物を置くと、いつものように私を呼んだ。
「瑠璃、本を読んであげるよ。おいで」
この瑠璃という名は生まれて直ぐ、黒大弦神社の産土神である宮司という偉い役の方が授けてくれたと何時だったか兄が教えてくれた。
その兄が居間にある長椅子に腰掛けると、隣をぽんぽんと叩くので彼の横へ腰を落とした。
この家は西洋館と呼ばれる造りで、各所に長椅子と呼ばれる物がある。どの家にもあるわけでは無いのだと知ったのは、来客が来た時に子供が『長椅子がある!』と燥いでいたからだった。
それと外観も珍しい建物なのか、たまに、しげしげと家を眺めている人の姿を窓から見かけることがあった。
――そういえば、武尊の家もそうだった……。
思い出したくないのに、ふとした時に記憶が蘇り、私の心を軋ませる。
悲しい出来事を思い出してしまい、私がしゅんと顎を下げていると、兄は勘違いをしたようで、「この本じゃない方がいいかな?」と聞いて来る。
彼の問いかけに頭を横へ振れば、ほっとした様子を見せ「瑠璃が気に入ってくれるといいけど――」と兄は本を膝に置き、表紙を捲った。
兄の吉二は自分より五歳上の十八歳、来年は医学校へ行くために京都という場所へ向かうらしく、寮生活をすることが決定していた。
彼が医学校へ行くことを決めた日、「瑠璃の病気は僕が直してあげるよ」と真剣な顔で言われたが、私は頷くことは出来なかった。
悪い人達では無いことくらいは分かる。でも、それは私が今は人間の姿だからだと感じていた。
もし狐の姿なら、あの武尊という人間のように弓で背中を射るかも知れない。そんなことを考えて、ぞわっと背筋に寒気が走った。
「この本つまらない?」
心配そうな顔をする兄に、私はふるふると首を横に振った。
懸命に読んでくれる本は不思議な話で、お釈迦様と呼ばれる仏様が、平等に命を分け与える話だった。
「お釈迦は命は平等に与え、それぞれに宿命を与えました。人の子は知恵を授かり土地を豊かに、動物は命を広げ繋げていく、草花は人と動物の心を美しく整える――」
兄は優しい声色で読み上げ、私にも分かるように様々な解釈を入れつつ、本の内容を聞かせてくれた。
その話を聞きながら朧げに思う。この世に平等などないし、誰も決められたことをしたいと思って生きているわけじゃない。
自分が狐の時は、宿命だと言われた嫁入りが嫌で仕方なかったし、いくら神が与えた命でも勝手に宿命を決めつけるのは良くないと思った。
全て読み上げた兄は「神様って勝手だよね」と私が思っていた事と同じことを呟いた。
「そう言えば、来年から家庭教師の先生がお見えになるけど、僕は心配だよ」
どうして? という意味を込めて小首を傾げれば、彼は嘆息を付きながら言葉を続けた。
「僕がいない間に、赤の他人を家に招き入れるなんて、心配になって当然だ。だって瑠璃は……」
兄は言いかけた言葉が口から出ないように一文字に結んだ。
言葉が話せない自分が、赤の他人と意志の疎通が出来るわけがなく、それに対しての心配をしていることが分かり、私は兄の服の袖を摘まんだ。
けれど、どうすれば大丈夫だという思いが伝わるか考えたが、何も思いつかなかった。
ふわりと笑みを浮かべた兄は、私の頭を撫でる。
「もし、何か嫌なことがあったら直ぐに僕に言って欲しい」
言った側から、ああ、しまった。と言う顔を見せる兄は、「瑠璃は言葉が喋れないから、言えるわけが無いのに」と自分の失言を戒めてから、下服から守り袋を取り出し、それを手渡してくれた。
「昔、瑠璃が生まれてすぐ、黒大弦神社の宮司様から頂いた物なんだ。瑠璃を守ってあげなさいと言われて渡された物なんだ。きっと瑠璃を守ってくれるよ」
手渡された守り袋は、小さな黒い巾着に黄金色の刺繍が施されていた。
どこかで見たことがあるような模様で、若松模様の上に三つの丸い点がある。決して複雑ではないので、簡単に目にすることが出来る模様なのかも知れないけど、私には意味のある模様のような気がした。
何処でこの模様を見たのかな? と頭を悩ませていると兄から、「次は何を読もうか?」と聞かれている最中、ドンっと重い物が地面へと落ちる音が外から聞こえ、私の肩がびくっと揺れる。
「驚いたね。瑠璃も吃驚しただろう、大丈夫?」
兄の言葉にこくりと頷けば「あー、そういえば、裏山を伐採するって言ってたな」と森の木を伐採している音だと説明をしてくれる。
――森……、お母さん、お兄ちゃん……。
白狐は百年は生きると言われている長寿種だから、狐の母も兄もまだ生きているはずだった。
もしかしたら自分を探してくれているかも知れないけれど、私には自分がいた森が何処なのか分からなかった。
近くの森は小さいので違うことは分かるが、自分が居た森がこの近くとは限らない。読み書きが出来るようになれば、探し出して帰れるのかも知れない……、とそこまで考えて落ち込んだ。
――馬鹿だ……、わたしは、もう狐ではないのに……。
いくら探した所で、帰れるわけがなかった。
狐に戻れる方法があればいいのに、と私は窓の外から森を眺めた。
体は成長したけれど、言葉が喋れず、両親は病気を治せる医者と呼ばれる人達を探したが『大人になれば喋れるようになるでしょう』と言われて困り果てていた。
私も話をして見たいと思うけど、狐だった時に受けた出来事を忘れることが出来ず、人間と接するのが怖かった。
その日、学校から帰って来た兄の吉二は、慌ただしく自分の部屋へ荷物を置くと、いつものように私を呼んだ。
「瑠璃、本を読んであげるよ。おいで」
この瑠璃という名は生まれて直ぐ、黒大弦神社の産土神である宮司という偉い役の方が授けてくれたと何時だったか兄が教えてくれた。
その兄が居間にある長椅子に腰掛けると、隣をぽんぽんと叩くので彼の横へ腰を落とした。
この家は西洋館と呼ばれる造りで、各所に長椅子と呼ばれる物がある。どの家にもあるわけでは無いのだと知ったのは、来客が来た時に子供が『長椅子がある!』と燥いでいたからだった。
それと外観も珍しい建物なのか、たまに、しげしげと家を眺めている人の姿を窓から見かけることがあった。
――そういえば、武尊の家もそうだった……。
思い出したくないのに、ふとした時に記憶が蘇り、私の心を軋ませる。
悲しい出来事を思い出してしまい、私がしゅんと顎を下げていると、兄は勘違いをしたようで、「この本じゃない方がいいかな?」と聞いて来る。
彼の問いかけに頭を横へ振れば、ほっとした様子を見せ「瑠璃が気に入ってくれるといいけど――」と兄は本を膝に置き、表紙を捲った。
兄の吉二は自分より五歳上の十八歳、来年は医学校へ行くために京都という場所へ向かうらしく、寮生活をすることが決定していた。
彼が医学校へ行くことを決めた日、「瑠璃の病気は僕が直してあげるよ」と真剣な顔で言われたが、私は頷くことは出来なかった。
悪い人達では無いことくらいは分かる。でも、それは私が今は人間の姿だからだと感じていた。
もし狐の姿なら、あの武尊という人間のように弓で背中を射るかも知れない。そんなことを考えて、ぞわっと背筋に寒気が走った。
「この本つまらない?」
心配そうな顔をする兄に、私はふるふると首を横に振った。
懸命に読んでくれる本は不思議な話で、お釈迦様と呼ばれる仏様が、平等に命を分け与える話だった。
「お釈迦は命は平等に与え、それぞれに宿命を与えました。人の子は知恵を授かり土地を豊かに、動物は命を広げ繋げていく、草花は人と動物の心を美しく整える――」
兄は優しい声色で読み上げ、私にも分かるように様々な解釈を入れつつ、本の内容を聞かせてくれた。
その話を聞きながら朧げに思う。この世に平等などないし、誰も決められたことをしたいと思って生きているわけじゃない。
自分が狐の時は、宿命だと言われた嫁入りが嫌で仕方なかったし、いくら神が与えた命でも勝手に宿命を決めつけるのは良くないと思った。
全て読み上げた兄は「神様って勝手だよね」と私が思っていた事と同じことを呟いた。
「そう言えば、来年から家庭教師の先生がお見えになるけど、僕は心配だよ」
どうして? という意味を込めて小首を傾げれば、彼は嘆息を付きながら言葉を続けた。
「僕がいない間に、赤の他人を家に招き入れるなんて、心配になって当然だ。だって瑠璃は……」
兄は言いかけた言葉が口から出ないように一文字に結んだ。
言葉が話せない自分が、赤の他人と意志の疎通が出来るわけがなく、それに対しての心配をしていることが分かり、私は兄の服の袖を摘まんだ。
けれど、どうすれば大丈夫だという思いが伝わるか考えたが、何も思いつかなかった。
ふわりと笑みを浮かべた兄は、私の頭を撫でる。
「もし、何か嫌なことがあったら直ぐに僕に言って欲しい」
言った側から、ああ、しまった。と言う顔を見せる兄は、「瑠璃は言葉が喋れないから、言えるわけが無いのに」と自分の失言を戒めてから、下服から守り袋を取り出し、それを手渡してくれた。
「昔、瑠璃が生まれてすぐ、黒大弦神社の宮司様から頂いた物なんだ。瑠璃を守ってあげなさいと言われて渡された物なんだ。きっと瑠璃を守ってくれるよ」
手渡された守り袋は、小さな黒い巾着に黄金色の刺繍が施されていた。
どこかで見たことがあるような模様で、若松模様の上に三つの丸い点がある。決して複雑ではないので、簡単に目にすることが出来る模様なのかも知れないけど、私には意味のある模様のような気がした。
何処でこの模様を見たのかな? と頭を悩ませていると兄から、「次は何を読もうか?」と聞かれている最中、ドンっと重い物が地面へと落ちる音が外から聞こえ、私の肩がびくっと揺れる。
「驚いたね。瑠璃も吃驚しただろう、大丈夫?」
兄の言葉にこくりと頷けば「あー、そういえば、裏山を伐採するって言ってたな」と森の木を伐採している音だと説明をしてくれる。
――森……、お母さん、お兄ちゃん……。
白狐は百年は生きると言われている長寿種だから、狐の母も兄もまだ生きているはずだった。
もしかしたら自分を探してくれているかも知れないけれど、私には自分がいた森が何処なのか分からなかった。
近くの森は小さいので違うことは分かるが、自分が居た森がこの近くとは限らない。読み書きが出来るようになれば、探し出して帰れるのかも知れない……、とそこまで考えて落ち込んだ。
――馬鹿だ……、わたしは、もう狐ではないのに……。
いくら探した所で、帰れるわけがなかった。
狐に戻れる方法があればいいのに、と私は窓の外から森を眺めた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。
三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。
それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。
頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。
短編恋愛になってます。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
婚約者すらいない私に、離縁状が届いたのですが・・・・・・。
夢草 蝶
恋愛
侯爵家の末姫で、人付き合いが好きではないシェーラは、邸の敷地から出ることなく過ごしていた。
そのため、当然婚約者もいない。
なのにある日、何故かシェーラ宛に離縁状が届く。
差出人の名前に覚えのなかったシェーラは、間違いだろうとその離縁状を燃やしてしまう。
すると後日、見知らぬ男が怒りの形相で邸に押し掛けてきて──?
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。
【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。
たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。
わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。
ううん、もう見るのも嫌だった。
結婚して1年を過ぎた。
政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。
なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。
見ようとしない。
わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。
義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。
わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。
そして彼は側室を迎えた。
拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。
ただそれがオリエに伝わることは……
とても設定はゆるいお話です。
短編から長編へ変更しました。
すみません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる