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人の子(1)
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人の子になってから十年以上の月日が流れ、私は十三歳になっていた。
体は成長したけれど、言葉が喋れず、両親は病気を治せる医者と呼ばれる人達を探したが『大人になれば喋れるようになるでしょう』と言われて困り果てていた。
私も話をして見たいと思うけど、狐だった時に受けた出来事を忘れることが出来ず、人間と接するのが怖かった。
その日、学校から帰って来た兄の吉二は、慌ただしく自分の部屋へ荷物を置くと、いつものように私を呼んだ。
「瑠璃、本を読んであげるよ。おいで」
この瑠璃という名は生まれて直ぐ、黒大弦神社の産土神である宮司という偉い役の方が授けてくれたと何時だったか兄が教えてくれた。
その兄が居間にある長椅子に腰掛けると、隣をぽんぽんと叩くので彼の横へ腰を落とした。
この家は西洋館と呼ばれる造りで、各所に長椅子と呼ばれる物がある。どの家にもあるわけでは無いのだと知ったのは、来客が来た時に子供が『長椅子がある!』と燥いでいたからだった。
それと外観も珍しい建物なのか、たまに、しげしげと家を眺めている人の姿を窓から見かけることがあった。
――そういえば、武尊の家もそうだった……。
思い出したくないのに、ふとした時に記憶が蘇り、私の心を軋ませる。
悲しい出来事を思い出してしまい、私がしゅんと顎を下げていると、兄は勘違いをしたようで、「この本じゃない方がいいかな?」と聞いて来る。
彼の問いかけに頭を横へ振れば、ほっとした様子を見せ「瑠璃が気に入ってくれるといいけど――」と兄は本を膝に置き、表紙を捲った。
兄の吉二は自分より五歳上の十八歳、来年は医学校へ行くために京都という場所へ向かうらしく、寮生活をすることが決定していた。
彼が医学校へ行くことを決めた日、「瑠璃の病気は僕が直してあげるよ」と真剣な顔で言われたが、私は頷くことは出来なかった。
悪い人達では無いことくらいは分かる。でも、それは私が今は人間の姿だからだと感じていた。
もし狐の姿なら、あの武尊という人間のように弓で背中を射るかも知れない。そんなことを考えて、ぞわっと背筋に寒気が走った。
「この本つまらない?」
心配そうな顔をする兄に、私はふるふると首を横に振った。
懸命に読んでくれる本は不思議な話で、お釈迦様と呼ばれる仏様が、平等に命を分け与える話だった。
「お釈迦は命は平等に与え、それぞれに宿命を与えました。人の子は知恵を授かり土地を豊かに、動物は命を広げ繋げていく、草花は人と動物の心を美しく整える――」
兄は優しい声色で読み上げ、私にも分かるように様々な解釈を入れつつ、本の内容を聞かせてくれた。
その話を聞きながら朧げに思う。この世に平等などないし、誰も決められたことをしたいと思って生きているわけじゃない。
自分が狐の時は、宿命だと言われた嫁入りが嫌で仕方なかったし、いくら神が与えた命でも勝手に宿命を決めつけるのは良くないと思った。
全て読み上げた兄は「神様って勝手だよね」と私が思っていた事と同じことを呟いた。
「そう言えば、来年から家庭教師の先生がお見えになるけど、僕は心配だよ」
どうして? という意味を込めて小首を傾げれば、彼は嘆息を付きながら言葉を続けた。
「僕がいない間に、赤の他人を家に招き入れるなんて、心配になって当然だ。だって瑠璃は……」
兄は言いかけた言葉が口から出ないように一文字に結んだ。
言葉が話せない自分が、赤の他人と意志の疎通が出来るわけがなく、それに対しての心配をしていることが分かり、私は兄の服の袖を摘まんだ。
けれど、どうすれば大丈夫だという思いが伝わるか考えたが、何も思いつかなかった。
ふわりと笑みを浮かべた兄は、私の頭を撫でる。
「もし、何か嫌なことがあったら直ぐに僕に言って欲しい」
言った側から、ああ、しまった。と言う顔を見せる兄は、「瑠璃は言葉が喋れないから、言えるわけが無いのに」と自分の失言を戒めてから、下服から守り袋を取り出し、それを手渡してくれた。
「昔、瑠璃が生まれてすぐ、黒大弦神社の宮司様から頂いた物なんだ。瑠璃を守ってあげなさいと言われて渡された物なんだ。きっと瑠璃を守ってくれるよ」
手渡された守り袋は、小さな黒い巾着に黄金色の刺繍が施されていた。
どこかで見たことがあるような模様で、若松模様の上に三つの丸い点がある。決して複雑ではないので、簡単に目にすることが出来る模様なのかも知れないけど、私には意味のある模様のような気がした。
何処でこの模様を見たのかな? と頭を悩ませていると兄から、「次は何を読もうか?」と聞かれている最中、ドンっと重い物が地面へと落ちる音が外から聞こえ、私の肩がびくっと揺れる。
「驚いたね。瑠璃も吃驚しただろう、大丈夫?」
兄の言葉にこくりと頷けば「あー、そういえば、裏山を伐採するって言ってたな」と森の木を伐採している音だと説明をしてくれる。
――森……、お母さん、お兄ちゃん……。
白狐は百年は生きると言われている長寿種だから、狐の母も兄もまだ生きているはずだった。
もしかしたら自分を探してくれているかも知れないけれど、私には自分がいた森が何処なのか分からなかった。
近くの森は小さいので違うことは分かるが、自分が居た森がこの近くとは限らない。読み書きが出来るようになれば、探し出して帰れるのかも知れない……、とそこまで考えて落ち込んだ。
――馬鹿だ……、わたしは、もう狐ではないのに……。
いくら探した所で、帰れるわけがなかった。
狐に戻れる方法があればいいのに、と私は窓の外から森を眺めた。
体は成長したけれど、言葉が喋れず、両親は病気を治せる医者と呼ばれる人達を探したが『大人になれば喋れるようになるでしょう』と言われて困り果てていた。
私も話をして見たいと思うけど、狐だった時に受けた出来事を忘れることが出来ず、人間と接するのが怖かった。
その日、学校から帰って来た兄の吉二は、慌ただしく自分の部屋へ荷物を置くと、いつものように私を呼んだ。
「瑠璃、本を読んであげるよ。おいで」
この瑠璃という名は生まれて直ぐ、黒大弦神社の産土神である宮司という偉い役の方が授けてくれたと何時だったか兄が教えてくれた。
その兄が居間にある長椅子に腰掛けると、隣をぽんぽんと叩くので彼の横へ腰を落とした。
この家は西洋館と呼ばれる造りで、各所に長椅子と呼ばれる物がある。どの家にもあるわけでは無いのだと知ったのは、来客が来た時に子供が『長椅子がある!』と燥いでいたからだった。
それと外観も珍しい建物なのか、たまに、しげしげと家を眺めている人の姿を窓から見かけることがあった。
――そういえば、武尊の家もそうだった……。
思い出したくないのに、ふとした時に記憶が蘇り、私の心を軋ませる。
悲しい出来事を思い出してしまい、私がしゅんと顎を下げていると、兄は勘違いをしたようで、「この本じゃない方がいいかな?」と聞いて来る。
彼の問いかけに頭を横へ振れば、ほっとした様子を見せ「瑠璃が気に入ってくれるといいけど――」と兄は本を膝に置き、表紙を捲った。
兄の吉二は自分より五歳上の十八歳、来年は医学校へ行くために京都という場所へ向かうらしく、寮生活をすることが決定していた。
彼が医学校へ行くことを決めた日、「瑠璃の病気は僕が直してあげるよ」と真剣な顔で言われたが、私は頷くことは出来なかった。
悪い人達では無いことくらいは分かる。でも、それは私が今は人間の姿だからだと感じていた。
もし狐の姿なら、あの武尊という人間のように弓で背中を射るかも知れない。そんなことを考えて、ぞわっと背筋に寒気が走った。
「この本つまらない?」
心配そうな顔をする兄に、私はふるふると首を横に振った。
懸命に読んでくれる本は不思議な話で、お釈迦様と呼ばれる仏様が、平等に命を分け与える話だった。
「お釈迦は命は平等に与え、それぞれに宿命を与えました。人の子は知恵を授かり土地を豊かに、動物は命を広げ繋げていく、草花は人と動物の心を美しく整える――」
兄は優しい声色で読み上げ、私にも分かるように様々な解釈を入れつつ、本の内容を聞かせてくれた。
その話を聞きながら朧げに思う。この世に平等などないし、誰も決められたことをしたいと思って生きているわけじゃない。
自分が狐の時は、宿命だと言われた嫁入りが嫌で仕方なかったし、いくら神が与えた命でも勝手に宿命を決めつけるのは良くないと思った。
全て読み上げた兄は「神様って勝手だよね」と私が思っていた事と同じことを呟いた。
「そう言えば、来年から家庭教師の先生がお見えになるけど、僕は心配だよ」
どうして? という意味を込めて小首を傾げれば、彼は嘆息を付きながら言葉を続けた。
「僕がいない間に、赤の他人を家に招き入れるなんて、心配になって当然だ。だって瑠璃は……」
兄は言いかけた言葉が口から出ないように一文字に結んだ。
言葉が話せない自分が、赤の他人と意志の疎通が出来るわけがなく、それに対しての心配をしていることが分かり、私は兄の服の袖を摘まんだ。
けれど、どうすれば大丈夫だという思いが伝わるか考えたが、何も思いつかなかった。
ふわりと笑みを浮かべた兄は、私の頭を撫でる。
「もし、何か嫌なことがあったら直ぐに僕に言って欲しい」
言った側から、ああ、しまった。と言う顔を見せる兄は、「瑠璃は言葉が喋れないから、言えるわけが無いのに」と自分の失言を戒めてから、下服から守り袋を取り出し、それを手渡してくれた。
「昔、瑠璃が生まれてすぐ、黒大弦神社の宮司様から頂いた物なんだ。瑠璃を守ってあげなさいと言われて渡された物なんだ。きっと瑠璃を守ってくれるよ」
手渡された守り袋は、小さな黒い巾着に黄金色の刺繍が施されていた。
どこかで見たことがあるような模様で、若松模様の上に三つの丸い点がある。決して複雑ではないので、簡単に目にすることが出来る模様なのかも知れないけど、私には意味のある模様のような気がした。
何処でこの模様を見たのかな? と頭を悩ませていると兄から、「次は何を読もうか?」と聞かれている最中、ドンっと重い物が地面へと落ちる音が外から聞こえ、私の肩がびくっと揺れる。
「驚いたね。瑠璃も吃驚しただろう、大丈夫?」
兄の言葉にこくりと頷けば「あー、そういえば、裏山を伐採するって言ってたな」と森の木を伐採している音だと説明をしてくれる。
――森……、お母さん、お兄ちゃん……。
白狐は百年は生きると言われている長寿種だから、狐の母も兄もまだ生きているはずだった。
もしかしたら自分を探してくれているかも知れないけれど、私には自分がいた森が何処なのか分からなかった。
近くの森は小さいので違うことは分かるが、自分が居た森がこの近くとは限らない。読み書きが出来るようになれば、探し出して帰れるのかも知れない……、とそこまで考えて落ち込んだ。
――馬鹿だ……、わたしは、もう狐ではないのに……。
いくら探した所で、帰れるわけがなかった。
狐に戻れる方法があればいいのに、と私は窓の外から森を眺めた。
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