隣の席の一条くん。

中小路かほ

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図書館で

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今の状況に押し潰されそうになったわたしは、撮影現場から逃げ出した。


こんなことしたって、なんにもならないことはわかっている。

スタッフのみんなに迷惑かけるだけだって。


でも…今は、まだ無理。

あと15分だけは、1人で現実逃避させてほしかった。



撮影現場の並木道は、大きな公園の一角に位置する。

だから、少し行けば犬の散歩やジョギングしている人が目立つウォーキングコースがあるし、池や雑木林もある。


わたしは上着の襟元で顔を隠し、キャップを被って俯きながら歩く。

今のところ、わたしがPEACEのひらりだって気づく人はいない。


わたしは、何隻かのボートが浮かぶ池のほとりにやってきた。

そこにあったベンチに腰を下ろす。


ここから池を眺めていると、ボートに乗っているのはカップルが多い。

彼氏がオールで漕いで、彼女が笑っている姿が見える。


…みんな楽しそう。


そんな仲よさそうなカップルたちが、うらやましくて仕方がなかった。


そこへ――。


「こんなところにいたっ」


声に反応して振り返ると、そこにいたのは一条くんだった。


「…一条くん!」

「急にいなくなるから、スタッフの人が心配してたぞ」

「ああ…、うん。そうだよね…」


一条くん、探しにきてくれたんだ。


「やっぱり……戻らなくちゃいけないよね」

「なに言ってんだよ。まだ撮影、残ってるんだろ?」

「…うん」


でも、戻ったらラストシーンを撮らなくちゃいけない。

怜也との…キスシーンを。


憂鬱そうに俯くわたしの手を…一条くんが取った。


「じゃあ、ちょっと俺に時間ちょうだい」

「…え?」


わたしの手を引くなり、駆け足で走った。


どこへ連れて行かれるのかと思ったら、着いた場所は池にあるボート乗り場。


「一条くん…!?撮影の時間が――」

「戻りたくないんだろ?だったら、俺の言うこと聞けよ」


いつもなら、わたしの意見を聞いてくれる一条くんだが、なぜか今は強引。


そのまま、案内されたボートに乗り込んだ。


不規則な水面の波に揺られながら、一条くんの漕ぐボートは少しずつ岸から離れていく。


わたしたちがさっきまでいたところはとても遠くに感じて、まるで2人だけの世界へ迷い込むかのよう。


「強引に花宮さんを付き合わせたみたいになったけど、機材トラブルでさらに30分休憩を伸ばすんだって」

「そうなの?それを伝えにわざわざ…?」

「…まあ。それと、気になることがあって……」

「気になること…?」


わたしが尋ねると、一条くんはボートを漕ぐのをやめた。

いつの間にか、ボートは大きな池の中央付近にまできていた。


聞こえるのは、水面がボートに当たる水音と、優しく髪を撫でる風の音だけ。


静まり返ったボートの上で、一条くんがまっすぐにわたしを見つめた。


「花宮さん。あいつから…聞いた」

「あいつって……。…怜也のこと?」

「…そう。ラストシーンで、あいつとキスするって…」


一条くんから『キス』という言葉が出てきて、胸に針が刺さったようにチクッと痛んだ。


「でも、お似合いだからいいんじゃねぇの?やっぱり花宮さんに似合うのは、ああいう男なんだと思う」


待って…一条くん。

…なにか勘違いしてる?


わたしは怜也のことなんて、なんとも思ってないのに…。


「一条くんは、イヤじゃないの…?」

「…え?」

「わたしが…たとえお芝居とはいえ、他の男の人とキスするの……」


気持ちのないキス。

だけど、演技中は役に気持ちを乗せてキスをする。


どのようなものであれ、わたしが怜也にファーストキスを奪われることに変わりはない。

それに対しての一条くんからの返事はない。


気まずさで水面に目を移すと、今にも泣き出しそうなわたしの顔が映っていた。


このまま…このボートに乗って、どこか遠くへ逃げ出せたらいいのに…。


そう思っていた、――そのとき!


ボートが大きく揺れたかと思ったら、わたしは一瞬にして強い力に引き寄せられた。


固いものが顔に当たって驚いて見ると、それは一条くんの胸板だった。


さっきまで向かい合わせで座っていたのに、わたしはいつの間にか、一条くんの腕の中に抱きしめられていた。


「…イヤじゃないわけないだろっ。お前が、他の男にキスされるなんて…!」


わたしを強く抱きしめながら、耳元で一条くんの悔しそうな声が漏れる。


「俺、…ちっせぇ男だよ。ただの芝居だってわかってるのに、こんなにムキになって…。でも、花宮さんがあいつにキスされるところ想像すると……冷静じゃいられなくなるっ」
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