聖なる剣と氷の王冠

紫夕

文字の大きさ
上 下
3 / 7
ムンライ

第一章三話

しおりを挟む

 デルカを家まで送り届けると、ノルカとソルカが不安げに出迎えた。どうやら、先程のゼルスの剣幕を引きずっていたらしい。「怒ってはいない」と表情を和らげると、ソルカはほっと脱力して、ゼルスの腕を取った。先程強引に振り払った手前、彼を傷付けてしまったのだろう。罪悪感があった。ノルカも気まずそうな顔を浮かべているが、「上がっていって」と扉を押さえている。
 背の低い小屋の入り口をくぐれば、デルカとは反対側に、ゼルスを挟むようにソルカが陣取った。ノルカは、少し離れた場所から、ゼルスの顔を窺った。
「デルカ姉さんに迎えに行ってもらって正解だったよ。おかげでゼルス義兄さんの機嫌は直ったみたいだ」とノルカが言った。
「ゼルス義兄さんは気が短いんだ。僕らの話もまともに聞いてくれないし」ソルカはいじけたように付け加えた。そう言いながら、先程から兄弟の視線はデルカの左手に嵌められた指輪に釘付けだった。そして、苦虫を噛み潰したかのようにそれを見つめている。どうやら、ゼルスが機嫌を損ねる原因の───何かは分からないが重大なものを見つけてしまったのではないかと、胸を騒がせていたようだ。
 きっと、二人がどこかで盗んで来たものだとゼルスが勘違いしたから怒ったのだろうと、兄弟達は思っているに違いない。それなのに、しっかりとデルカの指に嵌められている指輪を見れば、怒っている癖にデルカへの贈り物にしたゼルスの矛盾した行動に、不服の込められた感情が兄弟の目から伝わってくる。
 そんな三人の微妙な空気も、デルカには関係がなかった。
「ノルカとソルカが言ってた、素敵なものってこれのことでしょう?」
「そうなんだ。綺麗だし、姉さんも喜ぶと思った」
「僕らが見つけたんだよ。義兄さんから姉さんに贈って欲しくて」
 口を揃えて褒め称える弟達に、デルカも気分を良くしたようでゼルスにしなだれかかってくる。ゼルスは、デルカの機嫌を損ねないように優しく頭を撫でた。咳払いをする。本題に入るには、緩くなった場を改める必要があったのだ。
「それで、この指輪のことだが──どこで見つけたのだ?」咳払いした痰が絡んで、凄んだ声が出た。隣に座ったソルカが、再び緊張した様子で姿勢を正すとノルカに視線を投げた。ノルカは答えた。
「魚を獲りにメルー川まで行ったんだよ。そこで拾ったんだ」
 ゼルスは頭を抱えた。メルー川は、ムンライからほど近い森とユルドミアの境にある大きな運河だ。シーマとユルドミアが戦を始めてからは武器と兵士を乗せた船が往来しているのが常だった。かつては交易も盛んな川であったが、そのような商船は滅多に見かけなくなっていた。
「どうしてわざわざ危険を冒す」ゼルスは尋ねた。
「大袈裟だよ」とソルカは笑って答えた。それが不思議だった。この村の中だけで育った兄弟は、恐らく戦と言うものが理解出来ていないのだろう。ゼルスも身を持って経験したことがあるわけではないが、幼い頃から父であるダルスに戦について語り聞かされ、後のシーマの為にと共に剣を握ってきた。だからこそ興味本位で戦地となっている隣国を間近に見られる場所へ向かう行為が、いかに危険なことなのかは十分に分かっていた。
「あそこには近寄るなと前から言っていただろう」ゼルスの眉間の皺が深くなっていくと、それを見たノルカが更に笑った。
「大丈夫だよ。川の流れが反対だから、ユルドミアの人間はこの村には来られない。そうでしょう?」
「ノルカの言うとおり。メルー川の激流に逆らって来られる船を、ユルドミアが作れる訳がないよ!」
 ソルカは威張ったように、鼻息を荒くした。
「───では、どうしてユルドミアの紋章が刻まれた指輪がメルー川で拾えるのだ?」
 ゼルスの言葉は、仲睦まじい兄弟から笑顔を奪った。代わりに、引き攣らせた目元からようやくゼルスの言いたいことが伝わったようだ。
 デルカも、いよいよ指輪に興味が湧いたようで食い入るようにその左手に嵌められた指輪を大きな瞳で見つめている。
 ユルドミアの人間がこの地にいる可能性がある。まして、紅玉の中で繊細な紋様が描かれているのだ。そのような技術があり、高価な宝石を身にできる者といえば、恐らくユルドミアの中でも相当の権威のある人間であること。ゼルスは自身が口に出すことで、嫌な予感がただの思い過ごしであれば良いと願った。しかし、口にすればするほど、この場にある指輪の存在が恐ろしくなる。
「───きっと指輪は鳥が運んだんだよ」しばらくしてノルカが言った。ゼルスの隣で俯いていたソルカは、はっと青い顔を上げた。デルカも、元から丸い目を更に丸く光らせると、手を打ち合わせた。
「確かに、鳥は光るものが好きよね。私も昔、ダルスおじ様に買ってもらった鏡を大きな鳥に取られたことがあるわ。ええ、きっとそういうことだったのね。持ち主も分からないなら、落とし主が現れるまでは私が持ってても悪いことじゃあないわよ」
 デルカの声は自信に溢れていた。デルカの思う結果が全て。自らが正と言えば、悪も正なのだ。ゼルスは昔から、心根の強いデルカが憧れで、好ましい所であると思っていた。しかし、今回の出来事で言えば、安易にそれが正しい結果だったとは思えない。それがユルドミア──敵国の紋章指輪だとすれば身に付けているだけで危険極まりなかった。やはり、それは大事な許嫁には持っていて欲しいものではない。
 ゼルスは、未だ隣で肩を並べているデルカの手を取った。細く小さな指に収まっている指輪は、下品な程に赤く輝いている。それに、触れた。
「待って、ゼルス兄さま何をするの?」デルカが素早く身を引いた。ゼルスは、デルカの肩に手を置きながら言った。
「やはり、それはダメだ。俺が捨ててこよう」
「どうして?大丈夫よ」
「危険すぎる」ゼルスは更に詰め寄った。
「嫌よ!」
 ゼルスの頬に、衝撃が走った。デルカが頬を打ったのだ。その目には涙があった。ノルカとソルカが目を見開いている。ゼルスも唖然とした。この国では、男の立場がどうあっても強い。女は男を立てるもので、男は女を守って然るべきものだった。まして、女が自らの手を上げることはあってはならないことであり、それは男の尊厳を傷付けるに等しいことであった。
 ゼルスも、沸々とした怒りが湧き上がる。ゼルスは、昔からデルカに甘いことは自覚していた。多少のデルカの甘えや我儘も、愛するが故に目を瞑ってきた。気を許した相手にだからこそ見せる姿だと思っていたからだ。
 しかし、今度の我儘はあまりにも行き過ぎだった。デルカが欲した指輪は、この地にあってはならないものであり、万が一でも敵国に見つかれば、命まで危うい。どうしてそれが分からないのだ。
「明日にでもユルドミアの人間がこの地に現れて、お前のその手に嵌められた指輪をみたらどうする」
 ゼルスの声は喉の奥で震えていた。ゼルスの怒りがデルカにも伝わったらしい。更にデルカの目に怒りが宿った。
「こんな村に、ユルドミアの人間が何の用があるっていうのよ。有りもしない考えを押し付けないで!そもそも、危険だなんて言いながらこの村に私を押し留めてるのは兄さまじゃない!本当なら今頃、シーマの騎士の妻になって、こんな村から出られる筈だったのよ!それがこんな……!こんな村、ダルスおじ様が初めからシーマに明け渡しておけば良かったのよ。そうしたら、無駄死にだってしないで済ん……」
 それ以上は言わせなかった。ゼルスは、デルカの頭を胸に強く抱き締めた。そういうことだったのかとゼルスは一人納得した。我慢させていたことは分かっていた。しかし、父を貶める言葉をデルカの口からは聞きたくなかった。ゼルスの怒りは恐ろしいほどに静まっていった。怖くなったからだ。デルカは本当にゼルスを愛しているのかが。
 これまで幾度となく囁いてきた愛は、デルカには伝わっていなかったのか。言葉や行動だけでは足りない何かがあったのか。考えれば考えるほどに、ダルスが死んでからの数年間の自分とデルカを思い返す。
「………今日はもう失礼する」味気のない抱擁からの開放だった。ノルカとソルカが、口も挟めないでいた。ただ、静かに二人の成り行きを見守っていた。ゼルスは呆然と立ち上がった。デルカとは目も合わせることが出来ない。
 そのまま、天井の低い小屋を後にしようとすれば後ろからソルカの声が聞こえてきた。
「義兄さん───ごめんなさい」ゼルスは答えなかった。
 


 




 
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界から来た黒騎士は、大国の皇帝に望まれる

BL / 連載中 24h.ポイント:42pt お気に入り:311

チョロい俺は振り回される ~side 仙崎~

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:14

スーツの下の化けの皮

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:35

処理中です...