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第十三話 休日と先輩

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 早起きして、日課のランニングを済ませて、ご飯も食べた。一人暮らしで家事も全て自分でこなさなければいけないから、時間にも余裕を持っていたはず。なのに現在、俺は遅刻の危機に焦っていた。
 最寄駅から県立図書館までは、電車で二駅だ。30分もあれば、お釣りが来るくらいで、スマートに先輩を待つつもりでいた。しかし───。

「……はあ、はあ……すみ、すみませ……真白先輩…!」
「あはは、今日も走ってきたの?」

 県立図書館の時計台の前で、真白先輩は片手を挙げて俺を迎えてくれた。肩で息をする俺の背中を軽くさすりながら、「焦らないで良かったのに」と笑っている。
 そんな先輩を見て、俺はやっぱりもっと早くアパートを出てくれば良かったと肩を落とした。



遠目で時計台の前の先輩を見つけた時、俺は白目を剥きかけた。
 腕時計を気にしながら、モデルさながらの出立ちで俺のことを待つ先輩は綺麗で格好いいが、どこか隙のある風体をしていた。
 道ゆく人の視線を奪いながらも本人はそれに気付く様子も無く、待ち人を探して視線を彷徨わせている。甘い端正な顔立ちの青年が、待ち人を探している様子はどこか頼りなげにも見えた。そんな彼の姿が、愛しい恋人を待ち侘びるドラマのワンシーンのようで、誰も彼もが足を止めてうっとりとしていた。
 先輩から少し離れたところに囲うようにして出来たサークルを見て、大学生くらいの女の子達が「あれってもしかして撮影かな?」「え~!カメラと共演相手どこだろ。あんな綺麗な男の子リアルで見るの初めてかも~」なんて言って、居るはずのない撮影スタッフや芸能人やらを探している始末だ。
 俺は更に駆け足を速めた。サークルの輪を崩して、その人の待ち人は俺なんだと叫びたい。
 そして真白先輩の肩を掴んで、学校での鉄壁具合はどうしたんですかと強く問い詰めたかった。なんて、遅刻した俺がそんなこと出来る訳もなかったのだが。



「……はあ。すみません、真白先輩のこと待たせてしまって」
「いいよ。ほんの10分程度だし、司が急いで走ってくるのも見えたから」
「焦りますよ!だって急がないと俺がいない間に先輩がナンパとか芸能事務所のスカウトとかに連れていかれると思いましたし」
「ふふ、何それ。司と約束してるのに、勝手に他の人と何処かに行くわけないだろ」

 先輩の変わらない笑顔にホッとして、息を整えてから、初めて見る先輩の私服姿を靴先から艶のある髪の一筋まで眺める。
 今日の真白先輩は、いつもより何だか緩んだ雰囲気だ。白のサマーニットに、黒のジーンズ。それに、学生がするには高価に思える品のいい腕時計と、肩掛け鞄。
 後毛を残して緩く結んだハーフアップが、いつもよりも気さくな雰囲気を感じさせた。
 見慣れたスポーツウェア姿でも、パリッとした制服に身を包んだ姿よりも、気軽に声を掛けやすく、確かに今にも真白先輩を囲っていたハイエナ達が飛びかかりそうだったのも頷けてしまう。

 ───先輩は、周りからの視線を気にしなさすぎだ。

思わず眉間に皺を寄せてじっと見下ろした俺の視線に、逸らすことなく先輩は俺の瞳を覗き込んでくる。微笑しながら俺の言葉の続きを待っている先輩は、俺の心配ごとなど、全く理解していないだろう。むしろ、先輩からしたら要らぬ心配だと笑って一蹴されてしまうかもしれない。
 眉間に寄っていた皺を軽く揉んで、俺は先輩に笑いかけた。

「先輩の私服姿初めて見ました。格好いいですね。似合ってます、凄く」

 俺の一言に、先輩の整った眉の形がピクリと跳ねた。

「……やっぱり司ってモテそうだよね」
「はははっ。ありがとうございます!このシャツ気に入ってるんで、似合ってるなら良かったです」
「うん、シャツも格好いいと思うよ」
「シャツも?」

 言外に含みを持した言い回しに首を傾げていると、真白先輩が、俺の胸元をトンと指した。

「司が、格好いいんだよ」
「…………は?」
「皆、さっきからずっと司のこと見てる」
「そ、れは……俺じゃなくて先輩のことを見てるんじゃ」
「違うよ、司が格好いいから見てるんだよ」

 嬉しい。おかしい。なんだか頭がふわふわする。ようやく落ち着いていた筈の心臓が、ドクリと大きく俺の胸を叩き出した。
 突如、昨日先輩と起きた出来事が、俺の脳内でフラッシュバックする。
 揶揄ったような、本音みたいな。そんな戯けた雰囲気でカラカラ笑っている先輩の笑顔を見つめた。

(やっぱり昨日のこと、確認した方がいいよな)

 世闇に紛れて俺の胸に飛び込んできたいつもとちょっと違った先輩。そして、どうやらその記憶がない…というらしい先輩。きっと誤魔化されただけだと思うが、それを今、本当に確認していいんだろうか。先輩は、無かったことにしたいのかもしれないのに。
 躊躇いがちな思考とは反対に、勝手に口が動き出した。
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