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第八話 更衣室と先輩
しおりを挟むグラウンドの一角に、男子陸上部員専用の更衣室が設けられている。
慌てて更衣室に駆け込もうとした俺を横目にして、既に部員の殆どがスポーツウェアに着替えてストレッチを始めていた。その中には、真白先輩も混じっている。
「お疲れ様でーす!」
「よっすー。小嵐遅いぞー」
「一番最後に来た奴はグラウンド五周追加なー」
「勘弁してくださいって。速攻着替えてきます!」
先輩達の雑な絡みに笑って答えつつ、それとなくで真白先輩に視線を寄越せば、真白先輩もこっちを見ていた。「あ、」と口を開こうとすれば、ビシッと更衣室を指差して『は、や、く』と唇を動かして笑っている。
こくこくと頷いて、更衣室に飛び込めばどうやら本当に俺が最後だったようで、既に部屋の中はもぬけの空だった。更衣室に備え付けられたベンチには、誰の物かも分からないスプレーやら、制服の脱ぎ散らかしが放り投げられている。
「ったく誰だよ、このシャツ」
拾い上げて、何となく畳んでベンチの端に置いてから自分のロッカーを開く。一個一個、ボタンを開けて着替える手間が惜しくて、頭からシャツを引き抜こうとすれば、バタンと更衣室の扉が開いて閉じる音がした。
「あ、俺が最後じゃなかったんだ。お疲れっすー」
シャツのトンネルから頭が抜け出せないまま、同学年とも上級生とも知れない相手に挨拶を交わせば、特に返事もないまま俺の側までその誰かが寄ってくる気配がする。
「ん?誰?悪りいんすけど、ちょっとシャツのボタン一個外してくれないすか。頭抜けなくなっちゃって」
今の俺のポーズは、まさに間抜けという他ないだろう。目の前に立つ誰かに助けを求めれば、どうしてか目の前の人物は何も言わない。
「あのー……」
首に、誰かの指先が触れた。それは、どこかよそよそしく遠慮がちな手付きでもどかしい。どうやら、俺の頭に絡まったシャツから、ボタンを探そうとしてくれているみたいだ。
俺は黙ってそのまま、ボタンが外れるのを待った。何故か、恥ずかしかったからだ。
相手の躊躇いがちな手付きに、じわじわとした羞恥心が芽生える。別に、何もおかしいことはしてないはずなのにどうして相手は何も言わないのか。俺も、どうして何も話せなくなったのか。
ぷつり、と首を絞めていたボタンが外れる。
「はあっ…!助かった。ありがとうございま……しろ先輩!」
「……………………」
驚いた。まさか、目の前にいたのが真白先輩だとは思ってもみなかったからだ。さっきまで、部員達に混じってストレッチを始めていた先輩が、どうしてここに。
「あのー、先輩?」
「………………」
真白先輩は、俺の顔をじっと見つめたまま何も言わない。表情が抜け落ちたように、その綺麗な顔からは全く感情が読み取れなかった。俺を観察しているようで、その実何も考えていないような目だ。
心配になって、先輩の肩を掴んだ。すると、ハッとしたように先輩は視線を逸らした。
「先輩、どうしたんです?どうしてここに?」
「……………」
「何か忘れ物でも?」
「…………」
「なんで何も言ってくれないんですか?」
「………………」
「もしかして……俺、先輩に何か嫌なことしちゃいましたか?」
「………………………ねえ、」
「え?」
一瞬口を開きかけてそのまま、真白先輩は完全に黙りになって固まってしまった。
しかし、先輩から何も言葉が返ってこないというのはこんなにもつらいのか。先輩の肩に手を置いたまま互いに無言。時間にすれば、たったの数分。多分、3分も無かった気がする。
───突然、先輩はパチクリと大きく瞬きをすると視線だけで周りを見回した。そして、目の前には落ち込んだ俺が目に映ったみたいだ。ほんの少しの上目遣いで、不思議そうな顔をしている。
左手にはシャツを握ったまま、何も着てない俺を見てしばらく黙ったまま、急に先輩は笑い出した。
「あはは。司、どうしてそんなに落ち込んでるの」
「あ……。だ、だって先輩。俺が何言っても喋ってくれなかったじゃないですか!」
「あー……ごめん、ごめん。揶揄っただけ」
「やめてくださいよ~!普通のドッキリよりタチが悪いですって」
真白先輩は肩に置かれたままだった俺の手をそっと掴んで下ろす。
「ふふ、俺だって驚かされたよ。裸の司が黙って俺の肩に手なんか置いてるから、いったい何されるんだろうって。だから、その仕返し」
「な…!何もするわけじゃないですか!大体、先輩がずっと黙ってるから、俺だって何も話せなくなったんじゃないですか!」
「ふふふ」
「も~!笑い事じゃないですよ、死活問題です。先輩に無視されるのが正直一番きついんですからね」
「……中須賀より?」
「あいつが俺を無視することなんて、いつもの事なんで全く気にしないです」
「そうなんだ?」
「そうなんです!」
グッと拳を握って、俺にとっての先輩の大きさを伝えてみる。先輩は俺の憧れの人だ。中須賀も大事な友人だが、先輩とは比較にだってならない。そもそも、友人と憧れの人っていう枠組みからして違うからだ。本当は憧れの人から、親友に格上げしてもらいたいのだけど、どうやらそれはまだ早いらしいから。とにかく俺にとって大事な人であるということだけは分かってほしい。
先輩はひとしきり笑い終えると、俺からシャツを奪い取って、ベンチに放った。わざとか否か、先ほど俺が畳んだばかりの誰かのシャツの上だ。
「熱弁有難いけど、本当にそろそろ時間は気にした方がいいよ」
「あ!それ、せっかく畳んだのに」
「いいのいいの。それ、俺のだから。もし後で間違って着ちゃっても、司なら許せるし」
「えっ……と。真白先輩って、そんなに無頓着な人でしたっけ?」
「いや、ちゃんとハンガーにかけてロッカーにしまっていたよ」
「ん?でも、そこに放ってありましたけど」
「司が畳んでくれたんでしょう?ありがとう」
「いや、そうではなく」
「……気にしないことにしたんだ。洗えばいいんだし」
先輩が、何を言っているのか分からない。とにかく気にしたら負けなのだというからそうなのだろう。
急いで、と真白先輩に急かされるままに俺は今度こそ大慌てて着替えを済ませた。
どうやら先輩は、ストレッチを手伝ってくれるつもりだったらしく、俺の様子を見に更衣室まで戻ってきてくれたみたいだった。───だけど、
「小嵐くん。アップ、グラウンド十周です」
「ええ!」
ストレッチに混ざる前に、正喜さんの鬼コーチぶりが発揮された。
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