深淵に咲く花の名は

さくらんぼん🍒

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第十二話:紅く染まりし蕾たち

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「うーん!やっと地上に戻ってぇー来ぃたぁー!」
天高く手を伸ばすカエデの声が、大宮の朝市に響く。

燦々と降り注ぐ陽光が、帰還を果たした三人を照らす。
露店から漂う出汁の香り、威勢の良い掛け声、行き交う人々の喧騒。
すべてが心に染みわたる。

三十界からの帰路は叢雲の志士が同行してくれていたおかげで、心なしか足取りも軽い。
石畳を踏む音が、生還の実感を三人に刻み込んでいく。

サクラとツバキも深いため息をつく。
「疲れたぁ...」
「我が魔眼も休息を求めているようだ...」

朝露に濡れた空気が、深淵の迷宮での緊張を優しく溶かしていく。

「じゃあ僕らは別件があるからここで。とにかく無事でよかったよ。」
蔵人が手を振った。
(ふん!早く行きなさいよ!あれ...胸がチクチクする...これも怒りだきっと!)
サクラは胸にそっと手を置いた。

「ちゃんと求道者の杜に報告に行きなさいよ?」
彩芽が三人に指を刺しながら言う。

「まぁ!楽しかったぜ!またな!がはは!」
暁の豪快な笑い声に、カエデとツバキも思わず笑みがこぼれる。

「......。」
巴は無言で手を振っている。

「「「ありがとうございました!」」」
寄り添うように並んだ三人の影が、市場の石畳に長く伸びていた。

燕が二羽、朝空を横切る。
早朝の光が市場に差し込み、露店の幔幕が風に揺れる。

──そして。

数日前まで深淵の迷宮の三十界にいた三人は、今、いつもの雑貨屋『源じいの店』の前に立っていた。
古びた看板が軋むような音を立て、ゆっくりと揺れている。

「よーし!ふふふ...今日こそ天麩羅よ...くくく!」
サクラが意気込んで言う。

「ご、ごめん...サクラ...」
カエデは申し訳なさそうに前足で地面を掻くと、勢いよくサクラに視線を移す。
「私!お寿司も食べたいッw」
耳がピクピクと期待で動いている。

「ふむ...我はすき焼きも...w」
ツバキが左目を押さえながらニヤリと言う。

「大丈夫よ!」
サクラは自信満々に胸を張る。
「だってほら?これ!」

サクラは誇らしげに目玉の詰まった袋を掲げる。
朝日に照らされた袋が、まるで宝物のように輝いて見えた。
「百々目鬼の目玉よ!しかも五十匹分で百個!ねぇ凄くない?」

「うん!」
「これは期待出来るぞ!」

店のドアを開けると、真鍮の鈴の音と同時に源じいのいつもの声が迎えた。

「おー!生きてたかー!良かったな。お前ら探されてたぞー!」

源じいにとって三人は、もう孫同然だった。
貧民街で暮らす彼女たちの成長を、ずっと見守ってきた。

「源じい!ただいまー!」
カエデが元気よく飛び込む。
尻尾が嬉しそうに左右に揺れている。

「見て見て源じい!百々目鬼の目玉!しかも五十匹分!」
サクラが得意げに袋を差し出す。その手は少し震えていた。

古い木の床が軋む音を立てながら、源じいはカウンターの向こうから歩み寄ってくる。
台の上の老眼鏡を直しながら、おもむろに袋を開ける。

「おおお!百々目鬼の目玉とは珍しい!これは高値が...って...あれ...」

源じいの声が途切れた。店内に重たい空気が流れる。

「え?」
三人が首を傾げる。不安が少しずつ広がっていく。

源じいは一つの目玉を取り出して、じっと見つめる。
老眼鏡の奥の目が細まる。
「なんでこの目玉...全部真っ赤に充血してるんだ?」

「あー!それはね!」
サクラは誇らしげな様子で両手を大きく広げ説明を始めた。
「私の必殺の目潰しスペシャルで倒したからよ!唐辛子の目潰しをバーって!それでギャース!バタバターって!ゲラゲラゲラーって!」

「「サクラ、それ自慢げに説明するの止めて...」」
カエデとツバキは既に悪い予感がしていた。
カエデの耳が不安げに揺れ、ツバキは左目を強く押さえている。

源じいの表情が曇り、同時に店内の空気が一気に重くなった。
「おいおい...百々目鬼の目玉は白く澄んでいるからこそ価値があるんだぞ...?」

「...へぇ?」
サクラの笑顔が凍る。両手が宙でピタリと止まった。

「充血して真っ赤になった目玉なんて...まともな値段はつかないよ...」

「「「え?」」」
三人の声が重なり、店内に響く。

「せいぜい...一つ五玉ってとこかな。白かったらひとつ五~十万玉はくだらんかったが...」

シーン...と静寂が流れる。
朝市の喧騒さえ、まるで遠い世界の出来事のように感じられた。

「いや...でも五十匹分で......」
サクラは泳ぐ目と震える声で計算を始める。
「五玉としてもだよ?えっと...数にして百個...あるから...えーと...五億玉じゃない?」

「ご、ごごごごごごおく?」
カエデの尻尾がピンと棒立ちになった。

「サクラ!カエデ!落ち着け!五百万玉相当だったが...五百玉...のようだ...」
ツバキが冷静に計算し、目頭を抑えた。

再度シーン...と静寂が流れる。
店内に漂う埃が、朝日に照らされてきらきらと舞っている。

「ね、ねぇ?ジャストアイデアなんだけどさ?もうこの店を強盗しない?それか源じいを人質にして求道者の杜に身代金と逃走用の大八車を要求しない?私、全力で大八車引っ張るよ?」
サクラが錯乱している。

「う、うん?ちょっと考えさせて?あ!逃げるならさ!船のが良くない?」
カエデも混乱している。

「お前ら落ち着け。」
ツバキが諭す。しかし、その左目からは涙が溢れ出ていた。

「サクラ。お前のそういうとこは変わらんのなw」
源さんが笑う。

再度シーン...と静寂が流れる。
店の外の子供達の楽しそうな声が店内に響く。

「ま、まぁ...頑張って次は白い目玉をな...」
源じいは申し訳なさそうに言う。

「天麩羅ぁ...」
サクラの目から涙が溢れ出す。
幼い頃から、市場の天麩羅屋の前で立ち止まっては、揚げたての香りを胸いっぱいに吸い込んでいた。
ずっと夢見続けた憧れの味。
その一粒一粒の涙が、夢と共に床に零れ落ちる。

「お寿司は...」
カエデの耳が垂れ下がる。
毎日のように通る魚屋で、新鮮な魚を見るたびに想像していた。
どんな味がするのだろう?尻尾も力なく地面に付いた。

「すき焼きも...」
ツバキの左目が潤む。
本で読んだ究極の贅沢。
肉を食べられる日が来るなんて、想像もしていなかった頃の夢。

「私のせいで...私の戦法のせいで...」
サクラはその場にへたり込む。
埃っぽい床に、涙の染みが広がっていく。

「いや...サクラ!大丈夫だよ。五百玉あればさ?いつも通り三人で一杯のかけ蕎麦を分けれるよ?」
カエデが優しく言う。
震える声の中にも、強がりが滲んでいた。

「我らはサクラの作戦で生き延びられたのだから...むしろ感謝してるんだ。気に...する...な...」
ツバキも頷く。その言葉には深い真実が込められていた。

サクラは突然立ち上がると、
「うわぁぁぁぁん!!!天麩羅ぁぁぁぁ!!!」
と叫びながら街を走り去っていった。
朝日に照らされた涙が、光の粒となって散っていく。

その後ろ姿を見送りながら、カエデとツバキは深いため息をつく。
「はぁ...」
「全ては運命(さだめ)...」

そして二人も、
「お寿司ぃぃぃ!!!」
「すき焼きぃぃぃ!!!」
と叫びながら、それぞれ別の方向に走り去った。

源じいは呆れた顔で三人の背中を見送りながら、
「まったく...相変わらずだなぁ」
と笑った。

朝市の雑踏の中、三つの影が別々の方向へと消えていく。

この時の三人は気付いていなかった。
──三人の階梯がとんでもなく上がっていることに。

(つづく)
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