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25 王子の境遇

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「鋭いね。どうしてそう思った?」

「公爵のお屋敷で助けて下さった時に使われていらした言葉が、その、私たち貴族が使う言葉と違っていましたので。あれは市井で暮らす方々が使う言葉ですよね」

 フィリアの言葉を受けてクリフォードが苦笑いを浮かべる。

「そこかあ、夢中だったから俺も迂闊だったなあ。……この話は本当は知られてはダメなのだけれど、12歳の時に母のに命じられて、連れて行かれた先がスラムだったんだ。突然イーサンと二人きりで、少しの銅貨だけを渡されて、スラムの奥に置いていかれたんだ」

 フィリアは眉を顰めて手を口許に当てる。

「どうして…?」

「スラムでの経験が、その後に連れて行かれた先で必要だったからかな。あ、表向きは田舎で病気療養してる事になっていて、兄上も俺が何をさせられていたかまでは知らないと思う」

 クリフォードはクッキーを一枚摘まむ。

「王宮に居た時は菓子なんて毎日食べていたのに、あの頃は固いパンひとつ手に入れるのも大変だったんだ。でもギリギリのところでいつも食べ物や薬が手に入っていたから、どこかで監視と報告がされていて、死なない程度には調節がされていたのだと思う」

 フィリアはクリフォードの様子を伺いながら、どこまで聞いていいのかを考え、慎重に次の質問をした。

「スラムの後はどちらへ?」

 この質問には答えてもらえないと思ったのだが、意外にもクリフォードはあっさりと当時の事を話し出した。

「とある地方に、一見して古くて打ち捨てられた外観の王家所有の古城があるんだ。町や村や街道からも離れていて、滅多に人が寄りつかないところなのだけど、スラムで数ヶ月過ごした後は、その場所に連れて行かれて2年ほど過ごした」

 そこでクリフォードは立ち上がり、履いているブーツの踵部分に指を入れて何かを取り出した。

 意味深にフィリアを見て、取り出したものを見せてくれる。

 それは細身のナイフだった。

「あそこの木を、よく見てて」

 そう言って、少し離れた場所に植えられた1本の細い木を指で指すと、シュッとナイフを投げて見事に木の幹にナイフを命中させてしまった。

 クリフォードは歩いてナイフを回収すると、ブーツの中に戻した。

「この間キミを助けた時に、こういう事が出来て良かったって、初めて思ったよ。他にどんな事に使ったのかは聞かないでね」

 クリフォードは悲しそうに笑った。

「その古城は正式にはちゃんとした名前があったのだけど、組織としての名称であるオスクリタという名で呼ばれているんだ。ある国の言葉で、暗闇とか不明瞭って意味の言葉らしい。あそこにピッタリな名前だって思うよ。俺はさっきのナイフの投げ方をオスクリタで教わったし、他にも色々な事を教え込まされた。これだけ言えばどういう場所かキミなら分かるよね?」

 こんな特殊能力を使うのは一握りの者しかいない。

「王家が持っていると言われる、影に関係する場所ですか?」

「うん、影たちも最初は少し能力が高いと判断された普通の人で、オスクリタで厳しい訓練を受けて、様々な技術を身に付けて影となるんだ。そこで俺とイーサンは影としての訓練を受けていた。俺は王子教育があったから2年で王宮に戻されたけれど、イーサンは更に2年もあそこにいたんだ。さすがに俺も可哀想だと思ったよ」

「王子なのに、ですか?」

「王子だから、かな?正確には王位を継がない予定の王族だから、母の跡を継いで俺が影たちを取りまとめる為に、俺も影として働いていた時があった。病弱な王子として王宮の奥に引き籠もっていることになっていたから、何でもさせられたよ」

 フィリアが目を瞠る。クリフォードはそんなフィリアを気にせず、いつものように音も立てずに綺麗な所作でお茶を飲む。

「母がどうして俺たちをオスクリタへ入れたのか分からないけれど、影を使うならまずは現場を知れって事だったのかな?でも俺は、戻される時までは何も聞かされていなかったし、突然スラムに放り込まれただけだったから、あの時期は廃嫡されて王家から捨てられたと思っていたよ」

 12歳といえば、貴族だったら子供同士のお茶会に参加して、マナーを覚えながら社交をしている時期だ。

 社交をさせながら、子供同士の相性を見て、婚約者を決めていく。

 騎士の家系だったら、剣術を本格的に始める子息もいるが、クリフォードの置かれた環境は特殊過ぎる。

「スラムでの生活が慣れた頃には、攫われるようにオスクリタに連れて行かれて、そこでも俺の立場的な事は知らされなかったし、買われて来たとか似たような子供もいたから、俺たちもスラムの子供として攫われて連れて来られたと思っていたんだ」

 先ほどクリフォードはちょっと過酷なところと話していたが、想像以上の境遇に、フィリアは何も言えなかった。

「オスクリタで暮らした最後の日に、それまで厳しかった教師達に突然傅かれて、昔着ていたような貴族の子弟が着るような服を着ろと言われた時は驚いたよ。着ないとイーサンを殺すと言われたし、戻るしかなかったんだよね」

 クリフォードはフィリアをじっと見つめながら話を続ける。

「だから、この間フィリアが俺に選択の自由を与えて欲しいって兄上に願い出た時は驚いたんだ。俺に自由を与えようとする人なんて今までいなかったから、凄く嬉しかったし感動したんだ。……あんなに心が動いたのは初めてだった」

「クリフ様……」

 フィリアはやるせない気持ちになってしまった。クリフォードの意思に関係無く、周りが彼に求め過ぎるのだ。そして不幸な事に彼にはそれに応えるだけの能力や才能があった。

「もしかして前王妃樣も訓練を受けていたのですか?」

「いや、母上は違う。影を使っていた人物が亡くなったので、母上は一次的にその役目を持たされていた。そいつは強くなかったから、俺ほどの目には遭っていなかったと思う。影の取りまとめ役って、やる事が多い割に何をしているかは言えないから、社会的に目立たない立場の方が動きやすいんだよね。俺も前任者については親族だけど、表での事は名前くらいしか知らないんだ」

 第二王子のクリフォードは、王太子のスペアではあるけれど、王太子に何かあった場合は王となる人物だ。そんな高位の存在を年単位で市井や影の役割なんてさせていいハズはない。

「……前王妃様はクリフ様に何を求められていらしたのでしょうか?」

「母上はとても賢い人で、その才能を小さな頃に見込まれて、帝王学とか治水や農業の事とか、女性ながらに様々な教育を受けた人だったんだ。王妃となった後は、兄上に政治的な知識と権力を持たせて、俺には王家の影を掌握させた上で、ポナー家との縁組で財力を持たせたいと考えていたんだ。要するに、兄が表で王として国を治めて、俺には裏から兄の政を支えさせたかったらしい」

 前王妃が賢妃だったのは有名な話だ。亡くなった今も、王太子に王妃を重ねている者は多い。

「兄上は子どもの時から盤上ゲームが好きで強かったのだけど、政治に対してもゲームのように考えるクセがあるんだ。少ない労力で最大の利益をどうすれば得られるのか、とか考えるのが大好きなんだ。でも動かされる人間の事なんて考えないから、無茶な計画を考える事もある」

 フィリアの父が今回の事はフレデリックがシナリオを書いたと言っていた。

 弟の婚約者である伯爵令嬢を勝手に囮に使い、危険な目に合わせたのだ。たとえ結果が上手くいってもやり方が良くない。

「兄の性格を考えた母は、俺に政治以外の力を持たせて、兄への抑止力にしようと考えたんだ。俺からしたら母も兄も同じ人種なんだよね。スラムでの生活はオスクリタがさせた事で、母も知らなかった様子だったけれど、普通は自分の子供に実地で影の役割なんてさせようと思わないでしょう」

 そう言ってクリフォードは苦笑した。

「少し母を擁護するなら、あの頃のオスクリタは一枚岩では無く、内部分裂を起こしかけていた。そして母は名前だけの長だった。だからオスクリタの実情をよく把握していなかったし、俺たちがどんな場所に放り込まれたかも詳しくは知らなかった。そして俺が王宮に戻された時に変わり過ぎていて驚いていた。……多分、後悔もしていたと思う」

 クリフォードは少し間だけ遠くの空を見ていたが、一度瞳を閉じてからフィリアに向き直った。

「フィリアに話していなかった秘密ってこれくらいかな。……兄上が目茶苦茶な計画を立てるから、俺が立ち回らなくちゃいけなくなったし、それでフィリアに気付かれてしまったから、本当はここまで話すつもりは無かったけれど、俺も仕方なく話したって事でいいよね?」

 王家の持っている秘密をいくつも話したというのに、クリフォードはいつもの軽い調子で会話を続ける。

「あとフィリアには申し訳ないけれど、今ここで俺や王家の秘密を知ってしまったから、婚約の時に伯爵と結んだフィリアから婚約解消が出来るってアレも無しにして」

 フィリアはすっかり忘れていたが、クリフォードとの婚約は、フィリアから簡単に解消できる契約だった。

(あの契約、クリフ様はしっかり覚えていらしたのね。今さら婚約解消なんてするつもりは無いのだけれど、気にされていらしたのかしら)

「そうそう、この間フィリアに言われた事が少しは効いたみたいで、兄上は俺の世間での評判を上げる画策を考えているらしいよ。自分で弟の評判をドン底まで落としておいて、今度は上げるなんて可笑しいよね」

(王太子殿下はやっぱり危険な方だわ)

「俺は裏の人間でもあるし、表向きには将来は隠遁生活を送ろうと思っていたから、表での評価なんてどうでもいいのだけど、側近たちの態度は気に入らなかったから、これで少しはあいつらの態度ももマシになるかな?」

 クリフォードは自嘲的に笑う。

「私もクリフォード様が悪く言われるのは、噂でも嫌ですわ」

「ありがとう、フィリア。次の王家主催の夜会で決着を付ける。動くのは俺と兄上だけだから、フィリアには何も言わずに見守っていて欲しい」

「この間お話をしていらした、お二人の目的の事ですね」

「うん、俺と兄上で目指している最終地点だね。夜会まであとひと月、その間は色々な噂が流れるけれど心配しないで。それと俺も忙しくなるから、夜会まで会えない。けれどドレスは贈らせてもらうし、夜会の当日は迎えに行くね」

 フレデリックが何を考え、クリフォードに何をさせるのかがフィリアには気掛かりではあったが、彼等の目的が果たされればクリフォードに選択の自由を与える事を考えてみるとフレデリックは言っていた。

「クリフ様、この間私が王太子殿下にお願いした件なのですが、もしも王太子殿下が私の願いを聞いて下さらなかった時は、私と一緒にこの国を出ましょう。父が助けてくれます。父はあなたの実力を認めて評価してくださっています」

「ははは、兄上は一筋縄ではいかないからね。俺も全てを捨ててネーベル王国の准男爵家に婿入りするのも悪くは無いね」

 クリフォードはにっこりと笑った。

「……ご存知なのですね」

「一応、俺は国内の貴族の情報は詳しいから。昔と違って、今のオスクリタは諜報活動に力を入れているしね。でもポナー伯爵がネーベルで貴族の爵位を持っている情報は俺が止めているから、兄上に先回りをされる心配は無い。ネーベルへ行ってしまえばこの国の影響下から出られるよ」

「報告されなくて、よろしいのですか?」

「だって俺は兄上の部下ではなくて弟だから。忠誠も誓ってないしね」

 そう言ってクリフォードはお茶を飲み終えた。こんなに二人で話したのは初めてで、フィリアにとっては信じられない事実もあったが、パズルのピースが綺麗に埋まるように、これまでのもやもやとしていた疑問は解消された。
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