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23 王太子の真実

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 王太子の執務室は内宮の3階にあった。   
 庭園から1階のフロアへ戻って階段を上がり、2階の廊下を少し歩き、3階へ上がってからは幾度も角を曲がり、やっと辿り着いた。まるで迷路だった。

 次に一人で来いと言われてもフィリアだけではきっと辿り着けない。

 ランドルフとのお茶会でいつも使っていた応接室は1階の奥にあったが、廊下はこんなに入り組んではいなかったので、すぐに順路を覚えられた。

「3階は王族の私室もあるので、特に廊下が入り組んでいて、複雑な作りになっているんだ。それぞれの階段の前には騎士を置いて、これだけ複雑な作りにしても、入り込んでくる者が時々いるから不思議だよね」

 そう言ってフレデリックは執務室のドアを開ける。

 執務室には数人の側近達が机を並べて書類仕事をしていた。ノックも無くドアが開いたので、一斉にフィリアたちに視線を向ける。

 その中にはいつかフィリアを城門まで送ってくれた側近もいた。

 フレデリックは側近たちの強い視線に臆する事も無く、奥にあるドアの前へ進む。

「お待ち下さい、そちらのご令嬢はこれ以上は駄目です」

 フレデリックは目を細めて、制止してきた側近を見る。側近が息を飲む音が聞こえた。

「其方はいつから私に命令が出来る立場となった?」

 さっきまでの明るい声とは違う、有無を言わせない低い声に、側近は更に怯んだ。

「……ッ!……申し訳ありませんっ!」

「しばらくこちらの部屋には誰も入るな。イーサンも待機していろ」

 フレデリックはノックをしてからドアノブに手を掛け、そこで言い忘れた事を思い出したかのようにフィリアを見た。

「この部屋の中にいる人物は多分、キミにとって初めて会う人物だ」

 そう言うとドアを開けて部屋の中に入る。

 その部屋は個人用の執務室で、部屋の奥の中央に大きな机が置かれていた。机の上は書類で溢れ、書類の奥に人が座っているのが見えた。

 奥の机に座っていたのは、黒い髪色に濃い青い瞳を持つ人物で、王太子のフレデリックだった。

 フィリアは自分の隣に立つ人物と机に座っている人物を見比べる。

 髪と瞳の色が同じで、顔の造りもよく似ている。違いはあちらの人物の方が少し線が細くて神経質そうな雰囲気を持っているところだろうか。

 並ばなければどちらも王太子フレデリックで通るくらいに2人の顔は似ていた。

「もう俺が誰だか分かるでしょう?」

 フィリアの隣に立つ彼が話し掛ける。

「はい、あなたはクリフ様ですね。これまで何度か私がお会いしていた王太子殿下もクリフ様ですか?」

「うん、そう。よく俺が兄上を真似て兄上のフリをしているんだ。自分では分からないけれど、声の出し方も少し変えるだけで兄上の声にそっくりに聞こえるらしいよ」

「では、夜会のダンスを踊ったのは?」

「フィリアは俺とダンスを踊ったんだよ。見た目は兄上でも、あの時だけはクリフォードとして踊りたかったんだ。それに兄上はダンスがお嫌いだから、頼んでも引き受けてはくれなかったろうね」

 王太子がフィリアにいつも優しかったのは、クリフォードだったからだったのだとフィリアは気付いた。

「髪のお色はどうされていらっしゃるのですか?」

「元が濃い茶色だから、染め粉を使えば上手く誤魔化せるんだ」

 二人のやり取りを興味深そうに見ていた本物のフレデリックが、初めて口を開いた。

「ねえクリフ、お互いに共通理解ができたところで、そろそろ私にお前の婚約者を紹介してくれないか?」

 執務の奥から低い声が響く。確かによく似ている。

 フィリアは慌ててカーテシーをした。

「フィリア、私の兄のフレデリックだよ。兄上、婚約者のポナー令嬢です」

「初めまして、ポナー令嬢。クリフからどの程度聞いているか知らないが、一年ほど前に毒殺されかけてね。死にかけて戻ってきたら、体が言う事をきかなくなってしまったから、よくクリフに代わってもらっているんだ。でもほら、今は杖を使えば少しは歩けるようになった。もう少しで私も表舞台へ戻れる」

 そう言ってフレデリックは杖を使って立ち上がった。比べて見ると、実際のフレデリックはクリフォードよりも少し小柄だった。

「今、この国の政治は壊されかけていてね。私たちを毒殺しようとした政敵に私の不調を知られるわけにはいかないんだ」

 国民の人気も高い王太子が毒に倒れたなんて知られたら、国内にはきっと不安が広がる。

 そしてそれは王太子にとって付け入られる隙になる。

「狙われたのは私の方だったのだが、あの場にはクリフにもいて、2人して毒入りワインを飲むところだった。だから敵にはワインを飲んだのはクリフの方で、それを我々は必死になって隠していると思わせている。実際にはクリフが寝込んでいると見せ掛けて、私を演じてもらっているんだ」

 クリフォードがよく体調を崩して寝込んでいると言われていたのは、フレデリックの代わりに本宮にいて、離宮を留守にしていたからだった。

 今日のように、体調不良で約束を急に反故にされてしまうのは、フレデリックから急な呼び出しがあったからかもしれない。

(王太子殿下から大量の執務や公務を押し付けられていたから、疲れと睡眠不足でクリフ様はいつも顔色が悪かったのだわ)

「令嬢はクリフォードが私に良いように使われるのはお気に召さないかもしれないが、私たちには7年前からある共通の目的がある。そこまであと少しなんだ。だからあと少しの間だけ令嬢と伯爵には見守っていて欲しい」

 フィリアがクリフォードを見たら、クリフォードは無言で頷く。

「あの…私のような何も知らない者が言える事ではないのですが、先日から起きている私も関わる事になった事件は殿下とクリフ様が目指されている事と関係があったのでしょうか?」

 フレデリックは目を細めてフィリアを見る。青い瞳からの威圧的な視線に、フィリアは怯みかけるが、ここは引いてはいけないと自分を奮い起こす。

「そうだね。令嬢のお陰で敵の勢力を削ぐ事が出来て、私たちはかなり有利に事を運ぶ事が出来ている。それで?キミは私にそこまで言わせて何がしたいの?」

 フィリアは手に汗をかきながらも、ギュッと拳を握る。

「はい、私のような者がこのような事をお願いすることは非常に不敬かと存じますが、もしも、もしも王太子殿下とクリフォード様の悲願が達成された折には、その功労者として私めのお願いをひとつお聞き頂けないでしょうか?」

「ほう…キミも言うねぇ。それでキミの願いは?」

「わ、私めの願いは、クリフォード様に我が伯爵家に婿入りをする選択の自由を与えて欲しいのです」

「フィリア……」

「ふーん、つまり私にクリフを手離せと?」

 ランドルフと婚約した時はランドルフが侯爵に陞爵したポナー家への婿入りが決まっていたが、クリフォードと婚約した時に伯爵はすぐに解消させるつもりだったし、王家から何も言われなかったので、ポナー家への婿入りの事までは契約には盛り込んでいなかった。

 なので、クリフォードには王弟として国を支える為に王族として残る事も、新たに公爵家を立ち上げて、王族に近い臣下として大臣や宰相等の国の中枢を担わせる役職に就かせる事も可能なのだ。

「令嬢にまだ話していないだろうが、実はクリフは既に国にとって重要なある部分を担ってもらっている。私も自分の政治にはクリフが必要だと思っている」

 フレデリックはフィリアを為政者としての目でじっと見つめる。

「私は婚約者として、クリフォード様に誰かの犠牲にはなってもらいたくは無いと思っています」

「クリフ、話したのか?」

 フレデリックが鋭い視線をクリフォードに向ける。

「いいえ、何も話してませんよ」

「最初にお手紙を頂いた時から思っていたのです。どうしてこの方は噂とは全然違う方なのだろうかと」

 フレデリックは自分への評価を高める為に、優秀な兄と不出来な弟という誰にでも分かりやすい形を周囲に示してきた。

 そうすることで、自分の評判を上げ、将来の国王としての立場を確固たるものにし、第二王子派という自分とは敵対する派閥を貴族たちに作らせないできた。

 更にフレデリックはクリフォードが上げた功績を吸い上げ、自分のものとする事で、優秀な王子としての印象を強め、将来の賢王と言われるまでになっていた。

 クリフォードが渡されている執務も本来はフレデリックと側近達でこなさなければいけないものなのに、クリフォードが王太子の執務のかなりの量をこなしている事を知っている者は少ない。

 更にクリフォードが王太子の代わりをしている時も、側近たちはクリフォードに対して平気で苦言を呈していた。

 それは彼らの中にフレデリックが作り上げた、出来損ないの第二王子像があったからで、クリフォードは側近たちにさえ下に見られている状態になっていた。

「キミは何も知らないくせに、クリフの事をよく理解しているね。キミのお父上は食えない相手だと思っていたのだけど、キミも大人しそうな外見をしていても中身は違うね。……分かった、その願いについては一応は検討してみよう」

「ありがとうございます」

 フィリアはフレデリックに頭を下げた。

「クリフ、面白い令嬢を婚約者にしたね」

 フレデリックは目を細めて、静かに笑った。
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