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しおりを挟む左手で言葉の束を、右手で硝子の破片を布ごと鷲掴んだ。 体裁など考えている暇などなく、ただただ見せたくないものを、聞かれたくないものを、身体で隠すように胸元へ抱え込んだ。
右の掌に激痛が走る、小さい破片も大きい破片も関係なく掴んだせいか、どんな形で切れたか分からないほど複雑になった切り傷から、血が溢れ出していた。
さっきの指を少し切った程度ならどれだけ良かっただろうと、心の中で忌々しく思う。
左の掌にある束は私の左手に握り潰れて苦しそうにし、あの耳障りな言葉を吐くのを漸くやめた。
この現状を作り出した原因である言葉の暴力を停められただけ、傷ついた意味があったと思うことにした。
この間にも、心臓の鼓動と同じタイミングで痛覚が傷の有無を知らせてくる。 ドクン、ドクン、と、一定のリズムで身体の神経が右手から肩へ上ってきては全身を支配し、早く傷を塞ぐこと、流血を止めろと伝えてくる。
そう言えばと、私は硝子と共に投げ捨てた布について思い出した。
右の掌の中で硝子と一緒に握られている布で血を止めようと思い立つのは、ごく自然なことであった。
止める時は不本意ではあるが、束にされていた言葉の紐を巻き付け縛り付ける際に使おう。
そして一刻も早くこの場所を、この道を引き返して先に進まなければ。
私はそう考えていたし、それしか考えられなかった。
なぜなら、あまりにも色んなことが起きすぎていたからである。
これは私の悪い癖だが、一手別のことをしたら直前起きたことに興味をなくし、頭の中の彼方へ放ってしまうのだ。
確かに、いろんなことが起きていたことは事実だ。
しかし、だからといって。
自分を先ほどから傷つけ続けている硝子や、握りつぶすという暴力を振るうほど恐ろしい言葉を吐き続ける束と、共に見つけた誰かが忘れ去ったこの布が、”ただの布”な訳がないことを思考するタイミングを、ここで取らなかったこと。
この事実が、この後の私を絶望の淵へとたたき堕とすこととなる。
私は少し身体を起こすと、束を握りしめている左手の親指と人差し指を器用に開きながら、右の掌に握った布と硝子をゆっくり外していく。
布はしっかりと血を含んだ為に重くなり、重力に逆らわずに落ちる。
硝子を手から外す度に、右の掌から激痛という電気信号が身体中を駆け巡る。 痛みと情けなさで、ただでさえどこにもいけないぐらい腫れている顔から、自然と汗と涙が流れてきた。
硝子は投げ捨てることが出来るほどに元気はない、ただ落下に任せて手から離し、自由に割れて床に散らばる。
割れた硝子の大半は布の方へと飛んでいった、私の中で、「血止めに使うためにわざと先に布を落としたのにな」、というマイナスな気持ちと、「硝子を後で集める手間が省けるから助かる」というプラスな気持ちが入り混じり、ため息が盛れた。
また更に、先程言葉を聞いてパニックになり、吐き散らかした吐瀉物が視界に映り、さらにため息が出た。
硝子の処理も掌の手当も、束の処理も吐瀉物の掃除も、全て好奇心が勝った自分が招いたこと。
これこそまさに、好奇心は猫を殺すだと、心の中で愚痴だ。
この道を去る前に、きちんと自分のことは自分で処理しなければと、最後の硝子を手から引き抜いた刹那、漸くある思考が意識上に浮上した。
硝子が心の外傷で、モヤが言葉の束だった。
なら、あの布も私の"何か"じゃないか?
硝子が散らばる布を見る、硝子と布の間にいつの間にか、抜いている間に解けた言葉の紐が挟まっていた。
その紐はまだ何かを呟いている、聞こえはするが聞き取れないほど小さな言葉をこちらへ放っていた。
布に落ちた硝子に視線を移す、最初に見た時は透明で、映像を映した時は背景が緑で、手から抜いた時は血の赤色になっていたはずの其れが、真っ黒に染まっている様に見えた。
硝子の下に黒いものを挟むと鏡になると、昔のうる覚えな知識を呑気に引っ張り出した時、布の方から私の耳に微かな声が届いた。
『……ちゃ、や』
ドクンッ
一瞬聞こえた、その声は。
身体の血が、一気に引く。 目を見開き、身体が再度硬直する。
吐き気が再来して喉元まで胃液が浮上し、視界に映る色が増えて目がチカチカし、肩と首が固まって頭が痛くなる。
普段は拾わないはずの心臓の音が、煩い。
私の体が、脳が、心が、一斉に同じ警告を発した。
見てはならない、聞いてはならない、静かに離れて忘れろ。
と。
然し、私という愚か者はその全てを否定した。
見なければ、聞かなければ、静かに近づき知らなければ。
私は拒否する身体を引き摺って、拒絶する脳を振り切って、煩く止める心を無視して、黒い硝子越しに布を覗き込んだ。
あの声の主を、認識するために。
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