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狂人は、踊る。
しおりを挟む時間は午後1時半。
寒空のもとに暖かさをもたらしてくれる太陽が少しずつ西側に移動を始めたころ、男は覚醒した。
その覚醒はかなり無理やりであった。
夜明けに就寝した体はまっすぐな針金を入れたように動かないし、上からブレス機で押されているのではないかと勘違いするぐらい重力が重く感じる。
頭を動かすより先にまた降りようとする瞼を、母親が昨日洗ってくれた白い枕に顔ごと押し付ける男。
酸欠で苦しくなって、死を近くに感じるまで男は息を止める。
酸欠による心臓の音と脈拍を感じ、生にしがみつこうと息を吸うために顔を上げようとする生存本能と身体の反応を利用して、男は両手をベッドについて勢いよく飛び起きた。
高校のころに買った灰色のパジャマの襟はもうよれよれで、しかし買いなおすにも寝巻にしているだけのそれは、鎖骨をもろに外気にさらさせている。
軽く上にあげ、男は半分重力に負けている体を引きずりながらベッドから降りた。
襟を雑にたくし上げながら、男は不思議に思う。
いつベッドに入ったのか、と。
いつもの男なら、一時間ぐらい書いた後に歯を磨きに下に降り、この時期であるなら次の朝起き抜けに飲むために1Lのペットボトルを水一杯にして、机に置いて就寝するのだ。
だが、口の中いっぱいに生ごみを詰められたような気持ち悪さは歯磨きをせずに酔っぱらって寝落ちしたときのそれだし、机には1Lペットボトルどころか書いていた原稿がそのまま置きっぱなしだと、男は分析する。
まぁとりあえずと男は、重い体をひきずりながら自室を出る。
階段をおりて両親に軽い挨拶をしながら習慣化した朝の身支度をする。
歯磨きをしながら食パンに半分に割ったバナナと粉砂糖を雑に置いてトースターで焼く。
ある程度のことが終わりひげそり負けをしないよう、化粧水を満遍なく顔にぶっかけたときにはキッチンからパンの焼けたいい匂いが、男の鼻腔をくすぐった。
焼けたパンにハチミツをたっぷりかけて、男は喰らう。
朝飯を一気に胃の中に流し込んで、冷蔵庫に保存してある自分の名前付きのペットボトルを取り出すと、また二階に登って行った。
部屋に戻りカギをかけて一つ呼吸すると、男は窓辺までズンズン歩み寄り勢いよくカーテンと窓を開けた。
窓から入ってくる光は、冬でも暖かく気持ちいいと感じる。
いやいや、ここで寝たら小説が書けないぞ。
男は左手に持っていたペットボトルのふたをギュッと開け、冷蔵庫で冷えた水を勢いよく胃袋に流し込んだ。
ぷはぁと一度口を外し、クイッと口元を裾で拭きながら机を見る男。
最近書いている小説ももう少しで完成するし、次の物語のプロットも下の引き出しにしまったノートPCのメモ帳に保存済みだ。
今回の作品は自信作だし、次のやつも自信しかない。
まぁ、難点は紙ベースで書いてしまったため誰にも読まれないという点だけか。
と、考えている最中、男は机のある変化に気づいた。
いつもノートPCを置いてある机の端に、見慣れない原稿用紙が少し乱れた状態で置いてあるのだ。
男は椅子に座ってその原稿用紙を手に取った、枚数は7枚半程度の短編だ。
原稿用紙に書いてある文字や文節を見るに、男が書いたもので間違いない。
ここに来て初めて、昨晩寝る前の自分の行動を少し思い出してみた。
白黒の靄がかかっているような記憶を無理やり引きすり出してみると、確かに自分は引き出しの二番目からいつものように新しい原稿用紙を取り出して何かを書きなぐったのだ。
ただし、この前後の出来事も。
なぜ自分が、これを書きなぐったのか。
何一つ男は思い出せず、なんとも言えない欠落感を覚えた。
記憶をどこかに落としてきたような、それとも。
自ら記憶を埋めてしまったのか。
ここで考えても仕方ないと無理やり自分の思考を切り替え、男は目の前にある謎の小説を読んでみることにした。
椅子に座り先に書いていたものを左上に移動させたあと、謎の小説を一頁、また一頁、目を通して男は最後まで読んでみた。
最後の一言まで読み終わって、素直な言葉が一言漏れる。
「なんだこの文章……汚い」
自分が書いた文章なはずなのに、主語がなく助詞や助動詞、接続詞は無茶苦茶。
誤字と誤用が多く、文節と文節のつなぎは足りない。
いつもの自分なら書かないような現実的ではない内容に、支離滅裂な物語展開。
否、それ以上に情景を読者に読ませる気のない足りなすぎる描写不足。
そのすべてにケチがつけるところしかない、まるでフランケンシュタインの化け物のようなちぐはぐな物語に、男は頭を抱えた。
……本当にこれは俺が書いたものなのか?
目の前にある信じたくないそれを、男は薄目で見つめてみる。
どんなに頭が否定しても、左上に置いた別の原稿の文字の形が淡々と自分が書いたぞと言いたげに、事実だけを告げてくる。
男はため息をついて諦めたように、もう一度原稿に目を通した。
物語は二人の人物からなる会話形式、一人は売れない小説家。
もう一人は、虫も鳴かない静かな夜に突然小説家に語り掛けてきた謎の声。
その二人は対話をしながら、対話の内容を題材に小説家は物語を書き始める。
謎の声は、小説家にこう問いかけていた。
『なぜ、小説の筆を折らないのか』と。
その問いに答えるために、小説家はその声に筆を置いた……というところで話が終わっている。
……わからない、なぜこの小説を書いていたのかが。
それにしても、と。
男にはこの小説家が他人のように感じないし、謎の声の問いも他人事ではない気がした。
最近似たようなことがあったのだろうか、それともずっと無意識化で問い続けていたのだろうか。
なぜ、小説の筆を置かないのか……確かにお金をもらっているわけでもなければ大きな大義名分もなく男は小説を書いていた。
あまりの文章の汚さに原稿を捨てるという選択肢が男の頭によぎったが、これを機に少し、そのあたりのことも考えてみてもいいかもしれないと、男は思い留まる。
俺が小説を書いている理由を書いてみよう。
もし答えが出たのならば次の小説のネタにもなる、一石二鳥だな。
こんな軽い考えで、その原稿を廃棄することを男は辞めた。
軽い考えのまま男は続けて思いつく、この小説に名前を付けておこう。
その浅く軽い思い付きが後々男を蝕み、小説を書き終わるまでと先に進めなくなってしまう呪いになり、酷く後悔しながら苦悩しつつ向き合うことになる事を、この時の男は知る由もない。
男は楽しそうに頁をめくりながら、作品の名を考える。
どうせなら、今の自分の気持ちに近い感情をつけてやろう。
記憶にない原稿、自分の文字で書かれた物語、ちぐはぐな文章に支離滅裂な内容。
こんな見にくいにも関わらず、何も無くつながっているこの世界観を一言でいうと、カオスだ。
そのカオスを広げようとしているこの小説に、ふさわしい名前。
これを『狂気』と言わずになんというかと、心のどこかで誰かが言った気がした。
それならば、その中で答えを出そうとしている小説家の彼は、俺から見て……。
ならば、この謎の声の言葉を拝借して少しもじって、つなげてみよう。
そしていい感じに並べて……よし、いい感じの名前が出来た。
男は引き出しから使用されたものと同じ原稿用紙を取り出して、優しく万年筆のキャップを開けて思いっきり大きくタイトルを書き込む。
書きなぐられた汚い文字のタイトルを見て、男は満足げに鼻を鳴らした。
男はその小説にこう名付けた。
【狂人は、踊る。】
〆
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熱せられた銀の靴で踊る王女 こういう表現刺さります💖
読んでいただき、ありがとうございます!
沢山のお褒めの言葉に嬉しさが止まりません…!!
いつもコメント下さりありがとうございます、最後までお楽しみいただけましたら幸いです!!!
狂気 読みました。まるで舞台を観ているようです この男……好き ヤバイ
コメント、ありがとうございます!
読者様のおっしゃる通り、どこかしらヤバいのが作中の男です。
しかし、そのヤバさを持ち合わせる人が…もしかしたら天才と呼ばれるのかもしれない……という妄想をしております。
最後までお付き合いくださり、作者は頭を下げることしかできません…っ!
本当に、ありがとうございました!!
《それ》の正体は男自身の心の声なんて陳腐なものじゃなかったんですね と思えど、やはり自身が生み出したものでもありそうな…… これジャンル的にはサイコホラーでもいいんじゃないかと……
何にを食んで何を生み出し何を蔑み何に怯えるのか 迷路とらわれながら読んでいくの面白いです