上 下
5 / 129
箱と触手

人物紹介・3

しおりを挟む
半目になった二対の視線の大部分に混ざるのは、懐疑的なものだ。
心当たりはある。
うぐ、と喉の奥辺りから呻き声が上がった。

「またぼくらの部屋、水浸しにしないでね……?」
「部屋だけじゃないわ、あの時は廊下まで水が溢れて区画ごと緊急避難になったじゃない」

テンタクルの丁寧ながら歯に衣着せない物言いに、今度はぐうの音も出ない。
なぜなら全て事実だからである。

悪気はなかった。
ただちょっと、自分に大した害がないのは対毒体質であるがゆえのことを忘れ、全部洗い流せばいいやとホースでぶちまけちゃったのである。
案の定、下水管へ流れ込んだ水はテンタクルの粘液に汚染されて全職員を巻き込んだ大規模な浄化作業に発展。
この事件後、ひとまずの対策としてマッピーにはホース持ち出し禁止令が発令された。

「大丈夫です、今回はマニュアルも持ってきているので」

懐から取り出した冊子に、ミミックの口元がひきつったし、テンタクルはますます目を細めた。
それは『お仕事する前に予習しとくものでは』という不安でもあり『それ、現場に持ってきちゃダメなやつじゃないの』という呆れであった。

後者の感情を存分に内包したため息が響き渡り、テンタクルの細い指がちょいちょいとミミックを呼ぶ。

「ミミック、水浸しになる前にわたしたちの荷物を避難させてちょうだいな」
「ああ、うん……って、僕は君の召し使いじゃないよ!」
「待ってくださいテンタクル、移動なら台車を持ってくるから、」

足のないテンタクルが進むには廊下を這うしかない。
床に貼り付いた触手からにじみ出る粘液が一面を汚す様を予見して振り返ったが、マッピーは移動手段の提案を喉から吐き出しきる前に呑み込んだ。

ミミックが、テンタクルを小脇に抱えていた。
湿り気を帯びてぼたぼたと粘液を垂らす触手が力なく抱えられている様は、どことなく魚市場の競りを思い出した。うら若き乙女の、すんと光のなくなった目と死んだ魚のそれが重なる。
魔族の年齢はマッピーには分からぬものの、しっかりと筋肉のついたミミックと柔らかそうなテンタクルは、人間の目線から見させてもらえばどちらも妙齢の男女に見えた。
それが荷物のごとき小脇抱えとは。

「どうしたの? 掃除の邪魔だろうしぼくらは帰るよ?」
「いや、うん……」

きっと彼は、自力で歩けぬテンタクルを完全なる親切心で連れていこうとしてくれている。
問題点があるかさえ分かっていないミミックのきょとんとした振り向き顔の下で、後ろ向きで持ち上げられたテンタクルの眉間にどんどんシワが寄っていく。

マッピーが静かに耳をふさいだ二秒後、繊細な乙女心をいたく傷つけられたテンタクルの触手が唸る音と、本人からしてみれば理不尽な制裁を食らう羽目になったミミックの悲鳴が廊下中に響いたのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

私はいけにえ

七辻ゆゆ
ファンタジー
「ねえ姉さん、どうせ生贄になって死ぬのに、どうしてご飯なんて食べるの? そんな良いものを食べたってどうせ無駄じゃない。ねえ、どうして食べてるの?」  ねっとりと息苦しくなるような声で妹が言う。  私はそうして、一緒に泣いてくれた妹がもう存在しないことを知ったのだ。 ****リハビリに書いたのですがダークすぎる感じになってしまって、暗いのが好きな方いらっしゃったらどうぞ。

【完結】結婚前から愛人を囲う男の種などいりません!

つくも茄子
ファンタジー
伯爵令嬢のフアナは、結婚式の一ヶ月前に婚約者の恋人から「私達愛し合っているから婚約を破棄しろ」と怒鳴り込まれた。この赤毛の女性は誰?え?婚約者のジョアンの恋人?初耳です。ジョアンとは従兄妹同士の幼馴染。ジョアンの父親である侯爵はフアナの伯父でもあった。怒り心頭の伯父。されどフアナは夫に愛人がいても一向に構わない。というよりも、結婚一ヶ月前に破棄など常識に考えて無理である。無事に結婚は済ませたものの、夫は新妻を蔑ろにする。何か勘違いしているようですが、伯爵家の世継ぎは私から生まれた子供がなるんですよ?父親?別に書類上の夫である必要はありません。そんな、フアナに最高の「種」がやってきた。 他サイトにも公開中。

嘘はあなたから教わりました

菜花
ファンタジー
公爵令嬢オリガは王太子ネストルの婚約者だった。だがノンナという令嬢が現れてから全てが変わった。平気で嘘をつかれ、約束を破られ、オリガは恋心を失った。カクヨム様でも公開中。

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

未亡人となった側妃は、故郷に戻ることにした

星ふくろう
恋愛
 カトリーナは帝国と王国の同盟により、先代国王の側室として王国にやって来た。  帝国皇女は正式な結婚式を挙げる前に夫を失ってしまう。  その後、義理の息子になる第二王子の正妃として命じられたが、王子は彼女を嫌い浮気相手を溺愛する。  数度の恥知らずな婚約破棄を言い渡された時、カトリーナは帝国に戻ろうと決めたのだった。    他の投稿サイトでも掲載しています。

ああ、もういらないのね

志位斗 茂家波
ファンタジー
……ある国で起きた、婚約破棄。 それは重要性を理解していなかったがゆえに起きた悲劇の始まりでもあった。 だけど、もうその事を理解しても遅い…‥‥ たまにやりたくなる短編。興味があればぜひどうぞ。

処理中です...