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箱と触手
人物紹介・3
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半目になった二対の視線の大部分に混ざるのは、懐疑的なものだ。
心当たりはある。
うぐ、と喉の奥辺りから呻き声が上がった。
「またぼくらの部屋、水浸しにしないでね……?」
「部屋だけじゃないわ、あの時は廊下まで水が溢れて区画ごと緊急避難になったじゃない」
テンタクルの丁寧ながら歯に衣着せない物言いに、今度はぐうの音も出ない。
なぜなら全て事実だからである。
悪気はなかった。
ただちょっと、自分に大した害がないのは対毒体質であるがゆえのことを忘れ、全部洗い流せばいいやとホースでぶちまけちゃったのである。
案の定、下水管へ流れ込んだ水はテンタクルの粘液に汚染されて全職員を巻き込んだ大規模な浄化作業に発展。
この事件後、ひとまずの対策としてマッピーにはホース持ち出し禁止令が発令された。
「大丈夫です、今回はマニュアルも持ってきているので」
懐から取り出した冊子に、ミミックの口元がひきつったし、テンタクルはますます目を細めた。
それは『お仕事する前に予習しとくものでは』という不安でもあり『それ、現場に持ってきちゃダメなやつじゃないの』という呆れであった。
後者の感情を存分に内包したため息が響き渡り、テンタクルの細い指がちょいちょいとミミックを呼ぶ。
「ミミック、水浸しになる前にわたしたちの荷物を避難させてちょうだいな」
「ああ、うん……って、僕は君の召し使いじゃないよ!」
「待ってくださいテンタクル、移動なら台車を持ってくるから、」
足のないテンタクルが進むには廊下を這うしかない。
床に貼り付いた触手からにじみ出る粘液が一面を汚す様を予見して振り返ったが、マッピーは移動手段の提案を喉から吐き出しきる前に呑み込んだ。
ミミックが、テンタクルを小脇に抱えていた。
湿り気を帯びてぼたぼたと粘液を垂らす触手が力なく抱えられている様は、どことなく魚市場の競りを思い出した。うら若き乙女の、すんと光のなくなった目と死んだ魚のそれが重なる。
魔族の年齢はマッピーには分からぬものの、しっかりと筋肉のついたミミックと柔らかそうなテンタクルは、人間の目線から見させてもらえばどちらも妙齢の男女に見えた。
それが荷物のごとき小脇抱えとは。
「どうしたの? 掃除の邪魔だろうしぼくらは帰るよ?」
「いや、うん……」
きっと彼は、自力で歩けぬテンタクルを完全なる親切心で連れていこうとしてくれている。
問題点があるかさえ分かっていないミミックのきょとんとした振り向き顔の下で、後ろ向きで持ち上げられたテンタクルの眉間にどんどんシワが寄っていく。
マッピーが静かに耳をふさいだ二秒後、繊細な乙女心をいたく傷つけられたテンタクルの触手が唸る音と、本人からしてみれば理不尽な制裁を食らう羽目になったミミックの悲鳴が廊下中に響いたのだった。
心当たりはある。
うぐ、と喉の奥辺りから呻き声が上がった。
「またぼくらの部屋、水浸しにしないでね……?」
「部屋だけじゃないわ、あの時は廊下まで水が溢れて区画ごと緊急避難になったじゃない」
テンタクルの丁寧ながら歯に衣着せない物言いに、今度はぐうの音も出ない。
なぜなら全て事実だからである。
悪気はなかった。
ただちょっと、自分に大した害がないのは対毒体質であるがゆえのことを忘れ、全部洗い流せばいいやとホースでぶちまけちゃったのである。
案の定、下水管へ流れ込んだ水はテンタクルの粘液に汚染されて全職員を巻き込んだ大規模な浄化作業に発展。
この事件後、ひとまずの対策としてマッピーにはホース持ち出し禁止令が発令された。
「大丈夫です、今回はマニュアルも持ってきているので」
懐から取り出した冊子に、ミミックの口元がひきつったし、テンタクルはますます目を細めた。
それは『お仕事する前に予習しとくものでは』という不安でもあり『それ、現場に持ってきちゃダメなやつじゃないの』という呆れであった。
後者の感情を存分に内包したため息が響き渡り、テンタクルの細い指がちょいちょいとミミックを呼ぶ。
「ミミック、水浸しになる前にわたしたちの荷物を避難させてちょうだいな」
「ああ、うん……って、僕は君の召し使いじゃないよ!」
「待ってくださいテンタクル、移動なら台車を持ってくるから、」
足のないテンタクルが進むには廊下を這うしかない。
床に貼り付いた触手からにじみ出る粘液が一面を汚す様を予見して振り返ったが、マッピーは移動手段の提案を喉から吐き出しきる前に呑み込んだ。
ミミックが、テンタクルを小脇に抱えていた。
湿り気を帯びてぼたぼたと粘液を垂らす触手が力なく抱えられている様は、どことなく魚市場の競りを思い出した。うら若き乙女の、すんと光のなくなった目と死んだ魚のそれが重なる。
魔族の年齢はマッピーには分からぬものの、しっかりと筋肉のついたミミックと柔らかそうなテンタクルは、人間の目線から見させてもらえばどちらも妙齢の男女に見えた。
それが荷物のごとき小脇抱えとは。
「どうしたの? 掃除の邪魔だろうしぼくらは帰るよ?」
「いや、うん……」
きっと彼は、自力で歩けぬテンタクルを完全なる親切心で連れていこうとしてくれている。
問題点があるかさえ分かっていないミミックのきょとんとした振り向き顔の下で、後ろ向きで持ち上げられたテンタクルの眉間にどんどんシワが寄っていく。
マッピーが静かに耳をふさいだ二秒後、繊細な乙女心をいたく傷つけられたテンタクルの触手が唸る音と、本人からしてみれば理不尽な制裁を食らう羽目になったミミックの悲鳴が廊下中に響いたのだった。
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