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エピローグ
生きて
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草太は慌てて父・将門の後を追いかけた。だが、父の抜けていった鳥居には幾筋もの亀裂が入り、草太が辿り着くまでに砕けて崩れ落ちた。立っていた石畳にも亀裂が入り、鳥居の先から真っ黒の闇が迫ってくる。不安になって振り向くと、紬が出てきた社殿も静かに崩れ落ち、周囲の風景も暗転していく。ただそこには、明るく光る母の姿だけがあった。
「かかさま!」
草太は慌てて母のところまで戻った。母は屈み、走ってくる幼な子を抱き止める。草太は母にしがみつき、母の胸から温もりが伝わった。
「とと様が行ってしまわれたからね、黄泉からの波動も消えて、この狭間の世界も消えないといけないの」
母の言葉に、草太は顔を上げる。
「かかさまは、かかさまはずっと一緒にいてくれるんでしょう?」
不安げに見上げる幼な子に、母はゆっくり首を振る。幼な子の目に涙が溢れる。母は細い指で優しくその涙を拭い、自分の胸にその掌を向けた。
「竹丸、かあさまのここを見て」
言う通り母の胸を見ると、その懐が金色に輝き出す。母は胸に手をやり、小袖を通して懐から黄金色の珠を取り出した。草太はその輝色の珠をじっと見る。眩い光が草太の顔を照らす。母はその光を草太の胸に移す。光はすっと草太の胸の中に入り、草太の身体を金色に輝かせた。すると、幼な子だった草太の身体がみるみる大きくなり、青年の姿になった。母の姿が目線の下になる。母は立ち上がって青年を見上げた。母が立っても、目線は母の方がかなり下だった。
「竹丸…いえ、あなたはもう草太ね。草太、これであなたの感情は全てあなたに帰りました。私が最後に戻したのは、あなたの悲しみの感情。あなたはこれから、その悲しみの感情に捕らわれるかもしれません。でも草太、悲しいということは、あなたが人を好きでいる証。どうかたくさんの悲しみを背負い、それでも立ち上がって、あなたの生を充実したものにしていって下さい。草太、その名前のように、踏まれても踏まれても、長く、太く、その生を全うできますように」
慈しみ深く見つめる母の目に、水の膜が張ってくる。溢れた涙は金色に輝く珠となり、上方へと登っていく。よく見ると、母の身体のあちこちから、光の珠が溢れて空に登っている。その都度母の輪郭が、だんだんと薄くなっていく。草太は消え行く母を見ながら、駄々っ子のように激しく首を振った。
「いやだ、いやだいやだいやだ、かかさま!行かないで!かかさま!かかさま!」
母の方に駆け寄るも、スカッと、母の身体を通り抜ける。すでに母の身体は、透明になって周囲の黒に同化しようとしていた。母の目から涙が溢れ、綺麗な金のストリームとなって空へと登っていく。母の身体がふわりと浮き上がり、そのストリームに乗って舞い上がると、草太に優しく微笑みながら、その灯火を溶かしていった。
「私はずっと、あなたとともにいます。ずっと、あなたを見守っていますよ」
母の言葉が空から降り、それから、暗闇と静寂の中に草太はポツンと取り残された。悲しみが心を締め付け、草太は声を上げて泣いた。漆黒の空間の中に浮遊感もなく、手足に触れるものも何もなく、ただ一人空間に浮き、自分自身を抱きしめてうずくまり、声の限り泣いていた。泣いて泣いて、嗚咽に変わり、それでも泣いて、喉が痛くなり、声が掠れ、激情がやがて緩やかな潮流に変わってきた頃、ポンと肩を叩かれた。
「そろそろ、落ち着いたか?」
顔を上げると、そこには端正な顔立ちの、目つきの鋭い男がいた。
「弾正さん!」
男は草太に頷き、拳を突き出して草太の額をコツンと突いた。
「泣きたい時は泣け。そして、腹が立ったら怒れ。自分が納得するまで怒りをぶつけるんだ。そうすれば、また強くなれる」
言って、男は咆哮した。男の身体を銀色の毛が覆い、男は一匹の狼になった。狼はガウッと草太に一吠えし、身を翻して漆黒の中を駆け出す。
「弾正さん!行かないで!」
草太の叫びに答えることなく、狼はもう一吠えすると、暗い空間の中に駆けていった。呆然として見つめていると、草太の前にダークエルフのコスプレをした女性が浮かび上がる。女性は草太ににっこりと微笑んだ。
「草太、一緒にたくさんお酒、飲んでくれたね。楽しかった」
「乃愛さん!」
女性は草太に顔を近づけ、そっと頬にキスすると、照れたようにまたにっこり微笑む。
「草太に、これからたくさんの驚きがありますように。たくさんたくさん驚いて、自分の世界を広めていって。そしてこの先もずっと、草太が幸せに暮らせますように」
そう言うと女性は後退り、両手を横に広げた。
「いやだ、行かないで、乃愛さん!」
女性は静かに首を振る。
「好きだったよ、草太!」
そしてプロペラのようにくるくる舞った。すると女性の身体は一本の渦巻きになり、長い龍の姿になった。桃紅色の毛に縁取られた龍は、天空に登って消えていった。見上げていると、今度は背の高い、優しい眼差しの男が現れた。男は草太に寄り、そっと頭を撫でる。
「明彦さん!」
男は頷き、目を細めた。
「草太、君はいい青年になった。僕の教え子の中でも、断トツで優秀な生徒だったよ。草太の何でも吸収しようという姿勢は、とても教え甲斐があった」
言いながら、男の足がひらひらと揺れる。つま先からだんだんと、白い布に変わっていく。
「明彦さんも、行ってしまうっすか?」
悲痛に眉を寄せる草太に、男は申し訳無さそうにコクンと頷く。
「父上が行ってしまわれたからね、人の世の物理法則に沿わない者は、人の世界にはいられないんだよ」
白い布が、ゆらゆら揺れながら喉元まで迫ってくる。優しい眼差しが、キラキラと揺らめく。
「草太、たくさんの人と、信頼を築くんだぞ。草太ならきっと大勢の人から信頼してもらえるから」
布の部分が頭の先まで到達し、大きな一枚の布となった男は、そのままゆらゆら舞い上がり、すうっと漆黒の中に溶け込んでいった。また草太の目に涙が伝う。その涙を、そっと拭ってくれる指がある。目の前には、艶やかなドレス姿の女性がいた。
「悲しい時は泣き、腹が立ったら怒れ、か。でもさ、世の中楽しいのが一番だよ。楽しいことをいっぱい探して、生きることを目一杯楽しんで」
言って、女性はウィンクする。
「朱美さん!」
悲痛な表情の草太に、女性は人差し指を立て、チッチッチと左右に振った。
「ほらほら、笑って笑って!」
女性のドレスがボウと燃え上り、女性は炎に包まれる。火焔をまとった女性は、そのまますうっと後ろに下がっていく。
「草太、いい男になったよ。自信持って!兄弟じゃなかったら、あたしも惚れてたかも。そのままずっと、優しい草太でいてね」
女性の声が漆黒に消えていく。しばらく追いかけるが、闇の中をどう走っているのか分からず、また寂寥感にうずくまった。そんな草太の肩を、ポンと誰かが叩いた。振り向くと、そこには鳥の巣頭の男がいた。
「泣くな草太、あんまり泣きすぎると、身体の中の塩分が不足し、頭痛や吐き気に襲われるぞ」
「傑さん!」
鳥の巣男は口を真一文字に引き締める。若干、口角が上がっているような気もする。男は持っていたヤツデの葉で草太の顔をパタパタ仰いで涙を乾かした。
「フィールドワークではよく俺に付いてきてくれた。お陰で、結界が間に合った」
「そんな、僕こそいろいろなこと、教わりました。でもまだまだ、傑さんに教えて欲しいこと、いっぱいあるっす!」
草太の言葉に、鳥の巣男は神妙に目を閉じた。
「すまん。だが草太、その探究心は大切だ。これからも、おかしいと思ったことはとことん疑え。そして真実を突き止めていくんだ」
言って男は自分を仰ぎ、自分自身を吹き飛ばす。顔を赤く変色させて鼻が伸び、山伏の姿になって漆黒に融け込んでいった。哀惜にかられて見つめていると、男が去った一点から大きな黒い牛が姿を現し、すごい勢いで駆けてきたかと思うと、草太の目の前で急ブレーキをかけた。牛の顔は人間で、それは草太のよく知るふくよかな顔だった。
「シュンくん!シュンくんまで行ってしまわないよね?ずっと一緒にいてくれるでしょ?」
黒牛は眉を落とし、力なく項垂れた。
「ごめんでつ。僕も、行かなくちゃなんでつ」
「そんなあ!」
草太は牛にがっつりと抱きつく。
「早く人間の姿に戻って。そんで、一緒に暮らすっすよ!僕ら、気の合う仲間だったでしょ?」
「うん、草太は気の合う兄弟だった。すっごくすっごく、楽しかったでつよ。でも……」
ドロンと人気の姿に戻り、草太の両肩を掴んだ。そして、草太の目を覗き込んだ。
「聞いて、草太。僕は思うんでつ。僕はすっごく怖がりだったでつが、怖いのは、いろんなことが分からないからなんでつ。そして分からないことがあるから、生きることが充実すると思うんでつね。草太、分からないことがいっぱいあるこの世界を、たくさん冒険し、たくさん楽しんで下さい。僕は一緒に行ってあげられないでつが、ずっとずっと、応援してるでつ」
目の前の少しぽっちゃりした青年の言葉に、草太は顔を歪めた。
「シュンくん!何で、何でそんなお別れみたいな言い方するっすか!」
言いながら、ハッとする。目の前の青年の姿がすでにぼんやりと透けている。
「シュンくん!行かないで!」
慌てて抱きつくも、青年は霧散し、草太の腕は宙を切った。
草太はそれから膝を屈み込み、丸くなってまた声を上げて泣いた。喉は枯れ、声はカスカスだったが、込み上げる様々な感情にしばらく身を任せていた。静かに時が流れ、やがて頭上からバサバサと羽ばたきの音が降ってきた。顔を上げると、一羽の大きなカラスが目の前にいた。怪訝な顔で見つめると、その巨鳥はモクモクとしたモヤに包まれ、モヤが引くと白い装束の陰陽師の姿となっていた。草太は陰陽師を見るや、即座にその手を取った。
「天冥さん!天冥さんはずっと死なないで生きてきたんでしょう?だったら、これからもどこへも行かないっすよね?」
天冥は草太の手を優しく包み込む。
「草太、確かにわたしは死んではいません。ですが、この世ではない世界の理でもって生き長らえています。すでに聞いたかもしれませんが、父上がいなくなり、人の世の気は正常に戻りました。もはや、人の世の理で生きていない者は、その世界に留まることは出来ないのです」
草太は陰陽師の言葉に大きく頭を振る。
「だったら!僕も連れて行って!僕も、みんなと同じ理の中に入れて!」
必死に訴えかける草太の手を、陰陽師は強く握る。
「草太、あなたはこの世界に希望をもたらしました。これから変わっていく世界を、その目でしっかりと見るのです」
草太は陰陽師の手を振り払い、強い視線を陰陽師に向ける。
「僕にはもう、この世界に誰も親しい人がいない。もう、僕には何も見るべきものなんて無いんだ!」
陰陽師は草太の言葉に嘆息し、じっと目を瞑り、そして悲しげな目で草太を見つめた。
「草太、あなたは失っていた感情を取り戻しただけではありません。あなたの受け取った感情には、父や母、そして兄弟姉妹たちの想いが乗せられています。あなたがこの世界で生きることは、みんなの願い。みんなの希望なのです。一人だなどと言わないで、どうか、懸命に生きて下さい。皆、あなたの感情とともにいます。そして、あなたならきっとまた、たくさんの仲間たちに巡り会えます。生きて生きて、またあなたの成長した姿を見せて下さい」
陰陽師はそう言うと、懐から扇子を出し、パッと開いたかと思うと、ひらひらと振るわせながら腕を大きく回天させた。何かの舞いのように舞い、何かの呪文を唱えると、強い風が渦を巻く。その風圧に草太は目を瞑った。やがて風が止み、そろそろと目を開けると、そこには色のある風景があった。目の前には、古びて朱の剥げた鳥居が立っていた。
「かかさま!」
草太は慌てて母のところまで戻った。母は屈み、走ってくる幼な子を抱き止める。草太は母にしがみつき、母の胸から温もりが伝わった。
「とと様が行ってしまわれたからね、黄泉からの波動も消えて、この狭間の世界も消えないといけないの」
母の言葉に、草太は顔を上げる。
「かかさまは、かかさまはずっと一緒にいてくれるんでしょう?」
不安げに見上げる幼な子に、母はゆっくり首を振る。幼な子の目に涙が溢れる。母は細い指で優しくその涙を拭い、自分の胸にその掌を向けた。
「竹丸、かあさまのここを見て」
言う通り母の胸を見ると、その懐が金色に輝き出す。母は胸に手をやり、小袖を通して懐から黄金色の珠を取り出した。草太はその輝色の珠をじっと見る。眩い光が草太の顔を照らす。母はその光を草太の胸に移す。光はすっと草太の胸の中に入り、草太の身体を金色に輝かせた。すると、幼な子だった草太の身体がみるみる大きくなり、青年の姿になった。母の姿が目線の下になる。母は立ち上がって青年を見上げた。母が立っても、目線は母の方がかなり下だった。
「竹丸…いえ、あなたはもう草太ね。草太、これであなたの感情は全てあなたに帰りました。私が最後に戻したのは、あなたの悲しみの感情。あなたはこれから、その悲しみの感情に捕らわれるかもしれません。でも草太、悲しいということは、あなたが人を好きでいる証。どうかたくさんの悲しみを背負い、それでも立ち上がって、あなたの生を充実したものにしていって下さい。草太、その名前のように、踏まれても踏まれても、長く、太く、その生を全うできますように」
慈しみ深く見つめる母の目に、水の膜が張ってくる。溢れた涙は金色に輝く珠となり、上方へと登っていく。よく見ると、母の身体のあちこちから、光の珠が溢れて空に登っている。その都度母の輪郭が、だんだんと薄くなっていく。草太は消え行く母を見ながら、駄々っ子のように激しく首を振った。
「いやだ、いやだいやだいやだ、かかさま!行かないで!かかさま!かかさま!」
母の方に駆け寄るも、スカッと、母の身体を通り抜ける。すでに母の身体は、透明になって周囲の黒に同化しようとしていた。母の目から涙が溢れ、綺麗な金のストリームとなって空へと登っていく。母の身体がふわりと浮き上がり、そのストリームに乗って舞い上がると、草太に優しく微笑みながら、その灯火を溶かしていった。
「私はずっと、あなたとともにいます。ずっと、あなたを見守っていますよ」
母の言葉が空から降り、それから、暗闇と静寂の中に草太はポツンと取り残された。悲しみが心を締め付け、草太は声を上げて泣いた。漆黒の空間の中に浮遊感もなく、手足に触れるものも何もなく、ただ一人空間に浮き、自分自身を抱きしめてうずくまり、声の限り泣いていた。泣いて泣いて、嗚咽に変わり、それでも泣いて、喉が痛くなり、声が掠れ、激情がやがて緩やかな潮流に変わってきた頃、ポンと肩を叩かれた。
「そろそろ、落ち着いたか?」
顔を上げると、そこには端正な顔立ちの、目つきの鋭い男がいた。
「弾正さん!」
男は草太に頷き、拳を突き出して草太の額をコツンと突いた。
「泣きたい時は泣け。そして、腹が立ったら怒れ。自分が納得するまで怒りをぶつけるんだ。そうすれば、また強くなれる」
言って、男は咆哮した。男の身体を銀色の毛が覆い、男は一匹の狼になった。狼はガウッと草太に一吠えし、身を翻して漆黒の中を駆け出す。
「弾正さん!行かないで!」
草太の叫びに答えることなく、狼はもう一吠えすると、暗い空間の中に駆けていった。呆然として見つめていると、草太の前にダークエルフのコスプレをした女性が浮かび上がる。女性は草太ににっこりと微笑んだ。
「草太、一緒にたくさんお酒、飲んでくれたね。楽しかった」
「乃愛さん!」
女性は草太に顔を近づけ、そっと頬にキスすると、照れたようにまたにっこり微笑む。
「草太に、これからたくさんの驚きがありますように。たくさんたくさん驚いて、自分の世界を広めていって。そしてこの先もずっと、草太が幸せに暮らせますように」
そう言うと女性は後退り、両手を横に広げた。
「いやだ、行かないで、乃愛さん!」
女性は静かに首を振る。
「好きだったよ、草太!」
そしてプロペラのようにくるくる舞った。すると女性の身体は一本の渦巻きになり、長い龍の姿になった。桃紅色の毛に縁取られた龍は、天空に登って消えていった。見上げていると、今度は背の高い、優しい眼差しの男が現れた。男は草太に寄り、そっと頭を撫でる。
「明彦さん!」
男は頷き、目を細めた。
「草太、君はいい青年になった。僕の教え子の中でも、断トツで優秀な生徒だったよ。草太の何でも吸収しようという姿勢は、とても教え甲斐があった」
言いながら、男の足がひらひらと揺れる。つま先からだんだんと、白い布に変わっていく。
「明彦さんも、行ってしまうっすか?」
悲痛に眉を寄せる草太に、男は申し訳無さそうにコクンと頷く。
「父上が行ってしまわれたからね、人の世の物理法則に沿わない者は、人の世界にはいられないんだよ」
白い布が、ゆらゆら揺れながら喉元まで迫ってくる。優しい眼差しが、キラキラと揺らめく。
「草太、たくさんの人と、信頼を築くんだぞ。草太ならきっと大勢の人から信頼してもらえるから」
布の部分が頭の先まで到達し、大きな一枚の布となった男は、そのままゆらゆら舞い上がり、すうっと漆黒の中に溶け込んでいった。また草太の目に涙が伝う。その涙を、そっと拭ってくれる指がある。目の前には、艶やかなドレス姿の女性がいた。
「悲しい時は泣き、腹が立ったら怒れ、か。でもさ、世の中楽しいのが一番だよ。楽しいことをいっぱい探して、生きることを目一杯楽しんで」
言って、女性はウィンクする。
「朱美さん!」
悲痛な表情の草太に、女性は人差し指を立て、チッチッチと左右に振った。
「ほらほら、笑って笑って!」
女性のドレスがボウと燃え上り、女性は炎に包まれる。火焔をまとった女性は、そのまますうっと後ろに下がっていく。
「草太、いい男になったよ。自信持って!兄弟じゃなかったら、あたしも惚れてたかも。そのままずっと、優しい草太でいてね」
女性の声が漆黒に消えていく。しばらく追いかけるが、闇の中をどう走っているのか分からず、また寂寥感にうずくまった。そんな草太の肩を、ポンと誰かが叩いた。振り向くと、そこには鳥の巣頭の男がいた。
「泣くな草太、あんまり泣きすぎると、身体の中の塩分が不足し、頭痛や吐き気に襲われるぞ」
「傑さん!」
鳥の巣男は口を真一文字に引き締める。若干、口角が上がっているような気もする。男は持っていたヤツデの葉で草太の顔をパタパタ仰いで涙を乾かした。
「フィールドワークではよく俺に付いてきてくれた。お陰で、結界が間に合った」
「そんな、僕こそいろいろなこと、教わりました。でもまだまだ、傑さんに教えて欲しいこと、いっぱいあるっす!」
草太の言葉に、鳥の巣男は神妙に目を閉じた。
「すまん。だが草太、その探究心は大切だ。これからも、おかしいと思ったことはとことん疑え。そして真実を突き止めていくんだ」
言って男は自分を仰ぎ、自分自身を吹き飛ばす。顔を赤く変色させて鼻が伸び、山伏の姿になって漆黒に融け込んでいった。哀惜にかられて見つめていると、男が去った一点から大きな黒い牛が姿を現し、すごい勢いで駆けてきたかと思うと、草太の目の前で急ブレーキをかけた。牛の顔は人間で、それは草太のよく知るふくよかな顔だった。
「シュンくん!シュンくんまで行ってしまわないよね?ずっと一緒にいてくれるでしょ?」
黒牛は眉を落とし、力なく項垂れた。
「ごめんでつ。僕も、行かなくちゃなんでつ」
「そんなあ!」
草太は牛にがっつりと抱きつく。
「早く人間の姿に戻って。そんで、一緒に暮らすっすよ!僕ら、気の合う仲間だったでしょ?」
「うん、草太は気の合う兄弟だった。すっごくすっごく、楽しかったでつよ。でも……」
ドロンと人気の姿に戻り、草太の両肩を掴んだ。そして、草太の目を覗き込んだ。
「聞いて、草太。僕は思うんでつ。僕はすっごく怖がりだったでつが、怖いのは、いろんなことが分からないからなんでつ。そして分からないことがあるから、生きることが充実すると思うんでつね。草太、分からないことがいっぱいあるこの世界を、たくさん冒険し、たくさん楽しんで下さい。僕は一緒に行ってあげられないでつが、ずっとずっと、応援してるでつ」
目の前の少しぽっちゃりした青年の言葉に、草太は顔を歪めた。
「シュンくん!何で、何でそんなお別れみたいな言い方するっすか!」
言いながら、ハッとする。目の前の青年の姿がすでにぼんやりと透けている。
「シュンくん!行かないで!」
慌てて抱きつくも、青年は霧散し、草太の腕は宙を切った。
草太はそれから膝を屈み込み、丸くなってまた声を上げて泣いた。喉は枯れ、声はカスカスだったが、込み上げる様々な感情にしばらく身を任せていた。静かに時が流れ、やがて頭上からバサバサと羽ばたきの音が降ってきた。顔を上げると、一羽の大きなカラスが目の前にいた。怪訝な顔で見つめると、その巨鳥はモクモクとしたモヤに包まれ、モヤが引くと白い装束の陰陽師の姿となっていた。草太は陰陽師を見るや、即座にその手を取った。
「天冥さん!天冥さんはずっと死なないで生きてきたんでしょう?だったら、これからもどこへも行かないっすよね?」
天冥は草太の手を優しく包み込む。
「草太、確かにわたしは死んではいません。ですが、この世ではない世界の理でもって生き長らえています。すでに聞いたかもしれませんが、父上がいなくなり、人の世の気は正常に戻りました。もはや、人の世の理で生きていない者は、その世界に留まることは出来ないのです」
草太は陰陽師の言葉に大きく頭を振る。
「だったら!僕も連れて行って!僕も、みんなと同じ理の中に入れて!」
必死に訴えかける草太の手を、陰陽師は強く握る。
「草太、あなたはこの世界に希望をもたらしました。これから変わっていく世界を、その目でしっかりと見るのです」
草太は陰陽師の手を振り払い、強い視線を陰陽師に向ける。
「僕にはもう、この世界に誰も親しい人がいない。もう、僕には何も見るべきものなんて無いんだ!」
陰陽師は草太の言葉に嘆息し、じっと目を瞑り、そして悲しげな目で草太を見つめた。
「草太、あなたは失っていた感情を取り戻しただけではありません。あなたの受け取った感情には、父や母、そして兄弟姉妹たちの想いが乗せられています。あなたがこの世界で生きることは、みんなの願い。みんなの希望なのです。一人だなどと言わないで、どうか、懸命に生きて下さい。皆、あなたの感情とともにいます。そして、あなたならきっとまた、たくさんの仲間たちに巡り会えます。生きて生きて、またあなたの成長した姿を見せて下さい」
陰陽師はそう言うと、懐から扇子を出し、パッと開いたかと思うと、ひらひらと振るわせながら腕を大きく回天させた。何かの舞いのように舞い、何かの呪文を唱えると、強い風が渦を巻く。その風圧に草太は目を瞑った。やがて風が止み、そろそろと目を開けると、そこには色のある風景があった。目の前には、古びて朱の剥げた鳥居が立っていた。
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