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最終章 決戦

18 源の神社

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 天空から張り出した巨大な顔はいつしか張り出し口から切り離され、大きなバルーンのように禍津町まがつちょう、セフィロトの地の中洲上空に浮いている。そのすぐ下には五つの黒い鬼火に包まれた将門まさかどの兄弟の霊体たち、中心に草太そうたを囲み、今まさに草太が大口を開けた将門の生首に飲み込まれようとしていた。

 草太の頭が口の中に入ろうかというその時、一陣の風が大口の下を吹き抜け、草太の身体を吹き飛ばす。吹き飛んだ先に、ひらひらと舞う敷布のような白い布、その布の上に、女子高生が乗っていた。草太が手を伸ばし、女子高生は見事にその手をキャッチした。そして草太をひらりと自分の後ろに乗せる。

「いや~危ないところだったね~」

 女子高生はまるで危機感のない口調でケラケラ笑いながら言う。

「助かったっす!ていうか、何で女子高生の格好なんすか?」
「いや~だあって~この制服、気に入ってたんだよ。もう着納めかと思ってさ」

 そんな呑気なことを言っている女子高生は自称妙見菩薩の使いのつむぎ、乗っている布は一反木綿の明彦あきひこだ。

「くそ!逃がすな!」

 霊体の黒顔、将頼まさよりが他の四体に下知し、四体の影武者たちが草太たちに追いすがってくる。するとまた、影武者たちを強烈な風が襲う。その風上には一体の緑の狛犬、風使いの妖怪だ。狛犬はガタガタと身体を振動させると、袈裟に頭巾という山伏姿に変わった。その鼻は赤く突き出ているが、顔はすぐるだった。傑は手に持つ大きなヤツデを打ち振るい、黒灰の光に包まれた霊体たちを吹き散らす。

「急いでみなもとの鳥居へ飛べ!」

 傑は紬に叫んだ。傑の正体は風を使う妖怪、天狗だったのだ。

「くそう、逃がすか!」

 将頼は忌々しそうに叫ぶと、巨大な将門の顔に向いて呪文を飛ばす。将門はグワァと咆哮し、草太の飛ぶ方角に大口を向けた。大口からサイクロンのような竜巻が起こり、草太たちはその渦の中に飲み込まれそうになる。スクリュー状に吸い込まれていくのを一反木綿が必死に抗って脱出しようとするが、ジワジワと口の中に近づいていた。

 そこへ……

 丑寅の方角に「地」

 辰巳の方角に「水」

 未申の方角に「火」

 戌亥の方角に「風」

 の文字が浮かび上がる。禍津町を囲む山々に、送り火の大文字が出現した。実はこの大文字、傑のフィールドワークの際に禍津町の山々に散った隕石を集め、大文字のそれぞれの字に象って集めたものだった。そこに天冥てんめいがセフィロトと同じように隕石内の妖化あやかしかの媒体となる物質を陽の気で包み込み、煉獄の火で焼いて大文字として浮かび上がらせる。煉獄の火を仕掛けるのは朱美あけみの役割だった。朱美の正体は火車かしゃという火の妖怪で、扱う煉獄の火は普通の火と違い、簡単に消すことは出来ない。人界とは違う階層の物理法則に則った火で、この火に照らされると影武者には影が出来ず、その正体を暴くことも出来る。久遠寺くおんじのお焚き火供養の際の櫓の火は朱美が起こしたものだった。当然、朱美が煉獄の火に焼かれて死ぬことはない。あの日の朱美の死の演出は、朱美の能力を考慮したものだったのだ。

「ごめーん!ちょっと遅かったかな?何かさ、今日の空気は禍々しすぎて火の点きが悪くってさ」

 身体の周りに真紅の光鱗をまとわせた女が中空に姿を現す。 炎の中で、朱美の顔をした鬼が笑っている。

「こっちも手間取ったんでつ。でも、何とか間に合ってよかったんでつ」

 朱美の反対方向から、口に松明を咥えた黒い牛が現れた。申し訳なさそうに喋る牛の口から、松明がポロンとこぼれ落ちた。落ちた先に、弾正だんじょうがいる。弾正は足元に落ちてきた松明をバシッと蹴った。

「いや間に合ってねーから!駿佑しゅんすけも朱美もおっせーつーの!」

 弾正は上を向いて文句を言う。火車が炎に包まれた顔からペロッと舌を出し、黒牛が申し訳なさそうに頭をペコンと下げる。黒牛は、くだんという妖怪となった駿佑の姿だった。

 弾正が蹴った松明の先にちょうどセフィロトの樹があり、火は幹に移ってみるみる燃え上がった。乃愛がその炎上した樹に向かって走る。持っていたスマホを口に咥えて。スマホは虹色に輝いている。乃愛が火の中に飛び込んだかと思うと、そこから一頭の龍が姿を現した。小振りな龍が、身体を虹色に輝かせ、セフィロトの樹に沿って駆け登る。それはしんという乃愛の妖怪の姿。蜃が駆け登った後からは幹を伝って煌々とした虹色の脈が葉に向かい、やがて蜃が樹のてっぺんまで登ると、葉が一斉に虹色の輝きを放った。

 それは、乃愛の持つスマホから伝わった、人々の希望の光。乃愛のライブ配信は途切れずにずっと続いていて、乃愛の能力で送られてくる映像を観ていた数百万、いや、数千万の人々の願い、希望、夢といった人の波動が乃愛のスマホに集結していた。その光は虹色の輝きとなって乃愛の龍の身体をアンテナとし、セフィロトの樹を伝い、てっぺんの葉から拡散されてドームのように禍津町全体を覆った。傑、草太、天冥、朱美、駿佑が力を合わせて作った大文字が新たな結界となり、平和に望む人々の願いを増幅させて禍津町にいる異界の者たちを包み込んだ。

 虹の膜が禍津町の空を覆うと、将門の巨大な顔が次第に萎んでいき、その口の吸引力も弱くなっていった。

「おのれおのれおのれおのれー!あんな樹など早々に切り倒しておけばよかった!ええい今からでも遅くはない!黄泉の波動をもっと振り撒け!そしてあの樹を押し倒すのだ!」

 将頼が大きく顔を歪め、腕の先から禍々しい漆黒の気を発して四方に揺らめくろくろっ首たちへと振り撒いていく。ろくろっ首たちはグググとくぐもった声を発し、中央のセフィロトの樹へとその輪を縮め始めた。さらには湖の周辺にも続々と詰めかけたろくろっ首たちがひしめいていたが、四体の怨霊たちがその上を飛び回り、将頼と同じように下に向けて黒い気を振り撒くと、ろくろっ首たちの首がブチブチと千切れ、飛頭蛮ひとうばんと化して空中に浮遊し始めた。

「させるかあ!おっさん、行くぜ!」

 弾正が月に向いて咆哮し、その身体を獣化させる。銀色の毛をふさふさとたなびかせ、狼の姿となって駆け出した。それは久遠寺の襲撃の際に巫女たちを襲った飛頭蛮を噛み砕き、牢に入った浦安うらやすの腕を噛んで彼を人狼化させた銀狼。セフィロトの樹に寄ってくるろくろっ首たちの頭を次々に噛みちぎりるその毛並みは月の化身のようにキラキラと銀色の光線を描いていた。鉄紺色の毛を身にまとわせて狼男になった浦安も、鋭い爪でろくろっ首の頭を切り裂いていく。同時に、湖から千草ちぐさが飛び出し、灰色狼に変身して湖周辺の飛頭蛮化しようとする者の頭に噛み付く。さらには、森の奥から灰色狼の群れが駆け出してきて、飛頭蛮となった者たちに飛びついてはその頭を噛み砕いていった。狼たちを先導していたのは神坂に扮していた白髪の好々爺だった。老翁も普段の温和な顔ではなくその相貌を鋭くし、自ら白い狼と化して飛頭蛮狩りに加わった。弾正の助手たちは実は人狼族の仲間たちだった。神坂に扮していた白狼はそのリーダー格で、コミケで死を演じた後、各地の人狼族を集結させていたのだった。



 セフィロトの地の中洲で、湖周辺で、人狼族と飛頭蛮、ろくろっ首たちの死闘が繰り広げられる中、その上空では人狼が打ち漏らした飛頭蛮を将門の子らが力を合わせて掃討していた。天狗の傑がヤツデを振って吹き飛ばし、火車の朱美が焼き払い、件の駿佑が蹴り飛ばし、蜃の乃愛が噛み砕く。

「陽の気の満ちた今なら門はすでに開いているはず!急いで!」

 中洲から天冥が叫び、紬がそれに頷いた。

「行こう!始まりの神社に!」

 紬が叫び、一反木綿の明彦が紬と草太を乗せて源の鳥居へと飛ぶ。

「逃がすな!追え!」

 将頼が叫び、萎んでしまった将門の頭に寄っていく。将門の頭はそれでもまだ人の身長ほどの大きさはあったが、他の四体の霊体の弟たちも将頼と一緒にその頭を取り囲み、大きな顔の周りを五つの小さな顔がぐるぐる回る恒星と惑星のような形で草太たちを追った。





 源の鳥居に辿り着いた草太は、道祖神に囲まれた鳥居の奥が黒く渦巻いているのを見た。源の鳥居の「源」は、源氏げんじの氏と勘違いしていたが、実は根源の意味の「源」だったのだ。すなわち、この鳥居の奥は将門の妙見信仰の源となった神社へと通じている。紬に先導された一反木綿の明彦は、迷わずその渦の中に飛び込んだ。瞬間、草太は暗黒に包まれ、激しい頭痛に見舞われた。どこまでも落下していくような感覚に襲われ、頭を抱えた草太の耳に、ノワールの黒鐘が激しく鳴り響いていた。




 フワリと身体が浮遊し、ストンと地に着いた感覚がする。ひやりとした冷たさが膝や掌に伝わり、草太は恐る恐る目を開けた。ふっと懐かしい腐葉土の香りがし、自分は石畳の上に四つん這いになっているのが分かる。身体を起こして手を見ると、その掌は紅葉のように小さかった。

「お帰りなさい、竹丸」

 柔らかい女性の声がし、見上げると、こうじ色の小袖を着、藍色の帯を締めた女性が優しくほほえんでいる。女性の顔はさっきセフィロトの森で別れた穂乃香ほのかの顔そっくりだったが、その装いに強烈な郷愁が胸を突き、狂おしいほど切ない想いが込み上げる。女性の背後にはどこかの神社の社殿…それは夢によく見た景色だった。いや、違う。夢じゃない。ここは幼い頃、よく遊びに来た神社。そして目の前の女性は……

「かか……さま?」

 視界に白い膜がかかり、女性の姿がじんわりとボヤける。女性は草太に歩み寄ると、手を取って膝付きの姿勢から立ち上がらせた。

「泣き虫さん、ここがどこか、分かる?」

 女性の細くて白い手が、草太の頭を優しく撫でる。その感触に、草太はたまらなくなって抱きついた。埋めた顔の先に女性の帯がある。炭の焦げた匂いに混じり、ミルクのような肌の香りが鼻腔をくすぐる。それは、母の匂い。女性は平安時代、最後に見た桔梗ききょうの姿で、草太は母と別れた時のように幼子の姿に戻っていた。母への慕情、別れの辛さ、一人置き去りにされた寂しさ、父や母を連れ去った者への怒り、里への郷愁、家族への憐憫、そんな感情が渦を巻き、草太は母を抱く腕に力を込めて叫んだ。

「かかさま!かかさま、かかさま、かかさま、かかさま、かかさまー!!」

 桔梗は幼子の背に合わせて屈み、そんな草太を強く抱き締めた。そしてしばらくそのままの姿勢で、時が過ぎた。母から伝わる肌の温もりが、忘れていた母への情愛を掻き立てさせた。その刹那、草太は幸せだった。ずっとこのままでいたいと願った。だが境内に一羽のカラスの鳴き声がカアと鳴ると、母は草太の肩を掴んで身を離し、草太と同じ目線でしっかりと目を合わせた。

「竹丸、みんなからたくさんの感情を返してもらったよね?私もね、最後の一つの感情を、今から竹丸に返そうと思います」

 毅然とした桔梗の言葉に、草太の心に不安が過った。

「かかさま、これからずっと、一緒にいられる、よね?」

 桔梗はそれに、首を振る。草太の毛が逆立った。

「いやじゃ……いやじゃいやじゃいやじゃいやじゃいやじゃ……いやじゃー!!」

 草太は激しく首を振り、大泣きした。そこへ………


「何だ竹丸、まーた、かか様を泣いて困らせているのか?」

 背後からガサッの草を踏む音がし、聞き覚えのある低音の声に、草太は振り向いた。そこには茶色い直垂ひたたれに鎧をまとった荒武者の姿があった。大袖や胸当てには幾本もの折れた矢が刺さっている。煤で真っ黒に汚れた顔には、それでも精悍な笑みが宿っている。その勇ましい姿に、草太の胸には早鐘が鳴った。それは幼少の頃に生き別れた父、将門の姿だった。
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