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最終章 決戦
15 メゾン漆黒
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駿佑の書いたシナリオは、『メゾン漆黒』という漫画となって完成された。後はその漫画の内容を、人々に広めなければならない。『メゾン漆黒』はただ将門を打ち破るまでの道筋を示すためのものだけではなく、闇に沈もうとしている人々の心に希望を萌芽させるためのツールでもあった。そのためには一人でも多くの人の目に触れさせなければならない。そこで目をつけたのが、T都で開かれる夏のコミケであり、乃愛のYourTuberとしての宣伝力だった。
乃愛には人に幻を見せる能力がある。蜃という妖怪が彼女の正体だった。乃愛のノワールでの役割はインターネットの世界に入り込み、人々の心の揺らぎを探ることだったが、そのプラットフォームとしてクロノアチャンネルというチャンネルをYourTube内に立ち上げていた。このチャンネルは妖化した者、もしくはその可能性のある者にしか見えないようになっていて、そこにアクセスした人間を乃愛が特定させることによって妖化人間の三次元での位置も掴むのだ。いち早くその情報を察知し、彼らをセフィロトに送って妖化の深化を防ぐ、それがチャンネルの第一の目的だった。
第二の目的としては来るべき将門の脅威を人々に伝えることだ。将門関連の情報は都市伝説としてせっせと動画を撮ってアップしてきたのだが、どうやら将門の影武者にもネットに目をつけた者がいたようで、乃愛のチャンネルは逆に黄泉の波動を振り撒くソースとして利用されてしまった。そいつはKikTokにて恐怖のピタ止めチャレンジなるものを垂れ流し、それにアクセスした者の心が黄泉の波動を捉えやすくなるように仕向けていった。
「ちょっとお!どういうことよ、これ!誰がこんなことやってんの!?」
ノワールのダイニングルームにて、駿佑と乃愛が恐怖のピタ止めチャレンジを見つけ、真剣に対策を協議しているところに割って入り、横取りしたスマホの画面の右から左に流れる可愛い黄色のヒヨコを上手く同じ形の影にピッタリ合わせ、直後に出てきた画像を見て朱美が叫んだ。そこにはとある美人モデルの顔が映し出されていたが、それは朱美の親友の優希だったのだ。優希の美しい顔が歪み、目から血を流す画像を見て、朱美は青ざめた。
「一体誰が、こんな悪趣味なことやってんの!?」
寝起き眼を完全に覚醒させた朱美の前から、駿佑は自分のスマホを奪い返して苦笑いする。
「誰…かはもう分かってるんでつ。銭形ちゃんって名乗ってる、YourTuberなんでつ」
「誰か分かってんならそいつ、シメようよ!だいたい、何で優希なのよ!彼女、モデルとしてはそんなに有名じゃなかったのに」
鼻息荒く言う朱美の言葉に、駿佑は乃愛と顔を見合わせた。まず朱美の後半部分の質問に乃愛が答える。乃愛は都市伝説の題材として20年前に起きた国立小学校での無差別殺人事件や、50年前に起こった禍津町での村人不審死事件を扱っていたのだが、その中には十数年前の俳優との密会で死んだホステス薬物事件も入っていた。おそらく銭形ちゃんと名乗るYourTuberはその動画を目にし、素材として優希を選んだのだ。そしてその銭形ちゃんこそ将門の影武者の一人の可能性が高いことを告げると、朱美はまるで自分が喧嘩を売られたように、そいつをやっつけようと息巻いた。
「ぜ、銭形ちゃんはこのまま泳がせて欲しいんでつ。後々のシナリオに絡んでくるんで…」
駿佑と乃愛は怒る朱美を何とか説得し、その場は収めた。
駿佑には予知能力がある。駿佑の正体は、件という妖怪だった。駿佑には未来を予知した夢を見、またある程度はその夢に沿った方向に未来を向ける力がある。だが、例えば将門のような強大な力を持った者が未来を改変する場合、駿佑の力は到底及ばない。ならば、将門を討伐する道を描き、少しでもその道から反れないように導くことが駿佑の紬から与えられた使命だった。そのために、人の頭に幻を見せられる能力を持つ乃愛とのコンビは最強だった。
駿佑はまず、『漆黒のポラリス』という作品を作り、漫画家としてデビューした。『漆黒のポラリス』という漫画は、ある山村で人の首が伸び、人の頭が飛び回って人を狩るといった怪事件が起き、やがてそれが日本中に蔓延していくといった内容のホラー作品だ。この作品は発表後50年経ち、禍津町で起こった現象に酷似していると評判になった。もちろんその評判の火付けをしたのは乃愛だ。乃愛が自分のYourTubeチャンネルで最初に取り上げ、それを観た他の都市伝説系YourTuberによって拡散されていった。都市伝説好きな者たちは陰謀論に偏りがちで、そういった者は社会に不満を持っている場合が多く、将門の放つ黄泉の波動をまともに受けやすいポジションにいた。
『漆黒のポラリス』という昔の漫画が今を予言している、そういう評判が浸透した時、さらにその続編が作られるという情報を流す。それが『メゾン漆黒』だ。『メゾン漆黒』は夏のコミケにて無料配布され、追ってウェブ配信もされると宣伝した。『メゾン漆黒』の執筆には当然駿佑が当たっていたが、ここで問題が一つあった。駿佑は神坂善晴というペンネームを使っていて、『漆黒のポラリス』発表後も数々のホラー作品を描いた。そしてその原稿料で将門からの襲撃で壊れた黒藪寺を改築して黒鐘荘を建て、その黒鐘荘がまた襲撃によって破壊されると今度はその跡地にメゾン・ド・ノワールを建てたのだった。
「ええー!ノワールの大家さんはシュンくんだったっすか!?じゃあ、僕を面接したおじいさんは誰?」
将門討伐のシナリオを読み合わた日、草太は目を白黒させて駿佑に聞いた。
「あの人は、弾正さんが用意してくれた人なんでつ。弾正さんの探偵業を手伝ってる助手さんの一人なんでつよ」
あの風格のある大家のおじいさんは実は仕込みだった、その事実に草太は絶句した。『メゾン漆黒』を発表する際の問題点はまさにそこにあり、駿佑自身は『漆黒のポラリス』を発表した50年前から姿形が変わっていない。そんな姿で人々の前に顔を出すと、作者自身が都市伝説化して伝えたいことがブレてしまう。そこで年相応の人を用意し、『メゾン漆黒』は神坂の編集の元で助手である駿佑が描いたということにした。神坂老人を仕立てた理由は、駿佑が『メゾン漆黒』を描き上げる前に将門の手の者に殺されることを避けるためでもあったのだが、コミケの発表時にはシナリオの都合上、駿佑自身が顔を晒す必要があった。
コミケ会場では駿佑と乃愛は二手に別れた。それはいざ草太が駿佑を殺すという段になった時、影武者への目の役目をしていた浦安の注意を、一瞬でも反らすためだった。乃愛は弾正が大家の家の家政婦として雇ってくれていた千草が守ってくれていた。千草は弾正の探偵助手の中では戦闘力がピカ一だった。
8月12日、コミケ会場には暗雲が立ち込め、会場入口に待機していた草太は、いよいよ駿佑との別れが迫っていることに寂寞とした思いに捕われていた。本当に殺すわけではないと分かっていながらも、もう人間の姿では会えなくなるのだ。明彦から受け取った親愛の情が、その寂しさを募らせる。朱美から受け取った喜びの情が兄弟姉妹たちとの楽しかった思い出を掻き立て、傑から受け取った嫌悪の情が父に立ち向かわねばならない自分たちの運命を憎悪させる。海からイナゴの集団のように襲来した飛頭蛮がコミケ会場を覆い尽くし、来場者の逃げ惑う悲鳴が耳を突いた時、駿佑からの電話が鳴る。浦安が、乃愛を救うために即売会場の駿佑たちのブースを離れたという報告だった。天冥から受け取った希望の情が、草太の足を踏み出させた。人々の明るい未来を取り戻すために、何としてもこのミッションを達成しなければならない。草太は着ていたトレーナーのフードを被り、展示会場に逃げ込む人たちの波に混じって会場入りした。逆走する浦安を見つけることは容易だった。彼に顔が見えるように正面からぶつかる。上手くいったと思った。浦安は確かに、自分を凝視していた。後は浦安が踵を返すより早く、駿佑に辿り着いて銃で撃たなければならない。だが、ブースに辿り着いた瞬間にバーンと銃声が鳴ったのは、草太が撃ったからではなかった。何者かが、草太の反対側から神坂に扮した老人を撃ったのだ。視界の端に、紫のスーツが過る。朝霧だ。朝霧も駿佑たちを狙って紛れ込んでいた。駿佑が叫ぶ。
「草太!早く!」
もう迷ってはいられない。シュンくん、ごめん!草太は心で叫びながら、銃の引き金を引いた。見事に弾は胸に命中し、駿佑は仰向けに倒れる。それを見た朝霧は、満足そうに一つ頷いて雑踏に紛れた。倒れた駿佑の胸からは、血と共に優しい菜の花色の光が浮かんで浮遊する。いつの間にか草太の隣りにいた女子高の制服を着た女の子のむにゃむにゃと言う声が聞こえると、黄色の光は草太の胸に入っていった。途端、人々が飛頭蛮に次々と襲われていく地獄絵図のような光景が視界に入り、恐怖の情が全身を包んだ。震えてその場に屈み込みそうになるところを、女子高生が手を引いて走り出す。
「こっち!急いで!」
紬だった。紬は草太の手を引いて懸命に走り、阿鼻叫喚の中を突っ切ると、どこをどう走ったのか、風雨にずぶ濡れになりながら、どこかの森林公園に出た。その森の木陰から、白く全身を輝やかせた猪が姿を現わす。草太はその猪に駆け寄り、そのアルビノの白い毛並みに顔を埋めて泣いた。さっき見た光景が、身体を芯から凍えさせていた。身体の震えは雨で濡れて冷えたからではなく、駿佑から受け取った恐怖の情が草太の中に根を張ったからだった。
女子高生首無し連続殺人の第一の事件のあったC県には数多くの妙見神社がある。ちょうどコミケの会場だった国際展示会場もC県で、草太と紬、そしてピノンはそのうちの一つの神社に身を寄せた。
「ここから決戦の日まで、草太には身を隠してもらうからね」
神社の社屋にあった暖炉に火を入れて濡れた身体を乾かしながら、紬は草太に言った。将門との決戦の日は8月30日、シナリオではそれまで草太は将門陣営から離れ、何とか見つからないように過ごすことになっていた。妙見神社の多いC県に留まることは、陽の波動を紛らわすのにちょうどよかった。また、ピノンの姿の桔梗がずっと草太に寄り添い、草太の匂いを消してくれた。
C県にいることの利点として、16日から22日までC神社で妙見大祭が催されるということもあった。妙見大祭とは北斗七星の各星を祀ったお祭りで、街中を御神輿を担いで練り歩く。通常ならその期間中はたくさんの屋台が軒を並べ、神輿を担ぐ男たちの掛け声が辻々に湧き上がり、街中が祭り一色となって賑わうのだった。当然その祭りの間は結界の力も増し、草太が隠れるにはうってつけだった。
だが、コミケで起こった惨劇により、人々は恐怖し、家の戸を固く閉ざすようになった。いつ何時、飛頭蛮が襲ってくるか分からない、そんな恐怖が蔓延し、街は新型ウイルスによる緊急事態宣言期間よりも閑散としていた。政府はそんな中でも今起こっていることはウイルス性のものではないと頑なに主張し、公的機関が休業することを許さなかった。それは少しでも妖化を広めようとする将門陣営の企みによるものだったのだろうが、逆に祭りを禁止されなかったのは草太に取ってよかった。例年通り賑やかにというわけにはいかなかったが、有志で何とか形だけでも妙見大祭を執り行うことは出来た。草太はC県の妙見神社を転々としながら、何とか居場所を特定されないように身を隠した。
人々が家の中に閉じ籠もったことは、乃愛がYourTubeで『メゾン漆黒』の宣伝をするのには都合良かった。人々はろくろっ首や飛頭蛮の襲来に恐怖するだけでなく、自分自身がそうなってしまうことを恐れた。政府は情報を遮断していたが、この頃には感情の揺らぎが妖化のきっかけになるということが人々の間に浸透していた。人は、感情を制御することを余儀なくされた。なので家に閉じこもっても、映画やドラマなどの映像作品を観ることもできない。感情を大きく振幅させる恐れがあるからだ。さらには家族とも断裂した。いつ何時、家族や隣人が妖化して襲ってくるとも限らない。人々はそんな極限状態の中で、救いを求めた。人々は政府の息がかかって信用できないテレビ番組より、SNSの中にこの状況から脱出させてくれる情報を求めた。そして、乃愛の配信に行き当たった。すでに日本中が黄泉の波動に晒され、ほとんどの人が乃愛の配信を目にすることができる状態だった。
『ボクたちは感情の生き物なんだよ。嬉しかったり、悲しかったり、怖かったり、喜び合ったり、慰め合ったり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、恋したり、愛し合ったり……そんな感情の一つひとつが、ボクたちの生きる糧なんだ。そんなボクたちの人間らしい生活が、阻害されている。ボクは、ボクたちをそんな目を遭わせているやつと、戦うよ。決戦は8月30日の夜から!どうかみんな、ボクの配信に心のアンテナを向けて、ボクを応援して!』
『メゾン漆黒』の宣伝と同時に訴えかける乃愛の言葉が、人々の心に響いた。
乃愛には人に幻を見せる能力がある。蜃という妖怪が彼女の正体だった。乃愛のノワールでの役割はインターネットの世界に入り込み、人々の心の揺らぎを探ることだったが、そのプラットフォームとしてクロノアチャンネルというチャンネルをYourTube内に立ち上げていた。このチャンネルは妖化した者、もしくはその可能性のある者にしか見えないようになっていて、そこにアクセスした人間を乃愛が特定させることによって妖化人間の三次元での位置も掴むのだ。いち早くその情報を察知し、彼らをセフィロトに送って妖化の深化を防ぐ、それがチャンネルの第一の目的だった。
第二の目的としては来るべき将門の脅威を人々に伝えることだ。将門関連の情報は都市伝説としてせっせと動画を撮ってアップしてきたのだが、どうやら将門の影武者にもネットに目をつけた者がいたようで、乃愛のチャンネルは逆に黄泉の波動を振り撒くソースとして利用されてしまった。そいつはKikTokにて恐怖のピタ止めチャレンジなるものを垂れ流し、それにアクセスした者の心が黄泉の波動を捉えやすくなるように仕向けていった。
「ちょっとお!どういうことよ、これ!誰がこんなことやってんの!?」
ノワールのダイニングルームにて、駿佑と乃愛が恐怖のピタ止めチャレンジを見つけ、真剣に対策を協議しているところに割って入り、横取りしたスマホの画面の右から左に流れる可愛い黄色のヒヨコを上手く同じ形の影にピッタリ合わせ、直後に出てきた画像を見て朱美が叫んだ。そこにはとある美人モデルの顔が映し出されていたが、それは朱美の親友の優希だったのだ。優希の美しい顔が歪み、目から血を流す画像を見て、朱美は青ざめた。
「一体誰が、こんな悪趣味なことやってんの!?」
寝起き眼を完全に覚醒させた朱美の前から、駿佑は自分のスマホを奪い返して苦笑いする。
「誰…かはもう分かってるんでつ。銭形ちゃんって名乗ってる、YourTuberなんでつ」
「誰か分かってんならそいつ、シメようよ!だいたい、何で優希なのよ!彼女、モデルとしてはそんなに有名じゃなかったのに」
鼻息荒く言う朱美の言葉に、駿佑は乃愛と顔を見合わせた。まず朱美の後半部分の質問に乃愛が答える。乃愛は都市伝説の題材として20年前に起きた国立小学校での無差別殺人事件や、50年前に起こった禍津町での村人不審死事件を扱っていたのだが、その中には十数年前の俳優との密会で死んだホステス薬物事件も入っていた。おそらく銭形ちゃんと名乗るYourTuberはその動画を目にし、素材として優希を選んだのだ。そしてその銭形ちゃんこそ将門の影武者の一人の可能性が高いことを告げると、朱美はまるで自分が喧嘩を売られたように、そいつをやっつけようと息巻いた。
「ぜ、銭形ちゃんはこのまま泳がせて欲しいんでつ。後々のシナリオに絡んでくるんで…」
駿佑と乃愛は怒る朱美を何とか説得し、その場は収めた。
駿佑には予知能力がある。駿佑の正体は、件という妖怪だった。駿佑には未来を予知した夢を見、またある程度はその夢に沿った方向に未来を向ける力がある。だが、例えば将門のような強大な力を持った者が未来を改変する場合、駿佑の力は到底及ばない。ならば、将門を討伐する道を描き、少しでもその道から反れないように導くことが駿佑の紬から与えられた使命だった。そのために、人の頭に幻を見せられる能力を持つ乃愛とのコンビは最強だった。
駿佑はまず、『漆黒のポラリス』という作品を作り、漫画家としてデビューした。『漆黒のポラリス』という漫画は、ある山村で人の首が伸び、人の頭が飛び回って人を狩るといった怪事件が起き、やがてそれが日本中に蔓延していくといった内容のホラー作品だ。この作品は発表後50年経ち、禍津町で起こった現象に酷似していると評判になった。もちろんその評判の火付けをしたのは乃愛だ。乃愛が自分のYourTubeチャンネルで最初に取り上げ、それを観た他の都市伝説系YourTuberによって拡散されていった。都市伝説好きな者たちは陰謀論に偏りがちで、そういった者は社会に不満を持っている場合が多く、将門の放つ黄泉の波動をまともに受けやすいポジションにいた。
『漆黒のポラリス』という昔の漫画が今を予言している、そういう評判が浸透した時、さらにその続編が作られるという情報を流す。それが『メゾン漆黒』だ。『メゾン漆黒』は夏のコミケにて無料配布され、追ってウェブ配信もされると宣伝した。『メゾン漆黒』の執筆には当然駿佑が当たっていたが、ここで問題が一つあった。駿佑は神坂善晴というペンネームを使っていて、『漆黒のポラリス』発表後も数々のホラー作品を描いた。そしてその原稿料で将門からの襲撃で壊れた黒藪寺を改築して黒鐘荘を建て、その黒鐘荘がまた襲撃によって破壊されると今度はその跡地にメゾン・ド・ノワールを建てたのだった。
「ええー!ノワールの大家さんはシュンくんだったっすか!?じゃあ、僕を面接したおじいさんは誰?」
将門討伐のシナリオを読み合わた日、草太は目を白黒させて駿佑に聞いた。
「あの人は、弾正さんが用意してくれた人なんでつ。弾正さんの探偵業を手伝ってる助手さんの一人なんでつよ」
あの風格のある大家のおじいさんは実は仕込みだった、その事実に草太は絶句した。『メゾン漆黒』を発表する際の問題点はまさにそこにあり、駿佑自身は『漆黒のポラリス』を発表した50年前から姿形が変わっていない。そんな姿で人々の前に顔を出すと、作者自身が都市伝説化して伝えたいことがブレてしまう。そこで年相応の人を用意し、『メゾン漆黒』は神坂の編集の元で助手である駿佑が描いたということにした。神坂老人を仕立てた理由は、駿佑が『メゾン漆黒』を描き上げる前に将門の手の者に殺されることを避けるためでもあったのだが、コミケの発表時にはシナリオの都合上、駿佑自身が顔を晒す必要があった。
コミケ会場では駿佑と乃愛は二手に別れた。それはいざ草太が駿佑を殺すという段になった時、影武者への目の役目をしていた浦安の注意を、一瞬でも反らすためだった。乃愛は弾正が大家の家の家政婦として雇ってくれていた千草が守ってくれていた。千草は弾正の探偵助手の中では戦闘力がピカ一だった。
8月12日、コミケ会場には暗雲が立ち込め、会場入口に待機していた草太は、いよいよ駿佑との別れが迫っていることに寂寞とした思いに捕われていた。本当に殺すわけではないと分かっていながらも、もう人間の姿では会えなくなるのだ。明彦から受け取った親愛の情が、その寂しさを募らせる。朱美から受け取った喜びの情が兄弟姉妹たちとの楽しかった思い出を掻き立て、傑から受け取った嫌悪の情が父に立ち向かわねばならない自分たちの運命を憎悪させる。海からイナゴの集団のように襲来した飛頭蛮がコミケ会場を覆い尽くし、来場者の逃げ惑う悲鳴が耳を突いた時、駿佑からの電話が鳴る。浦安が、乃愛を救うために即売会場の駿佑たちのブースを離れたという報告だった。天冥から受け取った希望の情が、草太の足を踏み出させた。人々の明るい未来を取り戻すために、何としてもこのミッションを達成しなければならない。草太は着ていたトレーナーのフードを被り、展示会場に逃げ込む人たちの波に混じって会場入りした。逆走する浦安を見つけることは容易だった。彼に顔が見えるように正面からぶつかる。上手くいったと思った。浦安は確かに、自分を凝視していた。後は浦安が踵を返すより早く、駿佑に辿り着いて銃で撃たなければならない。だが、ブースに辿り着いた瞬間にバーンと銃声が鳴ったのは、草太が撃ったからではなかった。何者かが、草太の反対側から神坂に扮した老人を撃ったのだ。視界の端に、紫のスーツが過る。朝霧だ。朝霧も駿佑たちを狙って紛れ込んでいた。駿佑が叫ぶ。
「草太!早く!」
もう迷ってはいられない。シュンくん、ごめん!草太は心で叫びながら、銃の引き金を引いた。見事に弾は胸に命中し、駿佑は仰向けに倒れる。それを見た朝霧は、満足そうに一つ頷いて雑踏に紛れた。倒れた駿佑の胸からは、血と共に優しい菜の花色の光が浮かんで浮遊する。いつの間にか草太の隣りにいた女子高の制服を着た女の子のむにゃむにゃと言う声が聞こえると、黄色の光は草太の胸に入っていった。途端、人々が飛頭蛮に次々と襲われていく地獄絵図のような光景が視界に入り、恐怖の情が全身を包んだ。震えてその場に屈み込みそうになるところを、女子高生が手を引いて走り出す。
「こっち!急いで!」
紬だった。紬は草太の手を引いて懸命に走り、阿鼻叫喚の中を突っ切ると、どこをどう走ったのか、風雨にずぶ濡れになりながら、どこかの森林公園に出た。その森の木陰から、白く全身を輝やかせた猪が姿を現わす。草太はその猪に駆け寄り、そのアルビノの白い毛並みに顔を埋めて泣いた。さっき見た光景が、身体を芯から凍えさせていた。身体の震えは雨で濡れて冷えたからではなく、駿佑から受け取った恐怖の情が草太の中に根を張ったからだった。
女子高生首無し連続殺人の第一の事件のあったC県には数多くの妙見神社がある。ちょうどコミケの会場だった国際展示会場もC県で、草太と紬、そしてピノンはそのうちの一つの神社に身を寄せた。
「ここから決戦の日まで、草太には身を隠してもらうからね」
神社の社屋にあった暖炉に火を入れて濡れた身体を乾かしながら、紬は草太に言った。将門との決戦の日は8月30日、シナリオではそれまで草太は将門陣営から離れ、何とか見つからないように過ごすことになっていた。妙見神社の多いC県に留まることは、陽の波動を紛らわすのにちょうどよかった。また、ピノンの姿の桔梗がずっと草太に寄り添い、草太の匂いを消してくれた。
C県にいることの利点として、16日から22日までC神社で妙見大祭が催されるということもあった。妙見大祭とは北斗七星の各星を祀ったお祭りで、街中を御神輿を担いで練り歩く。通常ならその期間中はたくさんの屋台が軒を並べ、神輿を担ぐ男たちの掛け声が辻々に湧き上がり、街中が祭り一色となって賑わうのだった。当然その祭りの間は結界の力も増し、草太が隠れるにはうってつけだった。
だが、コミケで起こった惨劇により、人々は恐怖し、家の戸を固く閉ざすようになった。いつ何時、飛頭蛮が襲ってくるか分からない、そんな恐怖が蔓延し、街は新型ウイルスによる緊急事態宣言期間よりも閑散としていた。政府はそんな中でも今起こっていることはウイルス性のものではないと頑なに主張し、公的機関が休業することを許さなかった。それは少しでも妖化を広めようとする将門陣営の企みによるものだったのだろうが、逆に祭りを禁止されなかったのは草太に取ってよかった。例年通り賑やかにというわけにはいかなかったが、有志で何とか形だけでも妙見大祭を執り行うことは出来た。草太はC県の妙見神社を転々としながら、何とか居場所を特定されないように身を隠した。
人々が家の中に閉じ籠もったことは、乃愛がYourTubeで『メゾン漆黒』の宣伝をするのには都合良かった。人々はろくろっ首や飛頭蛮の襲来に恐怖するだけでなく、自分自身がそうなってしまうことを恐れた。政府は情報を遮断していたが、この頃には感情の揺らぎが妖化のきっかけになるということが人々の間に浸透していた。人は、感情を制御することを余儀なくされた。なので家に閉じこもっても、映画やドラマなどの映像作品を観ることもできない。感情を大きく振幅させる恐れがあるからだ。さらには家族とも断裂した。いつ何時、家族や隣人が妖化して襲ってくるとも限らない。人々はそんな極限状態の中で、救いを求めた。人々は政府の息がかかって信用できないテレビ番組より、SNSの中にこの状況から脱出させてくれる情報を求めた。そして、乃愛の配信に行き当たった。すでに日本中が黄泉の波動に晒され、ほとんどの人が乃愛の配信を目にすることができる状態だった。
『ボクたちは感情の生き物なんだよ。嬉しかったり、悲しかったり、怖かったり、喜び合ったり、慰め合ったり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、恋したり、愛し合ったり……そんな感情の一つひとつが、ボクたちの生きる糧なんだ。そんなボクたちの人間らしい生活が、阻害されている。ボクは、ボクたちをそんな目を遭わせているやつと、戦うよ。決戦は8月30日の夜から!どうかみんな、ボクの配信に心のアンテナを向けて、ボクを応援して!』
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