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最終章 決戦

6 勢揃いの兄弟姉妹たち

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 平成21年9月20日

 バブルが弾けて20年近く経つというが、朱美あけみはその頃のことを知らない。土地の値段がアガリ続けるという神話は破れたはずなのに、土地神話は低所得者向けのサブプライムローンという形で継続された。アメリカで端を発したサブプライムローンは証券化され、日本の投資家たちもこぞって買い求めた。今から考えると、本当にバカだと思う。バブル崩壊で痛い目を見たはずなのに、と。でも、朱美の商売はそんなバカたちを相手にしているのだ。バブルとはよく言ったもので、濡れ手で泡で儲けた金だからこそ一夜の享楽に大枚を叩いてくれる。朱美たちもその享楽に一役買っていたのだ。そしてまたバブルは弾け、リーマンショックという形で不況の波が押し寄せた。優希の死も相まって、朱美もそんなバカたちを相手にすることが疲れていた。

 禍津町まがつちょうにやって来たのはそんな疲弊した気持ちだけからではなかった。朱美は優希ゆうきを死に追いやったやつの名前を聞き、何としても復讐してやりたかった。だが春樹はるきは名前を聞くだけで倒せる相手ではないと言った。そして、自分の本名は天冥てんめいというのだとを名乗り、禍津町に来れば朱美にそいつを倒せる力が手に入る、という内容のことを語った。半信半疑だったが、どうせ家にいても無為な時を過ごすだけなのだしと、T都から気分転換がてらやって来た。出向いたのは、禍津町のあるH県が朱美と優希の出身県だったというのもあったかもしれない。

 ゴロゴロとキャリーケースを引きながら坂を登ると、鬱蒼と茂る竹林の横にその古びたアパートはあった。いかにも田舎にありがちな昭和風の木造三階建てで、三階部分に突き出た鐘楼が目を引いた。黒鐘荘くろがねそうという表札のかかった門を抜けると真っ黒い壁に同化していたカラスたちが、二階の軒先から濁声で歓迎してくれた。玄関で靴を脱ぐらしく、誰か部屋まで案内してくれないかと三和土たたきに立って声をかけた。

「いらっしゃい!あなたが今日からの朱美さんね」

 玄関すぐ左の部屋の戸が開いたと思うと、パタパタとスリッパを鳴らして出てきた女性を見て朱美は目を丸くした。

「え…優希……?」

 絶句した朱美に、女性はキョトンとした顔を向ける。

「え?あ、私、管理人の雲雀丘ひばりがおか今日子きょうこと言います。て言ってもまだ私もここに来て一ヶ月くらいなんですけどね。何か不自由があったら遠慮なく言って下さいね」 

 そう言ってにっこり微笑む管理人を名乗る女性から、朱美は目が離せなかった。黒髪をひっつめている地味な感じは派手な優希らしくない。だが面立ちがそっくりなのだ。目の前の彼女にどう接していいか分からず、朱美は固まった。その固まった朱美を見て、今日子は怪訝に顔を傾ける。その時、向かいの部屋がバタンと開き、小学生くらいの男の子が朱美の前に駆け出してきた。

「おお、そちが新しい兄弟か!わしは竹丸たけまる、よろしゅうな!」
「え、そち?」

 シュパッと手を差し伸べた少年の顔に、目線を今日子からスライドさせる。あどけなさ満載の顔立ちに喜色が溢れている。その時代劇がかった口調に、自分が変なドッキリに仕掛けられてるような気がして眉をひそめる。少年の後ろから、分別のありそうな男性が歩いてきて朱美に優しそうな笑顔を向けた。

「いらっしゃい。いろいろ聞きたいこともあるでしょうが、まずは部屋に荷物を置いて、リビングに来て下さい。僕たちがどういう人間か説明します」


 
 今日子に二階の部屋へ案内され、キャリーケースを運び入れる。部屋は六畳の和室で、角に布団が一式畳まれていた。すぐさま階下に降り、一階のリビングキッチンへと入る。そこで大勢の顔に出迎えられてギョっとした。キッチン横のフローリングには大きな円形のテーブルがあり、その周りに丸椅子が八脚と、補助椅子が一脚並べられいる。そのうちの七脚に住人と思われる面々がすでに座っていて、部屋に入ってきた朱美に一斉に向いたのだ。朱美は一瞬圧倒されたが、その中に春樹はるきこと天冥の顔を認め、そちらに歩を進める。今日子がキッチンからお茶を運んできて天冥の横に置き、その前の丸椅子を引いた。どうやらそこが朱美に用意された席らしい。朱美が丸椅子に座ると、今日子はその横の補助椅子に腰を下ろした。

 朱美は自分以外の八人の顔を見回した。ぱっと見統一感がなく、個性豊かな面々が揃っているように見える。朱美は場に飲み込まれまいと背筋を伸ばす。自分は接客のプロで、一人で酔っ払った団体を捌いたことだってあるのだ。そんな毅然と振る舞おうとする朱美に、ちょうど真向かいに座っていた眼光鋭い男がニヤリと口元を緩ませた。

「お前さ、まずは酒飲んで緊張ほぐした方がいいんじゃないか?」

 そう言う男の前には琥珀色の液が入ったロックグラスが置かれている。朱美はすかさずその男をビシッと指差した。

「レディに向かってお前って言うな!」
「お、おう、威勢いいな。てかさ、お前こそ人を指差すな!」 
「うるさい、お前って言うなって言ってるでしょ?」

 二人が睨み合い、先程少年の後に現れた男性が無礼男の右隣りで苦笑いする。

「まあまあ、弾正くん、抑えて。朱美さん、僕は3号室の住人で、明彦あきひこと言います。竹丸くんの家庭教師をしています。よろしく。そしてこっちのガサツな男が1号室の弾正だんじょうくん」
「な、ガサツって言うな。弾正だ。俺は一応、探偵をやっている。ま、言っても何でも屋だがな。力仕事が必要な時なんかは言ってくれ」

 朱美は殊勝な態度になった弾正と、その隣りの明彦に、ども、と言ってペコリと頭を下げた。明彦の右隣りにいた竹丸がニパっと笑い、また朱美に手を差し伸べてくる。

「わしは竹丸!我が妹よ、よろちゅうな!」
「え、妹?あたしが?」

 竹丸の右隣りに今日子が座り、その右隣りが朱美だ。朱美はそのさらに右隣りの天冥に困った顔を向けた。どう見ても朱美の方がかなり年上で、からかわれているのかと思ったが、あまりにも曇りなき眼差しを少年が向けるのでどう対処していいか困ったのだ。

「竹丸、その話はあとで。まずは自己紹介から」
「お、おお、そ、そうか…」

 少年は天冥の言葉におずおずと手を引っ込める。その意気消沈した感じに、朱美は手くらい握ってやればよかったかもと思った。次に弾正の左隣りにいた少しぽっちゃり気味の男が名乗る。

「あ、ぼ、ぼくは駿佑しゅんすけ、漫画家、なんでつ」

 ぽっちゃり男の言った意外な職業に、朱美も思わず身を乗り出す。

「え、漫画家さん!?あたし、漫画好きだよ。どんな漫画描いてるの?」
「えーと、一番売れたのは、『漆黒のポラリス』っていう作品」
「えー!あの気持ち悪いやつでしょ?知ってる知ってる!読んだことあるよ!」

 思わず気持ち悪いと言ってしまったことに気づき、ハッとして駿佑を見るが、彼は頬を少し赤らめ、伏せ目がちに口角を上げた。

「こ、この、アパートは、その作品の原稿料で建てたんでつ。ここにいる、みんなで作った作品、だから」

 なるほど、ということは彼がここの大家ということになるのだろうか?そう考え、朱美はまた違和感に囚われる。駿佑は髪で顔を隠しがちだが肌艶はどう見てもまだ二十代で、朱美の知っている『漆黒のポラリス』は三十年以上前の作品だ。どう考えても年数が合わない。変な時代劇口調の少年といい、やはり担がれているのではないか、そんな思いに駆られたとき、駿佑が自分の左に座る女性に手を差し向けた。

「で、彼女は乃愛のあたん。僕の、アシスタントをやってくれてるんでつ」
「乃愛です。よろしく」

 市松人形のような黒髪の女性がこちらにペコリと頭を下げる。朱美もペコリと返した。次に乃愛の左隣りで天冥の右隣りの男性が、和風の袖を揺らして身をこちらに向けた。鳥の巣のようなボサボサ頭にで、作務衣のような紺色の服を着ている。見た目は大正時代の文豪のようだ。このアパートに入ってから、ずっと時代を遡ったような錯覚に捕らわれている。

「あー、俺はすぐる、4号室の住人だ。まあ、学者崩れとだけ言っておこう。で、天冥さん、これで全員が勢揃いしたわけだな?」

 鳥の巣男が朱美に自己紹介した後すぐに天冥に目線をスライドさせる。場の話題が流れていきそうだったので、朱美は慌てて隣りの天冥に向く。

「ねえ、春樹…じゃなかった、天冥、この子、優希じゃないのよね?」

 朱美は天冥の耳に口を寄せて言ったが、指が今日子に向いていたので全員の目線がそちらに向く。今日子はあたふたと身を反らし、背中を補助椅子の背にぶつけた。天冥の口元がふっと緩む。 

「あなたには彼女が優希に見えているのかもしれない。だけど、彼女はここにいる全員に、別の姿に映っているの」

 朱美には天冥が何を言っているのか分からない。天冥越しに、鳥の巣頭が頷いているのが見える。

「うん、俺には最初、直子なおこに見えた。初めて見た時は驚いた」
「ぼ、僕にはおばあちゃんに見えたんでつ。あ、ごめんなさい、老けてるって意味じゃなくて、雰囲気、ていうか、目元が僕のおばあちゃんにそっくりなんでつ」

 鳥の巣頭に続いてぽっちゃりくんが言う。続いて少年の家庭教師も口を開く。

「僕は駿佑くんの逆でね、小学校で働いていた頃の教え子のマリカという子に見えた。幼く見えたっていうより、彼女が大人になったらこんな姿なんじゃないかって思えたんだ。笑った顔がそっくりだったもんだから…」

 そう言って、家庭教師は少し鎮痛な面持ちで目を閉じた。目つきの鋭い男も市松人形も、言葉には出さなかったが、みんな何かを思い出すように神妙な顔で頷いている。

「みな、何を言ってる。かか様だよ!この人は、わしのかか様じゃ!」

 少年が突然、立ち上がって叫んだ。さっきから話題になっている当の本人はというと、少年の横で赤面して肩をすぼめ、身を縮ませていた。これが漫画だったなら、きっと顔から汗マークがたくさん吹き出していただろう。

「わた、わたわた、私はそんな、そんな大層な者では…た、たた、タダの、か、管理人で、ございます」

 噛みすぎてセンテンスが掴みにくくなった言葉をあたふたと発する今日子を見て、朱美は確かに優希ではないのだなと思った。彼女ならこれくらいの人数に圧倒されず、あははと笑い飛ばすだろう。

「竹丸、座って。彼女には前世の記憶はありません。朱美、彼女はこのように、ここにいるみんなの心の中にいる誰かに似ています。ではなぜそんなことになっているのか、そこには彼女の核になっている者の強い意思が働いています」

 朱美の頭にさらに大きなクエスチョンマークが灯る。

「え、どういうこと?前世って、まさか、ここって何かの宗教団体!?」

 その朱美の言葉に、鳥の巣頭がフッとニヒルな笑みを向けた。

「俺も最初はそんな感じだった。天冥さんの言わんとするところはこうだ。人間の身体を作る組成となる物は常に循環している。その組成が前時代を生きた者に近くなることはあり得るのだと」
 
 説明し出した鳥の巣頭に、朱美は慌てて手を振る。

「あ、ちょっと待って。あたしの友達の優希はさ、彼女とほぼ同い年なのよ?前世とか言う以前の話じゃん?」

 今度は朱美の言うことに、鳥の巣頭が首を振った。

「そもそも、時間というものは一つでもなく、方向もなく、連続するものでもないのだ。時間の本質を最初に相対的に捉えたのはアリストテレスだったが、後にニュートンが計算によって知覚出来ない時間の存在を弾き出し、アインシュタインによって二人の時間の概念が統合された。それによると、時間というのは空間的にも時間的にも限定された出来事に過ぎないのだと。つまり、時間は必ずしも一方通行で流れるものではないのだ」

 鳥の巣頭がそこで話を区切り、朱美の反応を見る。朱美は嘆息し、眉をハの字に曲げた。

「ごめん、何言ってるか全然分かんない」

 そこでバタンと入り口の扉がいきなり開き、朱美はギョっとして振り向く。そこには高校生くらいの少女の、満面の笑みがあった。

「呼ばれて飛び出て……て、あれ?お呼びじゃない?」




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