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第9章 終焉

1 侵入する飛頭蛮

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 むせ返るような湿気に混じって、鉄の臭気が充満していた。弾正だんじょうが咆哮とともに酒井田さかいだに向かって走る。おそらく酒井田は将門まさかどの影武者の一人で、視界に入れた者を縛る能力で東門前の機動隊を壊滅に追いやっていた。弾正は機動隊から奪った機関銃を酒井田に向けて撃つ。その酒井田を妖化あやかしかしてろくろっ首になった岩永いわなががカバーする。弾正の撃った弾は岩永の身体を蜂の巣にした。向かってきた弾正に覆い被さるように岩永が手を広げて近づく。首をウネウネと伸ばし、もはやその姿は浦安うらやすの知る彼ではなかった。弾正の弾道が岩永の頭を捉える。顔中から赤黒い血を吹き上げ、岩永が最期の雄叫びを上げて倒れた。

(岩ちゃん、成仏してくれ)

 さっき西壁で頼もしく思った岩永はもういない。異型と化し、この世を去った。まさか彼も自分がこんな死に方をするとは思っていなかっただろう。その不条理さに、浦安は滂沱ぼうだした。頬を伝う涙を拭い、その色を見る。透明だ。まだ終わっていない。自分はまだ戦える。酒井田は追う弾正を背に北へ逃げている。

「おっさん!ぼーっとすんな!中に入ってお焚き火を守れ!」

 弾正の激が飛び、浦安はハッとなって自分の銃を探した。さっき弾正は走って機関銃を拾う前、拳銃を放り投げていた。門を東に出てそれを探す。東一体には首から血を流した機動隊たちの遺体が広がり、かろうじて生きている者も呻き声を上げながら目に赤い筋を垂らしている。精神汚染とでも言うのだろうか、影武者たちにはどうやら視界に入った者を金縛りにするだけでなく、妖化のスピードを早める力もあるようだ。今呻いている者がいつまた化け物となって襲ってくるか分からない。自分は機関銃の扱い方が分からない。馴染みのある拳銃を早く見つけようと遺体を掻き分け、何とかコンパクトな銃身を見つける。側には弓削ゆげのものだった頭が転がっている。土色になり、ボロくずのように転がるその容貌にはかつてよく怒り、よく笑った彼女のある意味純真だった輝きはもう無い。必ずかたきを討ってやる、そう心で語りかけ、哀惜で顔を歪ませた。

 タダダダ、という銃声とともに北東の角から凶声が上がる。

「あたしの可愛い妹ちゃんたち~!後は任せたわよ~!」

 見ると酒井田は背中から血を垂れ流し、北の空に向かって両手を広げていた。どうやら弾正の機関銃が酒井田を捉えたようだ。酒井田はバンザイの格好で膝を折り、そのまま前へバタンと倒れた。その身体から青白い炎が上がるのが遠目でも分かる。トレンチ男の時と同じように、一瞬で燃え上がった身体は灰と化した。これで将門の影武者の二体が消えた。だが、安堵する間も無く北の空から異様な気配が立ち込める。何かが次々と打ち上がり、星空に穴が空いたように黒くて丸い輪郭が固定された。何事かと目を凝らす。それらは久遠寺くおんじの北側の細い通路を挟んだ工場の焼け跡から打ち上がっている。やがてゆらゆらと浮遊し出し、まだ息のある機動隊員を襲い始めた。それらは全て、人の顔だった。工場に潜んでいた多数の飛頭蛮ひとうばんが姿を現したのだった。

「お焚き火を守れ!天冥てんめいを、朱美あけみを守ってくれ!」

 弾正が叫び、北側へと駆け出す。タダダダと機関銃の音を轟かせるが、高く舞い上がる飛頭蛮たちを捉えるのは難しそうだった。浦安は東門を駆けくぐった。寺の境内では天冥の朗々とした声が響き、本堂の遵奉じゅんぽう住職の読経もそれに合わさっている。煌々と焚かれた火を前にし、榊󠄀を打ち振るう天冥の動きに合わせて朱美を含む五人の巫女たちも優雅に舞っている。彼らはきっと寺の外側で起こっている事態を察知しているだろうが、それに惑わされずに一心にお焚き上げ業に集中していた。

 浦安は舞台の北側に立ち、ベルトに装備していたスピードローダーを取り出してリボルバーのシリンダーに弾を素早く装填した。そしてその銃口を北天に向ける。金色に輝くお堂に目が眩み、夜空に目を凝らして白くぼやけた視界を元に戻す。星々の瞬きがはっきりとしてくる。が、一番明るいはずの北極星のある位置には、夕刻には無かった黒い雲が立ち込めていた。本殿の向こう側から天冥たちの声の合間を縫ってダダダダという微かな機械音がする。男の野太い悲鳴も聞こえた気がした。ザワザワと胸が高鳴る。来るなら来い、と自らを鼓舞する。

「いやあ~やっと入って来れました~」

 ふいに肩口から声がし、ギョッとして振り向くと、そこには見知った男の顔があった。背後には二人の班員も控えている。

遠藤えんどう!お前、無事だったのか!」

 浦安の顔に光が差す。この悲惨な状況の中で、よく三人も無事でいてくれたと喜色を表す。が、遠藤は浦安に答えず、お焚き火の方を向き顔を綻ばせた。

「ずう~っとこれ、見たかったんですよね~。あ~綺麗だあ~」

 切迫した状況なのに呑気なことを言う遠藤にふと、違和感を覚える。だがこんな状況の中で仲間の死を次々に目撃し、心が壊れかけているのかもしれない、そう思い直し、遠藤の肩に優しく手を添える。

「遠藤、気持ちは分かる。だが、あと少し、気を確かに持ってくれ!明日になれば思う存分メンタルケアの時間を取っていい。だから今は共に化け物どもからこの火を守ろう、な?」

 遠藤はその手を払い除け、ぼーっとした目を浦安に向ける。心が抜けたような、感情の無い目だった。

「係長、折角だから講義してあげます。まず、黄泉よみに囚われた者は目から血を流す、これは分かってますよね?ほら、石橋いしばし君、目から血を流してみて」

 遠藤がそう言うと、遠藤の右後ろに立っていた遠藤班の一人、石橋の目からツウっと赤い筋が流れた。

「はいよくできました。じゃあ次。首が伸びまーす」

 遠藤は浦安に向いたまま、淡々とマイペースに喋っている。石橋の顔がブルブル震え、ヌルヌルとその首を伸ばした。それを見て、浦安の全身の毛が湧き立つ。今自分が対峙している存在の邪悪さに気づく。しかし逃げようにも、身体が動かなかった。

「ほーらほら、どんどん伸びーるどんどん伸びーる」

 石橋の頭がスルスルと伸び、二階から見下ろすほどになった。

「はーい、よくできました。じゃあ次はその首を回して~。ほら、ぐーるぐる、ぐーるぐる」

 石橋の頭が旋回し出す。遠藤の言う事が実際に起こっている。

「ね、面白いでしょ?じゃ、おさらい。曽根そね君、最初から行くよー!はい、1!」

 パン、と遠藤が手を叩き、遠藤の左後ろに控えていた曽根の目から血が流れる。

「はーい、2ぃ」

 パン、と次の手打ちで曽根の首が伸び出す。

「はーい、さーん!」

 またパンと手を叩き、曽根の首が旋回し出した。遠藤の両横で、石橋と曽根の首がぐるぐる回っている。ヒャアと喉を鳴らす音が聞こえる。お焚き火の外周で舞っていた巫女の一人がこちらの様子に気づき、悲鳴を上げたのだ。天冥と朱美はこちらの様子を察知しているのかいないのか、お焚き火に向かい、天冥は一心に祝詞を上げ、朱美は舞いを舞い続ける。遠藤の眉間にしわが寄る。

「あーそれにしても煩いお題目だ。はーい君たち、首を回すのはもういいから、そろそろ襲っていこっか」

 石橋と曽根は首を回すのを止め、その首をお焚き火の方に向けた。そして手を前に出し、ゆっくりとお焚き火の方へと動き出した。

「や……め……ろ……」

 浦安は叫ぼうとするが、口が思うように回らない。お焚き火の外側に張られたしめ縄を押しやり、ろくろっ首と化した遠藤班の二人が入っていこうとするのがかろうじて見えていた。そしてまずは外周で踊る巫女に近づいていく。北側と東側の巫女は固まったまま目を見開き、ろくろっ首の接近を為すすべ無く許している。あわや首を噛まれるというところ、天冥がクルッと振り向き、喝っと叫んで手にした榊󠄀を打ち振るった。するとろくろっ首たちの動きがピタッと止まる。すかさず朱美がお焚き火の横に立て掛けてあった松明を持って火を点け、ろくろっ首の服にその火を移した。火は天冥の祝詞とともに炎上し、たちまち全身を包んで燃え上がらせる。ろくろっ首たちはギャアと雄叫びを上げ、黒焦げになりながらその場に崩れた。

「うーん、やっぱ二等兵じゃダメか~。じゃあ次!一等兵たちの出番だよ~。カモーン!可愛い少女たちぃ~!」

 遠藤は北の空に向かって両手を上げ、車をバックさせるように手を煽った。その瞬間、遠藤の目線が外れて浦安の拘束が解ける。浦安は素早く舞台の南側へと走り、遠藤に銃を向けた。が、そこで遠藤が振り向きまた拘束される。浦安は銃を突き出したまま固まってしまった。

「係長~、すぐに撃たなきゃダメでしたね。まあでもちょっと危なかったな。はい、そんなおもちゃは没収しまーす」

 遠藤が浦安に近づき、銃を奪う。浦安は固まったまま、悔しさに奥歯を噛み締めた。やがて北から本殿を超え、黒くて丸い物体が三つ、ゆらゆらと飛んで近づいてきた。さっき工場から出てきた飛頭蛮だ。とうとう寺への侵入を許してしまった。自分は身動き出来ず、天冥たちも身を守る武器を持たない。万事休すだった。飛頭蛮たちはゆらゆらとお焚き火の近くまで浮遊し、その歪んだ表情を露わにした。三体とも、少女の顔だった。浦安はそれらの顔に見覚えがあった。一つは実際に会ったことのある顔。あと二つは警察庁の資料で見た顔。

 真ん中に、佐倉心晴さくらこはる。この禍津町まがつちょうの事件の発端となった、首無し遺体の持ち主だ。ここに顔があるということは、やはり四條畷しじょうなわてが言っていたように、首無し事件は殺人ではなかったのだ。

 心晴の右横に位置する顔は伊藤いとうゆい聖蓮せいれん女子の行方不明者の一人で、工場爆破犯の高瀬陽翔たかせはるとの彼女と思われていた女生徒だ。

 そして左側、浦安が聖蓮女子で事情聴取を行った際、目の前で校長を刺殺した張本人、水谷鈴みずたにりんだ。彼女の顔がここにいるということは、彼女はあの場所で死んではいなかったということか?

 三人の女生徒の変わり果てた姿での登場に、浦安の頭の中は驚愕と混乱の極地に陥っていた。




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