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第8章 蔓延

8 凶事を告げる鐘

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 8月1日

 この日の禍津町まがつちょうは朝から騒々しかった。久遠寺くおんじでのお焚き火業は19時からだったが、気が落ち着かない浦安うらやすは8時には早々と禍津町に入り、周辺を見回っていた。禍津町を通るローカル線は昭和の頃には行楽を兼ねた妙見参りの参拝客で賑わっていたという。信者の高齢化もあってか年々その数は減少の一途だったが、この日はまるで昭和に還ったように次から次へと宇根野うねの駅に街からの乗客を吐き出した。平日の朝だというのに人々はどこに行くともなく駅前に溜まり、10時を過ぎる頃には商店通りに百人を超える人々が集まった。

 浦安は通りの西側からその人々の様子を伺っている。隣りには同じく早々とやって来た橋爪はしづめが付き添った。橋爪は一杯引っ掛けて来たのかと思えるくらい頬を蒸気させ、いつもの冷静沈着な彼には珍しく気を浮き立たせている。何かあったのかと聞くと、実はと前置きし、昨夜寺で弓削ゆげに告白したのだと恥ずかしそうに語った。いつだったか、浦安は飲みに誘った橋爪が酔った勢いで弓削に想いを寄せていることを打ち明けるのを聞いていた。

「事件が落ち着いたら二人で食事に行く約束をしました」

 三十路男が初恋を語る中学生のように頬を赤らめる姿に思わず笑みが漏れ、彼の背中をパンパンと叩く。

「じゃあ早く事件を解決させないとな」

 橋爪が自分に付き従ってくれるのは彼なりの正義感なのだと思うが、弓削を守りたい気持ちも働いているのだと思う。いつか、二人の結婚式に呼ばれている自分の姿を夢想し、まずは今日のこの日が無事に終わりますようにと目の前の集団に視線を投げた。

 駅前の不穏な空気に、浦安たちと集団との間に武装した機動隊も集結してきた。機動隊は黒い防護盾を前に立て、何かあったらいつでも動けるように通りの両側に配置される。集団の何人かがハンディカメラや自撮り棒の付いたスマホでその様子を撮影している。中にはYourTubeの配信者と思われる、アニメの登場人物のコスプレをした人間の姿も見受けられる。彼は夏だというのにトレンチコートの襟を立てて羽織り、何やら仕切りに金切り声を上げながら集団と機動隊とを交互に撮影していた。むせ返るような空気が次第に熱を帯び、クマゼミの狂ったような声が陰鬱な雰囲気を盛り立てている。報道規制が張られているためか、三日ほど前から正式な報道陣の姿は見かけなくなっていた。

「今日は何だか組織立ってますね。きのうまでは三々五々って感じだったのに」

 橋爪がハンカチで汗を拭いながら言った。工場爆破犯の髙瀬たかせが警視庁の捜査官である袴田はかまだに射殺される動画が拡散され、それまで髙瀬を非難していた声が一気に同情論へと傾いた。同時に警察を糾弾する声も上がり、行き過ぎた輩はこの町まで来て警察官を襲撃した。それに対して町には機動隊が投入され、禍津町での一連の事件に報道規制が張られた。そうして事態は収束するのかと思われた矢先の今日だった。

「今日は俺の呼びかけにこんなに集まっていただき、ありがとうございまーす!俺たちの闘いは今日この日から始まるんだ!ファック!ザ、パブリックサーバント!」

 集団の中から百キロ以上あると思われる一際巨漢の男が立ち上がり、拡声器を使って声を上げた。ナスビのへたのようなべったりとした髪に、脂肪ぶくれした顔。一目で運動不足と分かる太った身体をパンパンに張ったTシャツと短パンが覆っている。Tシャツの胸には自分で書いたと思われる「Fuck the  Public Servant」の文字。手に持つプラカードには「既得権益をぶっ壊せ!警察の横暴を許すな!」という文句が踊っている。まるで50年前の学生運動のようだが、左翼運動の看板が青と赤の特徴的な文字だったのに対し、男の書いた字はカラフルに彩られていた。どうやらこの太った男が集団の呼掛け人のようだ。この集団が予め組織化されたものではないことは、巨漢男が来る人来る人に初対面の挨拶を交わしていたことからも伺えた。

「ファックザパブリックサーバント!」

 集団は男の声とともに立ち上がり、何人かは男と同じフレーズを連呼する。だがその声はバラバラで、付け焼き刃な集団なのが露呈していた。巨漢男は次に拡声器を配信者のトレンチコートの男に渡す。

「どうもー!銭形ちゃんでぇ~す!みんなぁ~今日はとことん楽しんじゃおうぜえー!」
「「「イエ~イ!!」」」

 トレンチ男の声には結構な数の声が揃った。巨漢男よりも人気があるようで、あちこちで歓声が投げかけられる。その姿は学生運動というより、フェスのノリだった。集団が立ち上がったのを皮切りに、機動隊も防護盾で集団を囲んだ。

「速やかに解散し、帰宅しなさい!それ以上進んだら危険集団と見なし逮捕します!」

 機動隊側も拡声器で呼び掛ける。巨漢男のしわがれた声と違い、きびきびとしたよく通る声だった。一触即発の雰囲気に、浦安たちも固唾を飲んで見守る。トレンチ男がハンディカメラを機動隊に向けた。

「僕ちゃんたちが何をやったって言うの~ぉ?ここは公道でしょ?ここは日本だよねぇ?表現の自由ってもんがあるでしょおが!」
「そうだそうだ!公権力の横暴だー!」

 トレンチ男に続き巨漢男が声を上げ、集団の先頭に立って通りを西に進み始めた。機動隊にはスマホやカメラが向けられ、拡散を恐れてか、機動隊はジリジリと後退した。

「既得権益をぶっ壊せー!」
「「「既得権益をぶっ壊せー!」」」
「ファックザパブリックサーバント!」
「「「ファックザパブリックサーバント!」」」

 集団はまるでこの町にマーキングするように、ゆっくりと西へと行進した。巨漢男に呼応する声も次第に揃ってきて、クマゼミの合唱を圧倒し出していた。きっとこの映像はライブ配信されているのだろう、後続の頭は途切れることなく、次から次へと駅に降り立つ人間がそのまま列の後ろに加わっていった。何事かと町の住人たちも機動隊を囲むように集まり出す。町はちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。

「このまま進まれるとマズイな」

 浦安の呟きに、橋爪も頷いた。この集団の目的がどこにあるのか分からないが、南西に進路を取られると久遠寺にぶつかってしまう。お焚き上げ供養の時間帯には寺に出来るだけ人を近づけたくないのだが、もしこのバカ騒ぎが夜まで続けば、高く舞い上がるお焚き火は嫌でも集団の目に入るだろう。こんな有象無象の者たちが近くにいたなら、絶対に寺に入ってくる輩も出てくる。何とか夕方までに終わってくれないか、祈る思いで対峙する機動隊を見つめるが、機動隊も警察も、ただ行進しているだけの者を留めることも出来ず、為す術なく前進を許している。浦安の祈りに反し、狭い通りに入り切らない人々が、田んぼを区切る畦道にも溢れてきていた。

「一度寺に戻り、バリケードを作ろう。寺に近づけないように寺へと続く道に縄を張るんだ」
「そうですね、そうしましょう!」

 二人は急いで久遠寺に入り、住職に事情を話して余ったしめ縄を出してもらった。天冥てんめいがセフィロトのメンバーを手配してくれ、浦安と橋爪、それに弓削も加わり三人の指導の元、寺に続く道の百メートルほど手前で行き止まりを示す縄を張っていく。そしてそれぞれ各辻に立ち、侵入しようとする者あれば止められるようにした。昼間だけならという約束のもと、セフィロトの人間も交通規制に加わってくれる。彼らは事情があって暗くなると出歩けないということだったが、その理由は教えてくれなかった。全員青白い顔をしていて痩せ気味の人間ばかりだったが、それでもいないよりはましだった。

 まるで出演時間が決まっている演者のように、クマゼミの鳴き声は昼を過ぎるとアブラゼミに交替し、さらに15時になるとヒグラシの甲高い声に代わった。幸いシュプレヒコールの集団はそのまま西へと直進して山にぶつかり、そこから南に折れて昼には鬼墓山きぼさんを登って七星妙見ななほしみょうけんに入って行った。ぐるっと久遠寺の南西側に回った形だ。おそらくそこで弁当でも食べるのだろう。所詮彼らは烏合の衆でしかなく、このままピクニック気分を味わって帰ってくれる公算が高まった。

 15時を過ぎると、久遠寺警護の残りのメンバーが集まった。橋爪とその班員二名、遠藤えんどうとその班員二名、弓削と班員の酒井田さかいだ番場ばんば、そこに浦安を加えた総勢十名が寺の門前に集い、浦安が天冥から聞いた最終注意事項を伝えた。影武者の話をした際には、一同の顔に不安の影が刺す。

「きゃあー!」

 突然悲鳴がし、ギョッとして声の方を向く。その声は弓削班の酒井田のもので、一斉に注目され、彼女はニ歩ほどあたふたと後退する。

「あ、虫除けスプレー忘れちゃって。だあってこんな田舎で夜を明かすんでしょお?嫌じゃない?蚊に刺されまくるとか」

 ハア~っと大きなため息をつく音。弓削だ。

「後で貸してあげるわよ。お願いだからもう少し緊張感持って」
「はあ~い。ラッキー!」

 弛緩した空気が流れ、一同の強張った顔に微苦笑が差す。まったく、と浦安も呆れたが、恐怖に支配されていざというときに動けないのでは話にならない。一番の若手が平常心を保っているのが頼もしくもあった。 

 二人一組の五ペアを作り、18時までは各辻を見張って駅からの集団の動向を伺った。浦安は弓削とペアを組み、他のペアの間を行き来する。日が次第に西に傾き、田畑に橙色が増してくる。長く棒状になっていく影を全員分確認し、浦安は弓削と頷き合った。そして18時になり、

 ゴーン、ゴーン、ゴーン…

 遠くに鐘の音が鳴り響く。ノワールの方角だ。浦安の頭に重みが走る。またあの黒鐘が鳴っているのか?苦痛の表情を浮かべた浦安を心配そうに見る弓削に聞いてみたが、彼女には鐘の音は聞こえないと言う。一旦全員を寺門の前に集め、鐘の音のことを聞いてみるが、誰の耳にも届いていなかった。だが浦安の頭にはずっと、まるでこれから起こる凶事を告げるように、重苦しい鐘の音が響いていた。




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