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第7章 因果

10 将門と妙見信仰

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 遵奉じゅんぽう住職は両脇を振って袈裟の袖をパンと打ち鳴らし、これから説法でも始めようとするように居住まいを正した。ダイニングの温度はガンガンに効かせたクーラーで薄着の浦安うらやすには寒いくらいだったが、遵奉の油の乗った顔には玉汗が浮いていた。

 「それこそまさに、今日聞いていただきたい内容に絡んでいることなんですわ。九曜紋くようもんの由来は知ってられますかな?」

 真ん中の丸を八つの丸で囲んでいる、シンプルといえば言えなくもないその模様を、浦安はほとんど意識したことなく、浦安は眉を八の字にして首を振った。家紋といえば水戸黄門の印籠に記された葵の御紋、五百円玉に記された菊の紋くらいしかすぐに浮かばない。由来となるとさっぱりだ。遵奉は仏様のように目を細め、ゆっくりと頷く。

「九曜紋は戦国時代以降、多くの藩主の家紋とされてますけどな、元々平安時代などでは厄除けの文様として重宝されとりました。由来は古来インドの占星術なんですが、真ん中の丸が太陽で、その周囲を月、火、水、木、金、土の惑星に羅喉らご計都けいとの二つの惑星を加えた八つの星が回っている様子を表してます。羅喉や計都はインド神話に登場する、まあ架空の星ですわな。それぞれの星は実は九人の神さんを表すんですが、そこまで話すとくどなりますし時間も無いことですから端折りますわな。うちの寺では九面観音くめんかんのんいうて、この紋にちなんだ頭に八つ顔のついた冠を乗せた観音様を祀ってますから、お時間あったらまあ覗いて行って下さい」

 そこまで話し、住職は麦茶で口を潤す。端折ってくれてはいるらしいが、どうやら長い話になりそうだ。浦安も麦茶を取ると、それに合わせたように栗原くりはら町長や番場ばんばも麦茶で一息ついた。天冥てんめいはまるで存在を消したかのように静かに座っている。

「さて、ご指摘のなぜこの町にその九曜紋が多く記されているかちゅうことですけど、まずどこに記されているかちゅうと、仰るようにこの久遠寺くおんじ聖蓮せいれん女子高校とそれに…さっき鮫島さめじまさんの家と言われましたけど鮫島さんは当時、七星妙見ななほしみょうけんの宮司をしてらしたんでその七星妙見の方が主体ですわな、さらに、それに加えてセフィロトの門、みなもとの鳥居、ノワールの鐘といったとこにも記されてますなあ。それとあと一つ、ちょっと禍津町まがつちょうから外れますけど、鷹田たかだ神社にもこの印が刻まれてます」
「え、鷹田神社にもですか?」

 浦安は思わず口を挟んだ。鷹田神社とは禍津町の南端の源の鳥居駅からさらに南へ三つ隣りの駅にある神社で、駅名にもなっている。そこはK市の北側に位置し、清和源氏せいわげんじ発祥の地としてK市の観光スポットの一つにもなっている。遵奉住職は意外の意を表した浦安の側にずいっと上体を寄せた。

「そう。鷹田にもあります。いや、そこがそもそもの始まりの地なんです。鷹田神社は源氏発祥の地とされているのは知っておられますかな?」

 浦安は今度はしっかりと頷いた。K市の人間ならほとんど知っているはずだ。遵奉はそれににっこりと微笑む。

「清和源氏の開祖とされる源満仲みなもとのみつなか公は厚い妙見信仰の信者でした。ここで妙見信仰の説明を簡単にさせてまらいますと、これもインド発祥なんですが、北極星と北斗七星を妙見菩薩として拝む宗教なんですな。日本では八代さがみ神社、相馬そうま妙見と並んでこの町からすぐ北東に位置する妙見山みょうけんさんの山上にある能勢のせ妙見が三大妙見神社とされてます。満仲公がこの地に妙見信仰を持ち込み、それが代々引き継がれてるんですな。妙見菩薩は軍神でもありますからな、戦に勝つためのご利益を期待するところもあったんでしょう。ですけどな、もっと裏に、満仲公が妙見菩薩に頼った理由があったんです」
 
 そこまで話した遵奉の目に強い光が宿る。町長が唾を飲み込む音が聞こえた。いよいよ重要なことが語られそうな雰囲気に、浦安も息を飲む。

「満仲公は、将門まさかどの祟りを恐れていたんです。平将門、知っておられますわな?」

 浦安は一応頷いたが、意外なところに話が及び、眉は大きく上がっていた。

「えーと、確か…平安時代に東の国で乱を起こした、あの平将門ですよね?」
「そう、その将門です。その乱に破れて怨霊化して、日本三大怨霊の一人にも数えられてますな。そして乱を制圧する側に、源氏の祖となる家も付いていたんです。将門はその後怨霊化し、敵対していた家々に数々の不幸が訪れました。それを恐れ、満仲公はこの地で結界を張ったんですな。元々妙見菩薩は将門が厚く信奉していた神さんでした。満仲公はそれを引き継ぎ、将門の怨念が及ばないようにしたんです。レイライン、という言葉はご存知ですかな?」

 浦安は迷うことなく首を振った。きっと霊的なことにまつわる言葉なのだろう。全くそこに傾倒していない意味も込めて、話を全て遵奉に委ねた。

「古来から人々は厄除けや発展の願いを込めて神殿や政治的に意味のある建物をシンボリックな配置にしてきました。日本ではその指導を主に陰陽師が担ってきたわけなんですが、そうですな、例えば…出雲大社から富士山を経由して玉前たまさき神社に至る一直線のラインは御来光の道などと呼ばれる有名なレイラインですわな。奈良・平安時代には伊勢神宮から平城京や平安京を中心にする五芒星のレイラインが引かれてとりました。新しいところでは鹿島かしま神宮から明治神宮を経由して富士山に至るラインの中にスカイツリーが入るように建設したりと、わりと最近でも施政者がそのレイラインを意識したりしとるわけです」

 都市伝説フリークが好みそうな話題だ。浦安はなぜこんな話になったのかと、薄れかけている話の起点を思い出そうとした。だが目の前のふくよかな住職の次の言葉で衝撃を受けることになる。

「さて、なぜこの町に九曜紋が多くあるかっちゅう話でしたが、さっき挙げた七つの九曜紋の場所を線で結んでみて下さい」

 突然聞かれ、頭の中に地図を出す。確か起点が鷹田神社で、西に聖蓮女子、そこから北に七星妙見があり、その東に源の鳥居、この久遠寺はその北東で、ノワールの鐘はそこからさらに北東の位置、セフィロトはノワールから北西の位置だ。一つひとつを線で結んでいったとき、浦安の頭に電流が走った。今まで繋がっていなかった脳の細胞がシナプスで繋がるように、浦安の思考が活性化する。

「もしかして、北斗七星…?」

 遵奉が二重顎を首元に押し付け、満足そうに頷く。

「そう、北斗七星。そしてそこから北極星があるべき位置に、能勢妙見があるわけです。すなわち、これぞ満仲公がこの地に引いたレイライン。将門の怨念から逃れるための策だったのです」

 鳥肌が立ったのはクーラーの設定温度が低すぎるからではない。何か得体の知れない物が、千年の時を超えて降り掛かってきたような気がした。完全に気圧されてしまった中、遵奉が話を続ける。

「源の鳥居駅の東側には元々神社があったんですが、山の地すべりに遭って潰れてしまい、わしの生まれた頃にはすでに鳥居だけになってました。それからは能勢妙見にお参りする信者さんたちに、まず初めに潜る一の鳥居として意識されるようになっとります。そしてな、潰れた神社はそれだけではありません。今のセフィロトのある場所にあった神社は戦災で焼かれ、町の南西部にあった神社は一珠ひとたまダムの底に沈んでしまいました。聖蓮女子とセフィロトが九曜紋を引き継いでくれ、何とかかんとか北斗七星の形を維持しておるわけなんです」

 いきなり、浦安は顔をライトに当てられた気がした。

「それだ!」

 浦安がテーブルに手を付いて急に立ち、遵奉に上体を近づけたので、遵奉はその風圧に椅子ごと後ろに引いた。浦安は自分だけ場に浮いてしまったのを感じ、腰を沈めて息を整える。

「あ、失礼。そのダムに沈んだという地域について詳しく聞きたくて、今日は寄せてもらったんです。こちらの番場刑事から聞いた話では50年前に鬼墓山で発光現象があり、それから何やら奇病がこの町の南西部で流行ったとか。そしてそこに政府が介入し、集落ごとダムのある紫明湖しみょうこの底に沈められたんですよね?一体その時、何があったんです?」

 番場をチラッと見ると、元々小さい身体を縮こませて座っていたのに、さらに首をすぼめ、町長や住職に向けて申し訳無さそうに眉の端を下げていた。住職はふうっと大きく息を吐き、麦茶をゴクゴク飲むと、右の町長に向き、

「ちょっと喋り疲れましたわ。その話はけんちゃんに継いでもろてもええかな?」

 と、法衣の袖下からハンカチと手ぬぐいの中間くらいの大きさの布を出し、顔の汗をしきりに拭きながら言った。栗原町長の名刺には名前が謙一けんいちとなっていた。番場刑事も遵奉住職も栗原町長も、きっと長年この町に住んでいるのだろう。近親のような気安さが伺えた。町長は弱々しく首肯すると、浦安の方に向く。その目は不安に揺らいでいた。

「番場さんから50年前に何があったのかと尋ねられ、私が町長に選ばれた時に、これは親父から緘口令かんこうれいが敷かれていることだからと前置きされて教えられた内容だったので話すことをためらったんですが、一方でここ最近の警察の動向もどうも腑に落ちない。さらには公民館をお貸ししている公安調査庁から来られた方々の動きも今一何をやっているのか分からない。そんな中での工場爆発でしょ、事態は悪くなる一方だ。それで住職に相談し、今日お話させていただくことにしました。なので、これから話すことは浦安さんの頭にだけ留めていただきたい」

 分かりました、と首肯し、息を飲む。栗原も小刻みに二度頷き、話し始めた。

「50年前、村人たちの間に、殺し合いがあったんです」

 その第一声に、浦安は肝の底を氷で撫でられたような気がした。



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