【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

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第7章 因果

8 浮遊する首

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 忌野いまわのの頭が、糸の切れた風船のようにゆらゆらと、屋根裏の空間を浮遊する。浦安うらやすも、朝霧あさぎりも、青井あおいも、今いる場所に固定され、顔色を失いながら、その頭の動向を見守っていた。ポタポタと、口から垂れたよだれを床に落とし、邪魔な笑みを浮かべながら、部屋の中をゆっくりと旋回する。

「あ……が………」

 何かを叫ぼうとするが声が出ない。全く身動き出来ない中、目線だけで忌野を追う。頭だけになった忌野は、邪魔だと言うようにその頭を振って被っていた警察帽を落とし、まげを切られた野武士のような頭頂をさらした。品定めするような下卑た赤い目でその場の各人を舐めていく。そしてすうっと浦安の背後に回って視界から消え、一気に不安が込み上げた。ふっと、首元を生温かい空気が撫でる。ギリギリまで目の端に送った瞳が、忌野のワカメのような縮れ毛を捉えた。

「グガアッ!!」

 獣が大きく口を開ける気配とともに、腐臭が鼻を刺す。

(噛まれる!)

 ギュッと目を瞑った瞬間、

「危ない!」

 誰かが叫んだと思うと、パン、パアン!と大きな発砲音が二発響いた。トンッとすぐ背後で何かが跳ねる。ゆっくりと目を開けると、階段の降り口に橋爪はしづめの銃を構える姿。恐る恐る振り返ると、すぐ後ろで四條畷しじょうなわてが大の字に横たわるその股の間に、灰白色をした忌野の頭が苔の生えた石転のように転がっていた。目元と頬の銃痕から赤黒い血が垂れ流れていた。

「た、助かったぁ」

 ほうっと息が漏れ、全身の力が抜けたとき、金縛りも解けているのが分かった。

「係長!大丈夫ですか?」

 駆け寄ってきた橋爪に脇の下から支えられ、ゆっくりと立ち上がる。

「ありがとう。助かったよ」
「いえ…でも、これは……」

 橋爪は浦安の背後の状況に絶句する。理解の枠を超え、言葉にならないようだ。いや、浦安にしても初めて妖化あやかしか現象をはっきりと目の当たりにしたことになる。場を見回すと、青井は壁際まで後退して背中を着き、ポーカーフェイス然とした朝霧もさすがにホッとしたのか、全力疾走直後の短距離走選手のように両手を膝に付けて肩から息を吐き出していた。階下から上がってきた本部の捜査員が三階の惨状に眉を潜め、浦安と朝霧に向かって語気の強い言葉を投げる。

「この場は我々に任せてもらう!ここで起きたことは他言しないように!」

 そして橋爪を呼び寄せ、何やら指示を出す。

「大丈夫か?」

 浦安は青井の前まで行って言葉をかける。青ざめた顔を頷かせた彼の肩をポンと叩くと、次に朝霧の所に寄った。

「大変な目に遭いましたな。お怪我はありませんか?」

 朝霧は弱々しい笑顔を向けると、鼻先で階段の方を指した。同時に橋爪が寄り、警察庁以外の人間を下ろすよう指示されたことを伝えた。青井を手招きし、朝霧と三人で一階まで降りる。付き添ってきた橋爪がダイニングに入るよう促すと、朝霧はそれを無視して浦安に人差し指でカモンの合図をし、玄関で自分の靴を履く。事情聴取を指示されたであろう橋爪はその姿に眉根を寄せたが、浦安はすぐ戻ると伝えて朝霧を追った。橋爪は仕方ないという表情で青井と共にダイニングに入って行った。

 ずっと暗闇の中にいたように、昼前の強い日差しに目を細める。立ち眩みしそうな眩しさに手を眉の上にかざして玄関から出ると、モワッとした湿気に押し戻されそうになるとともに、それまで意識の外にあったセミの声の重圧に襲われた。門の前でラメ入りスーツが紫に朝霧を浮き上がらせている。その光の反射が目に染み、涙目になりながら駆け寄ると、朝霧の滑らかな顔立ちに白い笑顔がこぼれた。そしてノワールの建物を指差して言う。

「あの人らにはさあ、まこっちゃんからよろしく言っといてよ」
「え、いやあ、でも…朝霧調査員はこれからどうするんです?」

 朝霧は浦安に答えずに、門の方へ足を進める。そして何かを言い残したように振り向くと、

「これでさ、化け物になる現象が無くなると思うよ」

 と言って手慣れたウインクをし、門外へ歩いていく。やはり、朝霧は四條畷が妖化現象を起こしていた張本人だと思っていたのだ。それにしても……

「あの!朝霧調査員はあんな、首が飛ぶなんて現象を、やっぱり知っておられたんですな?」

 浦安も門の外へ出て朝霧の背中に声をかけたが、朝霧はそれには振り向きもせず、ただ肩の当たりで手のひらをヒラヒラさせながら車の置いてある南へと歩を進め、真夏の強い日差しの中に溶け込んでいった。

「まったく…」

 その後ろ姿を見送りながら、浦安は大きくため息をつく。まだまだやり残したことがたくさんあるように思えるが、公安調査庁としては現象さえ止まればそれでいいとでもいうのか。いや、それさえも…。浦安の胸にはまだ不安の種から顔を出した芽がびっしりと生えひしめいている。ポツリと一人残され、これからの行動を考えた。取り敢えず二つのことに思い当たる。一つは番場ばんばたちに調べさせている50年前に起こったことについて調査内容を聞くこと、もう一は弓削ゆげから聞いた、五月山さつきやまたちがこれからやろうとしていることを見定めることだ。どちらから先に手を付けようかと考えながら、浦安はノワールの中へと戻った。

 ダイニングルームを覗くと、ちょうど橋爪が青井に事情を聞いているところだった。あんな騒ぎがあったというのに、住人たちはまだ誰も起きてこない。青井がキッチン側、橋爪がその斜め前に座っていたので、浦安は入り口近くのソファに座った。所轄の班員は呼ぶなとでも言われたのか、書記要員はおらず、橋爪自身が聞いた内容を手帳にせっせとメモっている。話が忌野の首が飛ぶところまで及ぶ頃には橋爪の顔色も真っ白になっていた。記憶を辿るようにポツンポツンと話す青井の顔色も心なしか青白い。同居するノワールの住人から二人目の死者が出たのだ、その心中は察して余りあるものがある。ふと、青井がダイニングを出る時に呟いた言葉が思い出される。

「青井君、君は四條畷氏が三国さんを殺害したと思ってるのかな?」

 聴取が一区切りついたところで口を挟む。青井は俯いていた顔を浦安に向けたが、一瞬、その目に強い光が宿った気がした。

「それ、今話さないといけないっすか?」

 青井にしてはきつい口調だった。結局四條畷は死んでしまい、その質問に意味があるのかと問うようなニュアンスだ。

「いや、君も辛い思いをしているだろうから、今じゃなくてもいいんだけどね。三国さんも犯人が分からないままじゃ浮かばれないだろうし、我々としては早急に事件を解決させたいんだよ」

 浦安が言い含めるように優しく語りかけると、青井はその言葉に逡巡し、悲しげにまた下を向く。

「二人とも、朱美あけみさんを好きだったみたいだから…でも、別に確証があるわけじゃないっす」

 確かに浦安がこの部屋で一緒に飲んだ時、そんな感じのいさかいがあったような気もする。青井が弱々しく言った内容に、橋爪がまたいくつか質問し、それで彼に対する聴取は終わった。浦安は橋爪と話し合いたいことがあり、青井に少し外してくれないかと頼む。

「じゃあ…部屋に戻ってます。あ、でも、すぐるさんが亡くなったこと、みんなにも伝えないと…」

 目を泳がせ、呟くように言いながら、青井は力ない足取りで退出した。それを待ち、浦安は橋爪に向く。

「拳銃、持ってたんだな」
「はい。今朝の会議で禍津町まがつちょうで捜査する警察官全員に拳銃の携帯司令が出されました」
「てことはひょっとして、さっきみたいな事態が想定されたってことか?」

 全員に拳銃携帯司令が出たってことは現場にそれだけの危険があると伝えているようなものだ。橋爪が頭だけになった忌野に対してさほど驚く様子もなく冷静に対処していたことにも違和感を感じていた。

「はい…ああ、いえ、あんな馬鹿げたことが起こるなんてことは知らされてません。ただ、人間が凶暴になる薬か何かが撒かれている可能性があり、現場の警察官にも危険が及ぶことも考えられるからということでの拳銃携帯司令でした。今朝の会議の内容は主に須田すださんが漏らした内容についての今後の捜査方針の説明がほとんどで、今回の一連の事件が組織的な犯罪である可能性があり、特に目から血を流すといった症状が出た人間が凶暴になり、犯行に及ぶ場合は強硬手段を取っていくことが伝えられました」

 須田の名前が出て、浦安の顔が曇る。

「強硬手段…というのは、目から出血させた犯罪者は法廷で裁くことなくこの世から葬り去る、ということか?」

 浦安の強い口調に、強張った橋爪の目にも強い光が差す。

「須田さんのことを心配しておられるんでしょう?実は自分の大学の同期に法務省の人間がいまして、自分も須田さんの送られた先について探りを入れようとそいつに内密に情報を流してもらってるんです。今まで分かった範囲で言うと、須田さんは特別な施設で病状を調べられている可能性が高いということです」
「特別な施設?というのは?」
「はい、その場所やどういった人間が仕切っているのかはまだ分からないんですが、どうやら首相官邸に今回の一連の事件についての特別諮問委員会が設置され、そこの人間の指示で動いているようです。一般の病院などに調査依頼し、情報が漏れてもしこれが感染症によるものという誤った流言が流布するのを恐れて、内密に施設を設けて調べているということらしいです。特に諸外国に変な情報が流れ、日本が孤立することを政府は一番に危惧しているようですね」

 橋爪のそこまでの話を聞き、浦安の眉が大きく上がる。

「ちょっと待て、ということは、須田はまだ生きているんだな?」
「すみません、それはまだはっきりとは言えないんですが…自分も実はその法務省のやつから首が伸びるなんていう事例を目撃したかと聞かれ、そんなバカなことあるかと返したんですが、さっきの巡査の首が飛ぶのを実際に見て、やつの仕入れた内容に信憑性を感じたところなんです。なので、可能性は十分あります」

 橋爪の強く頷く姿を見て、浦安も胸のしこりが少し取れた気がした。法務省といっても広い。どうやら橋爪の同僚とやらはなかり上の情報まで取れる位置にいる人間らしい。さっきの橋爪の冷静な対応も、そういった経緯を踏んでいたから出来たのだろう。自分が思っていたよりもずっと優秀だった橋爪に、自分の命を救われたことも含めて、改めて深く頭を下げた。




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