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第6章 変化

11 ノワールが炎上

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 心臓がギュッと締め上げられるようだった。朱実あけみが自分の学生時代のことを知っているわけがない。ひょっとしたら天冥てんめいのように何かしらの能力がある?弓削ゆげのさっきまで赤らめていた顔から血の気が引く。

「え、どうして…?」

 朱実は弓削の顔を見つめながら少し逡巡し、寂しげにまつ毛を落として口の端を上げた。

「フーミンに最初に会った時にさ、一抹のかげを感じたんだ。あたしと同じような、さ」
「え?あたしと同じような?」
「うん。あたしもさ、実は大切な友達を亡くしててさ、何かフーミンからおんなじような匂いがしたっていうかさ。ほら、あたしって昔から人の顔色伺って商売してるからさ、そういう翳みたいなのに敏感なんだ」
「え…じゃあ朱実も…?」

 そう言った時、四つん這いで目の前まで来た紬がニヘラと笑った。

「今、って言ったよね?聞くよ聞くよー!フーミンの悲しい話」

 こらっと朱実が紬の尻を叩く。

「そういうさ、デリケートな話を恋バナしようみたいな軽いノリで聞くもんじゃありません!」

 朱実はそう言って怒ってくれるが、いっそ、言ってしまったら楽になれるんだろうか?弓削の口が開きかけた時、

「やめなよ、変なフラグ立ったらどうすんの?よくアニメとかであるじゃん、過去を語った人から死んでいくとかさあ」

 デスゲーム系の物語を見過ぎだと思ったが、よく考えたら自分も今、デスゲームの真っ只中にいるのかもしれない。弓削は朱実に頷き、口を真一文字に結んだ。

「でもさ、夕方にじいちゃんも言ってたでしょ?心がやられたやつから妖化あやかしかするって。フーミンは普段、市民のために一生懸命頑張ってるんだからさ、暗い方に思い詰めちゃダメよ。あんまし自分を思い詰めないように気をつけて」

 妖化…目から血が出て、感情の起伏が激しくなる。そしてやがて犯罪も厭わなくなり、次の段階まで進むと首が伸びたり飛んだりする。きのうの髙瀬たかせも妖化が進んだ結果、工場を爆破したのだろうか?心を強く持たなくては、そうは思うが、もしそんなことがこの町全体、引いては日本全国で起こっているなら、果たして防ぎ切ることが出来るのだろうか?

 朱実が部屋の電気を消し、紬が名残惜しさに口を尖らせながらも三人床に就いた。弓削は布団の中で考える。この一連の事件はみんな妖化現象に繋がっているのだろうか、と。最初の事件となった首無し連続殺人事件も確かに首に関係している。警察庁から来た捜査一課の係長が髙瀬だけでなく聖蓮せいれん女子の生徒もいきなり撃ったというが、ひょっとしたら妖化現象のことをすでに掴んでいて、被害を防ぐ行動だったとしたら?

(今回顕現している妖は首が伸びたり、身体から首が離れたりする。日本ではろくろっ首と呼ばれたり、中国では飛頭蛮ひとうばんって呼ばれたりするわね。ここまで進んでしまうともう、人間には戻れない。多くの人がそうなる前に何とか食い止めないといけないのよ)

 天冥の言葉を思い出し、頭の中で反芻する。捜査一課の行動は確かに天冥の言葉と符号する。上の組織はこの現象を把握しながらも、国民には隠しているのか?何か、もっと立てるべき対策は無いのか?ここまで考えても、弓削には何の答えも出て来なかった。今頃は浦安うらやすが呼びかけたK署の仲間が情報交換をしているはずだ。自分もやはり参加して、今日天冥から聞いたことを報告すべきだったのではないか、そう悔やみながら、起きたら朝一で浦安に電話してみようと思った。




 真っ暗な中に身を置いている。またあの夢かと胸を探ると、ちゃんと双丘が腕を弾き返す。首だけの存在にはなっていないようだ。ホッとしたところで、今自分がどこにいるのか分からない。周囲を見渡しても、漆黒の空間が広がっているだけで起伏のようなものは何も見えない。立ち尽くしていると、向こうの方に青白い光が見えた。その光からどことなく懐かしい香りがして、光の見える方向に向かって歩いた。サクサクと、草を踏み分ける感覚がある。光に近づくにつれ、懐かしい香りが強くなる。それと同時に、青白い光が人の輪郭をなしてくる。

 この匂いは…香水じゃない。人の身体から発する、フェロモンの匂い。懐かしい、あの人の…

 人の輪郭をした光は、はっきりと女の形を宿してきた。十メートルほど先に、見慣れた後ろ姿がある。間違いない、学生時代にネット際のこの後ろ姿をずっと見てきた。白地に裾から薄桃色のラメが入ったユニフォーム。ちょっと右足を引いた独特の姿勢。

双葉ふたば先輩…」

 恐る恐る声をかけてみる。が、聞こえないのか、無視しているのか、先輩はこちらを向こうとしない。懐かしさと悲しさが入り混じり、やがて懺悔の渦となって胸の中を駆け抜けた。

「双葉先輩!」

 全身が締め付けられたような気持ちになり、今度は大声を張り上げた。すると先輩の肩がピクっと上がり、ゆっくりと、こちらを向く。ゼンマイがもうすぐ巻き終わる時のぜんまい仕掛けの人形のように、ぎこちなく、ゆっくりと。やがてこちらを向いた先輩の顔を見てギョッとした。両の目も、鼻も、口も、どこに繋がっているのか分からないくらいような空洞になり、漆黒に渦巻いている。その空虚な目からは、真っ赤な血が流れ出ていた。懐かしいと思っていた香りは消え、先輩の体全体から腐臭が漂う。その憐れな姿に、涙が溢れ出る。

「わああああああああー!!」

 溜まらなくなり、先輩に駆け寄って抱きついた。が、腕はスカッと空を切り、そこにいたはずの先輩は消えてしまった。寂しさに身をつまし、両腕で自分を抱き締めたまま、クスンクスンと、少女のように立ち尽くして泣いた。

「ごめんなさい。先輩、ごめんなさい」

 ひとりでに懺悔の言葉が口をつく。すると、ふっと、肩に何かが触れる。振り向くと、そこには真っ赤な目をこれでもかと見開いた先輩の顔が、耳まで届くくらい大きく口を開けて笑っていた。

「許さない。絶対、許さないから」

 黒板を爪で引いたような不快な声だった。先輩は首だけの存在で、ふわふわと浮遊しながら弓削の前に回り込み、狼のような牙を剥き出しにして彼女の喉元に噛みついた。その間金縛りにあったように身動きが取れず、激しい痛みを感じながら、先輩の懐かしい黒髪を見つめていた。




 ガバっと身を起こすと、お香の匂いが鼻をつき、リーリーという虫の声が聞こえている。辺りは真っ暗だが、自分が布団の上で寝ているのは分かる。三人で寝ている客間だ。寺の夜は街中ほど蒸し暑くはなかったが、途中で切れるように設定したエアコンはすでに止まっていて、じっとりとした汗が浴衣を湿らせている。何て嫌な夢を見るのだろうと、先輩に噛じられた首にうずくような感覚が残っていて浴衣の前から首を擦った。その時、目の端に青白い光がチラッと映った。夢じゃなかったのかと身を固くする。弓削は枕に向いて一番右端に寝ていて、真ん中に朱実、左端に紬が寝ていた。青白い光は、どうやら紬の布団の中で光っている。怖かったが、自分も刑事の端くれだと気持ちを奮い起こし、そうっと四つん這いで紬の枕元に寄っていく。そこにあるはずの紬の頭は無く、青白い光はゆらゆらと揺らめきながら真ん中が盛り上がった薄手の掛け布団の中に灯っていた。意を決し、布団をめくる。

「ぎゃああああああー!」

 布団の中から悲鳴が起こり、弓削も驚いて尻もちをつく。どういう状況なのかとよく見ると、紬は布団の中に潜り込んでスマホをいじっていたのだった。青白い光はスマホの光だったのだ。

「なーんだフーミンか、びっくりするじゃん!」

 布団をめくったのが弓削だと認めて怒る紬に、いやこっちだってびっくりしたよと言いそうになる言葉を飲み込んだ。

「何やってんの?こんな夜中に」
「ええ~だあってえ、眠れないんだもん。あ、それよりさ、大変なことになってんの!ノワールがさ、炎上してる!」
「え、炎上!?」

 紬の言葉に青ざめる。まさか、隣りの工場に続きノワールも爆破された!?

「何!?火事!?どこが!?」

 紬と弓削の声の大きさに反応した朱実もガバっと跳ね起きた。





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