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第6章 変化

5 天冥の予知

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 久遠寺くおんじという名前の寺は全国にたくさんあり、この禍津町まがつちょうの久遠寺は正式には星宮久遠ほしみやくおんというらしい。町の人たちはそれを略して久遠寺と呼んでいる。寺の門を潜る時、門の瓦の下に確かにそう書かれているのを見た。

 きのう高瀬たかせが爆破した工場は寺のすぐ北側にあり、心なしかまだすすや工場から漏れ出た薬品の匂いがあちこちの空気の澱みに留まっている気がした。工場と寺の間の道は車一台分しか通れないくらい細く、寺の石垣と、工場を申し訳程度に囲っているネットフェンス以外に隔てる物が無い。爆発の規模によっては十分寺全体も巻き込まれた可能性もあっただろう。工場の方には後片付けに奔走する従業員と、事件の捜査をする警察官たちでまだ右往左往していた。事件の被疑者はすでに死亡してしまっているので、捜査員たちがやっているのは事後処理のための通り一遍の捜査と思われる。

「よく爆発に巻き込まれなかったよね」

 思ったより近い現場を横目に弓削ゆげが言うと、

「うん、風向きも良かったみたい。あと、○○が守ってくれた……」

 と、後半よく聞き取れないことを言った。

「え?何て言ったの?」

 聞き返したが、朱実あけみはすぐに誤魔化すように口を歪ませ、

「あ~あ、壁も真っ黒!後で外回りも水洗いしなくちゃだねー」

 と、煤けた壁に目を走らせながら沈みかけた声を張り、門扉にトラックを乗り上げた。東側に向いた門には駅方向へと石畳が伸びているが、特に高い段差はなく、ガタンと一度揺れただけでそのまま境内へと入っていく。北奥に本殿や住居らしき建物が見え、トラックは玉砂利を踏みながら南に折れた。寺の敷地は意外と広く、南東に来客用の駐車スペースが、南西には墓地が広がっていた。駐車スペースにはほとんど車は無く、奥に1台だけシルバーの高級そうな車が停まっていた。トラックを降りてその車をまじまじと見ると、ボンネットの前には円を三等分したあの有名なエンブレムが付いていた。

「ああ、そのベンツ、じいちゃんの」
「ええーすごい!お寺って儲かんのね。これで迎えに来てくれたらよかったのに」
「いやいや、あのケチケチじじいが貸してくれるわけないでしょ」

 眩しく陽光を反射する玉砂利を踏み鳴らしながら境内を北へ突き当り、本殿の前を通って西奥の家屋の方に向かって歩く。本殿はやたらと屋根が高いなと思った以外は、どこの田舎にでもあるような普通の寺の佇まいだった。ただ、屋根の真ん中がへの字に組んであるその「へ」の中に、さっき駅の鳥居で見た九つの丸のマークが印されているのが目に留まった。鮫島さめじまの家に鳥居に寺…同じマークがある場所にしては統一感がない。

「ねえ、あれって何のマークなのかな?」

 通りすがりにそのマークを指さして朱実に聞くが、

「ああ、そういうのはさ、じいちゃんに聞いて。あたし、あんましよく分かんないから」

 と手を振った。

「さっきからじいちゃんって言ってるけど、ひょっとして朱実ってここの住職さんのお孫さんなの?」
「ああ違う違う。まあ遡ったら血は繋がってるんだけどね、あたしの直接のじいちゃんじゃないんだ。遠い親戚って感じ?」

 言いながら、家屋に到着して朱実は開き戸を開ける。家屋自体は平屋の古民家みたいな外観だったが、玄関に入ると高級旅館のようなニスを塗りたくったツルツルのヒノキの廊下が広がり、その角々には所狭しと高級そうな調度品が並んでいた。

「ちょっと待ってて」

 朱実はそう言って廊下を滑るように奥に消えると、すぐに真っ白い足袋を持って戻ってきた。

「これ履いて上がって。でないと足が真っ黒になるから」

 朱実の足元を見ると、やはり足袋を履いていて、その底は確かに真っ黒だ。上がり框に腰掛け、パンプスを脱いで足袋を履いた。そうして朱実に付いて廊下を進むと、本堂の前に繋がる渡り廊下を進み、その隣りの広間へと入る。本殿のお堂の横の部屋には天冥てんめいつむぎが何やら作業しているのが見えた。紬が弓削に気づき、明るい声を上げる。

「おー!フーミーン!待ってましたあ!」

 駆けてきて、弓削と嬉しそうに握手する。

「こらこら!フーミンにはまだ軍手渡してないから。手が汚れるでしょう?」
「あ、悪い悪い」

 朱実に怒られてさっと紬が離した後の手には、黒いシミが付いていた。

「ほーらみてみい!天冥さん、軍手パス!」

 天冥が目の前のビニールに大量に入った軍手を一組取り、こっちに投げてよこす。天冥自身は横座りで手に持った金色の何かを仕切りに擦っている。相変わらず黒い帽子を被り、そこから垂れたチュールによって目元は隠されていた。軍手を受け取った朱実がはいっと弓削に渡すと、

「じゃああたしはこれにて失礼いたしまする」

 と、紬が自分の軍手を外して渡り廊下へと歩を進める。その紬の襟首を、朱実がむんずと掴んだ。

「どーこー行くのよ!あんたはずっとここで作業するの!」
「ええ~!もう飽きたー!遊びに行きたーい!」
「あ~っそ、じゃああたしたちも止めていいのね?あんたの大切な人、守れなくなるけどいいの?」
「ぶー!で~も~お、もうずっと作業してんのよ?お腹すいたー!」

 この紬の言葉には天冥も同調し、

「そうね、そろそろお昼にしましょ?長くなると効率も落ちてくるわ。それに、わたしもそろそろ火起こしの準備をしないとだし」

 と、自分の付けている軍手を外した。

「うーん、しょうがないねえ…」

 朱実は部屋を見渡す。お堂の前の広間には、おそらくお堂の中から運び出されたと思われる仏具の数々が所狭しと広げられていた。

「ちょおっと進みが遅い気もするけど、腹が減っては戦はできぬか。そうね、まずはお昼をいただきましょ」
「いえー!やったあー!」

 紬が母屋に駆けて行く。おそらくそちらに炊事場があるのだろう。朱実、天冥とそちらに続き、弓削も後に続いた。そして、やはり朱実と会った時と同じ違和感に囚われる。未明にノワールの住人が亡くなったにしては淡々とし過ぎでいないか?ということだ。天冥は元々何を考えているのか分からないところがあるが、紬はまだ感受性豊かな年頃のはず。自分の親しい人間が亡くなるなんて人生の早い時期にそうそう起こることではなく、紬の普段通りの明るさにはどうも腑に落ちない。そんな思いに囚われていると、目の前の天冥の足が止まった。そして、弓削の方に振り向く。まるで弓削の考えていることを読むように、黒いチュール越しに目線が弓削を捉えているのが分かった。

「お通夜…というには早いかもしれないけれど、未明から早朝にかけて、明彦あきひこさんのためにお祈りをしたの。紬も朱実も、慟哭していたわ。今は普通に見えるかもしれないけれど、何も言わずにそっとしておいてあげて欲しい。あなたにも近いうちに分かる時がくる。今は泣いている時ではないのよ」

 朱実と距離が空き、廊下に天冥と弓削が取り残された。天冥の視線に縛られるように彼女の言葉を聞き入っていたが、言っていることは時系列的におかしい。三国が亡くなっているのを気付いたのは草太そうたが彼の部屋を開けてからで、時間は朝の8時を回っていたはず。確かに死亡推定時刻は2時から4時の間だが、どうして未明にここにいた彼女らに三国の死が分かったのか…?

 天冥には予知能力があるという。だがそういう能力の存在は科学では証明されておらず、そのための法整備もされていない。もちろん科学が万能なわけではなく、これまでの技術革新のように実は後々になってそれが当たり前の世の中が来るのかもしれない。そうはいってもそんな世界の到来はSFの中でのことにしか思えず、もう一つの可能性の方が自分には信憑性が高い気がする。それは、天冥が三国を殺したか、あるいはそれに関わっているということだ。アリバイ的には天冥、朱実、紬はきのうの夜からこの寺にいて、そのことは住職からも確認が取れているらしい。だがもし、それらの全員が口裏を合わせているのだとしたら?弓削には、予知能力なんかよりもその可能性の方がよほど高いと思えるのだ。

 そういうことを思い当たった時、今この禍津町で捜査している人間の中で自分が一番真実に近いところにいる気がする。もし自分がその謎を解明できれば……

 ドクン!

 心臓が大きく跳ね、天冥がこちらを覗く姿にデジャヴュが走る。きのう、これと同じような光景を見た。自分は何か大切な記憶を飛ばしている。それが何か、今、分かりそうな気がしている。頭の中に整った美青年の顔が浮かび、そしてまた、激痛とともに鐘の音が弓削の頭を打った。





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