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第6章 変化

1 首の木

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 7月27日

 コンコンと扉がノックされ、弓削ゆげは貧血症状のようなぼーっとする感覚のまま目を覚ました。浮遊感が伴い、今自分がどこにいるのかが分からない。何もない真っ白の部屋。頭上右手にある窓の外は暗く、蛍光灯の光が部屋の白さを浮き立てていた。

史子ふみこさん、大丈夫ですか?あの、上司の方が見えられてるっすよ!」

 ドアの外の声には聞き覚えがある。ノワールの管理人、青井あおい草太そうただ。そうだ、自分は今日からノワールに住むことになった。部屋の隅に置かれたフレームだけのベッドには薄いマットレスが敷かれ、足元には毛布が掛けられているのが見える。エアコンからは緩く冷気が吐き出されていた。夜だから寝てしまったのかと思ったが、仕事着のカッターシャツのままだ。確か住人たちが自分の歓迎会をやってくれていた。ひょっとしてまた酔い過ぎてやらかしてしまった?

「史子さん!大丈夫っすか?開けますよ?」

 もう一度声がかけられ、起き上がろうとするが目眩がして体を起こせない。

「ど、どうぞ!」

 仕方なく事情を聞こうと草太の方を呼び入れる。ガチャっと扉が開き、心配そうな青年の目が覗いた。

「ごめんね、ちょっと起き上がれなくて。えーと、誰が来たって?」
「えーと、ほら、前に一緒に話さしてもらった浦安うらやす警部補さんです。連絡が取れないから心配して来たって。あ、でも体調悪いからって断りましょうか?」

 浦安の名前を聞き、自分がこのノワールに潜入して住民たちを調べるミッション中だったのを思い出す。そして酒盛りになり……おぼろげに記憶を辿っていく。確か、町で火事が起こり、それを起こしたのが高瀬たかせ陽翔はるとで…彼はここに運ばれて、それから……頭の中にモヤがかかったように鮮明な画像として思い起こせない。

「やっぱり調子悪そうっすね。日を改めてもらいます?

 そう言って出ていこうとする草太を慌てて引き止める。

「あ、待って!せっかく係長が来てくれてるなら、ここに呼んで欲しい。それと、あたし、何でここに寝てるのかなあ?何かはっきり思い出せなくって」
「えーと…天井裏で倒れたみたいっすよ。天冥てんめいさんと話してる時に急に倒れたって。救急車呼びましょうかって聞いたらちょっと寝たら大丈夫だからって、それでみんなでここに運んだんす」
「そっか…迷惑かけたわね。申し訳ないけど、係長をここに呼んできてくれる?」
「分かったっす!」

 草太が浦安を呼びに行っている間も記憶を遡るが、やはり高瀬が運び込まれて来てからの記憶が曖昧だ。やがて浦安が扉から顔を覗かせ、起き上がろうとするが頭に重しがかけられたように身を起こせず、係長は苦しげな自分を見てそのままでいいと言ってくれる。椅子も無い部屋に立たせるのが申し訳なかった。

「すみません、ちょっとお酒飲んじゃって。少し休めばすぐに復活します」

 気を使ってくれる係長を安心させようと歓迎会のことを言い訳にするが、正直酔って起き上がれないなんてことは今まで無かった。ひょっとするとストレスも溜まっていたのかもしれない。

「無理するな。何だったら一度自分の家に帰ってもいいんだぞ?」

 そんな優しいことを言ってくれる係長に、少し甘えてみたくなった。

「帰っちゃうともうあたし、仕事するのが嫌になってしまいそうで」

 きっと情けない顔をしていただろうなと思う。係長はまるで保護者のような温かい視線を向けてくれる。しばし、静かな時間が流れた。だが、彼にしてもただ見舞いに来たわけではないだろう。すぐに刑事の目になり、一つだけどうしても確かめたいことがあると言う。

「なあ、弓削、高瀬が撃たれる前なんだが、彼の首が長く伸びるのを見なかったか?まるで…そう、ろくろっ首のように」

 そうだ、高瀬は駆け込んできた捜査一課の刑事に撃たれた。だがその前、何か普通ではあり得ない光景を目にした。ろくろっ首……浦安のその言葉を合言葉とするように、弓削の頭に激痛が走り、身体中が熱くなっていく。それはまるで業火に焼かれるような息苦しさだった。そして目の前が真っ暗になり……


『大丈夫、あなたはそっちへ行ってはいけない。こちらへいらっしゃい。こちらへ』


 天空から声がする。気がつくと辺りは真っ暗で、対岸から業火が迫っている。さっきまでは部屋の中にいたのに、いつの間にか外に放り出されていた。 火事の中に瞬間移動したような感覚だったが、今は自分と燃え盛る火の間に、漆黒の川が横たわっている。時々紫にうねる流動が、火事との間を隔ててくれている。

 立ち上がり、火事とは反対側の、声のする方へと歩く。声は遠い空の上から降り注いでいる気もするし、直接頭の中に語りかけているようにも聞こえる。とても澄んだ、それでいて憐れみの感じられる声だった。

 周りが真っ暗なので、自分がちゃんと道を歩いているのかとうかも分からない。何かを踏みしめている感覚もない。ただ後ろで燃え盛る炎が遠ざかることで、かろうじて前に進んでいることだけは分かった。

 やがて遠方に虹色に光る一角が見えてくる。近づくにつれ、それが灌木なのだと分かる。弓削の背丈くらいの木が林立している。だがさらに近づくと、それが木ではないことに気づく。地面から青や赤や黄色な紫や、色とりどりの光の管がたくさん出ていて、それが絡まって幹となり、頭頂部の実へと繋がれている。枝もなく、葉もない。ただたくさんの管が、巻き付き合い絡まり合いながら、太い幹となり、てるてる坊主の頭のような白く光る丸い部分を持ち上げているのだ。それらが無数に林立する光景は電飾で彩られたクリスマスの庭園のように幻想的で、弓削はしばらくうっとりとそれらを眺めた。まるでオーロラが地から生えているような光景だった。

 弓削は、その頭の部分に触れてみたいと思った。そしてそのうちの一つに近づいていき、悲鳴を上げた。白い実だと思っていたものは、人間の頭部だったのだ。弓削の悲鳴を聞き、白く光る頭たちは閉じていた目を見開き、弓削を見据えてケタケタと笑った。そのケタケタという音が次第に林立する頭たち全体に広がっていき、畑の鳥よけの木札が一斉に鳴るようにけたたましく響いた。弓削は逃げ出そうとしたが、何かがおかしい。手や足を前に出そうにも、出すべき手足が無いのだ。暗闇で見えないのではない。いつしか、自分も頭だけの存在になって浮遊しているのに気づいた。それでも必死に逃げようとするが、下から、横から、光の管が追いかけてくる。そして一本、また一本と首のあるべき場所に突き刺さり、やがて自分も色とりどりの管を幹とする立像へと変わっていく。その状態は思いの外心地よく、やがて瞼が落ち、光合成をする植物になったような感覚に、弓削は埋没していった。




 
 7月28日

「起きて下さいっす!下では大変なことになってるっす!」

 肩を揺り動かされ、目を覚ました。窓からは明るい日差しが差し込み、日が明けたことが伺えた。いつの間にか寝てしまったのか、時間の感覚が掴めない。ベッドの隣りでは草太が膝を折ってかがみ込み、自分のことを揺すっている。その切羽詰まった感じに、のっぴきならないことが起こっているのが推察された。

「夢…だった?」

 植物になっていた感覚がまだ残っていて、弓削は草太の顔にぼんやりとした焦点を合わせ、彼の目を何とか見つめる。

明彦あきひこさんが…明彦さんが死んでるっす」

 草太の悲壮な声に、弓削はベッドに手をついて起き上がった。昨夜のような頭にモヤがかかったような重みは感じなかったが、草太の言葉を自分の中に飲み込むにはまだ時間がかかった。はっきり覚醒しない弓削に苛立つように、草太は立ち上がり、扉の向こうを指差した。

三国みくにさんが…部屋で死んでるんです!」

 三国…確か3号室の住人。そうだ!きのう高瀬陽翔が自分の働いている工場を爆破させ、三国はその彼をここまで連れて来て嘆き悲しんでいた。そしてその後、駆けつけた警察官によって高瀬は射殺されたのだ。きのうのモヤがかかったような映像が、今ははっきりと思い出せる。

「まさか!三国さんは自殺したの!?」

 咄嗟に頭に浮かんだのはそのことだった。部下を失った悲しみのあまり、自分も後を追った。普通そこまでしないだろうが、きのうの三国の様子ではそれもあり得る。

「違うっす!三国さんは殺されたんです!とにかく浦安警部補がフーミンさんを呼んで来いって!」

 そうだ、きのう確か浦安係長が自分の様子を見にこの部屋までやって来てくれていた。もし今もいるなら状況を教えてもらうのにこれ以上心強い存在はない。弓削は即座に立ち上がり、草太と共に階段を駆け下りた。





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