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第5章 懐疑

3 弓削のブラを外す

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「あれえ?おっかしいな、フーミンどうしちゃったんだ?」

 真っ黒な画面を見ながら、朝霧あさぎりが不満を洩らす。手を伸ばしてモニターをガチャガチャと捜査し、首を傾げる。

「主任、暗い所に入っちゃったんじゃありません?それか部屋で寝ちゃったとか」

 真美まみが呑気な声を出すが、朝霧は違うと言う。

「暗い所に入ってもさあ、何らかの音は入ってくるはずなんだよな。でも完全に音も途切れてるでしょお?これはモニターの配線が切れたか、端末の方の電源を落としたかなんだよなあ」

 朝霧はそう言いながらモニターを離して座席にもたれる。

「まさか、弓削ゆげの身に何かあったんじゃ?」

 浦安の言葉に、前の二人がゆっくりと顔を回す。そして浦安の顔を見つめる。

「え、何だ?」
「いや、浦安さん、ちょっと様子を見てきてくれないかな~って」
「いや、だって弓削は潜入してるわけだろ?それをのこのこ出て行ったんじゃ…」
「でしょでしょ?だから僕らが出て行くわけにはいかないの。浦安さんならほら、部下の調子を見に来ましたとかなんとか、何とでも言えるでしょ?」
「う~ん、なるほど…」
「係長~!がーんば!」

 真美が自分に向けてグーを結び、浦安は渋々車から降りた。

「変な仕事意識を起こして住人たちに余計な聴取はしないように。あくまでフーミンのお見舞いという体で盗撮機具の確認だけをお願いしますよ~」

 朝霧の言葉に顔を歪めながら鷹揚に頷く。変な仕事意識とは何だ、自分は公僕としてやるべきことをやっているだけだ。一言付け加えようと思ったが、ガシャンと音を発してすでにドアは閉まった。辺りはすっかり夜の帳が降り、車の冷房で冷やした体を熱気が包み込む。草の匂いが鼻をつく。ジィジィと鳴く虫の声を背に道路に出ると、正面には点在する家々の灯りがチラチラと瞬いている。火事は完全に鎮火したのか、月明かりに照らされた町並みには黒煙がわずかに立ち昇っているだけだった。右に折れるとノワール前ではまだ数社の報道陣が残ってレポートをしている。だがパトカーの赤色灯は無く、規制テープも張られていない。さっきまでの喧騒は嘘のように静かだった。浦安がノワールの門に近づくと、報道陣の何人かが近寄ってきたが、手で制してそのまま門を潜る。左奥から白い獣が飛び出てきて、浦安の足をスラックスごと噛みついた。

「おわあ!」

 思わず奇声を発してしまった。見ると、体は白いがどうやら猪のようだ。痛くはないが、牙がしっかりと噛み合って離せそうもない。

「すみませーん!誰かー!」

 そのまま足を引き摺って玄関先で声をかける。しばらく待つと右手の開き戸が開き、見覚えのある青年が顔を出した。

「あれ?ピノン!またー!」

 青年は上がり框を駆け下りると浦安の足元の獣を抱き上げた。青年には懐いているようで、すんなり離れてくれてホッとする。

「すみません。あれ?あなたは」
「ああ、K署の浦安です。いつぞやは」

 青年、青井草太あおいそうたは浦安を認めると眉をひそめる。

「あの、さっき刑事さんたちが来て、もうここには……」

 青井の言葉を手で制する。

「いやいや、今回は事件とは関係なく寄せてもらいました。うちの署の弓削がお世話になってると思うんですが、彼女の具合はどうですか?まさかのここが事件現場になったと聞いて駆けつけて来たんですが」

 浦安の言葉を聞き、青井は抱いていた猪を小屋に戻し、浦安を玄関の中へと案内した。

「実は今、体調を崩して眠ってるんです。一応声はかけてみますね?」

 外観の古めかしい佇まいと違い、中は改装されて綺麗だった。浦安を玄関に残し、青井はツルツルとしたフローリングを滑るように進んで階段を登っていく。階上からノックの音がし、扉の開かれる気配がした。右手の部屋は共同スペースだろうか、明るい光が漏れ、数人の話し声が聞こえていた。しばらく待っていると青井が降りてきて、傍らのスリッパ立てから白いビニールスリッパを一足取って浦安の前に置く。

「ちょっと立てないみたいなんで、部屋までどうぞ」

 立てない、という言葉に不安が募る。顔だけでも見ようとスリッパを履き、青井に付いて古めかしい木の階段を登る。ちょうど右手の奥の部屋の扉が開いていて、覗くと何にもない部屋の北面に黒いフレームベッドが置かれている。弓削はその上で、東奥を頭にして寝ているようだった。

「弓削、大丈夫か?」

 扉の前で声をかける。

「救急車を呼ぶか聞いたんすけどね、ちょっと寝たら治るからって」

 弓削はこちらに頭を上げ、

「係長、すみません」

 と言って起き上がろうとするのを手で制する。

「あ、そのままで構わないよ。えーと、側まで行っていいかな?」
「はい」

 スリッパを脱ぎ、フローリングの床に足を滑らせる。

「じゃあ僕はダイニングにいますから、何かあったら声をかけて下さい」

 青井はそう言ってドアを閉めようもするので、

「あ、ドアはそのままで」

 と開けたままにさせた。こんなおっさんと妙齢の女性が締め切った部屋で二人きりになるわけにはいかない。署でもそういう配慮を厳しく指導している立場なのだ。弓削は白いカッターシャツ姿で、頭が痛いのか腕をおでこの上に載せている。フレームベッドには薄いマットレスが敷かれ、足元には毛布がかけられていた。空調が室内をちょうどいい温度に保っているが、早くドアを閉めないと蒸し暑くなってしまうだろう。

「病院に行かなくて大丈夫か?」

 弓削の顔色は血の気が引き、蛍光灯の光を反射して白っぽく光っている。浦安の記憶では弓削を最後に見たのは捜査一課の刑事たちに庭まで連行されているところまでだった。映像では薄暗くて分からなかったが、今朝会った時よりは明らかに顔色は悪くなっている。

「はい、大丈夫です。すみません、ちょっとお酒飲んじゃって。少し休めばすぐに復活します」

 言いながらも辛いのか、目は閉じたまま眉間にしわを寄せている。

「無理するな。何だったら一度自分の家に帰ってもいいんだぞ?」

 弓削はその言葉に首を振った。

「帰っちゃうともうあたし、仕事するのが嫌になってしまいそうで」

 弓削の唇が緩んだ気がした。普段は気丈に振る舞ってはいるが、彼女が誰よりも傷つきやすい性格なのは知っている。さっきも目の前で撃たれる高瀬の姿を見て、かなり動揺しただろう。しばらくそっとしといてやりたかったが、一つだけどうしても確かめたかった。

「なあ、弓削、高瀬が撃たれる前なんだが、彼の首が長く伸びるのを見なかったか?まるで…そう、ろくろっ首のように」

 ろくろっ首、と言った時、弓削の足がビクンと跳ねた。そして息が荒くなる。額と腕が触れている部分から、油汗がジワっと垂れた。

「見たんだな?やつの首が長く伸びるのを!」

 確かな反応に浦安の声も荒くなる。だが弓削はそれに答えるのは苦しいというように、体をよじらせて身悶えしだした。

「弓削!大丈夫か!?」
「苦しい!胸が、胸が苦しい!ボタンを、シャツのボタンを開けて下さい!」

 弓削は腹を突き出して海老反り、たわわな胸が波打った。

「ちょ、ちょっと待ってろ!誰か女性を連れてくるから!」

 部屋から駆け出そうとした浦安の腕を、額に当てていない方の手で素早く掴む。目は開いていないのに、カエルがハエを舌で絡め取るくらいのスピードだった。そして浦安の腕を、胸に押し付ける。

「早く!シャツのボタンを!苦しいんです!」

 さすがにそれはまずいと思ったが、弓削の握力が思いの外強く手が振りほどけない。そうしている間にも弓削の眉間に深い溝が刻まれ、呼吸も荒くなっていく。その苦しそうな姿に、意を決した。

「わ、分かった。ちょっと待て」

 弓削に手首を掴まれたまま、シャツの一端を抑えてもう一方の手でボタンを上から外す。やがて薄ピンクのブラジャーが顔を出す。弓削の付けているのは普通のブラではなくスポーツタイプのものだったが、押さえつけられた胸の谷間が作る溝は通常よりも深い。

「ど、どうだ?少しは楽になったか?」

 ブラの下までボタンを外し、様子を見た。だが弓削は一層激しく首を振る。

「ブラも、ブラも外して!」
「いや、さすがにそれは…」

 一端弓削を引き離そうとするが、弓削は尚も強い握力で浦安の手を引き寄せ、弾力のある胸に押し付ける。熱い吐息を吐き、苦しさをアピールする。彼女のスポーツブラには真ん中にファスナーが付いていて、どうやらそれを引けば緩まるらしい。外すまでも、少し緩めるくらいならと、息を飲んでファスナーに手をかけた。その時…

 カシャ!

 背後で乾いた機械音がし、慌てて振り向く。ドアの前には小太りの男がいて、こちらにスマホを構えている。

 カシャ!カシャ!

 連続でシャッター音がし、自分が撮られているのが分かる。最悪なことに、浦安が弓削のブラに手をかけている瞬間だった。

「怪しい現場を抑えたでつ~!」

 男は顔を歪ませ、口角を上げながら間延びした声を放つ。

「違う!これは、彼女に頼まれて!」

 慌てて手を離してバンザイする。もう弓削は浦安の手を掴んでいなかった。それどころか、弓削からはさっきまでの苦しそうに歪んだ顔が消え、スヤスヤと穏やかな寝息を立てていた。







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