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第5章 懐疑

2 首は本当に伸びたのか

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 橋爪はしづめとの通話を終了させた後、浦安うらやすはノワールの近くで待機している朝霧あさぎりと合流すべく車を走らせた。警察庁の捜査員たちに見つからないよう、一旦南側へ迂回してみなもと鳥居とりい駅から北に登ってノワール手前の空き地へと入る。雑草生い茂る荒れた土地に、公安調査庁の白いワゴン車がぽつんと一台停めてあった。自分の車を降り、スモークのかかった調査用車両の窓をノックするとサイドのドアがスライドする。リア席の二列目に、前の席の天井から降りたモニターを見つめる朝霧と弓削ゆげ班の酒井田さかいだ真美まみの姿があった。浦安が体を最後尾の座席に滑り込ませると、真美が「うわ~あつーい」と不快な声を上げてパワースライドドアのスイッチを即座に押した。

「お疲れさん。ほれ」

 浦安が途中の駄菓子屋で買った棒付きアイスを差し出し、真美は何何ぃ?とビニールの中身を確認すると、

「係長~ナーイス!」

 と言って一本取って隣りの朝霧に渡した。

「あざーっす」

 朝霧も軽い調子で礼を言い、袋を取って口に咥える。浦安はレジャー中の若者に混じった時のような居心地の悪さを感じた。朝霧は出合った当初からこういう態度なので慣れてきていたが、真美にしても彼女がK署に配属されてこの方、敬語らしい敬語を使ってもらったことがない。まあ彼女のことは弓削に押し付けたのでほとんど話したこともなかったが。

 車の中は薄暗く、冷蔵庫の中のようにキンキンに冷えている。寒くないのかと二人を見ると、朝霧は紫のスーツを着込んでいるし、真美も厚手のショールを肩にかけている。このチームはもう何日も車の中が仕事場になっているので、そういうスタイルがすでに確立しているのだろう。二人は黙々とアイスをかじりながら、目の前のモニターに集中していた。

「弓削からノワールに高瀬が入ったって聞いたが、どんな感じだ?」 
「あ、ちょっと!これはまずいかもしれない」

 浦安が聞くと同時に朝霧が身を起こしてモニターに顔を寄せる。見ると、数人の捜査員たちが建物内に駆け入ってくるところだった。

高瀬陽翔たかせはると!大人しく投降しなさい!』

 そう声を張り上げている男に見覚えがあった。聖蓮せいれん女子高校に同行していた捜査一課の袴田はかまだ係長だ。彼の手には銃が構えられている。彼が水谷みずたにりんに発砲した苦いシーンを思い出した。

『ちょっと!彼は怪我してるの!乱暴なことしないで!』

 そう叫んで弓削の前に出てきた女性にも見覚えがあった。駅前のバーku-onの店長だ。弓削は屈み込んでいるのか、カメラの位置が低い。店長の背中で袴田が見えなくなる。

『どきなさい!邪魔すると君たちも逮捕するぞ!』

 相変わらず強行な袴田の姿勢に、頼むから今回は発砲しないでくれと息を呑む。画面は部屋の中に移り、頭に包帯を巻いた金髪青年の姿が映し出される。あれが高瀬陽翔なのだろう、ふと違和感に捕われ、浦安はシートから腰を浮かし、前の二人の間から顔を突き出した。目を凝らして画面を観る。間違いない、高瀬は笑っている。そして映画のワイアーアクションのようにグイッと立ち上がった。

『ナマスザルバジニャーヤ!』

 奥の黒い衣装の人物が呪文のような文句を唱える。その時だった。高瀬の首が、ヌルヌルと伸び出した。あの時の鈴と同じだ。

 パーン!

 撃ちやがった!と即座に思った。聖蓮女子の時と全く同じシチュエーション。高瀬がドタッと後ろに倒れる。

『確保ー!』

 袴田の叫び声とともに画像が激しく揺れて像をなさなくなる。ドタドタと、捜査員たちの革靴が木の床を鳴らす音だけが聞こえた。

『陽翔!なぜ撃った!彼はまだ正常だった!』

 誰かの悲痛な叫びに、浦安は脱力してドッサリとシートに腰を下ろした。自分の判断が甘かったと痛感した。高瀬がノワールに逃げ込んだことを捜査一課に教えるべきじゃなかったという後悔にさいなまれた。彼らの捜査手法が常軌を逸していることは分かってたのではなかったか……

「係長~!どうします?このままじゃ主任が捕まっちゃいますよぉ~!」

 真美の声にハッとする。そうだ、彼らに弓削を確保させてはならない。これから自分たちは独自に捜査し、本部の捜査一課の過ちを正さないといけない。その為にはこちらの人員を一人も欠けさせるわけにはいかないし、この潜入捜査がバレるわけにはいかない。改めて画面を観ると、どうやら捜一はノワールの住人まで連行しているようだ。

「困りますね~!あんな勝手なことされちゃあ。こちらの努力が水の泡になってしまう」

 朝霧はそう不平を言うが早いか、自分の側のドアを開けた。

「ちょっくら行って来ますわ。あのバカ刑事に文句言ってきます」
「お願いします」

 謹慎中の自分が行くわけにはいかない。ここは素直に頭を下げた。そして画面に目を移すと、弓削は外に移動したのか雑然とした音は聞こえるが周囲は薄暗くて詳細が見えない。やがて到着した朝霧の声が聞こえ、袴田が彼に従う態度を見せたので安堵の息を吐く。そして、さっきまでの映像を頭の中でリピートさせ、通常では起こり得ない現象を脳内再生する。高瀬の首は明らかに異常なくらい伸びていた。そしてそれは聖蓮女子で見た水谷鈴の姿と同じだったのだ。ふと、あんな不気味なシーンを観たのに平然としている真美に違和感を覚える。何にでもすぐに薄っぺらい感想を口にする彼女はなぜそこに食いつかないのか?後部座席から彼女を見ると、食べ切ったアイスで喉が渇いたのか傍らのペットボトルの水をゴクゴクと飲んでいた。

「なあ、高瀬の首が伸びていたの、見たよな?」

 真美はその問い掛けに振り向き、怪訝な表情で浦安を見る。

「首が、ですか?」
「そう、首が。こう、十センチくらいニョロっと伸びただろ?」

 浦安は手首を使って首が伸びる様子を表現するが、真美は一瞬目を丸くし、そして笑い出した。

「ええ~係長、こんな時にそんな冗談言わないで下さいよ~!もお、コワハラですよ~お?」
「こ、こわはら…?」

 真美は聞いたことないワードを口にし、ケラケラと笑う。まるで若い女の子にちょっかいを出しているセクハラ親父みたいな構図だ。

「いや、冗談じゃなくてさ、確かに首が伸びてただろ?見てなかったのか?」
「ええ?あたし、ずっと見てましたけどそんなファンタジーな場面無かったですよお?」

 まるで映画の感想を述べるみたいなあっけらかんとした真美の態度に、一瞬自分の目がおかしかったのかと疑ってみる。が、どう考えてもあれは目の錯覚で済まされる程度ではなかった。

 やがて何とか現場を収めてくれた朝霧が帰ってくると、同じ質問をしてみた。すると彼は眉間にしわを寄せ、浦安を探るような目で見て、

「浦安さんって何歳でしたっけ?」

 と聞いた。

「何歳って、57歳だけど?」

 何で年が関係あるのかと少しムッとして答えると、

「そんな年配の人でもかかることあるんですねえ」

 と、まるで人を病人みたいに言う。

「ん?どういうことかな?」
「んー浦安さん、もし何か心に不安があるならすぐにそういった病院にかかることをお勧めしますってことです」
「ええ~何何ぃ?もしかして係長、心の病いなんですかあ?」

 朝霧の言いたいことが分かってドッサリと背もたれに背中を預けた。なるほど、そういう方向に持っていきたいわけか。ようするに心に病いがあるからそんなものが見えると言いたいのだ。だが悪いが自分はこれでもベテラン刑事だ。それなりの修羅場は何度も経験している。ここ最近の事件は確かに常軌を逸してが、それで心を病むほどヤワな神経を持ち合わせていない。後ろを向いてニヤッとした顔を見せた朝霧にイラッとしながら、いや待てよと思う。朝霧が、いや、公安調査庁が警察庁の上層部と結託し、何かを隠そうとしているのではないか?今回の捜査ではそういうところが見え隠れしている。

 そこまで考えたのはいいが、そこにもしっくりと落ち着かないものがある。真美の態度はどう考えればいいのか?彼女が変な機転を利かせて朝霧と結託しているとは思えない。もっと考えを進めれば、さっき高瀬の首が伸びるのをあの場にいた捜査員たち全員が見たならば、なぜもっと驚かない?映像で判断する限り、彼らはみんな冷静だった。どこかで同じような場面を見慣れている、なんて可能性もあるが、そうだとしても無反応ということはないだろう。やはり浦安だけにあの異様な景色が見えていたとする方が辻褄が合っているようにも思う。

 うーんと低く唸りながら、思考の中に沈んでいた浦安は、ハッと一つのことに思い当たる。あの高瀬の首が伸びた場面、しっかりとフォーカスが当たっていたのではなかったか?となると、弓削もそこに意識を持っていったということだ。自分だけじゃない、弓削にも見えていたのだ。身を起こして今弓削はどうしているのかとモニターを見ると、盗撮用の機具を外してしまったのか、そこにはただ真っ黒な穴が開いたように何も映像を結んでいなかった。
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