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第5章 懐疑

1 所轄の意地

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 7月27日

 ドーンという音と共にビリッとした振動を感じたのは、夕刻の3時を回った頃だった。周囲の木々から一斉に鳥が飛び立ち、ザワッと葉の繁りが揺らいだ。浦安うらやすはこの時、禍津町まがつちょうの南西側に位置する一珠ひとたま公園を訪れていた。一珠公園は二つの川が合流してできた紫明湖しみょうこの西側、その二つの川が作る浮き島に作られた公園で、同じ浮き島の一角には聖蓮せいれん女性高校もあり、くだんのクラスの担任である倉田くらたこよりに話を聞こうと呼び出していたのだ。

 倉田と初めて会ったのは二日前だった。彼女のクラスの生徒たちに事情聴取するのを立ち会ってもらったのだったが、その時はどこか陰気な印象を感じた。テキパキとした動きで生徒たちを教室から聴取場所へ送り出してくれる姿には教師らしい覇気は感じるものの、目の下にできた隈や、ふとした瞬間に虚ろになりがちな目線に、白い壁についた染みのような暗さを纏わりつかせていた。だがそれも仕方のないことだと思った。自分の受け持つクラスから二人の死者と二人の行方不明者を出していたのだ。普通の神経では絶えられないことだったろう。

 しかし、この日に会った倉田の印象は違っていた。明るい花柄のワンピース姿だったのにまず驚いたし、突き抜けた晴天の下にふさわしい満面の笑顔で挨拶されたのにも違和感を感じた。二日前、生徒が校長を刺し、さらに何人もの生徒が倒れたのだ。夏休みに入って普段の業態とは違うとはいえ、倉田の貼り付けたような明るさは何かを冒涜しているようにさえ見えた。

「緘口令が敷かれたのであまり詳しくはお話できませんけど…」

 屋根付きの休憩所に座り、自販機で買って渡した缶コーヒーのプルタブを引きながら、彼女はそんな前置きをした。きのう、理事長が学校にやって来て職員の緊急ミーティングが開かれたのだという。その際、正式な令状の無い捜査には協力しないと決まったそうだ。浦安の聞きたかった、校長を刺した水谷みずたにりんの処遇や、体調を崩した生徒たちのその後の様子などは一切教えてもらえなかった。今朝早くに訪れた救急搬送先の病院でも同じようなことを言われ、その背後に警察庁をはじめ何らかの公権力の介入があることは明白だった。そしてその手回しの良さに歯噛みした。結局浦安が聞きたかったことは全てはぐらかされ、もはや何のために彼女と会ったのか分からなくなった。

 屋根だけの横に長い休憩所には他に日傘を差しながら座る母親の姿もちらほらあり、カラフルな遊具で走り回る幼い我が子を目を細めて見守っていた。日は西に傾いてはいたが、まだまだ強い日差しの降り注ぐ真夏の夕刻だった。浦安はふと、頭の片隅にある事柄に思い当たった。

「あの…何て言いますか…一昨日、教室に残っていた生徒の中に、ちょっと派手な顔立ちをした生徒がいたと思うんですが…」

 浦安の質問に、倉田はよく分からないというように顔を傾げた。超絶美少女、そんな表現をしたかったのだが、五十路も後半に差し掛かる男がそんなストレートな物言いをすると疚しいことがあると勘繰られるのではないか、そんな思いにかられて躊躇した。

「女優さんに似てると言いますか…こう、人目につく感じの…」

 その浦安の言葉で倉田はああ、と思いつく。

八尾やおつむぎさんのことですね?彼女、美人さんだから」

 おそらく浦安の言う少女と一致しているだろう。浦安はあの日、彼女に何か特別な雰囲気を感じ、ずっと頭の中に引っかかっていた。

「そう、その紬さんなんですが、彼女はクラス内ではどういった立ち位置の生徒なんでしょう?」
「そうですね、とても明るい子で誰からも好かれると言いますか、うちのクラスの中心的な子ですね」
「ほう。ではクラス委員か何か?」
「いえ、クラス委員は別の子がしています」
「では部活で活躍してるとか、成績が優秀だとか?」
「えーと…彼女は確か、部活はしてなかったような…成績は……」

 倉田はそこでウッと低く呻き、頭を抱えて前屈みになった。

「大丈夫ですか?」

 浦安が倉田の顔を覗き込んだその時、ドーンという轟音とともに座っていた木のベンチから振動が伝わった。地震かと思ったが、それっきり後は何も起こらない。音はどうやら単発で発されたもののようだ。白みを増した顔で心配そうにこちらを見る倉田に大丈夫と頷く。その貧血気味に痩せた顔を見て、気丈に振る舞ってはいるがやはり精神的に堪えているのだろうと察した。熱中症にさせてはいけないので車で学校まで送ろうかと申し出たが、倉田は歩くと言うのでそこで別れて学校に帰らせた。

 自分も次の行動を起こそうと公園の駐車場に停めていた車に戻ったとき、携帯が鳴った。表示には橋爪はしづめの名前が出ていた。

『係長、禍津町の工場で爆発事故が発生しました!大きな火の手が上がってます』

 その報告を聞き、戦慄した。今年の夏はまるで禍津町に狙いすましたようにいろんなことが起きやがる。悪寒が走ったのは、汗で湿ったシャツが車のエアコンからの風に吹かれたからではない。浦安は橋爪に詳しいことが分かったら報告するよう頼み、自分も現場を一目見ようと車を禍津町への橋へと走らせた。

 禍津町への橋を渡ると、東にモウモウと上がる黒煙が見え、遠目にもどこが現場なのか検討がついた。車を目立たない場所に停め、現場に近づこうとするも次々と緊急車両が到着し、すでに大勢の捜査員たちが駆けつけているであろう現場周辺にはなかなか近づけない。こんな時に謹慎を食らっている自分の境遇を呪った。ただでさえ捜査員が右往左往している禍津町内で歩き回っていると、ポーチに入れた携帯からバイブ音が鳴る。橋爪かと思って急いで取ると、弓削ゆげからだった。弓削とは今朝、禍津町の東の高台にあるシェアハウス、メゾン・ド・ノワールに潜入するのを見送ったきりだった。

『係長~!今どこれすか?』

 妙にテンションの高い弓削の上ずった声を聞き、嫌な予感に襲われる。簡単に今の自分の状況を話し、

「弓削、お前まさか、酔ってるのか?」

 と聞く。

『酔ってませんよお!あたしの歓迎会してくれるって言うんで一杯らけいただいただけです。ほら、無下に断ったら後々活動しにくいでしょ~う?』

 一杯だけが嘘なのはすぐに分かった。弓削は酒に弱い。そのくせ酒が好きなのだ。一旦酒を口にすると、酔い潰れるまで口に運んでしまう彼女の習性を何度となく見てきた。最初は本当に一杯だけと思っていたのかもしれないが、おそらくすでに1リットル以上は飲んでいるだろうと推測する。だがそんな報告をいちいちするわけはない。しっかりしろと檄を飛ばし、彼女の報告に耳を傾ける。

 弓削の報告によると、高瀬陽翔たかせはるとと思われる男が頭から血を流しながらノワールに入ったという。高瀬の名前を聞き、身体中が粟立つ。ここ最近の事件は単独で起こってるんじゃない。何か関連性があって全て繋がっている。その報告はそんな浦安の推量を後押ししていた。弓削には後でノワールの近くに待機している朝霧あさぎり調査員と合流することを告げ、出来るだけ頭をクリアーにして潜入を続けるように指示した。そして、自分も一旦車に戻った。

 血を流してノワールまで来た高瀬は、さっき起こった爆発事故と必ず繋がっている。そう予測し、遠藤えんどうに電話をかける。遠藤は新見にいみ逸生いつきがマンションから飛び降りた時の初動捜査に入っていた。きっと高瀬の身の上についても詳しく調べているはずだ。

『お疲れです~いや~暑いですね~』

 息の詰まる思いの浦安とは裏腹に、遠藤の間延びした声が届く。

「お前、高瀬陽翔についても調べてたよな?彼の就いてる仕事について詳しく知りたいんだが」

 世間話から入ろうとする遠藤を無視し、気忙に要件を告げる。パラパラと手帳をめくっていると思われる間が空き、

『えーと、株式会社ウォシュウェイという会社に半年前から期間社員として入ってますねえ。家庭用洗剤を扱う会社で、高瀬が配属されたのは禍津町の工場です』

 ビンゴ、だ。火事現場はそこで間違いないと踏んだ。きっと高瀬が火事を起こした首謀者だろう。ちょうどそこで橋爪からキャッチが入る。遠藤に礼を言い、橋爪と繋がった。

「現場はウォシュウェイという会社の工場だろ?そしてそのマル被は高瀬陽翔」

 開口一番そう言った浦安の言葉に、橋爪は息を呑むように一泊置く。

『さすがです係長。仰っしゃる通り、火の手はその工場から上がってます。そして、避難した社員の方に話を聞いたところ、この火事は高瀬陽翔が起こしたと見て間違いないようです。でもどうして?』

 浦安は遠藤と弓削から聞いたことをかいつまんで話す。

『その、ノワールに高瀬が入ったことはこっちの捜査主任に報告しても?』

 浦安はそう聞かれて逡巡した。しばらく考え、そして橋爪に指示を出す。

「K署の捜査員から連絡が入ったと言って伝えろ。弓削と俺の名前は伏せてな。ここらで貸しを作っておくのも悪くない。所轄の意地を見せてやれ」

 はい、と、橋爪の弾んだ声が聞こえた。
 
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