【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

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第4章 炎上

12 熱き想いに身を焦がすとき

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 禍津町まがつちょうの工場を爆破させた高瀬陽翔かたせはるとがノワールに運び込まれ、それを追って刑事たちが早々と駆けつけて来た。高瀬は負傷していて危ない状態なのだが、今、目から血を流しながら刑事たちと対峙しようとしていた。その刹那、弓削ゆげの頭の中に鐘の音が響く。頭が割れそうな音量に、弓削は高瀬のいる3号室の前で蹲った。

 バラバラと玄関から男たちが駆け入ってくる。玄関から3号室は二階への階段で遮られて見えないが、散開して探す捜査員が開かれたドアの向こうに高瀬の姿を見つけるのに時間はかからなかった。

「高瀬陽翔!大人しく投降しなさい!」

 どうやら警察庁本部の捜査一課ではすでに工場の爆破が高瀬の仕業だと分かっているようだ。神経質そうな細身の刑事が高瀬に銃を構えて叫んでいる。階段を迂回して数人の刑事たちが3号室前に集まり、弓削はちょうど銃を構える刑事とドアの間に屈み込んでいた。顔を上げて刑事たちを見回すと、その中に見知った小太りな丸顔を見つける。須田すだだ。どうやらここに踏み込んだのは須田班が行動を共にするチームらしい。須田と目が合い、他の刑事たちには分からない程度に頷き合う。頭の中の鐘の音はいつの間にか止んでいた。捜査の初期から公安調査庁の調査に駆り出されていた弓削の顔を、須田班以外の捜査員たちは知らない。

「ちょっと!彼は怪我してるの!乱暴なことしないで!」

 朱美あけみが高瀬と刑事たちの間に立ち塞がる。弓削の前に出た格好だ。

「どきなさい!邪魔すると君たちも逮捕するぞ!」

 銃を構える刑事は高圧的な態度だ。この場合、普通は捜査員が高瀬に近づいて確保するはずなのだが、捜査員たちは何かを警戒するように高瀬から一定の距離を取り、あくまで高瀬が自分から出てくることを要求している。弓削は高瀬の方を見てハッとした。彼の口元が緩んでいる。苦痛に顔を歪めているのかと思ったがそうではない。明らかに笑っているのだ。弓削は彼から禍々しい気のようなものが立ち昇っている感じがして目が離せなくなった。高瀬は手をつくことなく、まるで操り人形が上から操作されているようにグイッと立ち上がった。

「ナマスザルバジニャーヤ!」

 天冥てんめいくうに指で何かを描きながら叫ぶ。その天冥の手と高瀬の間に眩い閃光が走った。それに反応し、まるで獣が敵を威嚇するように高瀬が天冥に向かって吠える。シャーという、蛇のような無声音だった。そしてその首がバイブのように振動したかと思うと、ヌルヌルと、長く伸びだした。

 パーン!

 突然、乾いた発砲音が響き、天冥に向いた高瀬の後頭部が弾かれて部屋の中に傾く。そしてドサッと、布団の上に突っ伏した。

「確保ー!」

 数人の捜査員が倒れた高瀬に駆け寄り、中から引きずり出そうとする。

「陽翔!なぜ撃った!彼はまだ正常だった!」

 三国みくにが高瀬に覆いかぶさり、拳銃を撃った刑事を睨んだ。

「この場にいる者は全員連行する!共犯の疑いがあるからな!」

 刑事の下知が飛ぶ。包囲していた捜査員たちがワラワラと詰め寄り、朱美を、天冥を、三国を、そして弓削までも連行しようとする。須田が弓削に駆け寄ろうとしたが、弓削はそれを手で制した。自分が刑事だとバレない方がいい、そう判断した。

「おい!何やってんだ!俺たちは何もやってないだろう!」

 ダイニングから出てきた弾正だんじょうが叫ぶ。

「離して!あんたら何の権限でそこまでするの!?」

 朱美も身をよじりながら捜査員たちに抵抗していた。

袴田はかまだ係長!さすがにこれはやり過ぎなんじゃ…」

 須田が先程銃を発砲した刑事に駆け寄り、進言している。どうやら発砲した彼がこの場の司令塔のようだ。須田班の他の二人もおろおろしながらも袴田の指示に従い切れないでいる。そんな三人に、袴田は容赦のない言葉を放つ。

「あんたらはこちらの指示に従っとけばいい!余計な口出しをするな!何にも知らないくせに!」
「何にも知らないだって?じゃあ教えて下さいよ!何も教えないでただ指示にだけ従えって、自分たちだって刑事なんだ!法的におかしいことには従えない!」

 顔を真っ赤にしながら反論する須田に、弓削は心の中で拍手を送った。本当は自分だって須田に加勢したいが、そうすると隠密行動がバレてしまう。それはまずいことに思えた。だがこのままではどの道連行されて身元がバレる。袴田の反応はと見ると、鼻からあからさまに侮蔑の息を吐きながら、怯むことなく須田に蔑んだ目を向けていた。

「ふん、所轄がイッパシなこと言いやがって。まあいい、ここでこんなやり取りしても時間の無駄だ。所轄さんは後で服務規定違反にかけるとして、おい!急いで撤収するぞ!この場にいる全員を連行するんだ!」

 須田班以外の刑事たちのハイッという声がノワールの玄関から一階廊下までに響き、弓削も両腕を二人の刑事に抱えられて玄関に向かわせられる。次から次から入ってくる捜査員たちに、ダイニングから出てきた弾正も、乃愛のあも、駿佑しゅんすけも、引っ立てられるように連れ出されていた。玄関を出ると、門扉の間から道路に停められたパトカーの赤色灯が夕闇の迫る外気をさらに赤く浮き立たせている。空からは報道ヘリの音がバラバラと聞こえ、おそらくはこのノワールの前にも報道陣が詰めかけている。救急隊員が担架を担いで入っていく。高瀬はあれに乗せられて運ばれるのだろう。門扉が近づくと、青白いフラッシュの光に視界が眩む。あわや自分も撮られると思った時、外の人間たちを押し退けるようにラメ入り紫スーツの男が入ってきた。

「はいはーい!ストーップ!この門からまだ出ないでー!責任者誰~?」

 朝霧あさぎりが門の前で立ち塞がり、彼の間の抜けた声が捜査員たちの足を止める。弓削はその姿を見て、遅いよと心の中で毒づきながらも彼について初めて頼りがいを感じた。

「おい!誰だてめーは!」

 建物から飛び出てきた袴田に、朝霧はスーツから名刺入れを出して一枚を渡す。その立ち振る舞いはまるでキャッチのボーイが通りすがりのサラリーマンに名刺を渡すようだった。

「公安調査庁…特務…調査室……?」

 薄暗くなり始めた庭で袴田は目を凝らして名刺の文字を読む。

「住人たちまで連れて行かれては困りますね。彼らは解放してもらえます?僕で役不足でしたら、うちの室長経由で沖芝おきしば管理官に伝えますが。それでも強行すると仰っしゃるなら服務規定違反?も覚悟していただかないとですね」

 朝霧はニヤッと片側の口角を上げ、前にいる弓削をチラッと見た。こいつ、盗聴した内容をそのまま返しやがったなと思ったが、少し胸のすく思いだった。

「い、いや、それには及ばん。だが、被疑者は運ばせてもらうぞ」
「どーぞどーぞ」

 袴田は苦虫を噛み潰したような顔で捜査員たちに指示し、ノワールの住人たちを解放した。そして担架に乗せられ、シートをかけられた高瀬が運び出される。おそらく彼はもう死んでいる。浦安うらやす係長の言っていた聖蓮せいれん女子高校で起こった事態がここでも起こったのだ。弓削の脳裏に、さっきまでのシーンがフラッシュバックする。空を切って何かを唱えていた天冥、彼はまだ正常だと叫んだ三国、そして首が異様に伸びたように見えた高瀬……一体ここで何が起こったというのか……?

 捜査員たちが引き上げていく中、肩を落とした三国が弾正に抱えられながらダイニングへと入っていく。他の住人たちもダイニングの中だろうか、人の引いた玄関先で弓削は立ち竦んでいた。さっきまで普通に過ごしていたこのノワールが、今は黒い魔城のように感じられる。ダイニングの扉を開けると、そこには魔物たちが笑ってこちらを見ている、そんな妄想に囚われた。

 ポンと肩を叩かれ、そちらを見るとそこには朝霧の心配そうにこちらを見ている顔がある。

「大丈夫?」
「はい。あの、助けに来ていただきありがとうございました」
「おー素直なフーミンも可愛いねえ。でも別にフーミンを助けに来たわけじゃないんだけどね。さて、僕は車の方に一旦戻るけど、これからやって欲しいことをメールで送るから、フーミンも気持ちを落ち着かせてからそれを読んで行動して。いい?」

 ゆっくり頷くと、朝霧はにっこり笑って彼女の肩をパンパンと叩き、門を出て行った。触られることが不思議と今回は嫌ではなかった。深呼吸をし、生温かく湿った空気を肺いっぱいに取り込んで吐き出す。そしてノワールの玄関に向くと、奥の暗闇から染み出るように、真っ黒い人物が近づいて手招きしているのを見た。一瞬、ヒイっと喉の奥が鳴る。

「ちょっと…あなたに聞きたいことがあるの」

 天冥だった。彼女は弓削を連れ立って二階への階段を登り、さらに弓削の部屋の前を通って三階への細い梯子を登っていく。そこは納屋みたいな空間で、柱にあるスイッチを押して裸電球を点けると、天冥は黒いチュールに覆われた目をこちらに向けた。カビ臭い匂いが充満し、天井の低い部屋に雑多な物が置かれているのが目に入る。真ん中には天窓があり、黒い大きな鐘の下部分のシルエットが見えている。そういえばあの鐘が鳴っているのを聞いた。後で調べてみなくてはと思いながら、チュールの奥に光る天冥の目を見据えた。

「あの、ずっとそのチュールしてるんですか?できたらちゃんと顔を見せて欲しいんですけど」

 初めて会った日、彼女は自分に死相が出ているなんて失礼なことを耳打ちした。ちょうどいい機会なので二人っきりになった今、あの時の非礼を謝ってもらい、あわよくばミッションの一つである彼女の素顔をこの盗撮映像に収めたい。そう思って睨んでいると、彼女はゆっくり首を縦に振ってチュールの下に手をかけた。

 そして、緩慢な仕草でチュールを巻き上げながら、帽子の縁を持って頭から外した。長い黒髪が揺れ、光の輪が波のように走る。弓削は現れた天冥の顔を見てあっと声を漏らした。真っ直ぐ通った鼻梁に長いまつ毛。その切れ長で涼やかな目は弓削が毎日ニヤけながら見ている写真と同じだった。

 セフィロトの代表の美青年!

 それが天冥の正体なのか…。ドクンと、弓削の胸が大きく脈打つ。鼓動が速くなり、体温が上がっていく。鼻から生暖かいものが流れ出た感覚があり、視界全体が次第に真っ赤にぼやけ出した。





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