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第2章 切迫

10 白い守り神

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 足元にまとわりついてきた小さな生き物を、じっくりと観察した。白と白銀の縞模様がボディに縦に走り、豚のような上げ鼻。その鼻をフガフガと鳴らしながら、まるでマーキングするように白い体毛を草太そうたの足に擦り付けている。脳内検索をかけると、ウリボウという生物に思い当たった。だが知っているものよりかなり白い。

「あら、あなたのことが気に入ったみたいね」

 カラスの親分のような黒い塊がその身を起こし、草太の方を向いて言った。

天冥てんめいさん、帰って来られたんすね」

 五月山さつきやま天冥、5号室の住人。彼女がいるとカラスが寄ってくるので、今日のカラスの多さからひょっとしたらとは思っていた。

「ええ、夕べからね。あなたは寝てらしたみたいだけど」
「いや~すんません。何か俺、出先で倒れたらしくて」
「暑気あたりではなくて?気をつけなさいね」
「ありがとうございます。俺、体力には自信あったんすけどね~。それはそうと、これ、何すか?」

 草太は自分の足元を指差す。そこでは白い獣が相変わらずフガフガ言っていた。

「昨夜ここに帰って来る坂の途中からずっと着いて来たの。さすがに一晩放置したらいなくなると思ったんですけど、今日もこの通り、まだ庭にいたんですの」
「それでその箱を引っ張り出したんすか?」

 草太は先程まで天冥がゴソゴソしていた所を指差した。そこには用具入れの奥に放置されていた、昔犬小屋として使っていたのであろう腰までの高さの木箱が、入り口の側まで引っ張り出されていた。

「まさか、飼うつもりとか?」
「だって、いなくならないんですもの、しょうがないでしょ?こんな小さい子、食べるわけにもいかないし。でも丁度良かった。わたし、これからお出掛けしますので、後はお任せしますね」
「いやでも…猪って飼えるんでしたっけ?」
「そんなに懐いてるんですもの、飼えるんではなくて?」

 飼えるんではなくて、て…。草太はいつまでもフガフガまとわりついているウリボウに、屈んで手を伸ばしてみた。背中のラインを一撫ですると、嬉しそうに顔を上げてキュンと鳴いた。その姿はまるで、七星妙見《ななほしみょうけん》の鳥居前で見た狛犬のようだった。

「白すぎません?これ」
「アルビノ種みたいね」

 アルビノ種…遺伝子の異常でメラニン色素が合成できない個体。何だか感情を欠損している自分みたいだ。 

「最近よくない気がこの町を覆い始めているわ。置いておくと、守り神になってくれるかもしれないわよ」

 天冥は涼し気な声で占い師らしいことを言う。顔がベールで覆われていて表情が読めないが、口元は微笑している。黒紫色の長袖のワンピースの肩からゴワゴワとしたショールをかけている。照りつける陽光できっとかなり高温になっていることだろう。

「あの、暑くありません?その格好」

 見ているだけで息苦しくなり、ストレートにそう聞いた。だが天冥は口角を少し上げただけだ。その肌には汗が流れたあともなく、サラリと乾いていた。そして黒い日傘をさし、そのまま道路へと歩いていく。まるで影だけがゆらゆらと移動しているようだった。

 天冥は普段、宇根野うねのの駅前で小さな机と椅子を置いて辻󠄀占いをしている。草太も買い物で商店街まで下りた時に、駅前の片隅に墨で塗ったような影を作って佇んでいる天冥の姿をよく見かけていた。たまに詳しく見て欲しいという依頼をしてくる人もいて、そういう人には予め住所と名前を聞き、指定した日時までに身の回りの情報を調べることが草太に課される。ホット・リーディングといえば聞こえはいいが、ようするにインチキ。だが草太は占いとは多かれ少なかれそういうものだと思っていた。

 さて……

 取り残された草太はオンボロの犬小屋を見た。お任せしますねと言われても、ウリボウがあんなところに入るのだろうか?

「お前、ここで暮らしたいのか?」

 足元の白い獣に直接尋ねると、嬉しそうに顔を上げてキュンと鳴いた。



「草太ぁ~お腹減った~!何か作って~」

 犬小屋の修理にトンカチやっていると、つむぎが出てきてだるそうな声をかける。

「紬ちゃんとは食事の契約してないでしょ?おじいちゃん家に行って食べさしてもらいなよ」
「ええ~固いこと言うなし。きのう面倒みてやったじゃん~」

 言いながら草太の手元を覗き込み、そこにちょこんと座っているウリボウを見つけて声を上げる。

「うわあ!何これ何これ!かあわいいんですげどぉ~!」

 紬が手を出すと、ウリボウはその指先をパクっと食いついた。

「ぎょえ~!食べられるぅ~!」

 紬が騒がしいからか、元々手持ち無沙汰だったからか、次第にノワールの住人たちが玄関から顔を出してきた。

「おお?何だ?ウリボウじゃん!食材として飼うのか?」
「食材としてではないっす」
「ボク、ジビエは硬いから嫌い」
「いやだから食べないっす」
「鍋がいいでつ!鍋がいいでつよ」
「いやだから食べないって!」
「草太君、そろそろ食事を……」
「うるさーい!!」

 弾正だんじょう乃愛のあ駿佑しゅんすけとウリボウを食材と見ている勢にひとしきり突っ込み、最後にうっとおしくなって声を張り上げたのだったが、そこに明彦あきひこの顔を認めてハッとした。明彦はただ、草太にいつまでたっても作ってもらえない食事の催促に来たのだ。

「あ、明彦さん、違うんです違うんです、ごめんなさい、すぐに作りますね」

 どうせここにいても周囲から何やかやと言われて暑苦しいので、一旦中断して食事を作ることにした。ちょうど素麺の買い置きがあったので、きのうの詫びも兼ねてみんなにも振る舞うことにした。

 素麺をあるだけゆがいて大きめのザルで水を切り、氷をぶちまける。薄切りのキュウリを散らし、人数分の器に麺つゆを入れて刻みネギとわさびを薬味として違う器に盛る。これなら味覚の無い草太が作っても不味く作りようがない。ダイニングのローテーブルに並べると、みんな喜々として手を伸ばした。

「飼うんならさ、名前決めた方がよくない?」
「真っ白だから白ちゃん」
「却下」
「何で紬が決めるの」
「だあってダサいじゃん」

 紬と乃愛がウリボウの名前決めを進めている。

「ボタンなんてどうよ。可愛いくね?」
「鍋から離れなさいよ」

 弾正の意見も紬に却下された。

「トンちゃん、とか?」
「豚じゃないから」

 駿佑の意見も瞬殺。明彦は何も言わずに場をニコニコと眺めていたが、

「うい~っす!ああ~二日酔い~」

 と、相変わらずノースリーブのキャミから乳首の突起を隠そうともせずに朱美あけみが顔を出すと、彼の顔は懐中電灯に照らされたように明るくなる。朱美は眠そうな目を擦りながら自分のコップを取ってテーブルに置いてある麦茶を入れてゴクゴク喉を鳴らすと、みんなが素麺を食べてるのを見て、

「うまそー!あたしもあたしも!」

 と、草太に自分の器も用意させた。総勢7名、盛られた素麺はみるみる減っていく。さっき天冥が出掛けた以外、日曜だというのに誰も予定は無いようだ。朱美の働くku-onも基本日曜は休むようにしている。賑やかといえば賑やかだが、これが通常運転のノワールだ。弾正も駿佑も明彦も乃愛も、おそらく天冥も接客業である朱美も、仕事でもなければ外に積極的に出ようとしない。みんな引きこもり気質なのだ。そして残りの一人、四條畷しじょうなわてすぐるも。

 ガチャっと扉が開き、紺の作務衣姿が現れる。ボサボサの鳥の巣のような髪の下から、切れ長の細い目をダイニングの隅々に走らせる。

「おお、今日は賑やかではないか」

 低く掠れた声が一同を包む。その声を聞いたと同時に、草太の耳にキーンという機械音が響き、頭が割れるような激痛に襲われた。何か思い出さなければいけない重要なことがある気がした。




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