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第2章 切迫

2 幻の少女

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 シェアハウスから駅までの坂を下りながら、西から照りつける陽射しに汗を拭った。後方からは不平を漏らす駿佑しゅんすけの声がずっと聞こえている。ノワール前の公道は幅が狭く、四人は一列、縦に並んで下っていたが、まだ歩き出して5分も経たないのに駿佑は暑さに音を上げているのだ。

「もう無ー理ーぃ!ねえ、タクシー呼ぼうよ!タークーシ~~~ぃ!」
「もお!うっとおしい!嫌なら帰れば?」
「シュンくーん!ダイエットダイエット!ファーイト!」

 乃愛のあに叱られ、つむぎに励まされながら、駿佑は一番後ろでドタドタと重そうな靴音を鳴らす。草太そうたは先頭に立ちながら、引率の教師のような心境になっていた。すぐ後ろには青髪シースルーのダークエルフ、続いてサマージャケットにショートパンツのモデル体型、最後尾はそれと対照的にボサボサ髪のランニングシャツのぽっちゃりした風体…かなりチグハグなメンツだ。幸い炎天下の道には他に誰も歩いていないくて人目を気にする必要はないが、問題は人目につく場所に行くこれからだ。

 駅に着くと早々に一悶着あった。現地まで歩いて行きたい草太と、例え一駅でも電車に乗りたい駿佑がぶつかり、草太は衆目に晒されたくなくて頑張ったが、結局これ以上一歩も歩かないと言い張る駿佑に根負けした。チョコレート色のローカル電車に乗ってみなもと鳥居とりい駅に着くと、街側から物見遊山で事件現場を一目見ようと来たのであろう暇な中高生の一群に出くわし、ほら見ろと言わんばかりに草太は顔をしかめた。案の定中高生たちは草太たちに興味を示し、あろうことかスマホを向ける輩もいた。乃愛も駿佑も暑さで気が回らないのかそういう周囲のざわめきには見て見ぬふりをし、紬だけは時折向けられるスマホにピースサインを送ったりしていた。

 七月の稲穂はまだもみの重みを知らず、青々とした葉鞘を所狭しと直立させている。周囲の木々から聞こえるアブラゼミや鳥たちの声をBGMに、時折吹く風が波のように田を渡っていく。そのど真ん中を海原を渡るモーゼのように直進し、やがて件の家の前に到着した。西の突き当りに位置する家の前の路肩には警察や報道陣の車がズラッと縦に隙間なく並んでいる。カメラとマイクを向けられたアナウンサーらきし人の姿が二車線の道路を塞ぎ、それを見る野次馬たちも加わって生け垣の前百メートルくらいまですでに人集りが出来ており、草太たちはその手前で立ち止まった。

「ほら、やっぱりまだ来るの早かったんじゃないすか?」
「でも、草太は警察に呼ばれてるんでしょ?ボクたちもドサクサに紛れて入れないかなあ?」
「いや入れないでしょ、俺以外は」

 乃愛とそんなやり取りをしながら、取り敢えず弓削ゆげ刑事に電話をかける。家の前まで来たが入れないことを伝えると、弓削刑事は5分も待たせずに人集りをかき分けながら出てきてくれた。

「ご足労おかけします。じゃ、こっちへ」

 弓削刑事は草太を見つけると軽く会釈し、一瞬乃愛たちに視線を走らせたが、特段何も言わずに家へと誘導しようとする。ノーネクタイとはいえこの暑いのにしっかりと黒いスーツを着込み、ジャケットの袖を腕の中程まで折り上げていた。駿佑の視線があからさまにボリューミーなその胸元に注がれている。

「じゃ、ちょっと行ってきます」

 弓削刑事の後を付いていきかけると、乃愛たちも当然のように草太の後に続こうとする。家前に集っている目線が集まり、弓削刑事がそれに気づいてこちらを見る。

「あちょっと待って、あなたたちは?」
「ボクたちは草太の保護者です」
「いや保護者さんは呼んでないから。ていうか、あなたたち保護者じゃないでしょう?時間は取らせませんからここで待っていて下さい」
「ボクたち、取材に来たんです」
「関係者以外は中にお入れするわけにいきません」
「ブー!ケチー!」

 そんなやり取りをした後、思惑の外れた乃愛たち三人の冷ややかな視線を背中に感じながら、草太は報道陣の間を抜けて家の中に入った。生け垣の間に張られた黄色いテープを潜ると、玄関までブルーシートで道が作られ、まるで青いトンネルを通って核シェルターにでも向かっていくようだった。玄関前で白い帽子とビニールの手袋を渡される。足元も靴ごとビニールで覆われ、渡された白帽を被ると工場で働く人のように後頭部にネットを被せた。

 玄関に入ると背中にH県警のロゴの入った青い制服の警察官たち、いわゆる鑑識官たちが右往左往していたが、草太は建物そのものにまず強い違和感を感じた。きのう入った時、玄関から伸びる廊下には小さな棚や額縁の絵といった細々とした物が置かれていたはずだが、その一切が取り払われている。いや、物が無いということだけじゃない、空気感というか、きのうの時点では人が住んでいる気配が感じられたが、今入った空間には人の住んでいる匂いが全く無く、ただ冷たく無機質な壁と床が続いているだけといった感じなのだ。

「きのう歩いた経路を辿ってみてくれます?」

 立ち竦んだ草太に弓削が声をかける。何か違和感があったら教えてくれと言うが、違和感しかない。取り敢えず言われた通りキッチンの裏口を目指すが、やはり部屋の中を見てもただのがらんどうで、家具類など一切見当たらない。

鮫島さめじま家の親戚筋の人が売りに出しているみたいだけど、こんな過疎化の進むところの一軒家、それも殺人事件があった家なんて買い手がなかなか見つからないみたいね」

 草太に付いて歩きながら説明してくれる弓削に、違和感のことを口にする。

「あの、きのうも、家具は無かった…んですよね?」

 弓削はそう聞く草太に眉根を寄せて異質物を見るような目を向けながら、大きく一つ頷いた。リビングに入ってもきのう見た家族写真も血のシミのあったカーペットも何も無く、ただ剥き出しのフローリングが広がっているだけだった。

 草太は狐につままれたような気持ちのまま、死体を発見した部屋に入る。そこにはきのう会ったもう一人の熟練刑事、浦安うらやすが待っていた。

「やあ、今日はご協力感謝します。早速だけど、これを確認してもらえるかな?」

 浦安が示した先には例の押入れが戸を開けた状態になっていて、上下に仕切られた上の段に関節を曲げられるマネキンが、体育座りで置かれていた。

「きのう押入れを開けた時、この状態からこう、落ちてきたのかな?」

 浦安刑事がマネキンの肩を持ち、下に落ちるモーションをする。ご丁寧にもマネキンの頭は外してあった。一瞬死体に寄りかかられた場面がフラッシュバックし、血液のぬるっとした感触がよみがえって顔をしかめる。

「はい…そんな感じだったと思います。それで、僕の胸にこう、寄りかかってきたんです」

 気持ち悪さを押し殺し、草太は浦安刑事から次のモーションを引き継いで死体を床に置くまでの動作を再現して見せる。一連の確認が終わると、裏口を出て家の西側のスペースに誘導された。キッチンに続く壁際には簡易のパイプ椅子が並んで置かれており、赤い缶の煙草の吸い殻入れも立てかけてある。どうやらそこは捜査員たちの休憩スペースに使われているようで、そのすぐ西側には山の樹々が迫り、表の報道陣からは全く見られる心配はない。草太は南の角の方を向き、きのう逃げていった男の後ろ姿を思い起こした。草太にはそれがすぐるに思えて咄嗟に刑事に報告しなかったのだが、そのことが草太の家の中に踏み込んだ動機を説明しにくくさせていた。だが今更言ったところで、かえって自分が怪しまれることになるのが目に見えていて、それは最後まで黙っていようと心に決めていた。

「悪いね。本当はコーヒーでもお出ししてゆっくり話したいとこなんだけど、あいにく立て込んでてね」

 浦安刑事はそう申し訳なさそうに前置きし、壁際の椅子を三脚適当に前に引き出すとその一つに座るよう促し、自分は草太の向かい、そしてその隣りに弓削刑事が座った。湿気の高いじっとりした空気に纏わりつかれる中、浦安刑事はきのう草太が話した内容について分かったことを簡単に説明した。それによると、草太が昼前に駅を出たことは駅員から確認が取れたらしいが、その駅員によると草太が一緒にいたという少女は見なかったと言う。

「そんなバカな!」

 草太の声が休憩スペースに響いた。
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