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第1章 始動

8 何かが、おかしい

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 そういえばと思い当る。今朝テレビのニュースで観た女子高生連続殺人事件の報道では、遺体には故意に傷がつけられ、一部が欠損しているとアナウンサーが言っていた。その一部がどこなのかは言及されなかったが、それは報道規制がかけられているからで、その欠損部位とはきっと「頭」なのだ。だから、この家での遺体が連続殺人によるものかもしれないと女刑事は思った。草太はスックと立ち上がり、

「あ、俺、行きますよ。K警察まで」

 と、巡査を睨む女刑事に言った。そこで男の方の刑事が咳払いし、女刑事を制するように手を振ると、

「いやあ、これは配慮に欠けてましたな。取り敢えず、まずは派出所の方に向かいましょうか」

 と、取り繕うように草太に笑顔を向け、そして女刑事を手招きして生け垣の向こう側へしばし消えた。残された草太と巡査は顔を見合わせる。

「あの、すみません、気を使っていただいて」
「なんのなんの、君はたまたま居合わせただけなんでしょ?あんな容疑者を見るような目で見なくていいのにね」

 巡査はそう言うと猿顔をくしゃっと崩し、ほうれい線のくっきり刻まれた口元を草太の耳に寄せ、

「喋らなきゃ可愛らしいのにね」

 と、生け垣の向こうへ顎をシャクって小声で言った。草太は笑みを浮かべて返したが、容疑者という言葉に内心ハッとした。穂乃香ほのかと名乗った少女は草太の前から消えてしまった。あの少女がいなければ、草太がここへやって来た説明がつかない。だがまさか、この家の被害者に似た少女に導かれて来ましたなんて言うと、あからさまに怪しまれるだろう。自分の立場の危うさに今更ながら気付く。

「申し訳ない。では早速向かいましょう。君、運転してもらえるかな」

 生け垣から出てきた男の刑事が巡査に声をかける。巡査はチラッと自分が乗ってきた自転車を見たが、後ろから女刑事が鋭い視線を送っているのを見ると、

「承知しました!」

 と敬礼し、生け垣近くにいた別の制服警官の元に駆けた。女刑事は男刑事に何かを含ませられたのか、さっきより少し意気消沈気味に見える。巡査は自転車とパトカーの鍵を交換したようで、路肩に停めてある数台のパトカーのナンバーを確認し、そのうちの一台に向けて鍵を鳴らした。

「さ、どうぞどうぞ」

 巡査が運転席に乗り込むと、男刑事が草太に手招きし、後方のドアを開けて奥に座るように促した。そしてそのまま自分も運転席の後ろに乗り込み、女刑事はそれを見届けてから助手席に座る。道中、まるで客に気を使うタクシーの運転手のように巡査はしきりと女刑事に話し掛けていた。

「大きな帳場が立ちそうですねえ。どこに立てるんですかねえ、禍津町まがつちょうは狭いし…」
「おい!」

 女刑事は鬱陶しそうにしていたが、巡査がそんな話題に触れると一喝し、巡査はそこからシュンとして黙った。男刑事は終始無言で、草太はその横で窓の外を眺めながら、これからどう供述しようかを考えていた。車はみなもと鳥居とりい駅前から国道に入り、隣りの宇根野うねの駅で左折して豆腐をくり抜いたような白い二階建ての建物横の駐車スペースで停まった。草太もこの駅前派出所の場所はよく知っていた。宇根野駅西側にはアーケードの無い商店街…といっても酒屋、雑貨屋、八百屋などが点在する寂れた通りなのだが、その店々に混じって建っている。二階は磨りガラスの窓で閉め切られ、一階の交番には今運転していた巡査が机に頬杖をついて通りをぼうっと眺めている姿をよく見かけていた。

 派出所は街のポリボックスに比べるとやや大きめたが、それでも四人入るといっぱいになる。草太はパイプ椅子に座り、巡査がもう一つパイプ椅子を取り出して草太の隣りで開き、そこに座った。机を挟んで草太の向かいに男の刑事と女の刑事が並んで座り、まるで学校の保護者面談のような形になった。男の刑事が草太の前に名刺を差し出す。そこには、

 K警察刑事課強行犯係係長
 H県警警部補 浦安誠

 と書かれていた。細面の顔に昔ながらの理髪店で切った感じのきっちりした短髪、柔和な表情を浮かべているがイザという時にはいぶし銀のように光るのであろう細い目、そんな印象のベテラン刑事だ。

「じゃあね、まずは君がどうしてあの家にいたか、そこを聞かせてもらえるかな?」

 口調は穏やかだが嘘は許さない、そんな厳格な圧を言葉の奥から感じた。噓を言っても仕方がないと、草太は正直に話すことを決める。自分は高台にあるシェアハウスの管理人をしていて、そこで仕事を構える探偵事務所の手伝いをすることもあること、今朝の9時前に一人の少女がやって来てあの家に一緒に行ってくれと依頼してきたこと、その少女は途中で消え、実は被害者の長女に瓜二つだったこと、少女はその長女と同じ穂乃香ほのかという名を名乗ったが、身分証は見せてもらっていないこと、など。予め役割分担が決まっているように、女刑事が手帳を出してせわしなくペンを走らせていた。

 しかし、草太は不審な男に出会ったことは刑事に言わなかった。

「その少女が一緒だったことを誰か証明してくれる人はいるかな?」

 浦安うらやす刑事の質問は当然のこととしてそこを突いたが、残念ながら草太には少女と一緒に歩いたルートを示すことしかできなかった。次に遺体が誰のものか心当たりはあるかと聞かれ、少女の依頼内容についての話に移る。

「じゃあ君は、あの遺体がその少女の友達の可能性があるんじゃないかと思うんだね?」

 浦安刑事は少女の友達の名前を聞き、女刑事にその名前で網をかけるようにと本部に連絡を入れさせる。女刑事が電話をかけに外に出ている間、草太はずっと気になっていたことを浦安刑事に聞いた。

「あの、あの家の事件って二年前のことですよね?なのに、まるでさっきまで生活していたように家具なんかをそのままにしてるっておかしくありません?床の血痕もそのままにしてるなんて……」

 浦安刑事は草太の言葉を聞くと訝るように眉根を寄せ、首を傾げた。

「家具をそのままに?いや、あの家には家具どころか何も無かったはずだけど…君は空っぽの家の押入れから遺体を見つけたんだよね?」

 刑事の言葉に、草太の頭は一瞬真っ白になる。何かがおかしい。が、何がどこからおかしいのか分からない。もし自分が間違っているとして、一体どこから間違えてしまっているのか…砂漠でコンパスを無くした旅人のように、草太は自分の立っている位置が分からなくなってしまった。

「そんな…もう一度、もう一度家の中を見せてもらえませんか!?」

 ガタンと椅子を鳴らし、立ち上がって訴えかける。浦安刑事はそんな草太の顔をまじまじと見つめていたが、音を聞いて駆け入った女刑事が草太を宥めて椅子に座らせると、浦安刑事は、

「あんな酷い遺体を見てショックだったね。今日はもう家に帰ってゆっくり休みなさい」

 と、訝る目を柔和に戻して草太を気遣った。

「そうだ、若いもんは若いもん同士の方が喋りやすいだろ。弓削君、連絡先を彼にお渡しして」

 そして女刑事に名刺を渡すよう促し、女刑事は頷いて名刺に自分の携帯番号を書き足してから草太に渡した。見ると浦安刑事と同じ部署で、役職は巡査部長となっていた。

弓削ゆげ史子ふみこです。気がついたことあったらいつでも何でも言って?時間帯は気にしなくていいから。で、登録するから一度君の携帯からかけてくれる?」

 隣りの巡査が羨ましそうにそのやり取りを見て、

「若いもん同士って、弓削さんは青年よりだいぶ年上に見えますが…」

 と皮肉を言うと、

「はあ?殺すぞ」

 と睨まれて口をつぐんだ。

「家の中を見たいということだったが、今日は無理だけれど、君がそう願わなくても一度現場検証には来てもらうことになると思います。その時はお手数ですが、ご協力下さい」

 浦安刑事が立ち上がってそう草太に声をかけ、事情聴取は一旦終了となった。派出所を出る草太を巡査が追いかけ、近くの自販機で買った冷たい缶コーヒーを草太に手渡す。

「長々とゴメンね、お茶も出さんと。これ、よかったら飲んで」

 お巡りさんがそこまでするイメージがなかったが、草太は頭を下げ、その缶コーヒーを受け取った。

「あ、僕は忌野いまわのといいます。この交番にはいつもいるから、何かあったらいつでも来てね」

 被っていた警察帽子を取り、それを振って見送るその頭はかなり禿げていた。草太は駅までの道の途中で立ち眩みがし、駅の待合室のベンチに座って忌野からもらった缶コーヒーのプルトップを引く。混乱した頭に、コーヒーの甘さが染み渡った。
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