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第1章 始動

5 禍津町の呪いの家

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 穂乃香ほのかの依頼内容はおそらく行方不明の友達二人を探して欲しいというものだろう。それぞれの家族からは警察に捜索願いが出されているというが、さすがに高校生の女の子が十日近くも家を空けるというのはどう考えても非常事態だ。しかも二人も。そう考えると、穂乃香が巷を賑わせている連続殺人事件と結びつけるのも頷ける。人は防衛本能の一貫として、極度の不安に襲われると最悪の事態を思い描き、避難訓練さながら、最も酷い結末に少しでも慣れておこうとするものだ。草太はもう一度最初から経緯を聞いてノートに書き留めながら、鎮痛な面持ちで語る少女の心持ちを慮った。

「穂乃香ちゃんはその行方不明の二人とは結構仲良かったのかな?」

 こうやってわざわざ探偵事務所に訪ねてくるくらいだから聞くまでもないことだったが、少女はこの質問には目を伏せ、少し言い淀んだ。そしておもむろに顔を上げ、

「実は二人と少し前に喧嘩しちゃって、いつもは三人でよく一緒にいるんですけど、ここ最近は私だけ別行動でした」

 と、悲しげにまつ毛を伏せた。

「そうなんだ。じゃあ、二人がいなくなった日のことは詳しく分からない?」
「あ、ええと…これは別のクラスメイトから聞いたんですけど、陽菜ひなはずっと何かを怖がってて、それで11日に一人でお留守番する日の夜に心晴こはるも家に呼んでたらしいんです。でも心晴は当日、学校には来なくて…」
「それでコハルちゃんは11 日から、ヒナちゃんは次の日には行方不明になったんだったね。その、ヒナちゃんが怖がってたっていうのは、何に怖がってたのか分かってるのかな?」

 そこで穂乃香はコクンと生唾を飲み、詰まった息を整えるようにコーヒーのグラスを取った。水滴で一度手を滑らせ、慌てて両手で包み込んでから、一口飲むとホッと息を吐く。そしてまた草太そうたの方に真摯な目を向けて語り出した。

「二人は都市伝説が好きで、YourTubeとかでそういう動画をよく観てたんです。私はそれほど好きじゃなかったけど、二人と一緒にいたかったからいつも話を合わせてました。そしてある日、陽菜が禍津町まがつちょうにある呪いの家に行こうって言い出したんです。心晴は乗り気だったけど、私はそういうのはちょっと怖くて…行きたくないって言うと陽菜が、あんたの家が一番近いのにって怒って、その辺から二人は何だか私と余所余所しくなって、二人は実際に行ったらしいんですけど、私は一緒に行かなかった負い目から二人から離れて行動するようになったんです」
「そっか、それは寂しかったね。で、二人がその…呪いの家?に行ったのは確かなんだね?」
「はい。で、その日から二人は何かに怯えるようになったらしくて…これは二人が行方不明になった後でクラスメイトたちが噂してるのを聞いたんですけど、何か、幽霊に襲われるって言ってたらしくて……」

 穂乃香はそこまで言うとグッと目を見開き、草太の方へ身を乗り出した。

「これはきっと呪いなんです!あんな…あんな呪いの家なんかに肝試しに行ったから!」

 最初、二人の行方不明は連続殺人事件と関連があるみたいなことを匂わせていたけど、急に話はオカルティックな方向へ進み出し、穂乃香の圧に草太は上体を仰け反らせた。連続殺人と呪いは関係ないないだろう、と、エキセントリックな言動をする少女を不安気に見る。

「ちょっと待って、呪いの家って……何か映画でそんなのあったけど、二人の行方不明と結びつけるのはちょっと突飛すぎるんじゃないかなあ?」
「ですよね、こんな話しても誰にも信じてもらえないと思うし…だから、ここに来たんです」

 またソファに腰を沈めた少女の鎮痛な面持ちを見て、言動はともかく、友達のことを心配しているのは本当のようだと信用する。草太はその気持ちにはちゃんと向き合ってあげようと思い直した…のだったが…

「その呪いの家ってこの禍津町にあるんです。きっとそこに陽菜と心晴がいなくなった手掛かりがあると思うんですけど、一人で行くのは怖くて…ここ、何でも屋さんなんですよね?今からそこに私と一緒に行ってもらえませんか?」

 そこまで聞いて、草太はガクッと気持ちを上滑りさせた。この少女も例に漏れず一乗寺いちじょうじ探偵事務所を何でも屋と思ってやって来たのだ。事件を解決して欲しいんじゃない。

「なるほどなるほど、まあ…妥当な選択ではあるかな」

 結局いつものゴミ案件と変わりないことに今回は少し安堵した。行方不明の二人はきっと警察が捜査してるだろうし、少女としては居ても立っても居られない気持ちから行動を起こそうとしているのだ。そんな家に行っても何も見つからないだろうが、この傷心の少女がそれで納得するならやってあげてもいいかと思った。そのくらいのことなら一乗寺の手を煩わせることもない。

「うん、分かったよ。で、その呪いの家の場所って分かってるの?」
「はい。それは調べて来ました。二年前に一家惨殺事件のあった家です」

 穂乃香は手帳に書いた住所をまるで水戸黄門の印籠を見せるように草太の目の前に掲げた。女子高生らしくない達筆な文字が踊っていた。

 二年前の一家惨殺事件……

 草太はその事件のことを知らなかった。綿パンのポケットからスマホを取り出し、「禍津町、一家惨殺事件」と打って調べてみる。まとめ記事によると、鮫島さめじまという家の夫婦と中学生の娘が殺害されたらしい。犯人はすでに逮捕されており、見つかった時は精神錯乱状態だったという。動機ははっきりしなかったが犯人は捕まったため、事件の捜査としてはそこで終了している。犯人は草太と同じくらいの二十代前半の男性で、三日くらい徹夜したような視点の定まらない暗い目をした顔写真が添付されていてた。

「よし!じゃあ行ってみますか!」

 草太がスマホの記事を読み終わるまで不安そうな目で見守っていた穂乃香は、その草太の言葉でパッと花開いたように微笑むと、スックと立ち上がってよろしくお願いしますとまた深々と頭を下げ、再び髪の右側をコーヒーで濡らした。


 メゾン・ド・ノワールの後方の東側は山の斜面になっていて、その先は山々の尾根が連なっている。西側には高台を蛇行しながら降りる道路があり、降り切るとすぐにローカル線の宇根野うねの駅がある。そのローカル線は都会を始点とする私鉄沿線の一つの路線の中程の駅に乗り上げる形で分岐しており、間隔の狭い十三の駅の真ん中やや終点側から「みなもと鳥居とりい」「宇根野」「山神やまがみ」と三つ並ぶ駅が禍津町の中にある。禍津町は人口こそ少ないが、面積は都会の市の一つ分くらいはあった。そして件の家は源の鳥居駅の西側に歩いて十分ほどの距離にあった。

(昼までには戻って来れるかな…)

 草太はスマホの時刻で9時過ぎなのを確かめ、ノワールを出た。狭くて急な斜面を、ともすれば大股になるのを着地した足を踏ん張って小股にする。一人の時は走る手前くらいのスピードでテクテク降りるのだが、今日は後ろから付いてくる少女を気遣ってできるだけスピードを殺した。時々振り返ると、白いワンピースが照りつける太陽光を反射して瞳を刺した。周囲の草むらから一定の高音で鳴き続ける虫の声が、アブラゼミのジージーという音と混ざり合って煩かった。

 宇根野駅まで着くと隣りの源の鳥居までの切符を二枚買い、一枚を穂乃香に渡す。

「あ、私、払います」
「いいのいいの、どうせ経費としてもらうから」

 今回の依頼は経費どころか探偵助手のバイト代も出るかどうか微妙なところだが、傷心の高校生を何とか元気づけてやりたく、また出来るだけ涼しく移動させてやりたかった。

 このローカル線の禍津町とK市の境界付近には清和源氏発祥の地とされる神社があるのだが、源の鳥居駅東側にも源氏由来の神社があったらしい。だがかなり昔の土砂崩れによって社屋は埋まり、今は駅の東にポツンと鳥居だけが残され、他には特筆すべきものは何もない。西側は全体的にのんびりした田園風景が広がっている。駅舎も何もない駅を西に出ると、両側を田んぼに挟まれた舗装道路を真っすぐ歩いていく。この駅を出た時点から穂乃香が前に立って草太を誘導したが、まるで例の家がどこにあるか知っているように確かな足取りで進んでいた。

 青々と広がる田んぼに風が渡り、海原の波のように稲を揺らす。湿気を多く含んだ風は生温く、肌にまとわりついて照りつける日射しの暑さを増し、涼風とは程遠かった。なのに、少女の言う呪いの家が近づいてくると、西から吹く風にひんやりとした冷気が感じられた。その冷気は木々の出す新鮮な空気が心地よいという類のものではなく、物理的というより心理的な、例えば葬式で斎場に向かうときみたいな心を冷やすような感覚に似て、歩くにつれてそれが強くなっていくのを感じていた。激しい蝉しぐれが、良くない所に向かっている自分に警鐘を鳴らしているようだった。




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