【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

火葬場への車中

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 小糠雨が降る中、兄の棺を乗せた霊柩車の後を、遺族だけを乗せたマイクロバスが付いていく。その火葬場までの道のりで、神崎かんざき隆二りゅうじはぼんやりと車窓から流れる景色を眺めていた。雨に滲んだ景色はぼうっと白く浮かび上がって見え、まるで心に張った膜がフィルターとなって自分と風景とを隔てているようだった。

 何とか式には間に合った。だがこれが終わりではない、むしろ、始まりなのだ。兄貴のかたきは必ずってやる──その意識が、悲しみを霞ませていた。ふっと、一人の女の顔が頭に浮かんだ。心の中とはいえ、カタキなどというワードを発したからだ。あいつはずっと、カタキカタキと煩かったなと、口の端を歪めた。


「あれ?リュウ、今、笑った?」


 ふいに横から声をかけられた。マイクロバスの席は五列あり、一番前に喪主を勤めてくれた六紗子むさし鷹八たかやが左右に別れて座り、六紗子の後ろに隆二が座っていたのだが、なぜか隣りには後ろの空いている席に座らずに、三狗みくが隆二の隣りにぴったりと寄り添っているのだった。

「お?何や何や、何がおかしいんや?」

 前の席から六紗子がシートに膝を立て、顔をこちらに向けて覗き込む。

「ムサ兄ぃ~今な、リュウがニヤッと笑ったんよぉ~」
「いや笑ってへんし。大体お前、何でずっと俺の隣りにおんねん」
「ぶー!お前って言うなあ!お姉ちゃんって呼びなさいよお」
「いやお前のこと姉って思ってへんしな」
「わ~お、辛口ぃ~!ムサ兄ぃ何か言ってやってよお」

 隆二と三狗の言い合いを見ながら、六紗子がワハハと笑う。

「お前ら相変わらず仲ええのう。隆二、一応三狗も血が繋がってる姉なんやからもう少し敬意持ったれや」
「そやそや、もったれもったれ~」

 六紗子の言葉にはしゃぐ三狗を隆二が睨む。

「修学旅行かよ。葬式やぞ」

 隆二の突っ込みに、六紗子も頷いた。

「そうやぞ三狗。だいたいお前もそれ、姉弟きょうだいの距離間ちゃうやろ。も少し離れたらどうや」

 ぶーっと、三狗は膨らませた口を鳴らした。




 隆二は幼い頃から何かと引っ付いてくる三狗が苦手だった。といっても顔を合わすのは年に一回の年始の挨拶の時だけなのだが、この5歳年上の異母姉は自分のことを猫可愛がりし、何かと世話を焼いてくる。厳つい兄ばかりの中で年の離れた弟が可愛いのだろうと我慢したが、年に一回のことだと思って放置しているとついに自分が成人するまで態度を改めることはなかった。


 あれは春には中学に上がるという年だった。珍しく兄の一虎かずとらがえべっさんに一緒に行こうと誘うので、兄と二人で出掛けた経験があまりなく気恥ずかしくもあったが、ちょうど一虎は十三じゅうそうに店をオープンしたばかりで、験を担いでいるのだろうと察して了解した。池橋いけはし駅の西に恵比寿神社があり、毎年一月十日前後の三日間に商売繁盛を掲げたえびす祭りが催される。病弱だった母が一虎16、隆二8歳の時に白血病を発症して亡くなって以来、兄がずっと生活を支えてくれていたので、自分が出来ることは手伝いたいという気持ちもあった。だが駅前の待ち合わせの場所に着いてみると、自分を待っていたのは三狗一人だった。兄に計られたと思った。一虎は父の大力だきりきが兄弟姉妹のお年玉争奪戦を仕掛けた件で三狗に借りが出来、きっと三狗が一虎に無理難題をふっかけたのだろうと察したが、面白くはなかった。意識したくはなかったが、この頃には三狗の自分を見る目は弟に向けるものというより、完全に男を見る目だと感じて警戒していたので三狗のはかりごとには本当に辟易した。



 だが兄のことを思うと無下にもできない。隆二は仕方なく三狗に付き合うことにした。池橋市のえびす祭りは大阪の中でもなかなかの規模で、毎年たくさんの屋台が神社の前に並び、大勢の人で賑わう。

「ねえねえ、次はあれをやろうよぉ~」

 などと派手なギャルに腕を引っ張れながら、屋台から屋台へとはしごした。

「あ~んもぉ、全然当たらへんわぁ」

 射的の屋台で空気銃を構えた三狗が忌々しそうに言った時だった。

「おい!ここの景品、まさか倒れんように底を糊付けしてるんちゃうやろなあ!?」

 三狗の声を皮切りに、隣で遊んでいたいかにも風貌の悪い三人組が露店の店主にいちゃもんをつけた。

「自分の腕が無いのを棚に上げてそんなクレームつけてもろたら、かないまへんなあ」

 スキンヘッドの、こちらもあまり風貌がよろしくない店主が、ニヤけた顔で三人組をいなす。

「何やとぐおらぁ!ほんならいっぺんそこの大きな景品を持ち上げてみいや!」
「いやいや、この景品は絶妙はバランスで置いてまんねん。それは出来まへんなあ」
「ほらみてみい!やっぱりイカサマやないか!みなさーん、ここの店はイカサマやってまっせえ!」

 一人の男が通りを向いて大声で叫び、一人がクチャクチャと噛んでいたガムを店の手前の台に貼り付けた。そしてもう一人が、

「それは詐欺やな。おい!ちょっとこっちに出て来いや!」

 と店主に向かって凄む。それを見ていた三狗が、眉を潜めて聞こえよがしに言った。

「やあ~ねえ、うっとおしいわぁ」

 それを聞いた男たちが今度は三狗の方に向き、目を見開いて声を上げた。

「わひょ~う!めっちゃべっぴんやないかい!なあネエチャン、そんな中坊みたいなやつ置いといて、俺らと遊ぼうや」

 男たちのターゲットは完全に店主から三狗へと移った。隆二は面倒くさいことになったと舌打ちした。

「だあ~れがあんたらみたいなダッサイやつと遊ぶのよぉ。こっちのリュウの方が百倍かっこいいわぁ」

 おいおい、頼むからもうちょっと言葉を撰んでくれ、と願うも手遅れで、

「なんやとわれえ!舐めとったらイッテまうぞゴラァ」

 と、まるで新喜劇に出てくるチンピラのように声を荒げた男たちが凄んでくる。隆二はため息をつき、三狗と男たちの間に入った。

「お?ボクちゃん、俺らとやるんでちゅか?」

 一人の男がそう言っておどけ、隆二は持っていたセーラー戦士の絵柄のピンクの袋に入った綿菓子とりんご飴と金魚が三匹くらい入っているビニール提げとバナナチョコレートとイカ焼きが一緒に入ったビニール袋を三狗に代わりに持ってくれるようにと差し出した。その手に男の一人のキックが入り、持っていた物が全て地面にぶち撒けられる。三狗があ~あと泣きそうな声を漏らした。 

 するとその瞬間、そのキックした男が後ろに吹っ飛んだ。何が起こったのかと男が飛んだ反対側を見ると、そこにはスキンヘッドの店主が立っていた。テントの内側から出てきたスキンヘッドは残りの男たちにもパンチを炸裂させ、男たちは全員店の前に倒れ込んだ。そこへ警備員が駆け寄り、目を白黒させていた男たちは分が悪いと見て一目散に逃げて行った。スキンヘッドは警備員たちに何でもないからと言って下がらせる。そして、隆二の落とした品々を拾いだした。

「あ~この金魚はもうあかんなあ。可哀想に。りんご飴ももう食べられへんわ。でもチョコレートバナナとイカ焼きは大丈夫や」

 ニカっと笑ってそれらを差し出し、隆二に手渡たす。

「あ、どうもありがとうっす」
「兄ちゃん、ようさん持ってたなあ。この姉さんのボディガードか何かか?」
「い、いやあ…」
「違う違う!リュウはみつの彼氏なんよぉ」

 三狗が嬉しそうに隆二の腕に飛びつき、隆二は慌てて身を引いて、

「違うやろ」

 と突っ込んだ。

「いやお姉さん、なかなか男見る目あるで。このあんちゃん、三人相手に全く怯まんと前に出てきとった。ナイスファイトや」

 スキンヘッドはそう言って隆二の肩をポンポンと叩き、台になすりつけられたガムをティッシュではぎ取ってから店内へと戻ると、また景品の棚の横の折りたたみ椅子に座って眠そうにあくびをした。


 それが、加納かのう又市またいちとの出会いだった。


 その日、なかなか帰りたがらない三狗を何とか帰すと、改めて礼を言いに射的屋台を訪れた。スキンヘッドの店主はちょうど店を畳んでいるところだった。

「あの、今日の夕方はありがとうございました」

 スキンヘッドは隆二に振り向くと、おお、と言ってから、

「いや、あの連中はな、わざわざうちの店目掛けて嫌がらせに来てたんや。あんたらはそのとばっちりを受けただけやからな、気にせんでええ」

 と言って笑った。隆二はそれから店仕舞いの作業を手伝い、スキンヘッドが腹は減ってないかと聞くので減ってますと答えると、かろうじて開いていた屋台でおでんを奢ってもらった。スキンヘッドは加納又市と名乗り、さっきの顛末が気になって詳細を聞くと、又市は実はヤクザ者で、たまに敵対する組のヤクザが今日みたいに嫌がらせに来るのだと説明した。そうしてその日から、又市と隆二は親交を持つことになった。



 思えばあの時の又市との出会いは、その後に兄と袂を分かつきっかけになった。そしてそれは、生と死という大きな違いとなって今に表れている。そして、その又市と自分との出会いは、元々は一虎が仕掛けたことの結果なのだ。


 隆二はともすれば手を握ろうといてくる三狗に背中を向け、感慨深くまた車窓から景色を眺めた。




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